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作家吾妻の事件簿

犯人当てパズルゲーム

作者: 真波馨

いつもより文字数がかなり少ないので、あっさり読めるミステリ風になっていると幸いです。

※(2018/7/16)被害者の死亡推定時刻および解決編一部加筆修正済み。

~問題編~



 梅雨が明けた途端、猛烈な暑さが連日のように日本列島を襲っていた。特に、昨日は近畿地方を中心に、国内百五十以上の地点で最高気温が三十五度を越える猛暑日となった。

「『こんな暑さが続けば、気狂いした殺人鬼が一人や二人出てきてもおかしくないかもですね』なんてほざく輩がいましてね。はじめはアホなこと言うなと叱咤しましたが、いざ現場に来てみると思ってしまうものです。『すべて猛暑のせいにできれば良いのに』と」

 額に玉状になって浮かぶ汗をハンカチでぬぐいながら、K県警捜査一課の小暮(こぐれ)警部はぼやいた。事件現場に到着してから、一度たりともハンカチを右手から離していない。

「警部らしからぬお言葉ですね」

「この歳になってきますと、さすがに暑さが堪えます。若手の後輩たちがただただ羨ましい限りですよ」

 オールバック風に撫で付けた白髪同様、白いものが混じった眉を八の字にする。そこへ、()()()()()の一人が忙しない足音とともに駆けつけてきた。

「警部。被害者が使用していたと思われるノートパソコンについて、吾妻先生に説明を」

「そうか。若宮、先生を奥へ連れていってくれ。私は大家に話を訊いてくる――鈴坂くんは、もう聞き込みに?」

「ええ。つい今しがた」

「分かった。あとは頼むぞ。では先生、また後ほど」

 紳士的な仕草で一礼し、警部は現場を後にした。茶髪を緩くウェーブさせた子犬顔の若宮暢典(わかみやのぶのり)刑事は、ノーネクタイの襟元を小さく仰ぎながら「吾妻先生、こちらへ」と部屋の奥を手で示す。

 ここは、K県S市浦奈(うらな)町の寂れた住宅街にある二階建てのアパート、その一室だ。二○二号室の住人、磯辺康洋(いそべやすひろ)三十四歳が頭部から血を流して室内で倒れているのを恋人が発見し、事件発覚に至った。磯辺は後頭部を鈍器で殴られ撲殺。凶器は遺体のそばに転がっていたガラス製の灰皿。死亡推定時刻は昨夜の十時前後。幅をとって九時から十一時の間と推定される。恋人が遺体を見つけたのは、今朝の十時四十分。デートの約束をしていたが定刻になっても姿を見せない磯辺を心配し、浦奈町のアパートを訪ねたのだそう。恋人の女性は合鍵を渡されていたため、容易に室内に入ることができたというわけだ。

「第一発見者の女性には、アリバイがあるらしいな」

 遺体が見つかった部屋に通された吾妻鑑(あずまかがみ)は、若宮刑事に問う。吾妻は現役の推理作家にして、時折K県警に非公式で捜査協力を依頼されることがあった。今、彼が血なまぐさい殺人現場を堂々と観察できているのも、そういう奇妙な縁所以のことなのだ。

「はい。今泉祥子(いまいずみしょうこ)、隣のM市に通勤している銀行員です。被害者の死亡推定時刻である昨夜の九時から十一時は、M市にいたことが判明しています」

「仕事関係か」

「いえ、男と一緒だったと」

「俗にいう浮気というやつか」

「バリバリの浮気ですね。相手は国枝匠哉(くにえだたくや)という商社マンです。国枝の仕事先は祥子が勤める信用金庫の取引先企業だったみたいで、そこから付き合いが始まったと。今は被害者よりもすっかり国枝に熱を上げており、被害者はいわゆる金づるみたいな存在だったと本人が証言していました」

「とんだ女に惚れたものだな」磯辺が最期を迎えた部屋で、推理作家は憐れむような声で所感を漏らす。

「まったくですね。しかし、とりあえず祥子に関しては一応アリバイがあるということになっています。国枝には鈴坂先輩がすでに裏をとっています。二人そろってM市内のホテルにいたことは確認済みですよ」

 鈴坂万喜子(すずさかまきこ)刑事は、K県警捜査一課の女刑事だ。僅かに吊り上った目と艶めいた黒髪が気品ある黒猫を連想させる、一課の紅一点である。

「その他の関係者については、聞き込みの報告待ち状態ですね。明日明後日あたりの捜査会議でおよその全体像は把握できるかと思いますが――それで、こちらが被害者が愛用していたらしいノートパソコンです」

 若宮刑事が指したのは、デスクに載ったホワイトカラーのノートパソコンだった。Wanders製で、最新のものよりもやや古いバージョンを使っていたようだ。スリープ状態になっているらしく、電源ボタンのライトはついたままだが画面は真っ黒である。被害者は死に際までデスクで仕事でもしていたのか、キーボードやモニターには血が飛び散った跡が残っていた。

「被害者は、パソコンの左側に頭を置き、この回転椅子に座った状態で発見されました。パソコンを使用中に襲われたのでしょう」

「パソコンの解析は」

「これから鑑識に回されます。パスワードがかかっていたので、まずはそこからですね。祥子の話では、磯辺はIT会社勤務だったからか、かなり長い文字数のパスワードを設定していたらしいと」

 うんざりするような顔で遺留品を見やる。鑑識の果てない苦労が想像される、とでも言いたげだ。

「おい、このパソコン、キーがいくつかなくなっているじゃないか」

 ゴム手袋を着用した指でパソコンを示す吾妻。彼の指摘する通り、キーボードからはいくつかのキーが引っこ抜かれており、キーのない箇所には小さな突起が顕わになっていた。

「そうなんです。ですがキーはなくなったわけではなく、被害者の右手に握られていました。全部で六個のキー、そろって握りしめた状態で絶命していたんです」

 そばで作業をしていた鑑識を呼び、ジッパー付きの透明な袋を受け取った若宮。それをそのまま吾妻に手渡した。

「Y、U、A、B、N、CapsLockキー。全部で六つか」

「はい。キーに付着した血痕は、おそらく被害者のものでしょう」

「被害者が犯人を示すために残したダイイングメッセージ――と、警部たちは言いたいのかな」

「とりあえず、その方向で捜査を進めるつもりです。ですから、警部はこれを見た瞬間に先生を呼び出したんです。あ、もちろん僕たちもこのキーの謎にちゃんと取り組みますよ」

 言い訳がましい口調で付け足す若手刑事。コットンシャツに履きさらしたジーンズ姿の推理作家は、袋をさっと若宮に突き返すと「ところで、扇子か団扇は持っていないか」と力ない声を出した。



「磯辺は今泉祥子に浮気されていた男ではありましたが、交友関係でのトラブルは今のところ見当たりません。仕事関係で気になる人物といえば、殺された磯辺に淡い恋心を抱いていたらしい同僚の女性くらいです」

 冷房のよく効いた、とある喫茶店の一スペース。鈴坂万喜子刑事の涼やかな声が、昨日の聞き込み結果を報告している。

南倫子(みなみみちこ)、二十八歳。念のためアリバイを確認したところ、事件当夜は自宅で過ごしていたということです。彼女は実家住まいなので、両親および姉の証言が取れています」

「家族の目を盗んで、こっそり家を抜け出すことは?」

「倫子は自室に籠っていたため、家族三人もずっと見張りのように彼女の姿を見ていたわけではありません。不可能ではないかと。ただし、南家から磯辺のアパートまでは車で三十分ほどかかります。倫子はマイカーを持っていないため、移動手段で車を使うのであれば両親の車二台のいずれかとなります。車のキーはリビングにまとめて保管しているらしく、事件のあった夜、倫子が車のキーを手にしたところは三人とも目撃していません。リビングでは父親、母親、姉の誰かが常に過ごしていたということなので、彼らに気づかれないように車のキーを手にすることができるでしょうか」

「共犯の線でない限り、ちょいと厳しいところだな。公共交通機関やタクシーについては」

「他の刑事が現在捜査中ですが、目ぼしい結果は得られていません」

 小さく首を振ると、アイスコーヒー入りのグラスを手に取った。ミルクピッチャーや砂糖、シロップの類には見向きもしない。ブラックコーヒーで喉を潤している間、隣に座る後輩刑事に現状報告がバトンタッチされる。

「磯辺のプライベートも、目立った関係の悪さはないようですね。借金や賭博の類も一切ありませんし、怪しげな人間との付き合いも今のところゼロです。趣味はバイクでふらりと出かけることと、スマホでのゲームくらいですね。これは同僚の証言です。テトリスをはじめ十種類ほどのゲームアプリをダウンロードしていたらしく、遺留品のスマートフォンからも確認できています。携帯会社に問い合わせてみると、多いときで月に五万円ほど課金していたようですね。とはいっても、月々の支払いは一度も滞ることなく行われていました」

「事件の引き金になるような要素はナシ、か。こりゃ尚更件のキーが手掛かりになってしまうな」

 吾妻の言葉が合図であったかのように、若宮はスーツのポケットから写真を取り出した。被害者のノートパソコンから抜かれた六つのキーを、一つずつ映したものである。

「Y、U、A、B、N、そしてCapsLockキーか。CapsLockキーって何ができるんでしたっけ」

「打ち込む文字の入力形態が変えられるのよ。アルファベットか仮名入力か」

 コーヒーを半分ほど消費した先輩刑事が補足する。

「CapsLockキー以外のキーは、平仮名にするとん、な、ち、こ、み――何のことやらですね」

「南倫子の名字をナンと呼ぶのであれば、分かりやすいダイイングメッセージだったのにな」

 呟いた吾妻の顔と、テーブルに並んだ写真を交互に見やる若宮。程なくして「あっ」と小さい声が弾けた。

「U、Y、N、A、B。なんみちこ。本当だ。うわあ、惜しいな」

「何が惜しいよ、不謹慎ね」

 栗毛頭を引っぱたかれ子犬顔の刑事は、小さく舌を出す。推理作家はパズルのように写真の順番を並び替えながら、

「ざっと思い浮かぶアナグラムにも、大した手掛かりはなさそうだな」

「所轄の刑事たちが地道に並べ替えてくれました。百二十通りの文字配列をアルファベットと平仮名それぞれで、計二百四十通り。その中で特に意味が成立しそうなワードをピックアップして、現在捜査に駆けずり回っているところです」

 目まぐるしく配置が変わる目前の写真を、猫目が素早く追っている。ひどく真剣な顔で腕組みをしていた若宮刑事は、不意に両腕を解くと「吾妻先生」と推理作家の手の動きを止めた。

「もしかして、被害者が伝えたかったのはこのキーが示す言葉ではなかったのではないでしょうか」

「ん、それはどういう意味だ」

「昨日、捜査資料としてパソコンのキーボード配列表が配られたんですけど、よくよく見るとY・U、B・N、A・CapsLockのキーはそれぞれが隣り合っているじゃないですか。二つのキーで一つのグループみたいに」

 写真の横に配列表を広げながら、若手刑事の声は意気揚々としている。

「たとえば、それぞれのグループの両隣にあるキーに、被害者が本当に示したかったメッセージが込められているとしたら、どうでしょう」

「つまり、Y・Uの両隣のT・I、B・Nの両隣のV・M、A・CapsLockキーは左隣がないから右隣のSのキーが真のダイイングメッセージだと」

「はい」

「アイデアとしちゃ面白いが、それじゃあ君はT、I、V、M、S――あるいは平仮名のか、に、ひ、も、と――からどんなメッセージを読み取ったんだ」

 吾妻の鋭い双眸にたじろぎながら、若宮は「ええと」と口ごもる。

「そんなことを言えば、Y・U、B・N、A・CapsLockキーの上に隣接するキーグループだってあるんだぞ。無駄に候補が増えるだけだと思うがな」

「それに、死に際の被害者がそんな複雑なメッセージを考え付いたとも思えないわ」

 二人から否定的な意見を受け、愛嬌ある子犬顔の刑事はしょんぼりと俯く。

「でも、犯人の目に留まることを恐れた被害者が、あえて一見分かり辛いメッセージを残すことだってあると思いますが」

「可能性がないわけじゃない。だが、メッセージのパターンが増えれば増えるほど、袋小路に迷い込むことになる。やはり、もう少し被害者の交友関係を洗い出すほうがせんけ」

 言いかけて、写真を玩んでいた推理作家の手が宙に浮いたままストップした。手にしていたYのキーの写真と、机上の配列表とを忙しく見比べる。

「先生? 何か閃きましたか」

 若宮がテーブルから身を乗り出した。女刑事が後輩の肩をしっかりと掴んで「先生の邪魔をしないの」とソファに引き戻す。

「隣接するキー、か――いや、若宮刑事。もしかすると君のファインプレーかもしれんぞ」

「え、どういう意味ですか先生。俺、もしかして先生の推理に貢献できちゃいましたか」

「まあ、早まるな。一つ確認したいことがあるんだが、至急鑑識へ連絡してくれないか」

 飼い主の指示を待つ子犬のように、若手刑事は丸っこい両目を輝かせながら右手にスマートフォンを握りしめていた。





          ◆  ◇  ◆  ◇  ◆  ◇  ◆  ◇




~解決編~



 吾妻鑑の元に国枝匠哉逮捕の知らせが届いたのは、事件発生から四日後のことであった。

「国枝に任意同行を求めて取り調べたら、あっさりと自白しました。国枝は祥子との結婚を約束していて、彼女との関係を解消してほしいと磯辺の元を事件当夜訪れたそうです。しかし、磯辺は『先に祥子と関係を持ったのは自分だ。祥子は浮気性だが、いずれ自分のところに帰ってくる。お前との結婚なんて認めない』と頑として譲らなかったと。いくら説得を試みても聞く耳持たずといった様子だったと、国枝は証言しました。磯辺は『用が済んだのならさっさと帰ってくれ』と国枝を邪険に扱い、それで殺意に火が付いた彼は近くにあった灰皿を手に取って――という顛末ですね。磯辺は国枝が自分に襲い掛かるなど予想もしていなかったためか、死の直前までパソコンでゲームに興じていたみたいです。いくら顔見知りとはいえ、警戒心に欠けると言わざるを得ません」

 被害者への同情というか、半ば呆れの色を含ませた声の小暮警部。吾妻はスマートフォンの通話をスピーカー設定にしながら、パソコンの画面と睨めっこの真っ最中である。来月締切の短編ミステリの構想を練っているのだった。

「国枝は磯辺のアパートを去った後、すぐに祥子と落ち合ってすべてを告白。もともと磯辺に愛想を尽かしていた彼女は、国枝が犯した罪の隠ぺい工作に迷わず加担したそうです。アリバイ作りのために駆け込んだホテルで、国枝が従業員に袖の下を握らせチェックインの時間を偽装。実際のチェックイン時刻は十時三十分頃だったと、ホテルマンが白状しましたよ。何でも国枝に借りがある関係だとかで。一方祥子は、国枝から警察の捜査の目を逸らすため、敢えて遺体の第一発見者を装い次の日に磯辺のアパートを訪れた。デートの約束云々はもちろん嘘です。事件が発覚した日は土曜日だったため、磯辺の会社から出社しない彼を心配し同僚が訪れる、という懸念もなかったわけですね」

「だが、まさか被害者が即死ではなく、最期の生命力を絞り出して犯人の名を残していたことまでは予想できなかった」

「無理もありません。ダイイングメッセージを実際に残した殺人事件なんて、私も滅多にお目にかかれるものではありません」

「その意味では、犯人の二人は不運でしたね」

「ごもっともです。仮に磯辺が何かしらの犯人につながる証拠を残していたとしても、まさかゲームスタイルで解読しなければならないメッセージなどとは想像できないでしょうし」

「冷静に考えれば、ゲーム好きの被害者らしいダイイングメッセージでした。にわかには信じがたい証拠でしたがね」

 一人苦笑を浮かべて、推理作家は目の前に並ぶキーボードを見下ろした。

「Y・Uのキーの上に乗ったキーが『7』、B・Nの上に乗っているのが『H』、そしてA・CapsLockのキーの上にあるのが『Q』――ゲームのテトリスの要領でY・U、B・N、A・CapsLockのキーを消せば、その上に乗っているキーが落ちる。7、H、Qのキーは平仮名配列だと『や』『く』『た』、つまり国枝匠哉が犯人。何百通りものワードを書き出した所轄の刑事方をどうか労ってやってください」


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