思わぬ遭遇
宿屋を出てみると先程までざあざあと降っていた雨は上がっていて、未だ灰色の表情を見せている雲の隙間から太陽の光が降りてきていた。
こっちに飛ばされる前の最後の日もこんな感じの空模様だった気がする。
いかに違う世界だと言っても空は青いし雨は降る、呼吸もできるし草木は緑色だ。
そう思えばこっちでの生活も不安も減る……ことはないか、まだまだたくさんあるな。
「そういやシャルロット。」
「なにかな?」
「お前料理できるか?」
「ごめん、覚えてない。」
「そっか、実は俺も出来ないんだ。」
俺は生まれてこの方、作った料理といえば焼くか揚げるかの簡単なものだけだ。
炊飯器もないこの環境では主食もまともに用意できないだろう。
そこでシャルロットが爺さんに料理を用意していたことを思い出したため訊いてみたのだが、悲しい答えが返ってきた。
シャルロットが出来ないならクーも同じだろう。
それにアンナには料理などという文明的なスキルを期待できるとも思えない。
「食材を買って帰ろうかと思ってたけど、料理をどっかで作ってもらうか。」
「さっきのお店でいいんじゃないかな?」
「お、それいいな、採用。」
さて、目先の目標は決まった、この後の行動については料理を待つ間に決めよう。
◇◆◇◆◇◆◇
幸いにも先程の料理店ではテイクアウトも受け付けているらしく、頼んでみたら快諾してくれた。
「よし、この後俺はギルドで依頼を見てから生活用品を買いに行く。シャルロットはここの料理を持って先に家に帰ってくれ。」
「任された。シンジは何買うの?」
「んーそうだな……」
初日からの数日間はマリアさんのお店でいろいろと世話してもらっていたおかげで不便は無かったのだが……
「とりあえず、石鹸、歯ブラシ、香油を買ってこようと思ってる。」
「そっか。じゃあボクはごはんを届けた後どうすればいいかな?」
今の時間はおそらく真昼ごろのはず。
料理ができて持ち帰って、二人が食べてから行動するとなると、夕方にならない程度に昼過ぎというところか。
「それじゃあ持ち帰った容器をクーの水魔法で洗ってまたここに返しに来てくれ。その後は俺のほうに合流してもいいし家に帰ってもいい。そこは任せる。」
「わかった。」
シャルロットが力強く頷いたのを確認して、席を立つ。
「あれ?ごはんできるの待たないの?」
「俺が居る必要もないだろ?あ、変な男が近づいて来たら逃げるんだぞ?」
「大丈夫だよお、それにボクあんまり女の子っぽくないでしょ?」
「男っぽいほうがいいって変態もいるんだよ。とにかく気を付けるんだ、いいな?」
「う、うん……わかった。」
シャルロットの頭を撫でてから料理のお代が十分払える貨幣を渡し、店を後にした。
◇◆◇◆◇◆◇
「……それでこれが貴族のペットの捕獲依頼で報酬は左銀貨5枚、猫だそうだ。こっちは林業協会からの依頼、この国の北にある森に住んでいる獣を1匹狩る毎に報酬が右銀貨5枚ずつ増える。これでいいか?」
「ああ、ありがとうバーボン、とりあえず最後の二つの依頼をやってみるよ。」
「分かった。貴族の依頼に関してはプレドール家へと直接赴いて報告してくれ。場所は富裕区画の衛兵にでも聞けばわかるだろう。森林協会の方は狩った獣の魔結晶を持ってきてくれ。それに応じてこちらが代理で報酬を支払う。」
魔結晶は生命が体内に保有しているという魔力の生産器官、例えるならミトコンドリアらしい。この世に存在する全ての知性体は臍か臍の下あたりに持っているという。
シャルロットの爺さんに使った燃し粉も彼の魔結晶の力を利用して体を分解したらしい。
「そんで、コイツが今回のお前の依頼の代償だ。」
代償とはなんとも物騒な。
バーボンが言葉と共にカウンターへと置いたのは皿に置かれたマシュマロのような料理。
文字を読んでもらうかわりに試作料理の味見をする取引をしたのだ。
見た目とは裏腹に錠剤のように硬いソレは、一見してどんな味がするのか分からない。
「先に訊きたいんだけど……何これ?」
「眠気覚まし……といったところか?」
なんかすごい不穏な意味を口にしたぞこのおっさん!
確かに覚醒するための薬といえばそうなのだろうが、時たま発生するこの二重解釈はどちらに捉えていいのか分からないので正直怖い。
「何、死ぬような毒は入っていないから命だけは大丈夫だ、安心して食え。」
「お、おう……」
いや、おっさんの眠気覚ましは副作用のほうが怖えんだよ……この前の服が消えて見える飲み物もただの食品としてありえねえだろ。
そう思えばバーボンの言葉に二重の解釈が生まれているのもおかしくはないのだが。
唾を飲み込み、3つだけ皿に盛られた白い繭の砂糖菓子のようなそれを口に入れる。
握り固めた雪のような食感の後で、大きな槍が突き刺さったような痛みが上顎の中央から鼻を駆け抜けて、頭頂とこめかみそして後頭部を穿つ、同時に咽るような灼熱の風味が鼻を焼き、嚥下したそばから通過した場所が痛む。
腹を抱えて転げても痛みは止まらず、動かず耐えるには余りにも痛い。
息を吸えば肺が凍り、息を吐けば頭が焼ける。しかして止めれば体が燃える。
拷問のような苦痛が電子レンジのように上半身を貫くこと1分、2分、いや30秒かもしれない。
痛みは突然に、そして完全に消えた。
恐ろしい夢を見た時のような、でもそれがどんな夢だったのか思い出せない。
確かにそれは苦痛だった、自分の想像できる範囲でひたすら恐ろしいと確信する程の夢。
それと同様、ただそこに在ったという記憶だけを残して、その苦痛は過去のものと消えた。
「大丈夫か!?」
いつも落ち着いていて少し不機嫌そうな表情をしているバーボンが血相を変えて傍にしゃがみこんでいた。
「あ、ああ、問題ない。」
確かに痛かった、それも声が二度と出せなくなると確信的に思えるほどのものだった。
しかし声を出し、息をすれば身体に爽やかな空気が広がり、頭の隅に少しずつ溜まった塵で淀んでいた思考が洗い流されたような清々しい意識の覚醒を感じる。
ああ、これは麻薬的だ。使ったことは無いが、この全能感は人を殺す麻薬だ。
今の俺なら最新のスーパーコンピューターにすら追い付く程の計算能力があるだろうと錯覚するほど。
そう、錯覚だ。道徳と理性はちゃんと残っている。
人が計算能力でコンピュータに勝てる時代は既に過去だ、単純な演算能力で人が勝てるはずはない。
「これは、今すぐ全部捨てろ、このクスリは余りにも、余りにも駄目だ。」
喉を痛め、涎を垂らし、頬を釣り上げ、涙を流して、焦点を消し、顔を背ける。
ああそうだ、それでいいバーボン。
さて、この薬の効果が切れるまでどうしたものか……
いや、いつもの俺を装えばいい、記憶を飛ばす程度、今の俺なら簡単だ。
「……っ!」
息が詰まっていたようだ。
他人が鼾をかいている途中で呼吸が止まった時のようなあの何とも言えないそわそわする感じが残っている。
口端から零れた涎と左目から伝う涙を拭い、カウンターの奥からこちらを覗くバーボンを見る。
椅子から転げ落ちて悶絶していればその心配そうな反応も当然か。
気が付かぬうちに涎やら涙やらを垂れ流している程だしな。
そうだ、感想を言うまでが味見だ。
「死ぬかと思うほど辛い。」
見ればテーブルに残っているはずの皿は無く、落とした形跡もない。
どこかに吹き飛ばしてしまっただろうか?
「お前、大丈夫か?」
「ん?ああ、大丈夫、どこもぶつけてないみたいだ。」
「いや、さっきの……何でもない、とりあえずこれは失敗だな。」
失敗?なんだ、手元に回収してたのか。
いやまあ確かに料理としては失敗なのだろうが、たとえ死体でも起きそうなほどの目覚ましパワーだとは思う。
「めっちゃ目覚めた感じあるけど失敗?」
「ああ、死ぬほど辛いなら誰も食わないだろ。」
「俺の故郷にはもう少しマイルドだけど似たような食べ物あったぞ?」
「それじゃあもう少し改良しなきゃいけない。だったらこれは失敗だ。」
言われてみれば確かにそうだ。
「ま、失敗は成功の元だって言うしな、それじゃこれで味見終了ってことでいいか?」
「ああ、貴重な意見をありがとう。あとこの依頼用紙は表に張りなおしてから行けよ。」
「了解、じゃあまたよろしく。」
「おう、気をつけてな。」
いつものムスッとした表情とは違って何か妙な顔をしたバーボンに見送られて、俺はギルドの建物を後にした。
◇◆◇◆◇◆◇
市場で果物を、商店街で歯ブラシ代わりの刷毛を、アンナの件で世話になった薬剤師の店で無臭石鹸を購入した俺は、一人娯楽区画を歩いていた。
先日の蝋燭や発光石の光で白桃色橙色黄色と煌びやかに彩られた、道行く人も程々に居た夜とは打って変わり、しっとりと濡れた石畳は曇り空を写して燃えかけの炭のような色合いになり、人のいない娼館は髑髏のように沈黙している。
この世界での香り付き石鹸は水で洗い流すと匂いも落ちるということで製造されておらず、香水や香油、香蜜といった嗜好品はこの娯楽区画にしか売っていないという話を薬剤師がしてくれた。
暫く歩いて見えてきた一つの看板。
薬瓶から煙が湧く絵が目印だという言葉通りの店に駆け寄ろうとして、不意に声を掛けられた。
「お兄さんお兄さん。」
周りを確認するが、通行人は俺しかいない。
「お……お前っ!」
俺の事かと聞き返そうとして見た先には、いかにもインチキ臭い格好をして顔を隠した占い師が1人。
旧知の友にたまたま会ったかのように手を振るソイツを俺は知っている、ああ、知っているとも。
俺をこんな所に送りつけた犯人だ。
「やあ、元気だったかい?というか、僕のこと覚えてる?」
「覚えてるも何も、お前みたいな奴を忘れる方が難しいってもんだろ。」
俺の返事を聞いているのかいないのか、占い師は両手の親指と人差し指を合わせて長方形を作ると、俺の顔を見始めた。
「何してんだ?」
「ちょっとね……へえ、これは中々……」
何が中々なのか、というか俺の顔をジロジロ見るな気持ち悪い。
「そんなことよりお前ここで何してんだよ。なんでここにいるんだ?」
「よくぞ聞いてくれました、いや、原因は僕の方にあるんだけど、君にも関係ある話だから是非聴いてほしいんだ。」
俺の質問で急に元気になった占い師が語った内容は、コイツが地球の世界の神様である事、たまに地球に降り立っては現地人と交流をしていたが、今回の俺の件は過干渉として咎められる事になったという事。
「それで僕のお願いは君から僕に『僕が消えてほしい』と願ってもらうことだ。」
「どういう事だ?」
「僕はこの世界に降りてきて、神としての役目を果たさなきゃいけなくなった。それが今回の罰なんだけど、この世界は悪魔崇拝が主流で無条件で加護を振りまく神様は存在しないものとして認識が固定されてしまっている。だから僕を神様だと認識できる人が居ないんだ、それでも僕を神だと信じられる人の願いを叶えなきゃいけないんだ。」
悪魔崇拝が主流だという話は初耳だが、確かにこの国では教会らしきものを見た覚えはない。
ステンドグラスとか時を知らせる鐘とかを備えている教会が無いだけだと思ったがそもそも宗教が存在しないのか。
「それがお前に消えろと俺が願う必要とどう繋がるんだ?お前はどう考えても悪魔だろ。」
「そんな!君がこっちの世界に来れるように手配したのは僕なんだぞ!少しは恩を感じてくれてもいいじゃないか。」
「恩ってお前、それが神の言うことかよ。無宗教の俺が知ってる神なんて俺が必死に頼んだところで不運が免れるどころか最悪の結果を届けて来るようなクソ野郎だ。そう言う意味じゃ俺にとって悪魔も神も変わんねえよ。わかったらさっさと消えろインチキ野郎。」
視界に入れたくもなかったので要件言うだけ言ってその場を離れようと背を向ける。
「キミってもしかしてツンデレってやつ?」
聞き捨てならない言葉が飛んできた
「何がツンデレだド腐れ悪魔、さっさと消えろ。」
俺がコイツに消えろと言っているのは純粋に居なくなって欲しいからで他意は無い。
逆にコイツへの仕返しで一生この世界にいて下さいなどと言おうものなら延々とストーカーされそうだ。
「いやあ、そういう訳にもいかなくてさ。僕は神様として降臨する予定だったんだけど、こっちの世界だと神様ってnullポインタらしくて指定できなかったんだよね。そんでいちばん属性が近いもので顕現したら悪魔になっちゃったのよ。職業悪魔。そんな訳で僕をこの世界から削除して強制ログアウトしようにもそれに見合った対価を君に渡さなきゃならない。ここまでOK?」
つまり本物の悪魔になったからその形式に則って取引しないといけないって話か。
「俺から何かを奪わなきゃいけないって事か。」
「話が早くて助かるけど、それは不正解だ。僕のお上さんの方針が授ける事こそ神のMIWAZAっていう神だから、君から奪うのはあくまで僕だ。」
「は?
意味がわからない。何を言っているんだこいつは。」
「口から思考がダダ漏れだよ!?」
やべ、ついうっかりなんとなく悪意100%で本音が出てしまった。
「君の中の僕を消すことはすなわち君がここに転生した原因を知ることが永劫に不可能になるということ。あ、紙に書き残してもその文字ごと消えるから無駄ね。道端で占い師に会ったことくらいは覚えてるかもしれないけど、その外見も声も匂いも全てが君の死んだこと、この世界に転生したこととの因果の結び付きを考えられなくなる。せいぜいよくある出来損ないの三流小説かな、ってくらいにしか思わなくなる。ご理解頂けた?」
こっちの世界に移動した原因の記憶か……
大事な記憶だが、今となってはあまり重要な事ではないだろう。
「わかった、俺は記憶の一部を失う。じゃあその代わりに何が貰えるんだ?」
「僕一人分の力、かな」
具体性ゼロかよ……なんだよお前一人分の力って。
ああ、いや、このエセ占い師に期待した俺が悪かったな。
「はあ、まあなんでもいいや、さっさと終わらせてくれ。お前に構っている暇はない。」
「なんというか、キミ僕の扱い酷くない?これでもキミの住んでた世界の神様だったんだよ?」
「でももうお前と喋ることも会うことも話すことも無いんだろ?じゃあもういいじゃねえか、さよならだ、達者でな。」
返事を待たずに背を向ける。
神と名乗った占い師に名前を聞くのを忘れたが、別に聞いた所で意味は無いか。
さて、さっさと香蜜を買いに行こう。
ん?さっさと……俺何かしてたっけ?
まあ、いいか。
フラスコの看板が目印だと教えて貰った店の扉を開けて中に入る。
忘れる事はきっと大事なんでしょうね。
閲覧ありがとうございます。
体調に気をつけてお過ごしください。




