騒がしい起床
自らの縄張の周りにそびえる山々、その多くが山頂を雲の上に突き出し、一握りの山はその頂に常に氷を纏う。
雲海を眼下に、遠く遠く地平線の上に顔を出した太陽と頭上に広がる吸い込まれそうな濃紺の天空、そして半分に割れた紅い月。
平穏。
闘いを放棄した弱者が使うこの言葉は、他に脅威となる存在が居ない我々も使用可能なのだろうと最近思うようになった。
多少知恵の働くモノは力の下に集い安寧を得る。知性無き弱者は大いなる力に歯向かいその命を散らす。
これまで自分は父母から譲り受けたこの縄張りを守る為に生きてきた。
その平穏、言い換えるならば退屈の中で己の中に一つの考えが生まれてくるのを感じていた。
それは自分よりも強い者と出会い、そして番となること。
これが生き物としての本能だということは親から聞いていた、そのうち意識する時が来ると。
出会い、子を為し、一族を繋げる。
ふわりと現れた感情はいつしか大きく膨れ上がり、縄張りを超えて翼を動かす理由になった。
しかし行く当てはない。
自らの勘に従い空を飛び、竜を探す。
途中で立ち寄った唯一の友と呼べる同族は、知らぬ間に見知らぬ竜と番になっていた。
幸せそうだった。友とその連れ、そして子らも。
膨れ上がった好奇心に似た感情は重くなり、焦りに変わる。
しかし相手を妥協する気にはならなかった。
幾度目かの竜の縄張り、食事の穴場を聞こうと覗いた巣穴では小さきモノどもに集られ既に息も絶え絶えという様子の低級な竜がいた。
そのままでも死ぬだろうが、竜としての尊厳の為にせめてもの手向けとしてその赤き命を狩る。
そして、小腹の足しにと口にしたモノがいけなかった。
腹に収まったそれは突如として膨張し腹を破り、生まれてこの方感じたことのない痛みが胸を突き抜ける。
吐き出すにも傷を癒すにもまずは撤退せざるを得ず、勝手に震える翼を無理矢理にはためかせてその場を離れる。
暫くの飛翔の後、山の麓の森に降りたが体に力が入らずに倒れてしまった。
無様なものだ。窮地の弱者は牙を剥くというが、こちらが思った以上に力を発揮してきた。
腹の異物を吐き出そうともがいていると、いつの間にか面前に小さなモノが立っていた。
"自由を求める者"と名乗ったソレは取引を持ち掛けてきた。
ちっぽけな存在の扱う契約魔術など自分の力なら欠伸一つで消し飛ぶ貧相なものだ。
こちらの治療を持ち掛けたソレに適当に話を合わせ、得るものを得たら契約ごと消し去るつもりであった。
何を要求するのか聞くのももどかしく契約を完了すると、"自由を求める者"はその大きさを増していった。
それに合わせるように痛みが引いていくが、何か大きなものが抜け落ちてしまった身体は地を這う獣のような体勢から少しも身体を動かすことはできない。
"自由を求める者"はうつぶせの自分をその足先でめくるように転がすと満足気に口元を歪め、その姿を消した。
自分の影よりも大きくなった血溜まりの中、いつの間にか例の異物も吐き出したようで、やはり膨張していた。
痛みが消えた事による安心感と血が抜けて朦朧とした頭が生み出す浮遊感、そして急な疲労感に目を閉じる。
◇◆◇◆◇◆◇
さばさばと降る雨の音に包まれて目を覚ました。
板敷の床の上に仰向けで寝転がる俺の右腕を枕にアンナが寝転がり、腹を枕にクー、並行して太ももにシャルロットの頭が乗っている。
……いやシャルロットお前寝相悪すぎないか!?
なんでアンナの向こう側に居たのにこっちまで来てるんだよ。
いや、そっちはまだいい。問題は俺の腕を占拠している隣のアンナだ。
なんとか症候群というヤツで腕の感覚がロストしている事とか無防備な寝顔晒して涎垂れてるとかも有るけどそれよりもえらく服が乱れていらっしゃる。
んん?どうして?貴女学ランとシャツ着てましたよね?なんで脱いでるの?ねえねえ、というか学ランどこやった?いやまて動くな、待て待て止まれ。よし良いぞ、それ以上動いたら全部丸見えだからな?流石に寒いからって床に散らばった服を集めたみたいだけど長袖があって良かったなギリギリセーフだぞ。
じゃねえ何見てるんだ俺は!
グラビアアイドルでもこれ程の肉体を持つ人は居ないだろうと思えるような滑らかな肌、褐色に映える色素の薄い金糸のような髪、長い睫毛。瑞々しい唇……
つい数秒前に視線を外そうとしていたのにアンナの顔をまじまじと見つめていた自分が恥ずかしくなり、今度こそ顔を逸らす。
すると、俺の腹に頭を乗せていたクーと目が合った。
「あ……」
眠たげな半眼……とは違う批難の感情が篭ったジト目でこちらを見つめている。
「そういうのは……良くないと思います。」
ぼそっとそれだけ言うと、クーはくるりと反転してシャルロットの方を向いてしまった。
そして、ソレに気が付き困惑した様子でこちらに顔を戻す。
「シンジさん……その、ズボンの中に何かが……」
テントを張る「何か」は少なくともクーは1度直視した事があるはずのモノだ。
しかし大きくなるものだと思っていないのだろうか?
「気にしなくていいぞクー、ちょっと興奮状態で臨戦態勢だが触ったりしなければそのうち落ち着いて小さくなるはずだから。」
直接的な表現を避けつつも事実を伝えることに成功したと思う、クーの表情が困惑から戦慄に変わった。
「噛んだりしないですよね……?」
身体から離れ、猫のように俺の顔の横で本気でビビっている様子のクーに思わず吹き出す。
「ぷっくく……っ、大丈夫だ、心配すんな。」
俺が笑った理由が理解出来ずに少しムスッとした表情になったクーの頬に手を伸ばす。
脂肪がなく絹糸で織った布のような白い肌。
輪郭に沿って親指を数度往復させた所で俺の大腿に頭を乗せていたシャルロットが飛び起きた。
「シンジ!」
何故か俺の名前を叫びながら身を起こしたシャルロットは俺の姿を認めると、四つん這いで寄ってきて顔の正面から見下ろしながら頬をぺちぺちと叩いてきた。
「痛っ、痛いやめろ。なんだどうした?」
「えっと……あれ?……なんだっけ?」
「お前が忘れてどうするんだよ……」
ぽかんとして「完全に忘れました」というのが一目でわかるシャルロットの表情に不相応な一筋の涙が流れる。
「んーと……なんだっけ?」
気付いていない様子の本人に代わって涙の跡を拭うが、やはり何もわからないらしい。
ぺたんとつぶれた正座の状態で腿の間からこちらに向かって伸びている尻尾を見るに、マンガの犬知識が適応されるならシャルロットの今の感情は……
「まあ、なんか怖い夢でも見たんだろ。そんな時もあるさ。」
俺の名前を叫びながら起きた事と頭を気にしていた事に妙な感じがするが、おそらく俺が死ぬとかそんな夢だろう。なにせ俺が死ねばシャルロットも死ぬのだ、自分の心臓が自分から離れて勝手に歩き回っていると思えば恐ろしい事この上ないに違いない。
「さて、2人とも起きたし、あとはこの変態竜女をなんとかして平穏に起こさないといけないんだが……」
アンナの顔を見ると、いたたまれない気持ちになる。
どうしょうもなく悪いスタートを切ってしまったこちらでの生活は、リセットする間もなくずるずると他人を巻き込んで大きくなっている。
クーとシャルロットは俺と違う方向で知識と身寄りがないので、孤児院じみているが集まるのは間違いでは無いはず。
しかしアンナは別だ、文字も読めるしこの国の人間と会話することも出来る。容姿もいいし魔法も強い。俺のヘアピンと違って純然たる変身魔法が使える彼女なら他の凄い魔法とかも使えるのだろう。
そんなアンナがたった一つの首輪で俺の下に縛り付けられているのだ。
完全な客観視など未熟な自分に出来ないが、それでも分かることはある。
そんな現状が許されるはずがない。
そんな彼女の問題をひとつ挙げるとすれば……
「この髪色……」
金髪よりも儚く、銀髪よりも鮮やかで、クーのそれとは異なる美しさを持つアンナの髪色は、肌の色と合わせた時に悪魔憑きとして皆に避けられる。
「綺麗なんだけどなあ……」
乱れてこちらに伸びている髪の1房を眺め、頭の左側に垂れるクーの髪に視線を移そうとしてふと気付く。
現物を見たことはないが、きっと本物の宝石もかくやと言うべき紫色の妖艶なその瞳が、静かにこちらを見ている事に。
やばい、やばいやばいやばい!
起きていた!いつから!?なぜ何も言わず!?
まずいまずい!言い訳は!どうする!?本人が知らない間に裸にひん剥かれて、あまつさえ信用のない異性が隣で髪を弄りながら横になっている!
どう足掻いても事案じゃないか!なんて言えばいい!?起きた時から全裸だったよ。なんて通じるわけねえ!!無罪を主張する?どこに証拠があるんだ。そもそもさっきまでテントおったててた奴の言葉のどこに信憑性がある!?起きたばっかりで寝惚けてた……なんてクー達に裏を取られたら即バレて嘘をついた理由を問い詰められるに決まっている!考えろ考えろ、何か!何か策は!?
「おい。」
「はひい!」
しまったぁぁ!なんだよ「はひい!」って、声裏返ってるじゃねえか!駄目だ、もうおしまいだ……
「貴様、何か他に言う事は?」
もうだめだ!なんて言う?いや何言っても無駄だろ常識で考えろ!?ぐうぅ、怖くて顔が見れない、そうだクー達は……っ!?……なんか凄いものを見ている顔をしている!どんだけ怖い表情をしているんだ!?
右腕から重みが消え、衣擦れの音が聞こえ始めた。
落ち着け、俺、平謝りだ、絶対に噛むなよ。一世一代の大舞台だ……いくぞ……!
「勝手に眺めててすみませんでした綺麗すぎて見蕩れていたというか考え事をしていて頭が回っていなかったというかとにかく目の前にあったのでついつい手持ち無沙汰にいじってしまったと言うか、全裸だったのは俺が寝て起きたら勝手になっていて見ないようにとは思っていたんですけどやっぱり俺も男というかその素晴らしい肉体に釘付けというかとにかく他意はないんです許してあと変態とか言いふらすのだけはやめてくださいお願いします!」
はひー!はひー!息が!続かない!今俺なんて言った!?もう一言も喋れない!というか怖くて土下座の状態から顔が上げられない!
右腕の滞っていた血流が快調に循環を始め、じんわりと先端に向けて温かさが広がっている。
沈黙。
ちくちくとスパークするような刺激が右腕を包み、どんどんとその頻度、密度が増していく。
「っぐ……」
痺れた腕がほんの少しの動きで痺れて言い表せない嫌な感覚を脳に伝え、思わず息を呑む。
ビリビリとした感覚が徐々に生まれる回数を減らし、血液の温もりだけが残った頃。
長い長い静寂を破って、アンナが口を開いた。
「顔を上げよ。」
怖い、怖いけどわざわざ言われたのに反抗すれば誠実さに欠けるというもの。
イタズラがバレて母親に呼び出された部屋の前、父が風呂に入っている時のあの救いのない感じによく似ている。
あの時も、自分の出せる限界といえる勇気を出してドアを開けた。
ならば今の俺に顔が上げられないわけが無い。
男を見せろ、俺!
自分が怖気付いて顔を逸らさぬように、ひと思いに顔を上げる。
首が痛みを覚えるほどの勢いで上げた視線の先、一応の衣類を身に纏い、正座でこちらを見つめていたアンナと目が合う。
「っ!っ!……」
喉が張り付いたようにチクチクと痛み、声が出ない。
アンナの口が動いた。
なんだ、何を言われるんだ?
走馬灯のようにゆっくりと、拡大されて目に入る艶やかな口元。
「……気にしなくていい。」
しっかりとした聞き取りやすい静かな声で発せられたのは、死刑宣告ではなく無罪放免の言葉だった。
なんでだ?これまでの彼女なら過剰な程の罵詈雑言と憶測による言い逃れを許さない言葉の暴力が俺に襲いかかるであろう状態なのに……
思わず身構えて目を瞑ってしまったので、ゆっくりとアンナの顔を確認すると、どうも普段とは様子が違う。
自信なさげというか、視線が彷徨っているように見える。
「なっ!なんだその顔は!貴様の先程の必死な物言いが余りにも可笑しかったのでそれでチャラにしてやろうと言っているのだ。べべ!別に我が貴様の事を我が酔った隙に悪事を働くスケベ野郎だと言いふらすのは簡単だぞ!貴様と我のどちらの物言いを信用するかこの国の民で試してやろうか!?」
「やめてくださいそれだけは許して!」
いつもと同じじゃねえか!
なにが、普段とは様子が違う(キリッ)だ俺の馬鹿野郎!
「ぶっくくく……あひ!駄目、シンジ面白すぎ!あははは!」
ドンドンドンと床を叩きながら腹を抱えてひいひい笑うのはシャルロットだ。
クソ腹立つ……なんでお前に笑われなきゃならんのだ……
「こいつ!笑いやがったな!この!そんなに笑いたいなら嫌というほど笑わせてやる!」
腹を抱えたまま身動きが取れないシャルロットは簡単に俺に組み伏せられ、肋の浮く脇腹に指を這わせると即座に反応を示した。
「や!だめ!シンジ!あはひ!やめて!ははは!くすぐったいから!あー!はっ!くっひひひ!いやー!離してぇ!はははは!ひっ!ひっ!あははは!」
暫く悶絶させてからシャルロットを解放すると、何かアブナイ事でもした後かのように涙と涎を垂らしながら突っ伏し痙攣し引き攣った笑い声をあげ続けた。
我に返って見ると、この絵面は非常にマズい気がする。
しかし、どちらが上かというのは大事だ。俺はあくまでシャルロットの上に立つもの。たまにはこうして……
気がつけばクーが冷ややかな目で俺を見ていた。
そして一言。
「そういうのは……良くないと思います。」
そう言えば、神治君達に雨具の準備をしていませんでした。どうしようかなー?
今回も楽しんで頂ければ幸いです。
閲覧ありがとうございました。




