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あやかしの群(むら)

鄙びた茶屋―四方(よも)を彩る春―

作者: 七条夏目

 某県の街道沿いを走る、川の中流付近。

 はるか遠くに、薄らと雪を残した山が見えるけれど、この辺りにはあたたかな陽気でいっぱいだ。

 山肌の根雪がとけて、遅めの芽吹きの到来を待ちわびたかのように、春の妖精たちスプリング・エフェメラルと呼ばれる花々が顔を覗かせる。福寿草(ふくじゅそう)の黄、節分草(せつぶんそう)の白、菊咲一華(きくざきいちげ)の空の色などが枯葉の山から覗くさまは、どこかはかない。


 花に彩られた山道を、ゆったりとした足取りで進む者がある。レースたっぷりの黒い日傘をさしているのは、春の妖精たちに負けない楚々とした少女だ。


「おや、お嬢ちゃん、また来たのかね」


 褐色の巻き毛を揺らす少女は、視線を軽く遣った。捉えたのは、お腹の目立つ中年男性。スラックスにカッターシャツを着た男は、一見するとどこにでもいそうだが、少女は彼のことをしっかりと覚えていた。ある意味少女の『同類』だから。

 少女の僅かに開いた口から、ちらりと覗く八重歯。否、これは牙だ。

 彼女はドイツ語圏内出身の吸血鬼。白磁のような肌の主は、当然日光を苦手としている。故に、ゴシック調のレースをふんだんに使った服につばの広い帽子というアンバランスな服装で、きっちりと身を包み隠している。


『ええ、先日の刺激的な菓子が忘れられなくて』


 琴を思わせる声で放たれたのは、ドイツ語。少女のように見えるけれども、実態は年齢不詳の吸血鬼。

 彼女は暑い頃合に、この男ともう一人、朱鷺(トキ)と名乗った青年風の男に、知らされずにわさび入りのわらび餅を食べさせられた。

 当初は不意打ちの刺激に憤慨したものの、後で口を通る清涼感に、心地良さを覚えた程。

 そういうものだと知って口にしていたら、きっと楽しめた。わさび入りのわらび餅は、後から少女にそう思わせる逸品だったのだ。


 少女の答えに目を細めたのは、文字通りのタヌキオヤジ。日光を眩しく反射する頭にも、だらしなく出っ張ったおなかにも、残念ながら言語に対する理解力が詰まってはいない。

 少女の言うことを身振りや表情、口調で何とか読み取っているだけだ。


 残念ながら、ドイツ語と日本語の両方を解する男、朱鷺は今この場にはいない。


『それと、お嬢ちゃん呼びはやめてほしいの。私、そんなに子どもじゃないから』


 豊かなお腹の中年男性に言葉が通じていないと悟った少女は、身振り手振りを交えたカタコトで何とか伝えた。


「では、何とお呼びしたら良いかのう」

『ロッテ』

「心得た、ロッテ」


 男は、唸るような声色で承知した。

 厳密にはちょっと違う気がするが、名前とそれなりに似た音を聞いて、ロッテはにこりと笑んだ。

 口元からちらりと見える牙がまた愛らしい。白すぎない象牙色のそれは、少女の熟れた果実のような唇によく映える。


「おぬし、喋るのが得意ではないが、こちらの言葉はある程度理解してそうだのう」

「あル、てードハ」


 やはり慣れない言葉に顔を顰めながら、ロッテは首肯した。


「名乗ってもらったから、こちらも名乗るのが礼儀かの。ワシは団三郎(だんさぶろう)という。まあ、発音しにくかろうから、ダンとでも呼べばいいさね」

「わかっタ。……ダンさん」

「なるほど、おぬしはそれなりに勉強しているのだな。さん付けも悪くはないの」


 団三郎はヒヒッと喉の空気を抜くように笑う。


 歩みを進めるうちに、ロッテの視界に川が飛び込んできた。

 往来が案外ある街道の死角で山間の開けたところに、幾筋かの糸を束ねたように細く滝が落ちている。

 水の路を挟むのは、紫色に浮かぶ浄土を思わせる木蓮(もくれん)。滝の水しぶきを浴びて中々幻想的な空気を作り出しているものの、残念なことに、桃源郷とは程遠い鄙びた田舎だ。


 滝壺にロッテの影がかかり、更に一つ、団三郎の横に広い影が伸びてきた。神ではなく、現世に蔓延る妖怪たちが集っているエセ桃源郷。


『変ね。前にきたときにはあった、川一面の床は一体どこに行ってしまったのかしら?』


 ロッテが踏み入った数ヶ月前には、ここに川床が設けられていた。けれど、今は跡形もないただの自然溢れる田舎の風景が広がっている。


「ひょっとして川床のことかの。あれは暑い時期だけじゃぞ」

「えっ!?」


 驚きの声をあげて、吸血鬼は口をおさえた。


「流れる清水で涼をとるためのものだからの。このクソ寒い時期には必要なかろう」

「そ、そんな……」


 眉をハの字にして、分かりやすく(すぼ)むロッテ。


「まあ、店自体は然程遠くない所で商っておるぞ。わさび入りのわらび餅はないが、今の時期だけの菓子も揃っておろう」


 破顔一笑。彼女の面持ちは四字熟語の見本のように変わる。


「そーいうもノ、ナノネ。あんシンシタ。あんない、お願いしタイ。ダンさん」

「では、この爺と卓をともにしてくれるかの?」

「え、それで、いィの?」


 男の分の飲食代くらいは出すつもりだったのに。思いのほか安い対価に、ロッテは目を丸くした。


「まあ、偶には花を伴うのも悪くはない」


 愉快そうに笑う男の後ろで、先端が黒っぽい大きな尻尾がふわふわと揺れる。

 団三郎は人に巧みに化けるが、気分が高揚すると偶に尻尾を顕してしまうらしい。


 悪戯に一生懸命で、時にはうっかりで。案外かわいらしいところがあると思いながら、ロッテは言及しなかった。




 二人の道程は舗装された道路から外れ、ゆるやかな獣道へ。ロッテはひらひらとした衣装を木の枝に引っ掛けるようなマネをしなかった。

 そこそこ歩みを進めたが、息も整ったまま。服から覗く、手首や足首の細さに反して、動くことに長けている様子だ。

 若葉をつけ始めた木々が木陰を作り、彼女を苦手な日光から遮っているのも大きいのだろう。


 開けた場所に、茅葺の建物がひっそりと建っている。

 何かから隠れるように存在感が感じられない。薫る木の看板には、シンプルに『茶屋』の二文字が彫られている。


 名前のない、単なる茶屋。人里離れた場所に佇むのは、人ならざるものを相手にする店。


 無地の暖簾をくぐるとすぐに、店員がロッテと団三郎を出迎える。梔子(くちなし)色の地に白い花と流水模様が描かれた、春らしい着物を纏った女性だ。年中通して身につけている生成りの前掛けが、店員の目印だ。

 彼女のぱっつりと切り揃えられた髪に、着けている所々に朱が引かれたお面。ロッテには覚えがあった。

 団三郎たちと会った夏の川床で、彼らをもてなしていた店員だ。確か、彼らからミヤコと呼ばれていた。


『おひさしぶり、ミヤコさん』

「ああ、私のこと、覚えていてくれたんだね。お久し振り、美しいお客様」


 店員らしからぬ砕けた口調も、ミヤコの声や醸しだす雰囲気に妙に合っている。


「ロッテ、よ」


 小さな吸血鬼はシンプルに名乗った。

 仮面越しでは、ミヤコの表情は知れない。彼女は無言で二人を席に案内する。


 通されたのは、可憐な春の妖精たちの戯れが見渡せる、山肌そばの席だった。春の日差しが温かい店に、他の者の気配はない。飛び切りの特等席。

 団三郎は何も言わず、真っ先に窓側に腰かける。窓際の風景が見やすい場所を、ロッテに譲ったのだ。そしてもう一つ。

 ありがとう(ダンケ)と礼を述べながら、ふわりと笑って席につくロッテは、まさに淑女そのもの。


『ロッテが放つ光が眩いわね。光が多いところでは、影も強くなる。影で生きるために、あなたは敢えて放っているのかしら』


 二人が席についたところで、ミヤコが放ったのは流暢なドイツ語。本質を見抜いていそうな口ぶりに、ロッテは碧い目を見開いた。


『最近のお客様は国際色が豊かでね、簡単な会話は何とかこなせるんだよ』


 あっさりと手の内を明かすミヤコに、ロッテは無言で軽く頷くだけだった。


「さて、ワシもいるのだがな、ミヤコさん」


 団三郎は拗ねたような口調で身体を窄めているのに、その顔はどこか愉快そうで。

 単にちょっとの間だけでも、店員の気をひきたいのだろう。


「忘れるなんて無粋なマネはしないさ、団三郎さん。しかし、珍しい組み合わせだね」

「なぁに、そこで偶然あったのだよ」


 ひひっと笑う男に、狐面の女は大きく頷きながら真新しい冊子を手渡した。

 茶や酒、そして茶菓子がかわいらしく版画で描かれている。いわゆるメニュー表。茶屋にはこれまで置いていなかった。


『言葉の通じないお客さんもたまにあるからね。写真だと趣がないって、版画が趣味という者が作り始めたんだよ』


 なるほどと、ロッテは食い入るようにメニュー表を見た。和紙のさわり心地といい、色鮮やかな版画といい、これだけで楽しませてくれる。


「じゃあ、一杯目の準備をしてくるから、メニューを見ておいてくれたまえ」


 言うや否や、忽然とミヤコの気配が失せる。人ならざるものにはよくあることだ。

 この茶屋では、来た者に季節の趣向を凝らした飲物をサービスしてくれる。ミヤコはその準備に向かったのだ。


 残された二人は、版画に目を落とした。

 いくら絵があるとはいえ、それだけで全てを伝えられるわけではない。

 疑問にぶつかったロッテは、時折団三郎に説明を求めながら、何とかメニューを理解していった。


「おまちどうさん」


 盆を手に戻ってきたミヤコが、まず二人に供したのは、平たい茶筒のようなもの。

 淡いながらも華やかな色合わせの友禅が貼られた蓋を開けると、すっとした上品な香りが漂った。中に入っていたのは、淡くこの国の春を彩る花──桜──の塩漬けだ。


『匂やかね。あまり嗅ぎなれないけれど、優しくていい香り』

(キルシュ)だよ』

『そうなの。桜ってこんなに香るものだったかしら』


 ミヤコの一言に、褐色の髪が縦に揺れる。

 西欧の吸血鬼は、愛らしい花びらを無造作につまみ、口にした。途端に、顔を歪ませる。


『私が慣れ親しんだスミレの砂糖漬けのようなものかと思ったのに、ちっとも甘くないわ。むしろ、しょっぱい』


 ロッテが比べたのは、ドイツ土産としてもポピュラーな、愛らしく香る花の砂糖漬け。紫色のそれは甘く、古の著名人を含めた幾多の者を虜にしてきた。ロッテもその一人なのだろう。


「塩漬けにしたからこそ、この花は優しく香るんだよ。スミレと違って、生花だとあまりそんな風に匂わないんだ」


 ミヤコが楽しそうに、匂い発生のメカニズムについて滔滔と説明した。しかし、ミヤコの話があまりにも専門的だったため、その場でうまく理解できるものはなかった。

 ロッテには言語的なハンデがある。そして、団三郎は化学への造詣が皆無だった。


 案外科学的なものを好むらしいミヤコに、二人は辟易とした。説明を聞いて結局理解できたのは、人工的につけられたものではないが、ちょっとした加工をしないと匂いが発声しないという程度だった。


「堅苦しかったかな。まずは、これでも飲みなさいな、お客様方」


 女店員はからりと笑いながら、ガラス製の水差しで小さなグラスに何やら注ぎ込んだ。品よく香る桜が桜色の水面に浮かび、傍から水泡が湧き上がっている。


「桜の塩漬けをシロップにして、炭酸水で割ったんだ。この時期に、はるばるお越し下さったお客様へのサービスにね」


 面の隙間から、ミヤコの弧を描いた口が見える。ちょっと弾んだ声といい、面越しでも案外彼女の感情は分かるときもある。

 何かしら彼女を上機嫌にさせている要素があるようだ。


 初めての飲物に、ロッテは恐る恐る口付けた。

 まずはシロップの甘味が口の中に広がる。シロップ漬とソーダ割にされたことで、先ほど口にした塩漬けのような、尖った味ではなくなっていた。味が薄まったところで、ふわりと広がる桜のやさしい香り。

 各々が絶妙なバランスで調和されていて、身体にじんわりと染みていくようだ。


「おいしイ」

「そうじゃろう。この時期の楽しみでのう。ここから桜を見られぬのはちと残念じゃが、こいつを飲むと、風に舞う光景が浮かぶわい」

「そうね」


 少しずつ花開き、風雨に攫われて散らされる。落ちた花びらの中には、水面にゆらめくものも。

 この国の津々浦々で見かける、春の風物詩。ロッテの手元のグラスの中に、ぎゅっと凝集されている。


「注文はお決まりかな」

『オススメは何かしら?』

『この時期なら、桜餅だね。花のように塩漬けした葉を使っているんだ』


 狐面の店員は、ロッテに対してドイツ語で、団三郎に対しては一単語で答えた。


『ふうん。じゃあ、それにしようかな。あと、温かいお茶ね』

「ワシは桜餅に、カリン酒でも頼もうかの。そこに咲いておるから、花を見ながら呑むのもよかろう」

「あいよ」


 縮緬張子の、藍色のバインダー。使い込まれた風合いのそれを、ミヤコは胸元から取り出して、さらっとメモをとっていた。

 見る限り、文字を書いているようには見えないが、ミヤコか、あるいは厨房担当が理解できるなら問題はない。


「では、ごゆっくり」


 瞬く間に店員はさがる。桜のソーダのピッチャーは置き去りに。日の光を受けてキラキラと輝いている。

 透明な水差しに閉じ込められている桜色の世界を、より大きく堪能できる。

 けれども、陽光が苦手なロッテは、横目で見て、ふいっと目を逸らす。心を揺さぶられるとはいえ、長い間は見ていられない。


 半分ほど飲み干したところで、ロッテがグラスを揺らした。カラリと氷が音を立て、泡が弾ける水の上で、桜がゆらゆらと揺れる。


『でも、この国、あちらこちらで桜が溢れている気がするから、ここくらい咲いてなくてもいいと思うの。他の花が咲いているのだから。もっとそっちを見たっていいのに』

「なるほど、そういう考え方も悪くはないの」


 ロッテにとっては、山の麓で咲き誇る桜も、山肌に色付く春の妖精たちも、滝の傍で開いていた木蓮も、どれも春の花なのだ。この山では見かけていないが、砂糖漬けも含めて愛している菫だって。


「まあ、でもこの風土が、桜を特別なものと見做しているきらいがあるからのう。見かけぬとちと寂しいのだよ」

『分からなくもないわ。だからこそ、この店ではこうして提供しているのでしょう?』


 ロッテが水差しを持ち上げると、カラリ、シュワッと春の先を行く音が立つ。

 もう少し飲みたいのか、空になったグラスに、自分で注いでいる。


「恐らくはな」


 団三郎の呟きを耳にした直後、ロッテはグラスを一気に干した。


「やっぱり、この季節は桜餅ね。最近はこんな風に染められるようになったけれど、これがまたかわいい造形でさ」


 沈黙が訪れそうな間で、ミヤコが調子よく現われた。彼女が運んできた黒塗りの四角い菓子器には、二つの菓子が乗っている。

 薄ら赤く染められた皮と桜の葉で、餡をくるりと包まれたものと、薄赤く染められた粒状が残る団子を、これまた桜の葉で包まれたもの。

 これらは長命寺と、道明寺。近年人の里で桜餅と呼ばれる双方。

 甘い匂いの中に、品のある、桜の塩漬けと同じようなものが混じっている。


 若い緑色のお茶と、香り高い、赤い液体の入ったグラスも盆に乗せられている。

 急須や、赤い液体の入ったガラスポットも。入っている分はおかわり可能なのだと、店員が一言添えた。


「これよ、これ。春って感じがするの」


 団三郎は、ミヤコが持ってきた盆を前に上機嫌だ。


『どちらが桜餅なの?』


 二種類の菓子を指して、ロッテはミヤコに問う。


『両方だよ』

『へぇ、そうなの。それはさておき、やっぱり可愛いわね、この国のお菓子は』


 ロッテの幼い手に、両方の菓子が納まってしまいそう。小さな菓子の、かわいらしい淡いピンクと渋い緑の対比もまた、潤いをもたらす。


『さっきの花と同じような匂いがする。ということは、この葉も、しょっぱいの?』

『ご名答。葉っぱも一緒に食べるお菓子だからね。甘味と塩味の織り成す絶妙なバランスを、是非とも体感してくれたまえ』


 ロッテがまず菓子楊枝をつけたのは、表面がつぶつぶとした、道明寺と説明されたほう。すっと切り取ると暗い紫がかった餡が顔を覗かせる。

 つやつやの淡い色の餅を見た目で、そして匂いで楽しんで、小さな唇が菓子に触れた。


 桜の葉の塩漬けは、花同様に塩味が強い。これは織り込み済み。

 米粒よりさらに弾力と粘りのある噛み心地のあと、さらりとした舌触りの層に到達する。餡は口当たりが軽く、品の良い甘さがするすると、塩味の先行する口の中一杯に広がった。

 甘さは不用意に後をひかない。舌先をやさしく楽しませてくれる。


「酒はもう気持ち寝かせたほうが好みだがの。今の時期は花を楽しみながらの酒になるから、これはこれで」


 窓の隅に見えるのは、丁度見ごろの白い花。ロッテのこぶしほどの大きさだろうか。

 その木になる硬い実を半年ほどお酒に漬け込んで、やわらかく、香り高く仕上げたものが、団三郎のもつグラスの中にある。


『団三郎さん、大丈夫かな』

『ミヤコさん、何か心配事?』

『まあ、ちょっと、ね』


 こっそり耳打ちをするミヤコをよそに、ロッテはお茶に口付ける。

 まろやかながらすっきりとした味、そして少々の渋さが後味として広がる。これが、桜餅の甘さとものすごくマッチする。


「ほれ、他に客もいないから、ミヤコさんも腰かけて休むといいさ。カリン酒もぐーっと飲めばいいさ」


 団三郎は一体どれだけ飲んだのだろうか。ポットの中身は大分少なくなっている。

 赤ら顔で、尻尾どころか耳まで狸のそれになっていた。


「団三郎さん。私、一応まだ仕事中なんだけどね。お客さん、たしかに今はいないけれど、いつ来るか分からないから。腰かけるだけならまだしも、さすがにお酒は……」


 梔子色の袖が揺れる。お客の前で袖を振り回さないことを矜持としている彼女らしからぬ行為。


「ワシの酒が呑めぬというのかのう。実に残念だ」


 それを皮切りに、団三郎は過去の出来事を零しながら酒を煽る煽る。

 ミヤコやロッテにしつこく同意を求めながら、延々とくだを巻き続けた。


『本当、絡み酒は勘弁して欲しい。これさえなければねぇ……』


 ミヤコの声色から、うんざりしているのは明らかだった。ロッテも同じ気持ちだ。


『先ほど表情が曇っていたのは、こうなることを予見していたの?』

『ま、そういうことだね』


 ドイツ語で会話をする二人をよそ目に、やはりタヌキオヤジは絡み続ける。

 うんざりして卓上で突っ伏したのは、褐色髪の持ち主だ。


『彼の血を大量に吸えば止められるかもしれないけれど、美味しくなさそうだから難しいわ。私、結構グルメなの』

『あはははは。中々きつい一言だね、でもうん、ちょっと気が晴れたよ』


 狐面の店員はからからと笑いながら、面を外した。薄い唇の、目元が涼やかな美女が現われる。


『へえ、ミヤコさん、そんな顔だったのですね』


 狐面はいらないじゃないかと、女吸血鬼は続ける。


『さあ、どうだろうね。見た目なんて、いくらでも繕えるから』


 愉快そうに片目を瞑ってみせたミヤコは、無造作にグラスに桜のソーダを注ぎ、一気に干していく。

 白い喉元がこくこくと動くさまを見て、ロッテの心が不意に高鳴った。

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