それでも動いている
その会場は、ある種の熱気にあふれていた。
静かなる興奮状態だと言ってもいい。
聴衆は皆、最後の一言が発せられるのを待っていた。
「……今申し上げた通り、グラビトン(重力子)が、発見されたいま、私の理論は現実の物となるでしょう。すなわち、タイムトラベルは可能なのです」
破れんばかりの喝采が起こったのは言うまでもない。
こんな大規模な会場で、それも世界に名だたる研究者を集めて発表するだけの事はある。
彼の理論には、破綻する部分はまるで見いだせなかった。
論文発表後の質疑応答も、完璧だった、この世界、少しでも隙を見せたら負ける。
しかし彼は、襲いかかる論敵を、全て論破していった。
「他にご質問は有りませんか?」
もう会場内で、彼に論戦を挑もうと思うものはいないと思われた時、一人の老人が手を挙げた。
「君の理論は完璧です、私は少し畑違いの宇宙物理学者じゃが、内容は十分にわかりました。おそらく、君の言う通りの規模の実験施設を建設出来れば、過去へも未来にも行けると思います。
ただ、そのタイムマシンに、私だったら絶対に乗らないでしょう」
会場からは冷ややかな溜息が漏れた。
しかし、老宇宙物理学者はつづける。
「ピックポイントの座標nは三次元空間中では一切移動しないと君は言った、これは間違ってはいないですよね。グラビトンの超光速運動による、時間を含んだ第4・5・6次元の能動的な制御により、座標nを時間軸上の任意の場所に移動出来る、すなわち座標nの時間を好きな時代に移動できるというのは、先ほどの説明で、惚けた私にも理解は出来ました」
老宇宙物理学者はここで一息入れて、壇上の新進気鋭の理論物理学者にあらためて視線を送った。
彼は、この老人が何を言いたいのか、ちょっと興味を持ったようだが、自信はいささかも揺るいでいない、と言った目をしている。
「ところで君は、地球の直径を知っておるかな、まあ君が知らないとは思っていないが、12,756kmほどある。そしてこの岩の塊は約86,400秒で自転軸を中心に一回転しておる。
さらに、太陽を中心にした半径1auすなわち、約1奥5000万kmの円軌道を、約1年で周回しておる。
その太陽は・・・・・
もうわしが何を言いたいのかわかったじゃろう。つまり、たった1日、いや一分前ですらわしらは同じ場所にはいないと言う事じゃ」
壇上の男からは、先ほどまでの自信が急速に失われているように見えた。
「つまり君の言う座標nが三次元空間で、全く移動しないと言う事は、タイムトラベルして行った先には何が有るか想像もつかない、まあ確率的にはなにも無い宇宙空間であることの方が多いとは思うがな」
老科学者は一つ大きなため息をついた。
「残念ながら、我々は未だ自分が宇宙、いやこの空間の何処にいるのか、正確に確定するすべをもっておらん」
老科学者は壇上の男を見つめながら続けた。
「つまり、地球上の同じ地点を目標としても、違う時間のその場所に行く事は事実上不可能なのじゃ。
ガリレオが言っていたではないか、"それでも動いている"と」