アイリス
キオ達が姫を連れて少年兵の寄宿舎に戻ると、アイリス姫は大きく頭を下げた。
「皆様、どうかよろしくお願い致します。挨拶が遅れてしまい、申し訳ございません」
護衛につくことになった少年達は互いに顔を見合わせると、年相応な笑顔になり、歓迎一色ムードに早変わりする。
「お姫様お姫様! お城って美味しいご飯がいっぱい食べられるのか!?」
「ベッドもふかふかなのか!?」
「お菓子ってどんな味がするんだ!?」
少年兵達は姫という立場の人間に初めて遭遇したこともあり、興奮気味に声を出した。
十歳前後の子供らしい質問攻めに、アイリスは戸惑いながら一人一人丁寧に答えを返していく。
美味しいご飯は出てくるけど、お腹いっぱいは食べられないこと、ベッドは雲みたいに柔らかいこと、お菓子は幸せの味がするから戦争が落ち着いたら持ってくることを約束していた。
少年兵達は一人一人丁寧に返事を返すアイリスの話しに興奮して、目を輝かせている。
そんな少年達を横目で見つつ、キオは道具の手入れを始めていた。
いつまでも続きそうなお喋りだったが、終わりは唐突に訪れた。
リーダー格のサムドがパンと手を叩くと、少年兵達に準備をするように指示を出したのだ。
「お話しはそこまで。さぁ、みんなお姫様を送り届ける準備を始めて」
「うーっす」
「はーい、隊長」
サムドの一声で少年達はあっさり散り散りになろうとする。
だが、そこにアイリスは待ったをかけた。
「待って下さい。その前に一つだけお願いがあります」
「お願い?」
「みなさんと握手させてください」
「それはまぁ……別にいいけど、灰奴隷と握手したいなんて珍しいですね。みんな握手してもらって」
サムドの許可が出ると、アイリスはホッとしたように微笑み、少年達一人一人と握手を交わした。
そして、少年達が準備のために散ると、アイリスはサムドに手を伸ばした。
「よろしくお願いします。サムド隊長」
「あれ? 僕、自己紹介はしましたっけ?」
「部屋に入る時の挨拶で、名前を聞きましたから。傷の具合はどうですか? すごい音で殴打された音を聞いたので」
「あぁ、鼻血なら大丈夫ですよ。ところで、何で僕達を指名したのですか?」
「それは何よりです。指名の理由ですが、叔父のウィンストン公爵が西部へ秘密に抜けるなら、使える傭兵がいると聞きました」
「そうなんですね。そっか、それなら僕達の仕事はアレの後でもまだありそうだ」
「どういうことですか?」
「いえ、こちらのことです。仕事があるうちはみんなでご飯が食べられるので、ありがたいという話しです」
傭兵団の独立を考えているサムドとキオ達にとって、最大に問題は少年兵だけの傭兵団に仕事が来るかどうかだった。
大人達に酷い仕打ちを受けても復讐出来ない理由の一つが、その仕事の依頼が来るかどうかだった。
キオは強い。傭兵団の大人組どころか、王や領主に仕える騎士にだって負けない実力がある。やろうと思えば、今からだって第一部隊を皆殺しに出来る。
でも、仮に皆殺しにして傭兵団をのっとっても、雇い主を殺した子供達を積極的に使う貴族や領主はいない。いたとしても足下をみられるだろう。
独立しても信用と仕事がなければ、今以上に酷い生活が待っているか、盗賊として犯罪集団になりさがるかしかない。
だからこそ、サムドは金を貯めて、自分達の力で独立を勝ち取るとキオに提案した。
傭兵の世界では金を稼いだ額が強さの一つの指標になる。そして、稼いだ金は魔法を使うための武器を買う金になる。
大人達を潰すのは魔法の武器を手に入れて、有名になった後だ。それまでは耐えて耐えて耐え抜く。
そう少年兵達にも言い聞かせていたからこそ、サムドがいくら殴られても、なじられても誰も助けに入らなかったのだ。
「大勢で囲む食卓はさぞ楽しいでしょうね。羨ましいです」
そんな事情をつゆほども知らないアイリスは、それ以上の追求をせずにキオの元へと近づいていった。
○
地面に座っていたキオの横にアイリスが立った。
「よろしくお願いします。えっと――」
「キオ。キオ=イショウ」
「よろしくお願いします。キオ」
キオは剣を研ぎながらぶっきらぼうに答えた。
アイリスが差し出した手には目もくれていない。
「ん、よろしく」
「あの、握手をしてくれませんか?」
「何で?」
「道中世話になる相手です。それに隠密で動くには私の地位は目立ちます。年齢も近いようですし、対等に接して頂けるための儀式みたいなものです」
「へぇ、そうなんだ」
キオは空返事を返すと剣を研ぐのを止めて、立ち上がった。
そこでようやくキオはアイリスに目を合わせると、アイリスはニッコリと微笑んで、改めて手を伸ばしてきた。
だが、キオはその手を取ること無く背を向けた。
冷たい態度をとり続けるキオに、アイリスの表情が曇り始める。
「あのキオ……さん? 私何か失礼なことをしてしまったでしょうか?」
「手がサビで汚れてる。後、午前中に魔物の返り血を吸ったような服とズボンで拭った手に触れたくないでしょ?」
「あ……。すみません」
キオはそう言うと、茫然自失となって立っているアイリスを放っておいて、二日分の食料や道具を用意しに宿舎の玄関へと向かった。
そのまま立ち去るかと思いきや、キオは玄関の目の前で振り返ると、気だるげそうな表情をアイリスに向けた。
「なぁ、お姫様。あんた城の中でならどんな相手でも屈服出来るんだろうし、騎士が味方してくれるんだろうけどさ。今のあんたは城の外で、お付きの騎士はいない。あんたが自分の武器も鎧も持たないで、傭兵という魔物に立ち向かうのは自殺行為にしか見えなかった」
「でもあれは一般的に考えておかしいですよ。あんなのあんまりです」
「俺達を不憫に思った? それとさっきの対等って言葉もそうだけど、あんたは俺達を見下してるの?」
「そ、そんなことは思っていません! 見下しているだなんて――」
「そう。なら、良いや。とりあえず、さっきの対等って話は、これぐらいの口調の砕け方でいいの? 丁寧な言葉遣いにしろというのなら、変えるよ。仕事だし」
「あ……いえ、今の喋り方で大丈夫です」
「そう。なら、今のままにしておくよ。雇い主の意向だからね」
キオは会話を終わらせると、そのまま二度と振り向かずに宿舎へと消えていった。
○
アイリスは一人庭で取り残され、キオが視界から消えると胸を手で押さえて、荒い呼吸を繰り返した。
気付けば少年兵達も自分の仕事に集中していて、全くアイリスのことを気に留めていない。キオだけが特別愛想が悪い訳ではなかった。
アイリスが城にいたころは、視界に誰かが入れば必ず声をかけられた。
そんな環境で育ってきたアイリスからすると、自分よりも歳下の子供が自分を無視して、必死に武器や防具の準備をしていることが怖かった。
だからこそ、キオの言葉の一つ一つが胸に突き刺さる。
思わず否定したけど、冷静に考えてみればキオの言う通りだった。
キュルトの姫であっても、アイリス個人に力はない。だから、父である王とともに戦うことも出来ず、跡を継いで国を守ることも出来ず、こうして他国に逃がされようとしている。
傭兵団の団長との会話も確かに危険でうかつだった。でも、正しいことをしたとも思っている。
見ていて辛かったという気持ちは本当だ。
それを真っ向から否定されたのが、何故か悔しかった。
「あ、あの、何か準備でお手伝いすることありますか?」
だから、せめて自分の言った言葉を自分の行動で証明しようと、アイリスは目の前にいたツンツン頭の少年に手伝いを申し出た。
「え? 姫様が手伝うの?」
「はい。私に出来ることであればお手伝いさせてください」
「えーっと、そうだなぁ。あぁ、井戸の水汲み手伝ってよ」
「はい。水汲みですね。お任せ下さい」
アイリスは腕まくりをしてやる気を見せたが、結果は散々だった。
腰元くらいまであるタルを片手で二つ軽々担いでいる少年に対して、アイリスは両手で一つ持ち上げることも出来なかった。
それでも無理に持ち上げようとしたせいで、ささくれで指を少し切った。
「いたっ」
「あ、姫様大丈夫?」
「えぇ、大丈夫です。ちょっと指を切っただけですから」
「水で傷口を洗ってきたら? このタルはおいらが持ってくからさ。ほい、これ止血用の包帯」
「すみません……」
「気にすんなよー。おいら姫様が手伝ってくれるっていってくれて、嬉しかったぞ。ありがとな。姫様」
何も出来無いどころか、少年に気を遣われる始末だ。
酷い無力感に襲われながら、アイリスは小さくため息をついた。
「はぁー……。ダメだな私。でも、諦めちゃダメだ。よっし!」
アイリスは気持ちを入れ替えると、もう一度少年達に声をかけた。




