舌戦
灰色の傭兵団が姫を率いて現れた先は、人で埋め尽くされた広場だった。
この場所からこの国が始まったと言われており、広場の中央にはこの国を建てた初代国王の銅像が建っている。
まさに王のための広場。
そこでアイリスは自分を包んでいたマントを脱ぎ捨てた。
「私の名はアイリス=ウル=キュルト! 前王シド=ウル=キュルトの娘である!」
凛々しく張り上げた声で広場の視線が一気に入り口にいるアイリスへと注がれた。
「道を開けよ! 私はこれより私を追い出し、シド=ウル=キュルトに代わり玉座についたウィンストンに用がある!」
アイリスが声を張り上げると同時に神具バハムートを抜いて、城に切っ先を向けた。
その動きと同時に、キオ達少年兵も一斉にマントを脱ぎ去り、剣を構えた。
「彼らは私をウィンストンの凶手から私を救い出した灰色の英雄達である! 前王シドを毒殺し、私を無き者にせんと虚偽を広めた逆賊ウィンストンを審判の場に引き出すため、誇り高きキュルトの民よ道を開けよ! 竜王はここにいる!」
そのアイリスの声で人の海は見事に左右に分かたれた。
何千人という人が集まろうとも、声の一つも出ない。
そんな異常とも言える空間でアイリスとキオ達少年兵達の靴音だけがこだまする。
前王についての言葉は半ばハッタリだった。
セリザを捕まえた時に聞いた言葉をそれっぽくして言っているだけだ。
あの情報が全て嘘だったということも十分にあり得る。
だが、この場において真偽は関係無い。
アイリスが正義だと民が信じれば良いのだ。そうすればウィンストンも知らぬ存ぜぬは出来ない。
第一の賭はアイリスの勝ちだった。
ウィンストンから攻撃を受けることなく、アイリス達は正面から堂々と城と広場の間にかかる橋まで辿り着いた。
城は掘りに囲まれ、入るには前門の橋を渡らなければならない。
その唯一の通り道に立つ門番は涙を流しながらアイリスの帰還を喜び、門を開ける。
そして、その奥には――。
「よく戻ってきたね。アイリス」
「ウィンストン……叔父様……」
出迎えたのは金色の王冠を被り、赤いマントを羽織る中年の男性、ウィンストン公爵その人だった。
幾多の戦場を駆けたであろう丸太のように太い腕の手には漆黒の剣が握られていた。
○
一触即発かと思った出会いだったが、ウィンストンは剣を抜かなかった。
それどころか丁重に扱うよう言われ、全員揃って交渉の席につくよう誘われた。
そうして、一切の血を流さず王城内へ入ったキオ達は長い机を挟んでウィンストンと相対したのであった。
ここからはアイリスの戦いだ。キオ達はアイリスの舌戦を見守っていた。
「ウィンストン叔父様、この度の経緯を説明して頂いてもよろしいですか?」
「ふむ。何を説明すればよろしいのかな?」
「お父様に手をかけ、私を事故に見せかけて葬ろうとしたことに関してです」
「このワシが兄君を手にかけた? 何のことだ? それよりも遠路はるばる戻ってきたということは、ヒューゴーで何かあったのか?」
ウィンストンはあくまでシラを切るようだった。
タダで手札を切るつもりは無い。狡猾な罠を巡らすウィンストンは交渉の場でもその実力を遺憾なく発揮している。
いきなり懐に切り込んだはずのアイリスの攻めは、霧でも掴むようにするりと躱された。
だが、これぐらいは想定の範囲内だった。
「サムドさん、例の物を」
アイリスの指示で石膏像が取り出されると、ウィンストンは顔をしかめた。
ただの石像ではなく、壁に埋まった石像だったのだから。
「何だそれは? 気味が悪いな」
「知っている顔のはずですよ? サムドさん、顔の部分だけ魔法を解除してください」
サムドが壁に触れると石像の顔が肌色へと変化していき、セリザの顔になっていく。
「ブローシュ団団長セリザ男爵です」
「ふむ、確かに知った顔だ。だが、こやつがどうかしたかな?」
ウィンストンはまたもやシラを切った。
だが、意識が朦朧としているセリザは口を滑らせた。
「これは……ウィンストン様ではありませんか……。ということはあの小娘を殺し、私を助けて頂いたということでしょうか?」
「あの小娘とは誰のことでしょう?」
「あのクソ生意気なアイリスって乳臭いガキですよ……」
「ウィンストン叔父様、面識がない人にしては随分と慕われているではないですか? それも私を殺すなんておっしゃっていますが」
「え……? なっ!? アイリス!? え!? ウィンストン様!? 一体何がどうなってるんだ!?」
セリザが気付いた時には遅かった。
彼の言葉はウィンストンがアイリスを殺す意思を持っていたと証明するには十分な証言だったからだ。
だが、ウィンストンは全く動じる気配を見せなかった。
「ふむ。アイリス、そなたこの者に無礼でも働いたのか? そなたにかなりの殺意を抱いておるようだが」
それどころかアイリスに非があるかのように話を変えていく。
「無礼を働いたのはこの方です! 私達を殺そうと手の者を放ってきました」
「だが、先ほどのセリザ殿の言葉では助けて頂いたと言っていた。つまり、彼はそなたらから何かしらの被害を受けたと言うことだ。事実、彼は魔法で石にされていた。それだけのことをされれば、誰も殺意を抱くだろう。違うかね?」
「それは論点のすり替えです!」
「すり替えてなどいない。セリザ殿の言い分は君が彼を陥れたと述べている。だが、君の言い分はセリザ殿が先に君を陥れたと述べている。どちらが事実かによって話は大きく変わるはずだが?」
「くっ……」
アイリスの勢いが削がれ、サムドがキオの隣で小さく舌打ちをした。
場の流れは完全にウィンストンに支配されている。
その支配力はセリザを一瞥しただけで、セリザの眼に光が宿り、舌がべらべらと回り始めるくらいに効果的だった。
「ふむ。セリザよ。城にいた部下を全員殺された上に神具も奪われたと。その反逆を扇動したのがアイリスだったというのだな?」
「はい! その通りです!」
「ふむ。確かにそちを石に変えていたという証拠もある。それにセリザの城で掠奪があったとの報告もある。筋は通っているな」
交渉の切り札として出したセリザが、反対にアイリスの首を絞めてきた。
もともとアイリスの言葉など聞かない立場の相手に、正攻法を仕掛けたのが間違いだったのかもしれない。
だが、ここまで来て引ける訳も無く、アイリスはセリザとの間に起きたことを説明した。
「それを全て叔父様が裏で糸を引いていたと考えています」
「ふむ。仮にその話し通りだったとして、敢えて言おう。ワシには動機がないな」
「何をいっているのですか!? 今あなたが手にした玉座と王の地位が狙いだったのでしょう!?」
「いや、玉座に興味はないよ。何なら今すぐこの王冠とともに君に返上しよう」
「……え?」
ウィンストンは頭の上に乗せた王冠を躊躇わずに外すと、机の上に置いた。
そして、使用人に持たせ、アイリスの目の前に置かせたのだ。
「軍を率いるのと他国と条約を結ぶのは王の役目。隣国との戦闘を終わらせるため、我らの力を見せつけ停戦条約を結ぶために、やむなく王の座についたに過ぎない。君がヒューゴーで神具を使えるようになったら交代するはずだった」
あまりにもあっけなくウィンストンは王の座を手放す宣言をした。
さもそれが当然であるかのように振る舞い、アイリスの精神を削っていく。
「そんな……そんな訳がありません。私は確かに命を狙われていました」
「ふむ。戦争をしていた敵国のシガルが送り込んだ工作員かもしれないな。そちらの警戒が薄かったことは確かにワシの間違いだったかもしれん。すまなかった」
まさに老獪な狸とでも言った所か。ウィンストンは巧みに話をずらし、アイリスの受けた被害すら自分以外が原因として片付けようとしている。
「違います。私を襲った者と戦ったこの者達がそれを証言します」
「少年兵、それも魔物の血を取り込んだ灰奴隷の言葉を信じろというのか? 同じ証言でもセリザの方が信頼出来るな」
「彼らも私たちと同じ人です!」
「何を言い出すかと思えば、気でも触れたか。彼らが我々と同じだと? いや、違う。見た目も力も人間ではなく、魔物のそれに近い」
「ですが、心と魂は人間です。私達と同じように簡単に死んでしまうのです」
アイリスの訴えにウィンストンは深いため息をついた。
交渉の場において呆れという感情を与えるのは最悪だ。
こちらの話しに聞く価値など無いと言っているようなもので、どんな言葉を並べ立てようとも相手の耳に入らなくなる。
つまり、アイリスは彼女の持つ唯一の武器を取り上げられてしまったのと同義だ。
そんな風にかなり不利な交渉になっているのはキオでも理解出来た。
「あー、一つ良い?」
「雇われの灰に話す口など持たん」
「あんたじゃない。用があるのはアイリスの方だ」
キオがウィンストンの言葉を切り捨てると、アイリスは困惑したような表情をキオに向けた。
「アイリス、あんたの親が死んで誰が喜ぶんだ? 何であんた達は狙われた? 犯人はこのおっさんだとして、このおっさんを動かしたのは誰だ?」
キオの言葉で向かい側にいた騎士が激昂し、立ち上がって剣を抜いた。
「貴様! その首落とされたいか!?」
「黙れよ。俺はアイリスと話をしてるんだ」
だが、キオはまるで相手にせず、騎士を視界にすら入れることなくアイリスを見つめる。
「今、あんたは正面からおっさんに挑んで負けた。けど、その顔を見れば分かる。まだ心は死んでない。言葉はあんたの武器なんだろ? だったら、不意打ちでも搦め手でも何でも良い。生きるためにあがけ。ここはあの時と違って、あんたが雇った俺達がいる」
「あの時と同じで相変わらず、厳しくて優しいですね。ですが、ありがとうございます。おかげで覚悟が決まりました」
アイリスはそう言って深呼吸をすると、ウィンストンを力強く見据えた。
覚悟を決めた。そう書いてあるような凛々しい横顔だった。
「叔父様、先ほどシガルと停戦したとおっしゃいましたが、随分あっけなく停戦されたのですね? 賠償はどうなっているのですか?」
「この話しとは関係ないだろう?」
「良いから答えて下さい。関係が無ければ聞いた後に謝罪致します。私の言葉が全て間違っていたと認め、叔父様を逆賊扱いしたことについても謝罪致します」
思い切ったアイリスの言動に部屋中がざわめいた。
誰が前王を殺し、アイリスを殺そうとしたたのか、何故殺す必要があったのか、とは全く関係のない話題をアイリスが要求したせいだ。
一見すると、一対一の勝負で、敵のいない明後日の方向へ全力で剣を振るような自殺行為でしかない。
その自殺行為にウィンストンはもちろんのってきた。
「ふむ。そこまで言うのならいいだろう。シガルとの停戦に賠償はない。教会が仲裁したためだ」
「シガルから仕掛けてきた戦争に対して、賠償も無しに停戦なされたと? 民に痛みを強いて、何も得られなかったということですか?」
「あぁ、残念ながらその通りだ。賠償無しの即時停戦が教会からの命令だったのでな」
ウィンストン自身に責任はない。
やはり自分を矢面に置かない話し方をしていた。
このままでは尻尾を掴めそうもない。ウィンストンの騎士達が余裕の笑みを浮かべ、魂灯組の少年兵達が苦い顔になる。
ただし、キオとサムドをのぞいては――。
二人はいつでも抜刀出来るように身構え、城内を目配せしていたのだ。
何故そんなことをしたのか。その理由はアイリスがウィンストンの言葉を聞いた瞬間、笑ったからだ。
「叔父様の神具ティアマト。それは教会から賜ったものですね? そして、王として祝福されたと聞いております」
「あぁ、そうだ。この戦いを終わらせるために力を誇示し、馬鹿げた戦いを終わらせるよう仰せつかった」
「叔父様の騎士達も神具を賜ったのですよね? 敵にも神具を持つ者がいる限り、一人で戦線を押し返すのは難しいですから」
「そうだな。だが、それが何だと言うのだ? 私が教会と繋がっていたとでも言うのか? ならば余計に、兄上を殺す理由もそなたを陥れる理由にはならないぞ?」
「違います。叔父様と教会が繋がってはいません」
「なら、なんだと言うのだ? 先ほどから要点を得ないことばかり言っておるぞ」
「いいえ、全て私が確信に近づくために必要な情報でした。叔父様と教会が繋がっているのではありません」
アイリスはそう言うと一拍おいてから、力強く彼女の言葉を口にした。
「教会が叔父様とシガルと繋がっているんです」
その言葉で初めてウィンストンの眉がぴくりと反応した。
アイリスが捨て身で放った一撃がウィンストンの喉元に届いたのだ。
だが、懐に飛び込んだと言うことは、これから先、一歩でも間違えば即座に振りほどかれる。間違うことはもう許されないのだ。
「何を根拠にそう言う?」
「シガルはそこまで強国ではありませんでした。事実、過去幾度の戦争で我が国が勝利しています。ですが、この度は違いました。お父様が参加なされた戦場では勝利をおさめていますが、シガルは神具を持つ騎士団を用い、同時に多数の拠点を攻めてきて、我が国を追い詰めました。これが根拠です」
「そんなものは根拠ではない。ただ戦争の経緯を説明しただけだ」
「神具は教会が管理と配分を取り仕切っています。それなのに戦争している二国両方に神具を分け与えるということは、何か特別な意図があるはずです」
「馬鹿げている。なら、その特別な意図とは何だ?」
「お父様の抹殺。本来は神具による飽和攻撃でお父様を殺すつもりだったのでしょうけど、お父様はそれ以上に強かった。だから、教会は叔父様を使ってお父様を殺そうと企んだのです。そして、お父様亡き後、目的を達成した教会は神具の配分を餌に停戦を呼びかけた。これが教会の意図です。そして、叔父様は教会の出す餌に釣られて尻尾を振る教会の犬となった」
アイリスが口にした侮蔑に、ウィンストンはガタっと激しい音をたてながら立ち上がった。
穏やかだった顔は怒りに震え、赤みを帯びている。
「このワシを犬と罵るか小娘!? 数本の神具だけでこのワシが反旗を翻す恥知らずと言うか!?」
「墓穴を掘りましたね。叔父様」
「……なに?」
「数本の神具では裏切らない。なら、無限の神具ならどうですか?」
「……何を言っている?」
「叔父様はお父様が神具の製造法を知ったと教会から伝えられ、お父様を殺せば神具の製造法を教えて貰えた。違いますか?」
「知るわけがない! あれは教会しか知らぬ!」
「魔物の血と魂を組み合わせ、神話の贋作を作る。神具は神の魂なんて宿っていない。古より存在する魔物の魂を入れただけ」
「っ!? 何故それを!?」
「知っていたのですね」
「はっ!?」
ウィンストンが口を塞いだ頃には遅かった。
彼は自ら教会と深く繋がっていたことを証明してしまったのだ。
作り方さえ分かれば神具はいくらでも作り出せる。そして、神具の数はそのまま力になる。他国よりも多くの神具を、多くの魔導士を抱えれば、世界を統一するのも夢物語ではなくなるほどの力となる。
その力にウィンストンは目が眩んだとアイリスは指摘した。
だが――。
「よく出来た話だが、教会が兄上を殺す理由がない。製造法を知って殺されるのであれば、ワシもすぐに殺されたはずだ」
ウィンストンはギリギリで踏みとどまった。
まさに首の皮一枚でアイリスの言葉を止めた。
「えぇ、その通りです。叔父様のおかげで、私はお父様が殺された理由に辿り着けました。お父様は知ってしまったのです。教会は神具を配り回ることで国同士の力関係を調整し、自分達が優位に立てるよう立ち回っていることを。そして、その支配を打ち破ろうと計画したのでしょう」
アイリスは誇らしげにそう言うと、胸に手を当て立ち上がった。
そして、ウィンストンに向けてとどめの一撃となる言葉を放つ。
「ウィンストン! あなたは力に酔い、教会の甘言に乗り、お父様を殺した逆賊です! たとえ教会に惑わされたとしても、あなたの罪は変わりません!」
華奢な身体なのにアイリスは不思議な威圧感を放っていた。
あのウィンストンですらも気圧されて、言葉なく後ろへ引かせるほどだ。
アイリスの言葉も振る舞いも王としての気概を感じさせる一喝だった。
部屋の中が静まりかえり、ウィンストンがフルフルと震えている。
この舌戦は間違い無くアイリスの勝利だった。
「叔父様、私はムダに血を流したくありません。大人しく捕らわれて下さい」
アイリスが終わりを告げ、ウィンストンがガックリとうなだれる。
反論も話のすり替えもなくなり、少年兵達が一斉にガッツポーズを取る。
「よっし、お姫様の勝ちだ!」
少年兵の誰かがそう言った瞬間だった。
「……やれ」
ウィンストンが囁いた瞬間、騎士達が剣を抜いて、アイリス目がけて机を飛び越えてきた。




