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幼少時

人間という生物は、何のために生きているのでしょうか。

子孫繁栄のため?

いえいえ答えはそんな簡単ではない筈です。

そもそも自我を持つことを許された生物は、所詮その自我の中でしか

考えられないだろうから、何のためなどという漠然な疑問には一人一人の自我によって

違うだろうと思います。

要するに、自分が何のために生きてるかなんて自分ひとりが決めるものであって

他人が干渉できないものなんです。


そして、わたしが生きている理由とは、一体なんなのでしょうか?

(こんな事書いても誰に問いかけてるんだとつっ込まないでくださいね。もちろん自問自答です。)


もう自分の中では答がでているはずです。

簡単な問題であって、つまりわたしは幸せになりたいのです。

幸福は良いものです。幸せのために生きることは、きっと幸せなのでしょう。

では幸せになるには?

・・・わたしにとっての幸せは、存在意義を認めてもらう事でした。

多分普通の人間は、無償の愛でその存在自体を認めてもらっているのでしょう。

しかしわたしは居る事自体ではなく、何の役に立つのかという目線で常に見られてきました。

そしてわたしにいる意味などありません。むしろ迷惑だったりします。

世界中から『お前は何故ここにいる?』

と、問われているような錯覚に陥ったりしながら生きてきました。

そんな中で次第に自分は自分を否定するようになりました。

親に反抗し、いくら憎んでいても、本当はもう心の中では

自分が一番悪いと分かっていました。


小学校2年生の時の出来事です。

夕飯を食べながらいつもの様に怒られ、殴られ、親がどうしても許せなくて

一緒に住んでいるおばあちゃんの所に、ほとぼりが冷めるまで居座っておりました。

おばあちゃんの部屋で寝ながら、今思うと怖い夢を見ました。

夢の中でお母さんの泣き声がします。はっとなってあたりを見回すとそこは

広い研究所のような場所でした。

真ん中には生首が一つ置いてあり、よくみるとそれはお母さんでした。

首のまわりは機械的なチューブやらなにやらでかこまれており、まだ生きている様でした。

どうやらお母さんは、自分の代わりに国に体を提供したらしいのです。

それを知った瞬間、今までの憎しみが何なのかに気づきました。

責任転換です。

怒られる責任は全部自分にあるのに、役立たずなのも自分のせいなのに、

殴られるのもあたりまえのことなのに。

わたしは、それらを全部親のせいにしているだけでした。

その事実が一番怖いものでした。激しく自己嫌悪し、そしてその怒りをまた親にぶつけてしまう。

悪循環でした。



思えば、この事実に気づかないまま大人になったとしたら、そこまで自分は

不幸に感じることはなかったのかもしれません。

もしそうなら全部他人のせいなのですから。自分が気負う必要もなくなりますし。


気づいた頃にはもう遅い。


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