第10章 薄れていく場所
第二幕
【少女と歩む過去の足音】
第10章
『薄れていく場所』
どうぞ、お楽しみください
予約投稿2026/1/6 16:00
その道は、たしかに前にも通ったはずだった。
なのに今日は、少しだけ違って見える。
「……あれ?」
ゆうとは、無意識に足を止めていた。
「どうしたの?」
「この先……こんな曲がり方、してたっけ」
道は緩やかに折れ、先が見えない。
昨日までは、もう少し開けていた気がする。
おとはは一瞬だけ、言葉に詰まった。
「……してた、と思うよ」
その声は、わずかに遅れていた。
「“思う”って言ったな」
「……うん」
誤魔化すように笑おうとして、やめる。
「最近ね、町がちょっと……揺れてる」
「揺れてる?」
「うん。形が、前よりも保てなくなってる感じ」
一拍、置いてから。
「ゆうとが来てから、かな」
胸の奥で、何かが静かに軋んだ。
* * *
曲がり角を抜けると、小さな空き地が現れた。
草がまばらに生え、中央に石がひとつ置かれている。
井戸でも、社でもない。
ただ、そこに“ある”だけの石。
「……ここ、覚えてる?」
ゆうとが訊く。
おとはは、石を見つめたまま、すぐには答えなかった。
「……知ってる、感じはする」
「感じ?」
「うん。見たことはある。でも……」
一歩、近づく。
「何があった場所なのかは、分からない」
それは、今までのおとはとは少し違う言い方だった。
「町のこと、何でも知ってるんじゃなかったのか?」
冗談めかして言ったつもりだった。
けれど、おとはは否定しなかった。
「……全部じゃないよ」
静かな声だった。
「残ってるところだけ」
「残ってる?」
「うん。形があって、誰かの気持ちが重なってる場所」
ゆうとは、ふと井戸のことを思い出す。
願いを沈める場所。
思いが町に溶けていく感覚。
「じゃあ、ここは?」
「……たぶん」
おとはは、視線を逸らす。
「もう、薄い」
* * *
空き地を抜けた先で、風が止んだ。
音が、すっと消える。
蝉も、草の揺れる音もない。
世界が、一瞬だけ息を止めたみたいだった。
「……おとは」
名前を呼ぶと、彼女は少し遅れて振り向く。
「なに?」
「今……静かすぎないか」
「……うん」
頷きはしたが、どこか確信を避けている。
「ねえ、ゆうと」
おとはが、先に口を開いた。
「もしさ」
一度、言葉を探す。
「この町が……このままだったら」
「うん」
「それでも、来る?」
ゆうとは、少しだけ考えた。
鳴っていないはずの音が、
耳の奥で、微かに震える。
「……来ると思う」
「理由は?」
「分からない。でも」
視線を、おとはに向ける。
「誰かが、呼んでる気がする」
その瞬間。
空気が、わずかに揺れた。
――チリン……。
確かに、音がした。
二人とも、はっきり聞いた。
「……今の」
おとはが息を呑む。
「風鈴……?」
「鳴ってないはずだろ」
辺りを見回しても、風鈴は見当たらない。
風も、ない。
それなのに、音だけが残っている。
「……ねえ、ゆうと」
おとはの声が、少し震えていた。
「それ、たぶん……」
「たぶん?」
「ゆうとの、音」
意味は分からない。
けれど、胸の奥が否定を許さなかった。
まだ形にならない、
思い出の手前の感覚。
「……戻ろうか」
おとはが言った。
「今日は、ここまで」
歩き出すと、
さっきまであったはずの空き地は、もう見えなかった。
石も、草も、何も。
ただの、まっすぐな道だけが残っている。
「なあ、おとは」
「なに?」
「この町さ……」
言葉を探しながら。
「俺が来る前から、こんなに静かだった?」
おとはは、少し考えてから答えた。
「……いいえ」
今度は、迷いがなかった。
「前は、もっと……鳴ってた」
何が、とは言わなかった。
けれど、二人とも分かっていた。
風鈴の音が。
記憶が。
そして――町そのものが。




