第二十五話 元凶
昨日は結局、一睡もできなかった。
原因は、“あの女”だ。
俺はいつだって、ろくでもないトラブルに巻き込まれる。
望んでるのは、ただの平穏な学園生活。人並みに、友達と笑って、普通の恋愛でもできればそれでよかった。
でも、どうしていつも俺だけが、こんな目に遭うんだろう。
……でも、弱音なんて吐いてる場合じゃない。
今の俺には――かけがえのない仲間がいる。大事な友達が、そばにいてくれるから。
*
「おはよ〜! はーちゃんっ♡」
「……」
「おはよ、はーくん」
「あ、ああ……おはよう、真斗」
「昨日は、無事に帰れた?」
「ああ。真斗たちのおかげで、なんとか落ち着けたよ」
「そっか。よかった」
「はーちゃん! ねぇ、次の体育の授業って、なにやるの〜?」
「……」
「アリスちゃーん! 次はサッカーだよ!」
「ほんと? ありがとう、」
雨宮アリス転入して早々に、クラスどころか学年のトップカーストに君臨した“天然系美少女”。
だが――俺だけは、彼女に一切関わろうとしない。
「はーちゃん! 今日、一緒に帰れる?」
「……」
無視して、もう一週間が過ぎた。
クラス中がざわつき始めても、アリスはお構いなし。
まるで何事もなかったかのように、屈託ない笑顔で俺に話しかけてくる。困った表情すら見せずに、淡々といや、粘着質に。
そんな中。
「颯、大丈夫? ……まだ、話しかけてくるけど……」
「心配しないでいいよ、如月。大丈夫だから」
「……そう?」
颯の顔、雰囲気はいつもと違ってなにか怖さがある。
*
どうやら無視するのもここまでが限界で周りの男子や女子たちが裏でコソコソと俺に関することを話しているらしい。
ある日。
「雨宮さん」
「はーちゃんっ!? ど、どうしたの!? 急に話しかけてきてビックリだよ〜!」
「今日の放課後、ちょっと話があるんだけど。時間ある?」
「あるあるあるある! もちろんあるよ! どこ行けばいいの!?」
「物理講義室。……放課後、そこで待ってて」
「うんっ♡ 楽しみにしてるね〜!」
*
放課後――静まり返った物理講義室。
「あっ! はーくんっ! 待ってたよ〜!」
「……」
「で? 話って何かな?」
「……俺、入院中の記憶を――思い出したんだ」
アリスの顔から、一瞬で色が引いた。
だがすぐに、満面の笑顔に切り替わる。
「えっ、ほんと!? 思い出せてよかったね〜! はーくん、私と付き合ってから急に元気なくなっちゃってたから、ずっと心配してたんだよ? もしかして病気かなぁとか、一人で大丈夫かなぁとか……でも、もう安心だねっ! これでやっとまた――デートできるね♡」
……こいつは何を言っているのか、全く理解できなかった。
本当に、ただのバカなのか。それとも天然を装っているのか。
怒りすら湧いてこない。ただ、吐き気と――あの時の恐怖だけが、胸の奥で疼いていた。
そして俺は――床に膝をついた。
「……雨宮アリスさん。あの時は……本当に、すみませんでした」
土下座。
静まり返った講義室に、その音だけが虚しく響く。
「だから……どうか、もう俺に付き纏うのはやめてください」
「は、はーちゃん? なにそれ、えっ?」
「お願いします。もう近づかないでくれ。……顔も、見たくない」
「……なんでよ。私たち、付き合ってるのに……」
「……あの時、きっぱり別れたはずだ。それに、もう何年も前のことじゃないか」
「やだよ……」
小さな、かすれた声。だが、確実に耳に届いた。
「……?」
「やだよ……っ! 別れるっていうのはね、お互いが了承しないと成立しないんだよ?! 私は納得してない! だから、まだ――私たち、付き合ってるの!!」
「......」
「いやだ!いやだ!いやだ!なんで?私悪いところないよ?むしろはーちゃんがいいの?そんなことして今はある程度仲のいい友達がいると思うけどいずれ裏切られて捨てられたら後悔するよ?私と付き合っとけばよかったって、ねえ、いいの?」
「……っ!」
豹変。目の奥に、狂気が宿る。
「……ごめんなさい。お願いだから、別れてくれ。もう俺は君のことが好きじゃない」
再び、頭を下げる。
「いやだ、いやだ、いやだ、いやだ……!
あ、でも、わかった!
――はーちゃんを、もう一度好きにさせればいいんだよね?」
「……!」
その瞬間、身体が凍りついた。
逃げなきゃ――そう思った時には、もう背を向けて走っていた。
「待ってよ、はーちゃん……なんでまた、私から離れるの……。
許さない……絶対に、許さないからね……はーちゃん……そうよ、あの女が原因だわ、」
*
――それから、一週間。
アリスは、何も言わなくなった。まるで嵐の後の静けさのように。
そして、12月27日 事件は起きた。
「はーくん! SNS見た!?」
「いや、見てないけど……朝からなんか騒がしいな」
「紫苑のことなんだけど――」
「如月? 如月がどうしたって?」
真斗の顔が、いつになく真剣だった。
「これ、見て」
スマホの画面には、匿名で晒された如月紫苑の過去の写真と――事実無根の内容。
「うそだろ……誰が、こんな……」
その時。
「おはよ〜、はーちゃん♡」
教室の入り口から、あの声が――鈴のように響いた。