第二十四話 初めてトラウマを植えつけた女
近くの河川そこは、俺が小さい頃によく通っていたという場所だった。
「相変わらずここは落ち着くね~」
如月がその場の匂いを味わいながら笑う。
「でもあの駄菓子屋とか昔のままだね、小学校の頃、放課後によく来てたっけね」
真斗も懐かしそうに周囲を見渡していた。
でも──俺だけが、その懐かしさを共有できていなかった。
空の青さも、風の匂いも、まるでガラス越しに見ているようで。
何かが引っかかっているのに、そこには届かないもどかしさだけが残る。
「ここ、本当に……俺が来てた場所なのか?」
そう呟いた瞬間──
“はーちゃん、他の女の子と話してたよね?”
ねぇ、なんで嘘つくの?”
“私以外に、はーちゃんを好きになる人なんていないよ?"
"はーくん!また三人でここに来ようね!"
"颯!こっちこっちー!"
ゾクッ、と背筋を冷たい風が走った。
「うっ……!」
まるで誰かに首を絞められるような錯覚と共に、記憶の残滓が脳裏をよぎる。
そこにいたのは──笑っていたはずの金髪の少女。
さらに小さい如月と真斗の姿も。
でも、次の瞬間には、怯えさせるほどの執着と狂気を孕んだ瞳。
「颯?」
如月の声に我に返る。
「……大丈夫。少しだけ……思い出しそうになっただけだ」
「じゃあ、私たちここで待ってるから。颯、1人で少し歩いてみなよ」
「……ありがとう」
俺は無言で公園の奥へと歩き出す。
やがて、木陰の中にひっそり佇む古びた東屋(秘密基地)が見えてきた。
そして、そこに足を踏み入れた瞬間──
──“他の女と話してたから、罰だよ?”
──“はーちゃんが悪いのに、どうして怒るの?”
──“ごめんね。でも私が一番大事だよね?じゃあ全部許してくれるよね?”
"なんで!お前ばかり!全部奪っていくんだよ!"
"やばい、やっちゃった隠すか、どうすれば、"
ドクン──心臓が跳ね上がった。
「アリス……!」
「に、それに、誰だ、俺に似たいや俺か?」
頭に響いたその名と共に、重たい何かが胸にのしかかる。
それより、
アリス。
そうだ、あの時の俺は確かに彼女と──
でもその思い出には、優しい笑顔だけではなく、“恐怖”が混ざっていた。
彼女は、いつしか俺を否定し始めた。
俺が他の病室の女の子、看護師ですら話すと機嫌が悪くなり、
俺が笑えば「その笑顔は私だけに見せて」と言ってきた。
幼い俺には、どうしていいかわからなかった。
感情の起伏が激しくて、優しさと怒りが交互に押し寄せてくる彼女に振り回され、
気づけば、俺は常に“機嫌を伺う側”になっていた。
──気づけば、「ごめん」が口癖になっていた。
そして、とうとう俺は……彼女を避けるようになった。
*
夕方、俺たちはかつて入院していた市立総合病院へと足を運んだ。
「……変わってないな、ここ」
受付の冷たい雰囲気、薬品の匂い、淡々とした機械音。すべてが、過去の空気を呼び覚ましていく。
「颯、大丈夫?」
「……うん。大丈夫だよ」
俺は震える指で、かつての病室──302号室のドアに手をかけた。
そして、扉を前にした瞬間。
──“その見た目で好きになるの私しかいないよ?"
──“私以外に友達いないよね?”
──“私を嫌いになったら、絶対に許さないから”
「やめろっ……!」
ドンッ!
思わず壁を殴っていた。
「はーくんっ!?」
如月と真斗が駆け寄ってくる。
「ごめん……今、思い出したんだ。アリスと過ごしていたこと。最初は楽しかった。でも、ある日を境に……」
言葉が震える。
「……彼女の言葉がきつくなって、俺を縛るようになった。何をしても、正解じゃないように感じた。自分が悪いのかもって、ずっと思ってた。でも……俺はただ、普通でいたかっただけなんだ」
気づかないうちに俺の心は削られ、
気づかないうちに──女性、いや"人"という存在を怖がるようになっていた。
それが、俺の“トラウマ”。まさに、この内気な性格の原因があいつだ、
少しずつ分かった気がする。
あの事件前までは確実に明るかった。確かに中学の最初の頃は明るく見せようと振る舞っていた、仲良くしてくれた美羅や雫には特にバレたくなくて、でも中学の頃の日々、男子ももちろん、女子の目線や周りからのイメージなどを昔に比べて特に気にするようになった、それは思春期や歳が上がると精神的年齢も上がるからそれは気にするさ、でも違う明らかに周りの人とは違う気にし方をしてると思う。
いずれ俺はクラス、いや地球の空気と化していた。
「颯……」
如月の声が優しくて、少しだけ泣きそうになった。
*
その夜、夢を見た。
──病室の窓際で、泣きながら俺にすがるアリス。
──「嫌いにならないで……もう私を捨てないで……」
──ガラスの割れる音。
──「私以外、いらないでしょ……?」
──目が覚めると、冷や汗でシャツが濡れていた。
あの三年間の入院生活で──俺は“恋”をして、“支配”された。
その記憶を、怖くてずっと心の奥に閉じ込めていた。