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第十四話 体育祭1



「あなたが颯のお母さんですか。言いたいことがあります」


その声は震えていた。でも怒りとも哀しみともつかない、彼女なりの強い感情がこもっているのは、俺にもはっきりとわかった。


「えっ……あなたは?」


一歩遅れて部屋に入ってきた紗栄子さんは、如月を見て目を見開いた。


「ああ……クラスメイトの子ね。颯が倒れてるって聞いて、心配してきてくれたの?」


「違います。ただのクラスメイトなら、こんなふうにここまで来ません。私は、颯のことが大切な人間です。だからこそ、言わせてください」



如月がそう言った瞬間、俺の心臓がどくん、と音を立てた。


な、なんか、すごいこと言ってないか……?




「颯は、ずっとあなたに無視されて、傷ついてきたんです。妹さんばかりを可愛がられて……それでも、颯はずっと我慢してた。ずっと、ずっと!」


「…………」


紗栄子さんは何も言わなかった。ただ、俺と如月の間に立ち尽くして、表情を失っていた。



「でも、それって親として、どうなんですか? どうして颯にだけそんな仕打ちを? 私は悔しい。颯が何も言わないからって、なかったことにはしてほしくない」


ああ……やばい。俺の中で、何かが溶けていく。


いつからだろう。誰かが、こんなふうに自分のために怒ってくれるなんて、思ってなかった。


「如月……もう、いいって」


「よくない!」


ビシッと指を紗栄子さんに向ける如月。その横顔は、本気で怒っていた。


「颯が……颯がどれだけ優しくて、誰かを思いやれる人間か、私は知ってます。だから、その優しさに甘えちゃいけない。あなたが母親なら、ちゃんと向き合ってください!」


「…………」


母さんの目に、じわりと涙がにじむのが見えた。俺は、それを見て思わず言葉を失った。


「……ごめんなさい」


ぽつりと、紗栄子さんが呟いた。


「気づいてたのに……でも、怖かったの。颯の目が、あまりに冷たくて……どうしていいかわからなかった。あの子が私を、もう母親として見てないって……そう思って、逃げてた」


静かな部屋に、母さんの言葉が落ちていく。


それは言い訳だったかもしれない。でも、初めて聞いた「本音」だった。


「…………」


俺は、何も言えなかった。ただ、熱でぼんやりした頭で、如月の横顔と、母さんの震える肩を交互に見ていた。



ようやく、何かが動き始めたのかもしれない。








あれから数時間が経った。熱はまだ少し残っているけれど、さっきまでよりは、だいぶ落ち着いてきた。


ベッドの横のテーブルには、湯気の立つおかゆと、刻んだリンゴの皿。


「……手抜きになっちゃったけどね、」


そう言って、少し気まずそうに部屋を出ていった紗栄子さんの背中が、どこかぎこちなくて……でも、ほんの少しだけ優しさが混じっているように見えた。


「……母さん、」


小さく呟いて、俺はスプーンを手に取る。


その味は、昔、風邪を引いた時に食べたあの味と同じだった。


心の奥が、きゅうっと締め付けられる。






「今日は俺のためにあんだけ言ってくれて」



「颯のためなら、なんだってできるよ。だって私、颯のこと――」



そこで如月は、ふと目をそらして口を閉ざした。



「……あ、いや、なんでもない」


「ん?」


「気にしないで!」


急に早口になって立ち上がる如月。その頬はうっすらと赤く染まっていた。


「と、とにかく! あの人も変わろうとしてるんだから、颯も少し歩み寄りなさいよね!」


「お、おう……」


きっと、言いたいことは別にあった。でも、今はそれを言葉にするよりも、俺の家族のために動いてくれたんだ。それだけで、充分すぎる。


「あー……ありがとな、如月」


「……うん」


静かに交わされる感謝と返事。


その瞬間、冷えきっていた家の空気が、ほんのわずかに、温かさを帯びたような気がした。


 

俺と紗栄子さんとの関係は、まだ完全には戻らないかもしれない。けれど、少なくともあのままの“すれ違い”ではなくなった。



そしてそのきっかけをくれたのは、まぎれもなく、如月だった。






翌日



「昨日は大丈夫だった? はーくん」


「ん、あぁ。ゆっくり休めたよ」


真斗に昨日のことを話せば、絶対に心配される。だから、あえて黙っておくことにした。あんなの、俺一人が気にしていればいい。



「席に座れー」


いつものだるそうなHRの先生の声が教室に響く。


「えーっと、再来週の体育祭なんだけど、今からみんなに種目を選んでもらう。30分間、各自で話し合って決めてなー」


「そういえば、もう体育祭の時期か」


「え? もうそんな時期だったっけ?」


この学校では、少し変わったスケジュールで冬に体育祭が行われ、その一ヶ月後に文化祭が開催される。寒空の下で走ったり跳んだりするのは、なかなかに過酷だ。



俺はというと、昔から運動は苦手だった。中学の体育祭でクラスリレーに出たことは今でもトラウマだ。俺のバトンミスで負けてしまって、皆の視線が冷たかったのを、今でもはっきり覚えている。


「うわぁ……やだなぁ……」


「大丈夫? はーくん、笑」


「俺のせいで負けたらごめん、今のうちに謝っとくわ。だから、あとで責めないでくれ!」


「そんなことしないよ。でも、はーくんって昔、足速かったよね?」


「え? 俺? そんな記憶ないけど……?」


「ううん、嘘じゃないよ。小学生の頃、すごく速くて……僕、ずっと憧れてたんだ」



「 ??……でも、今は確実に遅い。さて、どうしたもんか……」


そんな話をしているうちに、教室の男子たちが自然と集まり始め、主導権を握ったのは案の定、石井だった。


「じゃあ、女子はそっち、男子はこっちで集まってー」


そして最初に決めるのは、体育祭の花形とも言える種目――色別リレー。学年1クラスごとに男子2名、女子2名の計4人で構成され、体育祭の最後を飾る。


「やりたいヤツ、いるか?」


「まず、蓮ちゃんは確定でしょ!」


「そこは当然!」


「蓮ちゃん、運動神経やばいもんなー」


「んじゃ、一人目は俺で」


石井が当然のように名乗りを上げるが、二人目はなかなか決まらない。




「じゃあさ、結城でいいんじゃね? 笑」


「確かにー」


「え、いや俺、走るの苦手だから遠慮しとくよ」


「うっそー! その顔で足遅いとかあり得ないって!笑」


「いつも女子にチヤホヤされてんだからさ、ここでカッコつけとけって!」


「ほんとほんと。女子に守られてばっかじゃん、結城は」



——ああ、来たか。

こういう時だけ、集団で一斉に噛みついてくる。日頃の小さな妬みが、こんな場で膨れ上がるのは、もはやお約束だ。



「じゃあ、僕が走るよ!」


俺をかばうように真斗が前に出てくる。その声は優しかったけど、確かに、どこか毅然としていた。


「真斗……か。どうする? でもなー、それじゃ面白くねーしな」


何人かがヒソヒソと、わざとらしく話している。こっちの耳にも届くように。


「……」


「じゃあ、もう結城でいいよな?」


全員の視線が、俺に突き刺さる。


……この空気、断れるわけがない。


「わかったよ。出るよ」


「ふー、かっこいいじゃーん。抜かされんなよ?笑」


その瞬間、俺の中で何かがちょっとだけ、キリッと締まった。



「女子の方はどうなった?」


「うん、神城さんと如月さんに決まったよー!」


「如月も出るのか……」


さっきまで絶望だったのに、ふと心が軽くなった。




昼休み。


「如月も出るんだな」


「うん……」

如月はそれだけ言って、ほんの少しだけ目を伏せた。


(颯が出るから、私も出たんだよ)


聞こえるか聞こえないかの小さな声が、風に紛れて俺の耳に届いたような気がした。



「――じゃあ、お願いがある! 俺に走り方を教えてくれ!」


「……もちろん!」


その笑顔に、不安もプレッシャーも少しずつ、消えていく気がした。






こうして、俺は如月の“特訓”を受けることになった。















2000pvありがとうございます!

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