第十二話 告白
次の日の放課後。俺は、金剛先輩を人気のない裏庭へと呼び出した。
あの動画の出どころ——すべての鍵を握る人物。
相手は、学年も違う、そしてあの体格普通なら、怖気づいてしまう相手だろう。
でも、今の俺にそんな感情はない。
俺は、守られた。今度は、守る番だ。
「……話ってなんだよ、チビガキ」
あの特徴的な銀髪に鋭い目つき。圧倒的な威圧感。
だけど俺は、ひるまなかった。
「海先輩と……付き合うのをやめてください」
「……は?」
「脅しで手に入れた関係に意味はありません。そんなもの、海先輩だって心から望んでるわけない」
「ハァ? なに勘違いしてんだ。向こうが俺と付き合いたがってたんだよ」
「嘘、やめてください。あの人は、“自分を犠牲にしてでも誰かを助ける”ような人です。だから、俺を守るために……あなたの条件を飲んだ。それだけだ」
金剛の目が鋭くなる。
けれど、俺も止まらない。
「こんな形で手に入れた“関係”に、何の価値がありますか? 本当に彼女が欲しいなら、自分の魅力で惹かせればいい。……でもあなたは、恐怖と立場で縛っただけの偽物を選んだ。哀れですね」
「……」
その瞬間——金剛の中で、何かがプツンと切れたのが分かった。
「お前さあ……調子乗んなよ」
ドゴッ!!
「っぐ……ッ!!」
強烈な拳が、腹に叩き込まれる。
膝が地面につく。それでも、声を振り絞った。
「それでも……俺は……付き合いをやめてもらうまで……絶対に引かない!」
「ハァ!? お前、マジでウゼェんだよ……!」
容赦のない蹴り、拳、叩きつけられる痛みが体に積み重なっていく。
視界がぐらつく。呼吸が荒くなる。血が口元に滲んだ。
それでも——
「先輩は……無理して笑ってるだけだ……あんな顔、させたくないんだよ……っ!」
「死ねよ、クソガキ!!」
金剛の拳が、俺の顔面めがけて振り上げられた——その瞬間だった。
「やめなさい!!!!」
甲高い叫び声とともに、間に割って入る人影。
「牧野と近藤、?」
二人の少女が俺の前に立ちはだかっていた。
「これ以上やったら……あんた、退学どころじゃ済まないよ」
「先生を呼びましたから、これ以上やったら状況が悪化するだけですよ?」
「チッ……なんなんだよ、女にしか守られねぇのかよ」
金剛は一度鼻で笑い、舌打ちして、拳を引っ込める。
「……ふん、興ざめだ。もう好きにしろよ」
そのまま、金剛先輩は背を向けて立ち去った。
残された俺は、地面に膝をついたまま、目の前の二人を見上げた。
「一応別れたってことなのか、それにしても、どうして、お前らが、」
「ごめんね、こんなことしかできないけど、これが私たちにできる……せめてもの罪滅ぼし、だから……」」
二人の顔が、涙で歪んでいた。
そう言って彼女達は静かにこの場を去った。
「……はやてくん、大丈夫?」
少し後、保健室で手当てを受けていた俺に、そっと近づいてきたのは、海先輩だった。
「……海先輩」
俺が名を呼ぶと、先輩は涙を浮かべながら俺を抱きしめた。
「……ありがとう。事情はあの子達に聞いた。私のために、そこまでしてくれて……」
「俺こそ、助けてもらってばっかりで……」
そう言いかけた時、海先輩は突然、俺の頬にそっと手を添えた。
「違うよ。今度は……私が、はやてくんに助けられたの」
そのまま、彼女はそっと俺の額にキスを落とした。
「……気づいちゃったんだ。私、はやてくんのこと……好き、なのかもしれない」
⸻
一方その頃——金剛は、一人校舎裏誰もいない場所で、ふと煙草を指に挟みながら呟く。
「……チッ、バカらしい」
ポケットから取り出したスマホ。
そこには、あの“証拠動画”が保存されていた。
画面には、三井とある男子が会話している姿。
——その男子こそ、金剛の双子の兄だった。
「……俺は、ずっとアイツと比較されて生きてきた」
勉強も、運動も、顔も性格も——全部、兄のほうが上。
“カーストの王”と称された兄と比べられ、劣等感の中で燻り続けた。
そんなある日、兄貴が三井という女と何かを話しているのを偶然聞いてしまった。
「チャンスだ。ようやく兄貴に一泡吹かせられる、ってな」
そうして、隠れて動画を録画し——手に入れた。
証拠と引き換えに、俺は恋人を作り、そして兄貴のイメージを下げ、ようやく兄貴の影を踏み越えた気がした。
だけど——
「……なのに、あいつのせいで全て台無しだ、何故か兄貴が犯人と手を組んだことすら知られてない始末だし、…でもなんであの颯ってやつあんなボロボロになってまで……っ」
喉の奥に引っかかる感情が、金剛の拳を握らせる。
その手は、もう震えていた。
*
「私……はやてくんのこと、好きかもしれない」
突然の告白に、俺は言葉を失った。
さっきの、海先輩からのキスの余韻がまだ唇に残っている。それだけでも頭がぐるぐるしているのに、今度は“好き”って……どういうことなんだ?
「先輩……それって、恋愛感情の“好き”って意味、ですか?」
恐る恐る尋ねると、海先輩は軽く頷いた。
「うん、そう。……私は、はやてくんのことが、そういう意味で好きなんだと思う」
冗談であってほしかった。だけど、先輩の真剣な目が、それを冗談だと否定していた。
なんで俺なんかを? そう思いつつも、心のどこかで少しだけ理解できてしまう自分もいた。
昔の俺と違って、今は少しはモテるようになった。見た目だけなら、まあ……悪くないらしい。たぶん、顔目的か……なんて自虐的に思いながらも。
「助けてくれたし、顔も……かっこいいしね」
やっぱりそうか、と心の中で小さくため息をついた。
「でも、それだけじゃない。何より、私は“結城颯”だから、好きになったんだよ」
「えっ? ……それ、どういう意味ですか?」
「実はね、私……入学した頃から、ずっとはやてくんのこと、知ってたんだ」
入学当初――つまり、俺が今と違う“あの頃”の姿だった時だ。
「……最初は、気になるって感じだった。でもね、決定的だったのは花壇のことかな」
「花壇……?」
「うん。校門前にあるでしょ? 高校入学初日から、はやてくんがずっとあの花壇の花に水をあげてるのを見てたの。踏まれて倒れた花を、そっと起こして直してあげたりしてる姿も」
「あれ、見てたんですか……?」
「うん、毎日。……だって、あの花壇、私が全部作ったんだよ」
「えっ? 先輩が……?」
思わず聞き返してしまうほど驚いた。
「うん。中学のときにね、園芸部の顧問の先生がこの高校に異動することになって。それで、私も一緒に手伝いに来てたんだ。高校生に混じって、花壇を作ったの。理由は……」
そこで、海先輩はふっと表情を和らげた。けれど、その奥に少しだけ、切なさがにじんでいた。
「私の母がね、花がすごく好きだったの。病気で亡くなる前、毎週花屋に行っては、私に花の名前や花言葉を教えてくれてた。母の命日、毎年その花壇に母が好きだった“ブルースター”を植えてるの。だから、あの花壇は……私にとって特別なんだ」
「……そうだったんですね」
「その特別な場所で、毎日花に水をあげて、大切にしてくれてる人がいた。誰に見せるでもなく、当たり前のように。――それが、結城颯、だった。だからあの日助けてもらった時すごく運命を感じちゃった笑」
海先輩は、静かに微笑んだ。
「だから、私は“かっこいいから”とか“助けてくれたから”じゃなくて――花を踏まれたらそっと戻してくれるような、やさしいはやてくんの心が好きになったんだよ」
その瞬間、心臓が跳ねる音が、耳の奥に響いた。
俺なんかを、じゃなかった。
俺“だから”――そう言ってくれたことが、何よりも嬉しかった。