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8.順風に揺られ

「朔おはよ。なんか調子よさげだね?」

「そりゃっ! 飛鳥井くんだって、夏休みが待ち遠しいんだよな?」

「はよー、武蔵、辻。いや……別に、いつもどおりだよ」

「あー理解。あそこに行ったんだろ。酷くなる前に行けばいいのに……」

「えっアソコってドコ!? 夏休み前になにを経験してきたの!?」


 週明け学校に行くと、仲のいいやつだけは僕の変化に気づいた。前髪と眼鏡で隠していても分かってしまうものらしい。

 

 ダイナミクス判定が出たとき、偶然お互いのダイナミクスを知ってしまった武蔵とは、Subであることを隠さなくていい気楽さもあってよく一緒にいる。

 Domだけど早熟じゃないから安心。この前の威嚇し合いには驚いたけど……本人も無意識だったらしい。すごく謝られその後検査にも行ったらしいが、突発的なことだったようだ。どうして威嚇に至ったのかは教えてくれなかった。

 

 辻は三年になって同じクラスになった男で、地味な僕にもやけに絡んでくる変なやつ。ほぼ全員が大学を目指すなかで美容師になる専門学校へ行きたいと独自路線を貫く辻は、頭もいいはずなのに馬鹿で面白い。

 まるきり校則を違反した明るい茶髪も、見ていると気分が上がる。


 一限目の授業が始まって、耳では教師の話を聞きながら目は時間割を確認していた。今日は……大丈夫そうだな。

 思った以上に校内で風谷とすれ違うことに気づいたのは、不本意なかかわり合いが始まってすぐのことだった。いまあいつと顔を合わせるのは、気まずい。


 風谷は目立つのでどこにいても見つけるのが容易だ。背が高いから遠くから向かってきてもすぐに見えるし、運動場から見て右の方の教室の窓際にいつも座っているのさえ、女子が噂している声で知ってしまった。


 会っても無視。前みたいに、徹底的に視線も合わせないようにすればいい。だけど……僕とあいつの関係性は、前と比べて大きく変わってしまった。


「朔、学食いこう」

「おう」

「肉うど〜ん!」


 四限目の授業が終わり、武蔵に誘われて学校の食堂へ向かう。辻はメニュー名を叫んだだけで付いて来ない。今日は彼女と一緒に弁当を食べるらしい。

 学食の飯は貧乏学生にとっても安くて助かる。弁当を持ってくる日もあるが、週の半分は武蔵と、たまに辻も一緒に食堂へ行くのが定番だ。


 混雑する食堂で席を確保し、男子生徒に断トツで人気の肉うどんをすすっていると、正面から武蔵に話しかけられた。眼鏡を外して、曇りを拭う。


「まーた、見てるよ? 風谷暁斗くん」

「……気のせいだろ」

「人生順風満帆って顔してるよね。羨ましいよ」

「…………」


 武蔵は基本物腰柔らかな性格だが、風谷に関してはちょっと厳しい。支配欲やリーダーシップを持つDom同士の、縄張り争い的ななにかがあるのかもしれない。

 

 僕も校内でSubかもな、という人を見かけることはあるけど、基本Domとは逆の性質なので悪い感情を抱いたことはない。どちらかというと大変なダイナミクスを持ってしまったよな、お互い……というあわれみに似た仲間意識を持つことが多いのだ。


 食堂を出て、トイレに向かった武蔵と別れた。それを見計らったかのようにブブ、とポケットの中でスマホが鳴る。

 廊下から自分の教室とは逆方向の階段へと足を向け、ひと気のない踊り場の壁に背を預ける。何気ない仕草でスマホの通知を確認した。


 ――体調大丈夫ですか?

 ――大丈夫だって。あんまこっち見るなよ。

 ――えっ気づいてたんですか!? すみません。どうしても気になって……もし不安症の症状が出たらすぐ教えてくださいね。俺にできることなら何でもするんで。


「彼氏かよ……」


 呆れた独り言がもれ出る。心配性の彼氏のような長文メッセージの相手は“アキト”。空の写真をアイコンにした、風谷だ。

 そもそもなんであの男とこんなやり取りをしなければならなくなったのか。全ては土曜のプレイバーでの出来事が原因である。




 ――あの日僕は、気づけばぐっすりと眠っていた。目覚めたのはプレイルームのソファの上、薄いブランケットまで掛けられている。

 すぐに直前の出来事を思い出し慌ててブランケットの下を確認するも、ちゃんと服は着ていた。


「えっ……?」

「起きた? 大丈夫、三十分くらいしか経ってないから。遅くなる前に帰りなー」


 部屋には自分しかおらず、気付いた雪さんが話しかけにきた。三十分はうたた寝には長いし、睡眠不足の解消には短い。

 その割に、めちゃくちゃ頭がスッキリして身体が軽いんだが……ていうか!


「風谷は……?」

「あー……ここではアキ、って呼んであげてね。かいがいし〜く君のお世話をして、すぐ帰ったよ。同じ学校の後輩なんだって? いやはや、青春だね。――あ。これ、渡しといてって言われたから。ずいぶん心配してたよ?」


 渡されたのは一枚の紙切れ。そこにはメッセージアプリのIDが書かれていた。しかもお世話って……どう考えても身体を拭いて、汚れた下着を替えて、服を着せてくれたってことだよな……

 

 雪さんいわく、いま履いている下着は店で売っているもので、高校生はお金いらないよとのことだった。下着は洗濯できるけど、どうする? と訊かれて速攻自分で捨てることにした。

 

 あのプレイは店的にアウトじゃないのか? と思ったけど、挿入までしてないし、同意ありならわりとぎりぎりを攻めてもいいらしい。

 それは知りたくなかった。同意……つーか喜んでたな、僕は。


 思い出すと恥ずかしくて、ウワーッと叫びだしたくなる。でも、あそこまでSubの欲求が満たされたと感じたのも初めてだったのだ。

 予想できないDomの命令に従って、褒められて。これがプレイか……これまでやっていたのは本当におままごとだったのだと思えるほど。


 たぶん、もっとハードなプレイをしている人たちは世の中にたくさんいるだろう。しかしいまの自分には風谷とのプレイが極上に思えてしまった。

 嗜虐性なんてなさそうな風谷の、ちょっと強気なコマンド。優しいのにどこか意地悪で、甘い鞭のようだ。

 あのまま僕が眠ることなく続けていたら、もし今後あいつとプレイを繰り返したら……みずから望んでもっと先に進んでしまいそうな、そんな予感さえある。


 ぼーっと夢心地のまま家に帰って。雪さんの『心配していた』という言葉を思い出した。あれだけ世話になって礼をしないのも悪いだろうと、アプリで風谷に連絡する。


 ――ありがとう。助かった

 ――身体大丈夫ですか!? ちゃんと家に帰れました!?


 秒での即レスに驚くも、僕は風谷の反応に深く安堵していた。あいつがもしかしたら、僕のために無理してプレイしてたんじゃないかと……ちょっとだけ、本当にちょっとだけ不安だったのだ。

 これだけ心配されているのなら、あの態度が嘘ってことはないだろう。Subの本能とはいえ、内容には個人差がある。我にかえって引かれていたら普通に落ち込んでいた。


 というか、今さらだけど……風谷もあのプレイバーに訪れたということはDom性が早熟なんだと思う。まぁ、いきなり廊下でグレアを出してしまうくらいだもんな。

 そして決まったプレイの相手はおらず、不安症の症状に悩まされているからこそ、今日あそこに来たはず。保健室に来ていたのもたぶんそう。だから……


 ――お前も良くなった? 不安症


 すぐに返事は来なかったものの、風谷にもあのプレイはいい影響があったのだと感じていた。見上げた先にあるこげ茶色の瞳が、生き生きと輝いていたのを覚えている。


「ふぁ、ねむ……」


 夕方にうたた寝しておいて、日付を越えるころになるとまた眠気が襲ってきた。昨日までの睡眠不足がうそみたいに、身体が足りない睡眠を補おうと夢の世界へといざなう。

 だから僕も、すぐには気付かなかった。枕元で震えたスマホに風谷からの通知があったことに。


 ――はい。朔先輩のおかげです。あの、よかったら……また俺とプレイしてくれませんか?




 ――お前も調子悪くなったら言えよ。


「はぁ……」


 階段の踊り場でそのまま返信して、ひとつため息をこぼす。一階の食堂から、まだ食事をしている生徒や教師たちのざわめきが小さく響いてくる。


 風谷の提案に乗ったのは、半分があいつへの礼のため。あいつのせいで色々あったこともあるけど、何度も助けられたのは事実だから。

 もう半分は……誰にも言えない。

 

『風谷にとって唯一のSubでありたい』と、土曜のプレイで抱いてしまった感情がずっと心のなかに残って、ずうずうしく居座っているからだ。これもSubとしての本能なのだろうか?


 我ながら意味のわからない独占欲。いや……単純にSubとしての生存本能かもしれないな。

 自分の欲求を満たし、健康を保つためにはDomの存在が必要不可欠だ。きっと遠からず、また風谷とプレイすることになる。


 ……だからってこんな頻繁にメッセージをくれる必要はないんだが。あいつが普段家で自習ばかりしていることを知ってしまってどうするんだ。なんか気付いたら名字じゃなくて名前で呼ばれてるし……これが陽キャの距離感ってやつか。


 午後の授業は苦手な教科ばかりだったから比較的真面目に受けて、最後のホームルームは文化祭についての打ち合わせだった。武蔵が黒板の前に立ち、今後の計画を伝えていく。

 

 三年生は『文化祭が終わっても残るもの』をテーマに発表することになる。クラス全員が同じテーマで描いた絵画展や、写真展なんかも人気だ。

 僕はイベントに燃えるタイプではないので全く興味はないが、うちのクラスはとある有名アニメ映画のパロディを、男女逆転で演じた映像作品を作ることになっている。


 ほぼ全員が受験生の最終学年だからといって、ラクさせないのがうちの学風だ。僕は入ってないけど、部活もわりと強い。

 まぁ出し物は夏休みを使って当日までに仕上げることが必須のため、文化祭当日は下の学年のやつらの出店を思いっきり楽しむことができるのでメリットも多い。

 

 公立だし規模はそれほど大きくなくとも、文化祭はみんな本気で楽しみにしている。というか準備をとおしてクラスメイトと交流したり、受験前最後の青春を楽しむのが目的な気もする。勉強ばかりってのも気が滅入るし。


 みんなが話し合っているあいだ、僕はなるべく迷惑がかからないようにバイトのシフトを調整しないとなーと、そんなことばかり考えていたが。

 気づけばメインキャストのうちのひとりに自分が据えられていて、あっけに取られた。黒板に書かれた自分の名前を見て、ポカンと口を開ける。


「は……?」

「これはみんなの意見で決まったことだから。よろしくね」

「楽しみにしてるぜっ。飛鳥井くんの女装……ブフォッwww」


 周囲を見渡すも、みんなニコニコと見てくるだけで味方はいない。目尻に涙を浮かべて笑っている辻は許さん……と思ったら主演のヒロイン役だった。僕はその親友役らしい。

 これ、絶対体格で決めただろ。辻も俺よりは背が高いけど、男子の中では低めで細身だ。


 はー、まじか。最悪だ。さすがにここでゴネるようなことはできない。話を聞いていなかったのは自分である。

 

 みんなの意見で決まったのなら、それを覆すほどの妙案を出さなければ納得してもらえないだろう。それなりにいいクラスだと思っているなかで、他人を犠牲にする勇気はあいにく持ち合わせていない。辻はもう決まっているし、武蔵の女装は、僕が見たくない。


「はぁ……」


 衣装をどうするとか、どこで撮影するとか。監督役に決まった女子が張り切ってこれからの進行を決めているなかで、僕は風谷にだけは見られたくないな……と心底思った。

 あいつも文化祭実行委員だったよな……当日はそっちの仕事で忙しくなるはず。今年もミスターコンに出るかもしれないし、わざわざうちのクラスの映像作品を見に来る可能性は限りなく低い。


 そもそもパートナー未満の関係なのに。どうしてか……風谷ならうちのクラスの作品を見たいと言いそうだな、と変な確信をもってしまう。


「女装はない……まじでない……」

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