21.すき
白い息を吐きながら参道を歩く。朝方に雪かきされていても、いまだ降り続ける雪が参拝客によって踏み固められ、ちょっと滑りそうだ。
受験生がすべって転ぶなんて縁起でもないから、慎重に足を進める。
元旦には学生でごった返していたであろう神社も、もう列に並ぶことなく参拝できた。絵馬を書きたいという暁斗に付き合って、僕もありきたりな合格祈願の四文字を書く。
ふと隣を見ると、真剣な様子で暁斗が願い事を書いている。こんなところも真面目だなと感心しながら内容を見れば、『朔先輩が志望校に合格できますように』の文字。
「っ。おい、ふつう自分の願い事を書くんじゃねーの?」
「そんなことないでしょ。いまの最重要事項だからいいんです!」
暁斗がこのために絵馬を書きたいと主張したのだと気づき、じんわり胸の中があたたまった。
試験の迫ってきた最近は、僕でさえナーバスになってくる。どれだけ勉強しても不安が消えなかったけど、好きな人に応援されるだけでうまくいく気がしてきた。
「自分の学業成就を願えばいいのに……」
「それは来年。先輩も来年は俺のために書いてくださいね?」
照れ隠しについ可愛くないことを言ってしまったのに、帰ってきた言葉はさらに上を行く。僕はさあっと頬に熱が上るのを感じて、俯くように頷いた。
ずらりと並んだ絵馬にはほとんど似たような願いが書かれている。
同級生の名前を見つけてビクビクと左右を見渡しつつ、僕たちは絵馬をふたつ並べて掛けた。狭い棚のなかで絵馬がほとんど重なるようになって、それだけでこそばゆい心地になる。
じっとそれを見ていた暁斗が口を開いた。
「手、繋ぎません……?」
「え、いやだ」
「え!」
ぐるんっと顔をこちらに向けた暁斗が過剰に反応するから、僕は嫌そうな表情を隠さず隣を見上げた。
「そういうの苦手だし、いやだ」
「えー……」
じゃあプレイのときとか電話のときの態度はなんだったんだと言われそうだが、それとこれとは別なのだ。僕は人前でいちゃいちゃするつもりは断じてない。
ふてくされた暁斗を連れ、今度は僕が御守りを買いたいと伝えた。あれこれ願掛けする性格でもないけど、思い出に取っておける物がひとつくらい欲しかったのだ。
一応……付き合ってから初めてのデートだし。
授与所は初詣期間とあって、仮設で広く設けられていた。暁斗も興味津々で端の方まで見に行っている。
さまざまな御守りをあれこれ見ていると、二個セットの御守りに気づいた。文字は書かれておらず、ぷっくりとした布地に丸がひとつ刺繍で描かれている。
台紙には成功や成就を願うと書いてあり、なんともふんわりとした内容だ。だけどそこが気に入った。小さくてシンプルな見た目も良い。
どうしてセット売りなのかは分からなかったけど、いまの僕にはちょうどいい。暁斗が見ていないのを見計らって購入した。
「暁斗、行くぞ」
「ちょっと待ってくださいよ〜っ。先輩、どの色がいいですか?」
もはや意外でもなんでもなく、暁斗は僕に渡す合格祈願の御守りを選んでいるらしい。学業成就をうたう神社なので、かなり種類が多いのだ。色とりどりの御守りは選ぶのも楽しそうだったが。
「もう買ったからいい。ほら、これはお前のぶん」
「えっ、俺のも? って……お揃いですか!?」
「声がでかいって……」
光沢のある白い布地に、刺繍は朱色と黒色がある。僕はなんとなく黒色の方を暁斗に渡した。
尻尾があったらブンブン振っているに違いない喜びようで、「一生大切にします!」「重い」なんてやり取りをして。
おみくじを見つけて引いた結果がお互い微妙なものだったから、逆におもしろくなって笑いが止まらなくなったりした。
最後に屋台で腹ごしらえまで済ませると、初詣ってこんなに楽しいものだったか……? と驚くほどの満足感だ。
誘っておきながら、こんな陽キャのやつと上手く遊べないかもしれないと心配になったりしていた。けれど暁斗と一緒ならどこへ行っても楽しいのかもしれない。これがコミュ強のちから……
ぼうっと暁斗の隣を歩いていると、バス停に到着する。食べて歩いて、あっという間の時間だったなと残念に思い足を止めた。
「じゃあ、ここで……」
「あれ、プレイはいいんですか?」
ハッとして、こそこそとバス待ちの人混みから離れる。プレイを理由にして誘ったことをすっかり忘れていたのだ。
僕はついバツが悪くなって、別にしなくてもいいという態度で返してしまう。
「帰るからバス停に来たんじゃないのか? それに……プレイバーはあっちだろ」
神社はいつもの繁華街から少し歩いた場所にあった。プレイバーに行くならそのまま歩いていける。
急にプレイのことを考える羽目になって、心臓が音を立てて走り出す。だって、付き合ってからはじめてのプレイだ。心の準備が……
「プレイバーは今週末まで正月休みです。だから、うちに来てください」
「はっ? お前んち……?」
それもっと心の準備が必要なやつだろ!
えっどんな挨拶をすれば……? 暁斗の家族に会ったことはあるけど、あのときは緊急事態だったし、プレイ直後のくっついてるところまで見られてるんだぞ!?
姉に散々からかわれながら急いで帰ったので、挨拶もちゃんとできないままになってしまっている。そもそも暁斗が倒れたのは僕のせいでもあるし、いい印象ないかも……
「大丈夫です! いま家族みんなハワイ行ってるんで」
「はっ?」
はわい……?
年末年始はハワイへ行くのが風谷家の定番らしい。今回は暁斗の不調で断念していたけど、退院して元気になったので急遽行くことにしたという。
弟はついて行っているものの、当の暁斗は高校に入ってから辞退している。思春期特有の「家族旅行なんて恥ずかしいし、友だちと遊んでいる方がいい」という理由だ。
「今年は朔先輩と会えたし、来年は受験本番ですからね。家にひとりのほうが勉強にも集中できるから、ありがたいです」
「そ、そうか……」
この家に来たのは二度目になるけど、家の中に入るのは初めてだ。外観に違わず広いし、内装はちょっと無機質な感じがとことんおしゃれで無駄に緊張する。いつかテレビで見たデザイナーズ物件っぽい。
「緊張してます? いまお茶持ってくるんで、くつろいでいてください」
僕とは対称的に、リラックスした口調で案内されたのは暁斗の部屋だ。室内はあまり寒いと感じなかったけど、すぐにエアコンをつけて暁斗は部屋をでていく。
(暁斗の匂いがする……)
いつも使っている香水なのか、ほのかに感じるのはグレープフルーツのような柑橘系の香り。なんだかそれだけでちょっと力が抜けて、ようやく僕は手に持っていた上着を部屋のすみに置いた。
所在なく立ち部屋を見渡すと、家具こそシンプルでおしゃれな感じだが引くほど広いわけでもない。ベッドの上のくしゃっとした毛布や広がったままの参考書に生活感がある。
座面の低いソファと、フットレストか? グレーがかった水色で、座布団にしては分厚く座りごこちの良さそうなクッションが置いてある。もちもちした見た目が気になって近寄れば、まったく皺や汚れもなく新品に見えた。
つん、と指先で感触を確かめようとしたとき、暁斗がもどってきた。
「お待たせしました〜。あ、座っててよかったのに」
「いい匂い……お茶か?」
「ほうじ茶にしてみました」
僕のイメージするほうじ茶とは一線を画すほど、芳ばしい香りがする。暁斗はテーブルにそれを置きながらソファに座り、ポンと横の座面をたたく。
視線をうろうろさせて、それでも僕は吸い寄せられるように腰かけた。普段ひとりで使っているなら広いだろうソファも、ふたりだとくっついてしまうほど狭い。
身体の右側から体温が滲む気がする。暁斗との接触面から意識を逸らすため、湯気の立ちのぼるマグカップからほうじ茶をひとくち飲んだ。
その香り高さにびっくりしたものの、馴染みのある味と喉を伝っていくあたたかさに安堵してふぅっと息が漏れた。
「……おいしい」
「身体冷えてません? 大丈夫ですか?」
「……うん、ありがと」
「!!!」
マグカップを置いて、身体から力を抜く。右に体重をあずけ肩に頭を乗せると、ビクゥッとらしからぬ動きで肩が揺れた。
「え。あ。え……先輩?」
「なんだよ」
こっちだって心臓が飛び出しそうなほどバクバクしているが、くっついてしまうと離れがたいほど心地がいい。もう試験が終わるまでは会えないし……いまは、誰も見ていないから。
「はー、まじか……たまんねー」
そうっと背中に腕がまわってきて、優しく支えられる。暁斗が妙に緊張している感じなのが不思議だ。
(お前ぜったい童貞じゃないだろ……)
いきなり家に来ることになったときは驚いたけど、僕はそれなりの覚悟をもってここにいる。暁斗に求められたら、応えてやるくらいの覚悟を。
「なぁ、プレイしないのか……?」
「あっ。そうでしたね! しましょうか遅くなる前に!」
これからなにが起こるとしても、グレアとコマンドで正体を失っていたほうが素直に動けるはず。僕には流れとかわからないし、命令されたほうがいい。
暁斗ならぜったいに無理な命令をしないとわかっているからこそ、そう思えるのだ。
(暁斗以上に信用できるやつなんて、いねーし……ほんと……好き)
いつ見ても完璧な顔を見つめていると、間近にある身体からグレアが発せられるのを感じた。ひくと腰が震え、「あ……」と目が合う。
射抜かれて、視線が外せない。形のいい唇から命令が発せられる。
「先輩、立ってください」
浴びているだけで気持ちのいいグレアを感じながら、僕の身体は命令どおりに動く。ソファに腰掛けたままの暁斗は、目の前に立った僕に「脱いで」とすぐに言った。
久しぶりのことに、羞恥でどうにかなりそうだ。とはいえ音を上げるつもりはない。かつてプレイバーで何度もやったことだし。
夏と比べて、脱ぐ服の厚みと枚数が違う。一枚服を取り払うごとに心許ない気持ちになり、上をすべて脱いでしまうとざぁっと肌が粟立った。
「寒くないですか?」
「ん、大丈夫……」
部屋は十分にあたたかく、興奮して熱いくらいだ。暁斗の気遣いにまた勇気をもらい、ズボンを下ろす。下着はさすがに……いや、どうしよう。
とりあえず靴下を脱ごうと身を屈めると、「それでいいですよ」と声がかかる。
「朔先輩、ここに跪いてください」
ここ、と指されたのは部屋に入ったときから気になっていた新品のクッションだった。暁斗の足元に置かれているその上で、正座を崩したいつもの姿勢をとる。
「ふぁ……」
想像以上にもちっとした生地に思わず感嘆の声が出る。嬉しそうな声が上から降ってきた。
「よくできました。偉いですね、先輩」
「んへへ」
頭を撫でられて、恍惚としてしまう。なんて居心地のいい場所だろう。
「このために買ったんです。かわいー……」
「ん……」
まるっこいクッションが可愛いのか? 小さな疑問符は、頭にあった手が頬に添えられ、暁斗が急に目の前でしゃがみ込んだことで飛んで行った。
息が当たるほど近い。目尻を赤くして、「キス、していいですか?」と訊かれた。
「コマンド、ちょうだい……」
「キスください……」
どっちが命令しているのかわからない。コマンドが出た瞬間、僕は暁斗の唇を奪った。
◇
雪こそ積もっていないが、薄く氷の張る地面を慎重に踏みしめる。吐く息も白く凍りつくような朝だった。
バスから降りると、さまざまな制服の学生がそこかしこにいた。もちろん同級生の姿もある。市内の大学が試験会場になっていて、複数の高校の受験生がここに集まっているのだ。
僕の学校の教師こそいないが、どこかの私立高校の教師や、進学塾の講師が生徒を最後の励ましに来ている。肩をバンバン叩かれる男子高校生を横目に見ながら、まっすぐと試験会場になっている校舎へと足を向けた。
いくら応援されたって、試験を受けるときはみんなひとりで戦うのだ。わかっていても、緊張で手が冷たい。
「――朔先輩」
唐突だった。馴染みのありすぎる声が聞こえて、空耳かと思う。
(まさか、こんなところにいるはずない)
今朝のメッセージだって普通だった。けど……無視してそのまま歩くことなんてできずに、僕は振り向く。
「暁斗……。聞いてないぞ」
「えへ、サプライズです!」
でかい男がニコニコとしながら僕の目の前に立つ。なんか、褒められるのを待つ犬みたいだな……
人目を避けるよう通路から外れたところに移動して、ちょっと背伸びする。休日らしい、ワックスで固められていない髪をわしゃわしゃと撫でてやった。
冬の澄んだ日差しで、キャラメルみたいな色に透けている。
まさか外で僕が触れてくるとは思っていなかったのだろう。ポカンとしているのがちょっと間抜けだ。かわいくて、癒やされた。
「お前の顔見たら緊張もぶっ飛んだ」
「それはよかったです。これ、お守り。応援してますからね!」
お守りといえば鞄につけているお揃いのものだ。しかし暁斗に手渡されたのは――使い捨てカイロだった。もうあたたかい。
車に親を待たせているという暁斗と別れて、もう一度校舎へと向かった。
じんわりと沁み入るような幸せを胸に抱えて歩く。今日はがんばれそうだ。




