20.ふわふわ
「僕を……暁斗の、……パートナーにしてくれ」
声は静かに、しかしはっきりと届いた。
枕から頭を上げて僕を見下ろしている暁斗は、あんぐりと口を開け、固まっている。ぽかん……とした顔はちょっと幼く見えて、それさえも魅力的だ。
「……は?」
「嫌か? もうあの時のお願いは、無効?」
暁斗が「へ」とか「は」とかしか言わないから、だいぶ混乱しているのがわかる。僕は首をこてっと傾げ、最後に会ったときの話を持ち出した。
少しあざといかなと思ったけど、一ミリでも暁斗の気を引ければいい。ここまで来たら開き直ってやろう。
「そういうわけじゃ……いやでも、どうして急にそんなこと……。俺、ひどいこと言ったじゃないですか」
「僕のほうがひどいこと言った。そのせいでお前は……こんなに我慢して、ボロボロじゃないか」
「これは……俺の自分勝手な意地です。朔先輩のせいだなんて、思ったこともありません」
意外に頑固だな、と自分のことを差し置いて思った。
そもそも抱きついても駄目なら、これ以上どう迫ればいいのかわからない。プレイなら本能のまま甘えられるのに、いまは勢いだけで行動している。
「だからもう意地なんて張らなくていい。僕をパートナーにしてくれれば、万事解決だろ? 飽きたら……解消してくれればいいだけだ。他のやつとプレイしてもいい。この前は変なこと言って悪かったよ」
「違う!!」
正面から突風が吹いたかと思った。突然激昂した暁斗は腹筋の力だけで起き上がり、僕の身体も一緒に抱き起こす。こいつ……元気じゃね?
膝の上に横座りするかたちになり戸惑っていると、暁斗のほうから二の腕あたりを掴まれた。言い聞かせるみたいにして、肩を揺らされる。
「違うんです。あの日は俺……なにもわかってなかった。朔先輩の気持ちも、俺自身の気持ちも」
「お前の気持ち……?」
暁斗の気持ちははっきりと、あの日に聞いたはずだ。急に不安が込み上げてくる。
やっぱり、嫌だったのだろうか。あれは一時の気の迷いで……暁斗はふたたび僕を、絶望の海へ突き落とす気なのだろうか。
「先輩のことが好きです」
「……は」
…………は?
確かに聞こえたのに、言葉の意味が理解できなかった。ありふれた色なのに、誰よりも意志の強い瞳に射抜かれる。
「俺は、パートナーはプレイのためだけのものだって思い込んでました。恋人とか、将来結婚する相手は別の話だと……」
「なら、なんで」
「別だとしても、恋人にするなら朔先輩がいい。触れ合ったりキスしたり、そんなのたとえパートナーでも恋人じゃなきゃ無理だって、気づいたんです」
もうとっくに好きだったんです。――と暁斗が恥ずかしげもなく言うから、こちらの方が恥ずかしくなって目を逸らした。
こいつは超弩級にまっすぐすぎる。
「お前は……女が好きなんだろ。想像したことあるのか? 男だぞ、僕は」
「男とか女とかじゃなくて、先輩がいいんです。それに、もう触れたことだってあるじゃないですか」
「…………」
もうプレイで何度も身体に触れられ抜かれたことまで思い出し、頬にかっと血が集まる。
そうだ。暁斗はとっくに、いやってほど僕が男だと知っているじゃないか。
僕がいい、と言われてしまっては返す言葉もない。信じられなくて、まだなにか言い訳をしようと考えるのに、一度止まったはずの涙がふたたび瞳を覆う。
「もうっ、意外と泣き虫なんですね……」
今度は眼鏡を外されて、そっと袖で目元を押さえられる。これじゃどっちが年上かわからないな。
眉尻を下げた暁斗の、困ったような嬉しそうな顔を見るともうどうしようもなかった。
胸のなかに光が満ち、視界は煌めきであふれている。どうしようもなくこの男が好きだと思った。
僕が地味だとか、貧乏だとか、つり合わないとか。そんなことを伝えても一蹴されるだけだと、言わなくてもわかる。
まっすぐに差しだされた幸福を受け取らない理由を、僕は思いつかなかった。
「ぼくも……お前が、暁斗がいい。パートナーも……恋人も」
今度はしっかりと目を合わせて、精一杯のことばを紡ぐ。分かっていたくせに、暁斗は僕の告白を聞いてぱあっと表情を明るくする。
「よかった〜〜〜っ……!」
「……おう」
晴れて両想いだと思うとこそばゆい。嬉しいんだけど……空気が甘すぎないか? 暁斗の膝の上で尻をもぞもぞさせる。
「ねぇ先輩。ちょっとだけ、プレイしたいです」
そのお願いには素直に頷いた。いま、暁斗の不安症を解消する以上に優先すべきことはない。
ふわっとグレアに包まれたのを感じ、期待に心臓がトクトク高鳴る。
「俺の目を見てください――あぁ、目が腫れちゃいましたね」
「んっ……」
久しぶりの感覚に、すぐさま身体が蕩けてしまう。トロンとした目でこげ茶色の瞳を見つめていると、目の下の薄い皮膚を優しく撫でられた。
「あ……っ、暁斗……」
「はい、先輩。……あ〜〜〜嬉しいな。もう一回言ってください」
「あきと、」
「……朔先輩。よくできました」
頬に添えられていた手が今度は頭を柔らかく撫でてくれる。嬉しくて頬がゆるむのを感じた。
Subであることが嬉しい……暁斗に支配されるのはこんなにも幸せだ。
「ぇへへ」
「あーーー。かわい……」
「ッ!」
額にちゅっと唇が当たり、僕は目を丸くする。それを見た暁斗が「ん?」と首を傾げるから、彼にとってこれはなんでもないことらしい。
確かに僕たちはプレイの延長線上でキスをしたことがあるし、いまや恋人同士でもある。慣れないスキンシップに驚いてしまったけれど、これからこんなことが普通になるのかもしれない。
はにかんで、どうしようもなく幸福感に包まれた。
腰を支えていた手に引き寄せられ、胸のなかにポスンと収まってしまう。
(こいつ、けっこう愛情表現豊かなタイプだよな……)
僕はこれまでのプレイの経験から、暁斗の恋人に対する甘さを納得する。普段の姿からは想像できないが、相当相手を甘やかすタイプに違いない。
そんなことをぽやぽやと考えながら恋人感を堪能していると、突然パッと両腕が離れた。
「……ん?」
「せ、……せんぱい」
引きつった声に顔を上げ、暁斗の視線が別の方向にあることを知る。
力の入らない身体を預けたまま、首だけ扉の方へ動かすと――
「姉貴……」
「父さん、母さんも……先生まで」
病室の引き戸を十センチほど開けた隙間から四人の顔が覗いていた。隠す気はないらしい、目が合っても親指を立てて『グッジョブ!』と言わんばかりの笑顔だ。
僕は羞恥と呆れが入り混じった顔になる。ま、恥ずかしいのはこっちだけですよね……
◇
「あけましておめでとうございます!」
「あ、あけましておめでとう」
無事年が明けて、ビデオ通話で暁斗と話している。恥ずかしいから嫌だと固辞したのに、顔が見たいと押し切られてしまっての結果だ。
画質がそこまで良いわけじゃないから、風谷の顔色はよく分からない。しかし表情が明るいので元気そうだと思った。
……結局、自分も暁斗の顔を見て満足してるんだからなにも言えないな。
クリスマスイブのあのあと、暁斗は薬の影響が抜けるのを一日待ってから退院した。
そもそもダイナミクス由来の欲求を抑える薬は、グレアの放出まで抑えてしまう。だからプレイなんてできないはずだったらしい。
「ぜんぶ個人差って言葉で片づけられました」
「……ひどくないか?」
「今回はいい結果になったんで、俺もいいかなって」
声も明るい。僕と話せることを暁斗が純粋に喜んでいるとわかって、照れくさかった。けど、嬉しい。
話題は僕が二週間後に控えた大学入学共通テストのこととか、暁斗が申し込んだという塾の冬期講習のことだ。色気もなにもないが、しばらくメッセージのやりとりだけだったので話は尽きることがない。
あの日、晴れて交際をスタートさせた――しかも家族公認で――僕たちは、それから一度も会えていないのである。
なぜなら病院から家に帰った僕は、翌日に熱を出してしまったのだ。時期的にインフルエンザかと家族全員が戦慄したものの、その翌日にはケロッと治った。
母や姉には『知恵熱じゃないの?』とからかわれ、暁斗には試験まで絶対安静を言い渡されてしまった。つい前日まで自分が病人だったくせに、『外に出ちゃダメです!』なんて過保護すぎないか?
とはいえこの冬休みは受験生にとって本当に追い込みの時期だから、初めて成就した恋にうつつを抜かしている場合ではない。学力的に余裕はあると思っていても、万に一つも悪い成績を残すわけにはいかないのだ。
だからいまは最低限のやりとりで済ませるようにしている。暁斗はまめに連絡を寄越してくるタイプだけど、気を遣っているのか即レスはなくなったし、僕もスマホばかり見ないように気をつけた。
驚くべきことに、メッセージでやり取りしていると声が聞きたくなり、声を聞くと会いたくなってしまう。我ながら……重症だ。
「あー。せっかくのクリスマスも何もできなかったし、年越しも会えないなんて、寂しいです……」
「……お前が会わないって言ったんだろうが」
暁斗は平気でこういうことを言えるのがすごい。僕はすぐに紅潮してしまう肌の色に気づかれないことを願いながら、そっけなく返す。
「それとこれとは別! 毎日会いたくて仕方ないんです。……こんなの初めてですよ」
最後の方はぼそぼそと呟くからよく聞こえなかった。でも暁斗に会いたいと言ってもらえただけで、僕の心はふわりと浮ついてしまう。
だって毎日寝る前になると、今でもこの状況が夢なんじゃないかと考えるのだ。
あの男が僕の恋人だなんて――信じられるか?
メッセージだけでは心許なく、都合のいい勘違いをしているような気がしてくる。
電話で甘い言葉を聞くと、ようやく少し安心して。……でも、叶うことなら……
「初詣……行かないか? 一緒に」
「え……」
短い時間でもいいから、会いたい。
画面の向こうの暁斗が驚いて黙り込んでしまうから、慌てて言い訳をつけ足す。
「あ、時期的に! その……試験と不安症が被らないようにしたくて」
「行きます!!」
自分的には月に一度のプレイで十分だし、暁斗とはどんなに軽いプレイでも僕の本能は満足するらしい。だから本当はまだ全然大丈夫。
その本音は遠くに放り投げてしまって、見ないふりをする。僕の打算に気づいていない暁斗はやった!と弾んでいるのが、かわいく思えて仕方なかった。
こんなにもでかい男を捕まえておいてかわいい、なんて可笑しいな。でも一生懸命でまっすぐなところは愛嬌があって、たまらない気持ちになる。
年下と付き合うってこんな気分になるのか……とたった一個しか変わらないのに僕が納得しているうちに、テキパキと初詣の予定が立てられた。
混み合うから三が日は避けて、一応学業の神様で有名な神社へ行くことにした。バスを使えばそう遠くない。
ただ、ひとつ懸念はある。言わなくてもいいかも……いや気にしているのは僕だけか? でも言わずにはおれなかった。
「……学校のやつに会う可能性も高いと思うけど。いいのか?」
「あー……そうでした。やっぱりもっと人気のない神社にしましょうか。ていうか、そもそも受験を控えてる今はやめておいたほうが……」
そりゃ知られたくないよな。ただでさえ夏はダイナミクスのことで噂になったのに、二人でいるところを見られたら何を言われるかわからない。
自分でいい出したくせに、やめようと言われてショックを受けている自分に気づく。僕はいつの間にこんなにも欲張りになっていたんだろう。
別にこそこそと隠した関係でも、両想いになれただけで奇跡みたいなことなのに。
「先輩が卒業してからにしま……」
「僕は見られてもいいから行きたい」
「えっ……」
言ってしまった。自分が訊いたくせに。
暁斗の反応を見るのが怖くて、画面から目を逸らしながら言葉をつづける。
「また噂されるかもしれないけど。隣にいる権利くらいあるだろ? 僕は……お前の、彼氏……なんだから」
「…………」
彼氏、と口にするだけで心臓が震えた。羞恥に全身が熱くなってくる。とんでもないわがままを言っている自覚もあった。
数秒の静けさが長く感じて、やってしまったと後悔しはじめる。熱を持った顔が今度は青ざめようとしたとき、大きなため息が耳に届いた。
「はーーーっ……なんなんですか殺す気ですか」
「ごめ……」
「かわいすぎるんですけど! あー今すぐ抱きしめたい会いに行ってもいいですか」
「は? だ、だめに決まってるだろ!」
奇怪な発言に思わず画面を見ると、暁斗は手で顔を覆って「むり……」と呟いている。指の隙間から見える顔が赤いのは気のせいだろうか?
暁斗の使っている高性能なイヤホンマイクは小さな声まで拾ってしまうので、「ツンデレ」というワードまで聞こえた。おい僕を変な属性に当てはめるな。
とにかく初詣は行くことに決めた。正直僕はもう何を言われても平気な自信があるし、学校へ行く回数もほとんど限られている。暁斗のことのほうが心配だけど……
誰にも気づかれない可能性だってあるから、起きてもいないことを心配してもしょうがない。
暁斗は、『風邪を引かないように、厚着してくること!』『雪が降るかもしれないんで、滑らない靴で来ること!』などと電話を切るまで僕のことを心配していた。
「はー……」
スマホをベッドに置いて、服を脱ぐ。緊張というよりも羞恥と歓喜のせいだろう。着替えたインナーはしっとりと汗を吸っていた。まだ頬は熱い。




