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1.可愛くない

 ――Domと分かったばかりの高校生が、自分で見つけたSubを意識しないなんて無理な話だと思わないか? 相手がとんでもなく可愛くない奴だったら特に。




 休み時間、教室の壁に寄りかかりながら廊下で暁斗(あきと)は友人と喋っている。話題は高校の第二学年に上がってすぐ行われたダイナミクス判定についてだ。

 

「なぁ〜アキってさ、Dom(ドム)だったんだろ?」

「お前それ大声で言うなよ。プライバシーって知ってる?」

「ごめ〜ん、でもあれだろ? くねーる、だっけ。そういうの言うとSub(サブ)の子が従ってくれるんだよな!」

「くねーるって……馬鹿なの? kneel(ニール)だよ」

 

 実際には日本語でもいい。言葉にCommand(コマンド)を込めるだけだから、いまのは恐ろしく英語が苦手な友人ヤスのためだったはずだ。

 『おすわり(kneel)』と口に出した正しい発音は、生徒たちの声でざわめく廊下に溶けていった。ただ、一人を除いて。

 

 ぺたん……とちょうど通りかかった小柄な男が腰を抜かす。

 

「ちょっと(さく)? どうしたの大丈夫?」

「だいじょうぶ……ちょっと足挫いた」

 

 隣を歩いていた友人らしき男が驚いたように声をかける。床に座り込んだ男は平気そうに返事をするが、なかなか立ち上がれないようだった。

 

 視線を感じたのか彼が横を振り向き、パチ……と眼鏡のガラス越しに目が合う。俺は気づいていた。

 自分が意図せずGlare(グレア)を放ち、言葉をコマンドとして発してしまったことを。そして目の前の男がSubだということを……多分、お互いだけが気づいた。


 まとう雰囲気は地味で、小さい顔に対して大きめの眼鏡と長めのショートカットが目元まで隠している。切れ長の目尻が隙間から見えた。

 隣に立つ男も眼鏡をかけていて、こちらはスマートな優等生顔。いかにも真面目ちゃんグループの二人という感じだ。

 

 ブレザーにつけた校章の色は緑。一学年上の三年生だと素早く確認し、俺は思わず手を差し出した。だって、彼がこうなっているのは自分のせいだから。

 

「先輩……ですよね。大丈夫ですか?」

「ひぁっ……。僕に触れるなガキが! くそ、武蔵(むさし)ちょっと肩貸してくれ、保健室いきたい」

 

 肩に置いた手は素気なく振り払われた。後半の言葉は隣に立つ友人へ向けたものだ。思ったよりも口が悪い。――ぴくっと反応した声、小さく震えた肩は見逃さなかったけれど。

 

 ぽかんと口を開けて固まる俺を置いて、友人に肩を借りた男がチッと舌打ちして離れていく。

 『無差別にコマンド投げてんじゃねーよ』と言わんばかりの、明らかに俺へ向けた舌打ちだった。

 

「可愛くねーー……」

「それ男の先輩に対する感想じゃないっしょ。どしたん?」

 

 確かに自分が悪かった。興味本位の言動があの先輩に迷惑をかけてしまったのだ。

 ダイナミクスは欧米で血液型を訊くのと同様、オープンにすることはタブー視されている。

 

 DomやSubは家によっては後継問題に関わるし、周囲が勝手に騒いで人間関係に影響したりする。勝手にカーストトップに祭り上げられたり、逆に苛められたり。

 まぁウチの高校は家柄の良い奴が多いので結構ゆるい。言い換えればおおらかだと思う……この友人然り。

 

 より秘すべきなのはSubだ。彼らはDomに支配されたり庇護される性質を持つ。そのせいで下に見られることが多いし、遊び混じりにコマンドを投げかけられたり、時には事件に巻き込まれることさえある。


 危うく先輩のダイナミクスを露見させてしまうところだった。こんな、人の多い場所で。

 しかし成人前に行なわれるダイナミクス判定直後は、意図しないミスや些細な事件はよく起こる。未熟な学生は人のダイナミクスを知りたがるし、Domであれば特に自分の力を持て余し、みんなどこかで試したいと思ってしまうからだ。


 俺もやっちまった〜〜と大いに反省したが。同じ学校の先輩なら、後輩のあやまちを優しく見逃してくれたってよくないか?

 あーあ、何を期待してたんだか。よく見れば顔の綺麗な男だったから、つい……なんだ。

 

 確かに涼しげな目を隠しているのはもったいないと思ったし、小さめの鼻や口が日焼けのない肌にバランスよく並んでいて……いやいや、雰囲気を思い出せ。地味で口が悪いだけの男だぞ?


 あーくそっ、心臓の音がうるさい。図らずも、初めてコマンドが通ってしまったからかもしれない。

 

 DomやSubという二次性を持つ人間は、その他大勢のUsual(ユージュアル)と違い、その欲求を適度に発散しないと調子を崩す。逆に欲求が満たされると心身の安定や満足感をもたらすらしいのだ。


 二次性に関しても、その成熟スピードは人によって異なる。だいたいが成人するあたりから徐々に成熟し、働き始めたり大学へ進んだころ、真剣に自分の性と向き合うことになる。

 つまり欲求を発散する相手を見つけるか、そういう店に世話になるか、薬の世話になるか、だ。男の性欲と違ってひとりで解決できないのが悩ましい。


 確かにあの先輩がこちらを見上げてきたときにはドキッとしたが、どうせPlay(プレイ)するなら可愛いげのある女の子がいい。

 まぁ、もう二度とあんなことにはならんだろ。グレアには気をつけるし……会っても気まずいだけだ。






「あ」


 意外にもその先輩の姿は翌日見かけた。

 

 選択科目で少数派の科目に対して使われる空き教室。俺たち理系の生徒なら、日本史とか地学の授業でそこは使われる。

 俺が次の授業のためにその教室へ向かうと、先輩がだるそうに授業を聞いているのを見つけたのだ。


 机に肘をついて、前髪の隙間から教師を見ている……と思ったら大きな欠伸。手で隠した隙間から、赤い舌がチラと見えた。

 悪いのは口だけかと思ったら、授業態度も悪い。真面目そうな見た目とは正反対の性格らしい。

 

 というかもう休み時間なんですが、と思っていると、この前も先輩の隣りにいたスマート優等生風の男が「先生、もうそろそろ」と控えめに声をかける。

 自分の授業に熱中していた教師は「あっ、ご、ごめんねぇ!」となんとも気の抜ける謝罪をして唐突に授業を終わらせた。聞いていた十人ほどの生徒は慣れたように挨拶をして、教科書とノートを片付け部屋を出ていく。

 

 俺は廊下の窓からじっとその様子を眺めていたものの、その姿に気付いた女の先輩がチラチラこちらを見てくる。ついには話しかけようとこちらに足を向けたのを感じて、わずらわしい視線を振り払うように入口へと向かった。

 もうほとんどの生徒が部屋を出たからいいだろう。あーあ、去年の文化祭で迂闊にミスターコンなんて出るんじゃなかったな……


 確かにいま彼女はいないし、要らないのかと言われれば欲しいけど……向こうからガツガツくる積極的な女は苦手だ。

 もともと目立つ容姿をしているのに、コンテストがきっかけで余計注目を浴びてしまった。結果、苦手なタイプに囲まれるようになって、ちょっと恋愛にも辟易している。


 ドアを抜けると、教師は次の授業のために慌てて黒板を消している。この授業はヤスとも別だし、俺も暇だったから気まぐれに手伝おうとした――のだが。


「先生、手伝いますよ」

「あっ、飛鳥井(あすかい)くん! ありがとう」


 真面目そうに見えて不真面目な先輩が教師に声を掛けた。やっぱ真面目なのか……? どっちなんだ。つか、そろそろ次の授業に間に合わないだろ。

 飛鳥井先輩――偶然名字を知ってしまった――が黒板の上の方を背伸びして消しているところで、後ろから言葉を発した。


「俺がやりますよ、次の授業ここなんで……先輩」

「ああ、ありが……」


 振り向いて、固まる。口元に乗っていた愛想の笑みさえすぐに消えてしまった。

 舌打ちこそ聞こえなかったけど、先輩は黒板消しをバフッと置き教師に話しかける。チョークの粉がちょっと舞った上、俺の存在は無視だ。


「先生、あとはこの……二年がやってくれるみたいなんで、行きましょう」

「助かるよ! えーっと、君は……あっ、ミスター君だね!?」


 ミスター君て。おおかた、ミスターコンで優勝したから顔だけ知ってたって感じか。まぁ、あるあるなんだが。


「あーっと、風谷(かざや)です」

「風谷くん! いやー、近くで見てもモデル級のイケメンだねぇ。背も高いし、脚も……なんでこんなに長いの?」

「さぁ……」


 のんびり屋すぎる教師の話に付き合っているあいだに、先輩はしれっと姿を消してしまっていた。俺たちの授業のためにやってきた日本史の担当教師が、地学ののんびり教師をつまみ出していく。

 

 ――え、なんなん。ガチスルーって、まじむかつくんですけど。愛想笑いさえ見せる価値ないってか?


 会っても気まずいとか思っていたことは自分でも忘れていた。別に好きで取っている授業でもないし仲のいい友人もいないから、気を紛らわす方法が見つからない。

 毎回ラリホーでも使われてるんじゃないかと思うほど眠くなる日本史の授業を聞いても、イライラして一向に眠気はやってこないのだった。






 それから何度も飛鳥井先輩の姿は見かけた。

 移動教室での廊下とか、窓から見える運動場でだるそうに体育してる姿とか、たまに行く学内の食堂で眼鏡を曇らせてうどんをすすってる姿とか。

 

 別にマンモス校でもないから、これまでもすれ違ってはいたんだろう。でも気づけば俺はあの気に食わない先輩を探していて、なにか――知らない一面を見つけようと躍起になっている。


 俺がジッと見ているから、たまに目は合う。その瞬間氷のように冷たい目で睨まれ、すぐに逸らされて、決してまたこちらを見ることはない。徹底されている。

 わざとじゃないにせよ、相手にとって不快なことをしてしまった。だから嫌われても仕方がないとは感じる……のだけれど、初めて校内で見つけたSubにここまで冷たくされると地味に傷つく。


 俺の両親はともにDomで、それぞれSubのパートナーがいる。そしてそのSub同士も夫婦というちょっと変わった関係だ。俺もたまに挨拶するが、彼らはとても好意的で優しい。

 まぁ、この見た目のおかげか好意を見せて寄ってくる人の方が多く、逆の態度に慣れていないというのもある。みんながみんなじゃないけどな。


「あの眼鏡の先輩ってさぁ、学年一位らしいよ」

「眼鏡のって、どれ?」


 眼鏡と聞いた瞬間あの顔が浮かんだが、何気ないふりをして確認する。ヤスこと康裕(やすひろ)は俺の真似をして「『可愛くねー』って言ってたじゃん」と言う。声真似が引くほど似てないな。俺の声はそんなに高くない。


「アスカイ、って人。めちゃくちゃ頭いいんだって。部活の先輩が話してた」

「へー……」


 無意識に低い声が出て、チリ、と胸の奥が火花を立てた。

 自分で言うのもなんだが、俺は部活にも入らずけっこう真面目に勉強している。

 

 しかしどんなに頑張っても成績上位に食い込めない。中学までならクラスで一番とかにもなれたのに、いい高校に来たとたんこれだ。せいぜい中の上。

 それなのに、あの真面目そうで不真面目な男が一位なのか……と面白くない気分になった。


「あーゆー人って東大とか行くんかな?」

「さぁ?」

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