18.友のアシスト
クリスマスイブだ。翌日からは冬休みの今日、朝から学校は浮ついた空気に包まれていた。朝方から降りはじめた雪が景色を白く染め上げ、凍てつく空気のなか吐いた息は雲のようにふわふわと漂う。
下の学年はただ目の前の休暇や、恋人がいればデートを楽しみにしているだろう。もっとも、僕たち三年はそれどころじゃない。
冬休みが明ければ大学入学共通テストがある。これが一次試験となり、二次試験は各大学で受験する。僕の目指す大学は二次配点比率が高いけれど、ここでつまずくと後に影響すること間違いなしだ。
休み時間でも教室は静かで、たまに囁くような談笑が聞こえる。辻でさえ空気を読んで静かなのだから、間近にせまる試験を意識し妙に緊張してしまうのは僕だけじゃないはずだ。
この教室にやってくるのもあと少しだと思うと、不思議な気持ちになる。卒業してからはここへ来るのも部外者となって手続きが必要だなんて、このブレザーを毎朝着なくてもいいなんて、なかなか想像がつかなかった。
離れがたいような、早く新生活に飛び込みたいような、相反する感情が脳内で拮抗している。
(偶然あいつを見かけることも、もうなくなる……)
いまだにこんなことを考えてしまうんだから、自分でも思っていたより重症だ。この前遠目に見たあいつもなんか元気がなさそうに見えたりして、まだ落ち込んでんのかな……なんて都合よく考えたり。
そんなわけないか。もうあれから三ヶ月も経つ。
軽いプレイでは欲求の完全な解消には至らず、慢性的な睡眠不足になっていた。倒れそうでやばいってほどじゃないけど、目の下には色素沈着か? と言いたくなるくらい隈がずっと鎮座しているし、泣く泣く薬に頼った日もある。とはいえ受験生にはここが正念場だから、試験の直前は体調を万全に整えたい。
過去の共通テストであった引っかけ問題について教師が説明するのを頬杖をついて眺めながら、頭のなかで今後の計画を立てる。
事件のあとアルバイトを辞めたせいで、金欠が続いているのだ。冬休み中に念のためプレイバーに行っておくか……雪さんには申し訳ないけど……と悶々と考えていたら、昼のチャイムが鳴った。
「朔、早く行こ。知らないだろ? 期間限定、数量限定でうま辛肉うどんってのがあるんだよ」
「は? それを早く言えよ」
終業日という建前で、久しぶりに学食で飯を食いたいと武蔵に伝えてあったので、連れ立って歩く。
食堂のついている高校は多くない。だからこそ一年のときは喜んで通ったし、しばらく行っていないだけであの単純で間違いのない味が恋しくなる。どうも最近は感傷的な気分になりがちだ。
昼時に校内で一番活気のあるのが学食だろう。開きっぱなしになっている入口をくぐったとたん、ガヤガヤと人の声が耳を打った。
食堂で働くおばちゃんおじちゃんたちの威勢の良い声もあるが、人の多いせいか利用する生徒の声も教室より大きくなりがちだ。
とっさに視線だけ左右に動かし、風谷がいないか探してしまう。ここで何度も見かけた記憶があるので警戒してしまうのは仕方がない。
……心の奥底では、冬休み前さいごに一瞬でも顔を見られたら、という甘い考えが僕をそそのかしている。
どこにいても目立つ長身の男は視界に映らなかった。まだ来ていないのか、今日は来ないのかはわからない。
旨辛肉うどんを無事注文し、まだ空いていたテーブルの隅に向かい合って座る。少し食べ進めたところで武蔵が口を開いた。
「前は向こうが探してたのに、いまは朔が探してるんだね」
「……嫌味かよ」
「まさか。事実だろ」
ウッと胸がきしむのを感じ、コップから水をひと口飲む。思った以上にスープがからい。
眼鏡が曇っていることに気づき胸ポケットへしまうと、思った以上に真剣な表情の武蔵と目が合った。なんとなく気まずく、言い訳のように口を開く。
「最近あのむかつく顔を見てないなって、ふと思い出しただけだ」
「体調崩して、休みがちらしいよ?」
「は……?」
思っても見ないことばに、固まってしまう。誰が体調崩してるって? ……あいつが?
今日なんて放課後は本命の彼女――いるのかも知らないが――と金のかかったデートでもするんじゃないかと、そんな想像を嫌々ながらしていたのに。
だいたいなんで武蔵がそんなことを知ってるんだ。
「たまに連絡取ってたから、本人に聞いた。あ、文化祭の一件で仕方なく連絡先交換したんだよ」
「だからってなんで武蔵とあいつが連絡取り合うんだよ?」
「そりゃ、朔が元気にしてるかってしつこく……あ。これ言っちゃいけないんだった」
「……え?」
まったくやらかしたと思ってない顔で、武蔵が「言っちゃったなら仕方ないか」とひとり納得している。
いつの間にか、僕の知らないところで予想外のことが起きていることだけは分かった。隠そうとするならしつこく問いただしてやろうと決意して箸を置く。
しかし武蔵はあっけなくすべての質問に答えてくれた。まるで、聞かれるのをいまかいまかと待っていたみたいに。
「連絡先ブロックしてるんだろ? 朔もなかなかきついことやるよなー、嫌いでもないくせに」
「ゔ……」
「取り継がなくていいから、むしろ朔には何も言わずに、体調はどうか、不安症の症状が出てないか教えてくれって。まーびっくりするくらい今どき健気な男だ。お礼に菓子折りとか持ってこようとするんだぜ? これだから良家の坊ちゃんは……からかう隙もなくてつまんないよ」
あふれる愚痴に狼狽え、もうわかった、わかったから、そっちじゃなくて風谷の様子を教えてくれと頼み込む羽目になる。身体が熱いのは唐辛子のせいだけじゃない。くそうあいつ、なんて恥ずかしい男なんだ!
ただ、逆に風谷の様子はよく知らないようだった。本人がみずから語るわけもなく、武蔵が見かけないと思ってふと尋ねたら『調子悪くて休んでる』とだけ答えたらしい。
「まさか病気とか?」
若くたってかかる病気はこの世にいくらでもある。そう考えて、ぞっとした。
あいつの身になにかあるなんて、そんなこと考えたくもない。事件のときは自分も気を失っていたから、風谷が丸腰でナイフから僕を守ろうとしたと後から聞いて、とんでもないことだと恐怖に駆られたのだ。
モデルにも劣らない均整のとれた身体に傷がついてしまったことを、僕はずっと悔しく思っていた。
「不安症じゃないか? 知らないけど」
「……あ」
本当にどうでもよさそうな言い方だったものの、言われてみれば一番あり得そうな不調だ。まさに自分が常々悩まされているものでもある。
(まさか、あれから僕以外とプレイしてない……?)
家に会いにきたとき、風谷は僕に自分以外とプレイしてほしくないと告げた。前後の脈絡も含めて、なんて自分勝手なんだと憤ったし、同時にすごく悲しかったことはよく覚えている。
でも逆を返せばその発言は、僕以外とプレイしたくないと取ることもできる。いや、よく考えたらあの時そういうことも言ってた気がしてきた。
(僕が考えていたよりもずっと、固い決意だったのか……?)
麺が伸びるのも構わず考え込んでいた僕に、呆れたような声が降ってくる。
「会いに行けばいいじゃん。心配なら」
「いや、まずはブロック解除する……」
「SNSのやりとりであいつが本当のこと言うと思ってんの?」
「…………」
正論すぎてぐうの音も出ない。
もう離れて忘れると決意したのに、僕は何ヶ月経っても未練たらたらに風谷のことを考えている。風谷もすぐに諦めて次へ行ってくれると期待したのに、僕の健康をいまだに気にしているらしい。
挙げ句の果てに重度の不安症疑惑だ。真面目な風谷が何度も学校を休むなんて、よっぽどのことだと思う。
もうこれは、一度面と向かって話すしかない。
あいつがまだ僕のことをパートナーとして望んでいるかもと知って、少しだけ嬉しかったのは事実だ。
もっとも、あいつは分かってない。僕みたいのが公式のパートナーになることの意味を。その不利益を。それをちゃんと説明してやらないといけないらしい。
そう考えると気が進まないけれど、体調のことが一番気がかりだった。僕は父親のおかげで、人があっけなく死んでしまうことを知っている。
病気じゃないなら僥倖。不安症ならちゃんと薬を飲むか、さっさと他のやつを見つけてプレイしろと尻を蹴飛ばしてやればいい。プレイバーは何のためにあるってんだ。
密かに覚悟を決めて、伸び切ってしまったうどんを啜った。ぬるくなったスープはそれでも、口の中を熱くした。
放課後、朝よりもさらに浮ついていると感じる校内を早足で駆け抜ける。去年は自分もいたはずの下の階は、顔ぶれが違うからか懐かしさよりアウェー感のほうが強い。
廊下にはいなかった。風谷のクラスについて深呼吸する間もなく、見慣れた姿を探すがいない。
(やっぱり、今日は休んでる……?)
もしそうなら風谷の家にいくか。だいたいの場所は聞いたことがあるけど、せめて住所を……いきなり連絡して教えてくれるか?
ドアの前で考え込む僕を、教室から出ていく生徒はチラッと見はするがそれ以上の興味は持たずに去っていく。これが普通なのだ。個性の埋没した僕にわざわざ注目するやつなんて、あいつ以外いなかった。
「あ!」
突然声の上がったほうを見ると、一人の生徒が僕を見て指をさしている。おい、人を指さすな。
「アキのサ……えーっと、先輩?」
「お前は……」
こいつまさかSubって言おうとした?
しかしへら、と笑った人当たりの良さそうな顔には見覚えがあった。アキ、は風谷のことだ。よくあいつの隣にいた気がする。
「アキの親友木谷康裕でっす!」
「よし、ちょっと話がある。こっち来い」
「ひぃ」
調子良く敬礼して見せた木谷をひっぱり、ひと気の少なくなった廊下のホールへ連れて行く。なぜか怯えているが、僕は自分より高いところにある顔をひたと見つめて尋ねた。
「風谷は今日、休みなんだな? 家は知ってるか?」
「は、はい……てか、今から見舞いに行こうと思ってて……」
「よし、僕も連れて行け」
「えぇ! あっすみません。わ、わかりました……」
風谷の家は学校から歩いて十五分ほどの場所にあるらしい。うちとは逆方向の高級住宅街といわれる界隈だ。雪の溶けてしまった道を木谷と歩き、その間に色々聞くことができた。
僕に怯えていたのは部活の先輩との上下関係があったからだという。サッカー部の先輩ってそんなに怖いのかと問うと、結局僕に妙な迫力があったからだと白状した。遠慮しているようで遠慮のないやつだな。
武蔵の言っていたとおり、風谷は秋から冬にかけて休みがちになったようだ。学校へ来ても途中から保健室に行ったり、クラスメイトは大いに心配した。
ただそこはやはりムードメーカーというか、カラッと笑って『大丈夫だ』と本人が言えばみんな安心してしまうらしい。
「おれ、あの事件がきっかけであいつの身体に何かあったんじゃないかって、疑ってるんです。タイミング的にあの後からだし……」
「…………」
木谷のことばに、心臓がいやな音を立てた。別に責めるつもりはないのだろう。
でも僕は自分のせいだと確信してしまい、握り込んだ手にぐっと力を入れた。遠くで救急車のサイレンが聞こえる。
「アキって意外と苦労性だと思いません? ほらあいつ、恵まれてるじゃないですか。家も容姿も。その分周りの期待が大きくて、ああ見えて真面目なもんだから応えようとする。一緒にいるとおれみたいな能天気馬鹿と変わんないとこあるのに。あ、これ悪口か? まぁあと、二次性も……なんの苦労もないのかと考えてましたけど、そうじゃないみたいだし」
「……だな」
Domだとしてもその本能からくる欲求に振り回されるのはSubと変わらない。不安症になることもあれば、自分を支配者だと勘違いしてしまう奴もいる。
完璧そうに見えがちな風谷は、実際付き合ってみるとただの年相応な男子高校生だ。持って生まれたものが華やかなだけで普通に迷って悩んだり、間違えて反省したり、勢いのまま突っ込んできたりする。
年下らしいところもあれば、リーダーシップがあり、誰よりも優しく、正義感が強い一面もある。
新たな一面を知れば知るほど惹かれてしまうのは僕の勝手だ。逆に反感を持つ人もいるだろう。とはいえ風谷が必要以上に苦労したり、傷ついてほしくないと思う。
絶賛苦しめているのは僕か? いや、でもこれは、あいつの将来のためで……
サイレンの音がどんどん大きくなり、救急車が近づいてきたことを知る。僕たちは道の脇に避けた。
救急車は五十メートルほど先で止まり、サイレンの音も止まる。耳の奥でサイレンの名残がワンワンと響いている。
「え……」
「どうした?」
立ち止まったまま、木谷は見晴らしの良い道路の向こう側を凝視している。――まさか。
「あそこ……アキの家だ」




