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15.噂の刃

 俺が入院したのは一日だけだった。

 朔先輩の容態もあれから安定していたし、用事もなくSub用の病棟をうろつくと他の患者に怖がられてしまう。したがってあれから俺も自分の病室に戻り、寝て起きたら家に帰っていいと言われたので入院した実感さえほとんどなかった。


 文化祭の二日目は当然参加できず、家でぼーっと過ごすことしかできなかったのが悔しい。傷口はきれいに縫合されていたので悪化こそしなかったが、無理に動いたせいでなかなかに痛みが続いたのだ。


 薬のせいか治そうとする身体の反応なのか、わからないけどずっと眠かった。だから心配する友人たちからのメッセージに、朔先輩からのメッセージが混じっていたことに気づいたときには、さらに翌日の朝になってしまっていた。


 ――怪我は大丈夫か? お前のおかげで助かった。ありがとう


「うわーっ。まじか!」


 俺は自室のベッドに寝転がったまま、すぐに気づかなかった自分を呪った。何を隠そう、朔先輩の方からメッセージが送られてきたのは初めてなのである。


 いつも俺の方から送ってしばらくポツポツとやりとりが続き、返事がなくてもよさそうなところで先輩のメッセージが止まる。しばらく経ってまた俺が話題を探してメッセージを送る、という流れだった。


 こんなマメな性格じゃなかったはずなのに、先輩が相手だと小さなことが気になって仕方がない。先輩が俺を変えてしまった。

 短いメッセージを何度も読みかえし、嬉しさに口元が緩む。


 ――助けになれてよかったです。俺は元気です! 先輩こそ、大丈夫ですか?

 ――ああ。もう不調もないし、月曜から学校いくわ


「よかったー……」


 一日も放置してしまったメッセージへの返信に、すぐまた返信がもらえたこと。先輩が始業式から学校へ行けるほど回復していることにも、心の底からホッとした。

 ただ、ひとつだけ残念なことがある。先輩が学校に来るならすぐにでも会いたかったけれど、俺の方が初日は休む予定なのだ。

 

 文化祭は木曜と金曜だったため、夏休み最後の土日が終われば月曜日から学校だ。 俺は退院してから三日間安静が言い渡されていて、身体は拭けても風呂にさえ入れない。

 さすがにこんな状態でいきなり学校へ行くのは嫌だし、安静にすればするほど治りも早くなると言われてしまったので登校は火曜からにしてある。


(夏休み、あっという間だったな……)


 毎回思うことだが、今年は特に充実していたからちょっとだけ名残惜しい。

 朔先輩と待ち合わせて一緒にプレイバーへ行ったり、学校でこっそりプレイしたり。他愛ないメッセージのやりとりや会ったときの会話から、知らなかった先輩の一面を垣間見ることができた。


 プレイの内容も一歩進んだし……実際のところ先輩がどう思っているのかわからないけどな。どうしてもプレイ中は、お互いタガが外れてしまう。

 正直中毒になりそうなほど楽しく、満足度が高い。Domの本能が満たされていると調子がいいし、勉強も以前より捗っている気がする。


(あーー。早く、会いたい……)


 自己申告では大丈夫そうだったものの、どうしても元気な姿をひとめ見たい。昼休みとか、朔先輩の教室に行ったら怒られるか?

 いや、怒られてもいいから行こう。嫌でも目立つんだから、俺という存在が先輩のことを気にしていると、まわりのやつに示してやればいい。


 本当は、事件に巻き込まれるくらいならどこかに先輩を閉じ込めておきたい。俺だけのSubとして、他のDomから隠しておきたい。


 らしくない独占欲が生まれているのを感じ、自分でも戸惑った。DomとSubの関係って、こんなものだったか……?

 両親のパートナーたちとの関係とは少し違う気がするけれど、どこがどう違うのかはわからなかった。


 開いた窓から入ってくる風がカーテンを揺らす。夏も終盤とはいえ、日が高くなってくるとかなり暑い。短い生をまっとうする蝉が強く存在を主張している。

 俺は肩を庇いながら起き上がり、窓を閉じてからエアコンをつけた。一気にとおのいた蝉の鳴く声が、まだ耳の奥に残っている。






「はよーっ」


 玄関からここまでも痛いほど視線を感じたが、俺が教室に入るとシン……と時間が止まったようだった。文化祭の事件はもうニュースになっていたし、その中心に俺――と、朔先輩――がいたことさえ、噂で広まっているに違いない。


 沈黙を無視して自分の席につくと、すぐあとに教室へ入ってきたヤスが俺に気づいた。今日俺が来ると知っていたくせに、驚いた顔をして駆け寄ってくる。


「アキ! 大丈夫か!?」

「おはよ。余裕だよあんなの……心配かけたな。みんな、最終日手伝えなくてごめん!」


 最後のひとことは教室にいるみんなに向けて言うと、「も〜〜〜!」「心配したよぉ!」などと口々に言いながらクラスメイトが集まってくる。


 クラスの模擬店にいたときに俺が飛び出したから、相当驚かせてしまった。人が集まりすぎて一部始終をちゃんと見た人はクラスにおらず、パトカーや救急車が来てから一瞬『どっち!?』と疑われていたらしいと聞いて笑った。


「俺が捕まるかよ。みんなひどいな!」

「つかまじであちこちで倒れる人いてさ、びびったわ。まさかDomがうちの高校で事件起こすなんて思わないし! 捕まったDomって、駅の方にある短大の学生らしいな。知り合いだったのか?」

「あー……顔だけな」

「ふーん。てか倒れたやつって、みんなSubだったんだろ?」

「…………」


 投げかけられた問いに思わず固まってしまう。ちょうどいいところでチャイムが鳴って、教師がやってくる。朝のホームルームが始まった。


 担任は俺に労いの言葉をかけたあと、「ダイナミクスの話題は繊細だから、むやみに詮索や噂話をしないように」と告げる。その注意がやけに念入りだったので、すでになんかあったのかな……と察した。

 

 二つ隣の席にいたヤスと目が合うと、ちょっと気まずそうに苦笑いしている。

 俺は、事件であの男が暴行をして逮捕されたことや、怪我をした俺や朔先輩がもはや回復傾向にあることばかりに意識が向いていた。もう解決した事件として、一過性の話題になるとしか思っていなかったのだ。

 

 しかし考えが甘かったことにいまさら気づく。

 事件の内容を知れば、誰だってヤスと同じように考えるに違いない。『倒れたやつって、みんなSubだったんだろ?』と。


 今すぐ教室を飛び出したくなって、机の端を握りしめる。朔先輩は大丈夫なのか?

 メッセージのやりとりはあの一日で終わってしまっていたから、昨日登校した先輩の様子を俺は知らない。くそ、昨日の夜ためらって連絡しなかった俺の馬鹿!

 

 Subという二次性をもつ人は、同じ学校の生徒になんて知られたくないだろう。いくら本能と説明されたって、SubはDomの命令を聞くことが喜びだと、大多数のUsualは理解できないからだ。

 理解されないどころか、本能ではなく特殊な性癖を持つと勘違いする人も多い。ずっとDomやSubが身近だった俺でさえ、実際にプレイするまではその本能がどんなものなのか、分かった気になっていただけだったと自覚したのだ。


 朔先輩や倒れたという他のSubは、周囲の人に二次性を知られてしまった。あのDomたちのように暴挙に出る生徒はいないと思うが……心配だ。みんな、あまり気にしていないといいけど。


 午前中の授業は全く集中できなかった。教師に当てられても話を聞いていなかったりして、怪我のせいだと大目に見てもらった。普段の俺は真面目だからな。

 実のところ腕や肩が鈍い痛みを訴えはじめていて、昼飯を食ったら薬を飲まないといけないなと思い出す。


「悪い。ちょっと行くとこあるから」


 居ても立っても居られず、四限の授業が終わった途端ヤスに声を掛け、教室を出る。もともと行こうとは思っていたが、いまの俺は焦りに背中を押されたように急いで先輩の教室へと向かう。

 

 階段を上ると知らない顔ばかりなものの、向こうはそうでもない。これまでとは違い、男女構わずひそひそと耳打ちし合っている。

 聞こえてくるのは「あの人Domの……」などという内容だ。Domもマイノリティなのだと、改めて実感させられる。

 

 映像作品を見にきた教室に到着して、開いていた窓からそっと中を窺う。みんな昼飯とお喋りに夢中で、俺には気づかない。

 朔先輩の席は知らないけれど、いればすぐに見つけられる自信があった。


(あ。食堂行ってるかもか……)


 教室以外の場所で昼食をとっている可能性があると今さらに気づいたとき、教室の奥にいた石田先輩と目が合った。


「…………」

「こっちに来い」


 石田先輩はいる。朔先輩はいない。それはおかしいと首を傾げていると、石田先輩が立ち上がって俺を空き教室へと誘導した。


「何も知らないんだな?」

「まさか、朔先輩になにかあったんですか?」


 石田先輩は無造作に椅子のひとつへ腰掛け、はーっと大きなため息をつく。いつもの俺を馬鹿にするような感じでなく、心底疲れているように見えた。


「朔は昨日来てた。注目は浴びてたけど本人はいつも通りに見えて、僕も安心していたんだが……」

「ダイナミクスのこと、なんか言われたんですか」


 嫌な予感がした。

 俺がDomだと噂されるよりもっと、たちの悪い……学校に来られなくなるほどの何かが起きたのだ。


「放課後歩いてたときにさ、喧嘩の声が聞こえたんだよ。バスケ部のキャプテンがSubだったらしくて、ずっとそいつのやり方に不満を持ってた部員が文句を言ってるみたいだった。でもその言い方が……」

「ダイナミクスを馬鹿にしてたんですね?」

「ああ。たぶんUsualだな。胸糞悪くなるくらい偏見にまみれてて、聞いてられなかった。文化祭のこともあったし放っておけなくて、僕が割り込んだんだ」


 それは俺でもそうする。普段なら荒事には首を突っ込まず、教師や顧問を呼びにいくとかするだろうけど……今は。


「朔は通りかかったやつに教師を連れてくるように頼んで、俺が一人になるのもよくないって後ろで見てた。でも、そいつら逆上して朔に目をつけて……『Domにケツ振って守ってもらってる女装Subじゃん。きめぇ』とか『学校一のイケメンとどんな鬼畜プレイしてんの?』とか暴言を……」

「そいつら殺す」

「気持ちは分かる」


 湧き上がってきたのは、目の前が真っ赤になるほどの衝動。急激な怒り。強く握りしめた手が震える。

 

 わりと平和な高校だけど、何百人も集まればクズなやつは存在する。ついでに俺のことまで『頭も趣味も悪いDom』だとか言ってたらしい。まじ好きなこと言ってくれてんね?

 まぁ俺のことはいい。とにかく朔先輩を貶すやつは許せない。

 

 しかし続いた言葉に俺は目を丸くした。

 

「つーか朔もキレて殴りかかったんだよ」

「え。手ぇ出しちゃったんですか!?」

「ギリセーフ。僕が間に合った」


 暴力沙汰は内申点に響くため受験生にとってタブーだ。だからこそ喧嘩もほとんど舌戦となる。

 それでも事件の日、輪の中から飛び出してきてあの男を殴った人がいたことを俺は思い出した。


「辻は専門学校志望だから、わかってて殴ったんだよ。みんなから称えられてドヤ顔してた」

 

 辻先輩は朔先輩たちの友人らしく、三日間の停学となっている。登校してきたら俺からもお礼を伝えたい。

 

 とはいえ、昨日は石田先輩が間に合ってよかった。あの小柄な身体で運動部相手は不利だと思うし、大学受験を控えているならどんなにムカついても我慢すべきだと分かってる。

 けど……俺は内心舌を巻いた。朔先輩かっけーな。


「それで、どうなったんですか?」

「顧問が来て、僕たちはすぐに帰った」

「え……それだけ?」


 殴り返そうとしたくらいだから、朔先輩は相当怒っていたんだと思う。でもそれだけで学校に来なくなるというのは、先輩らしくなくて違和感がある。


「あいつを止めたとき、なんか……泣きそうな顔してた。気がする」

「…………」


 言葉が出てこなかった。それだけ、なんかじゃない。きっと……朔先輩の心には大きな傷がついたのだ。

 学校中にSubだと知られて、好き勝手うわさされて。平気そうに見えたとしても平気なはずがない。俺の感じ方とは重みが違う。


 優しい味方がたくさんいても、どうしても嫌な言葉の方が大きく聞こえるものだ。人は自分のことになると、どうしてか客観的に見られなくなる。

 目の前で侮辱されたとき、先輩は怒りでつらさを押し隠していたのかもしれない。

 

 いま、俺の胸の内にうずまく怒りは自分の思い至らなさに対してだ。

 あの事件が起きてから何日もあったのに、俺は先輩の気持ちをなにひとつ理解できていなかった。病室でやったプレイや、メッセージをもらえたことで舞い上がってさえいた。

 

 まじ、情けなすぎるだろ……。

 どうしてSubばかりがこんな思いをしなければならないのか。やるせなさが全身を包み、直りかけの傷口がズキズキと鈍い痛みを運んでくる。


 遠くで予鈴が鳴っている。不甲斐ない俺への、裁きの鐘に聞こえた。

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