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10.紅に惑う side.暁斗

 夏休みも終盤になり、文化祭の準備は大詰めを迎えていた。

 お化け屋敷などのクラス展示をやる一年と、物として残る作品制作をする三年の先輩たち。多分いまだけは部活も勉強もみんなそっちのけだと思う。

 

 二年の俺のクラスはスイーツを出す模擬店をやるので、事前にできる準備はあまりない。食べ物を前々から作っておくわけにはいかないしな。

 だから看板の制作やおそろいのティーシャツを作ったり、わいわいと文化祭の空気感を楽しみながら喋っている時間が多かった。逆に前日と当日は大忙しだろう。


 俺は文化祭実行委員としてなにか決め事があるときは中心に立つが、具体的な準備に関してはノータッチを貫いている。集団行動における役割分担は大事なことで、自分の領分を超えた部分に口や手を出すとろくな事にならない、という持論だ。

 というわけで普通にこき使われる側として、いまもペンキがなくなったとかでヤスと買い出し中だ。学校から徒歩圏内に百均があるのはとても助かる。


「あっちぃなまじで! な、帰りにアイス買って帰ろーぜ」

「……ああ」

「おーい、アキ? だーれと連絡とってんのっ?」


 スマホを見ながらうわの空で返事をしたら、ヤスがガシッと肩を組んで画面を覗き込んできた。よせお前、俺じゃなかったら嫌われる案件だぞ?

 まぁ画面に覗き防止フィルムを貼っているから何も見えなかったと確信している。だから許す。いまの俺は上機嫌なのだ。


「ヤス。学校戻ったら、実行委員の仕事でちょっと抜けるわ」

「おーい、いい笑顔すぎるだろ……」


 顔が自然と綻んでしまうのは、朔先輩が学校で会おうと連絡してきたからだ。先輩のクラスは夏休み中に映像制作をしているらしく、俺よりも学校に詰めていたらしい。

 

 これまでにも夏休み中は定期的に『だるい』『もう帰りたい』とメッセージが来ていた。まぁ、先輩がどうしてるか俺が毎日訊くからだけど。

 しかし、そんな愚痴を言ってもらえるだけでも嬉しいと感じてしまうほど、俺の先輩に対する気持ちは変わっていた。


 前はとことん無視されてムカつく人としか思えなかった。でも最近は普通に話してくれるし、ただ連絡を取っているだけでも心が浮ついて楽しい。

 俺は部活にも入らないから先輩で仲良い人なんていなかった。だから、初めて歳上の友だちができたみたいで新鮮だ。




 夏休み中は学校も空き教室ばかりだ。選択科目に使われる教室で、先輩を待つ。窓からは外で文化祭準備をしている同級生の声が聞こえ、廊下の方からは吹奏楽部が楽器を鳴らし演奏している音が聞こえる。


「よ。そっちは準備進んでるのか」


 カラカラ、とドアを閉じる音が聞こえて先輩が入ってきた。学校でこうして会うのは久しぶりで、自然と心臓が跳ねる。

 

「はい! 今はまだ大変な準備もないので。――ん?」

「?」


 パッと顔を上げてその顔を見れば、ふと違和感に気づく。小作りな顔はあらゆる表情を知ってしまってからは可愛いと感じてしまうが、基本的に無表情で目を引かない。

 しかし今はなぜか、黙って小首を傾げているだけでも目が離せなくるほど印象的だった。なんだろう、普段通りの制服だし、なにが違うんだ?


「えーっと、朔先輩。……メイクしてます?」

「あ……っ!!」


 まじまじと見つめると、唇に赤い色が乗っていた。眼鏡と前髪で隠れているけど、切れ長の目尻も黒色で強調されている気がする。

 

 先輩は慌てた様子で口を拭おうとした。でも手の甲じゃ取れないだろう。

 とっさに俺はポケットに入っていたハンカチを差し出すと、受け取った先輩の顔は恥じらっているのか真っ赤だった。えー……なにそれ。


「これは……っ。クラスのやつに、遊ばれて」

「あー、女子ってそういうところありますよね。でも先輩、似合うし可愛いっすね」


 もともと赤みのある唇だけど、なんかこう……リップって唇の形を強調して見せるんだな。小さく形のいい唇に視線が吸い寄せられる。

 俺が素直に感想を伝えたら、先輩はぱくぱく口を開いて言葉が出てこないようだった。

 

 たった一言でかなり驚かせてしまったようだ。なんかプレイのときに可愛いとずっと思ってたから、普段から言ってる気がしてた。

 俺、テンション上がって頭バグってんな。

 先輩もれっきとした男だし、可愛いと言われたら嫌かも……でもまぁ、仕方なくない?事実だし。

 

 プレイのときのふにゃふにゃな可愛さは俺だけのものだ。

 『定期的にプレイの相手をしてほしい』という俺の提案に乗ってくれたということは、先輩にパートナーはいないってこと。威嚇事件のときに気づけばよかったのだが、どうやら石田先輩とはプレイする関係ではないようだ。


「そんな冗談おもしろくもないからやめろ。な……なぁ、あたま痛いんじゃないのか?」

「冗談じゃないっすけど。あー、なんか昨日はちょっと痛くて……でもいまは意外と」

「じゃあやめる! 心配して損した」

「わーっ! 待って!」


 朔先輩はくるっと背を向けて去っていこうとする。

 本気で怒らせてしまったことに気付いて、俺は慌てて追いかける。ドアの手前で夏でも白い腕を掴み、背中に向かって謝った。


「すみません……あの、今日は駄目でもいいですから。怒らないでくれませんか?」


 一度の機会を逃すより、嫌われて二度と会ってくれないほうがつらい。縋っているようで情けないなと思いつつ、メールの返信でさえ遅いと気になるのだからなりふり構っていられなかった。


 なにより朔先輩が俺のことを心配してくれてたんだと思うだけで、喜びに心臓が掴まれたように苦しくなる。()()、俺のことを見れば舌打ちしてガン無視していた人だぞ?


「怒って……ない。やろう、今日」

「あ……ありがとうございます!」


 振り向いた顔はほんのりと頬が赤らんでいた。いや怒ってただろこれ。皮膚が薄いからすぐにわかるな……


「風谷、脱げとかは無しだからな?」

「分かってますって。――あ。落ちたら危ないんで眼鏡取っていいですか?」


 念を押されて、もちろんと頷く。一瞬妖しい想像が脳内に広がりかけて、別のことに思考を切り替えた。先輩こそ変なことは言わないでほしい。

 

 許可を取って眼鏡を外す。手を近づけるだけで、先輩はキュッと目を閉じ「ん、」と顎を上げる。

 まだグレアも出してないのに素直かよ……。キス待ち顔に見えてしまったのは、俺の都合の良い妄想だ。


 隣の机に眼鏡を置くカチッという音が、合図になった。


 ふわりと、優しさを意識してグレアを出す。

 初めのころと比べて、グレアの質や量を思いどおりに操れている実感がある。若いうちにコツを掴むのは難しいと聞いていたが、先輩という相手がいたからこそ、俺はDomとして成長できた。


「ん……」

「朔先輩、こっちへ来て(Come)ください」


 椅子に腰掛けて、自分の方へ呼ぶ。どこまで近づいたらいいのか分からないという顔をしている先輩の腰を引き寄せ、もうひとつコマンドを放った。


「はい。ここでおすわり(Kneel)

「ふぇっ!?」


 すとんと力の抜けた腰を、自分の片腿の上に乗せた。俺が先輩に教えたSubの基本姿勢は、正直いつもめちゃくちゃあざとくて可愛い。褒めると膝に擦り寄ってくるのがなー……

 とはいえ、先輩を学校の床に跪かせるのは抵抗があった。実は潔癖症だったのかも俺。いや文化祭準備で床に座り込んでたわそういえば。


 朔先輩は戸惑っているが、俺はいつもより間近にある顔に向かって微笑んだ。


「それでいいです。よくできました(Good boy)、先輩」

「んっ……ぇへへ」


 頭を撫でただけで出てくる色気のある『んっ』はなんなんだ! 薄っすらと思っていたけど、先輩は感じやすすぎる気がする。皮膚刺激に敏感なのはプレイ中だから? Subってみんなこう?

 内心の叫びを押し隠し、それでも手は動揺でいつもより激しく頭を撫でくりまわす。ふやけた顔でくすくす笑っている先輩は、あまりにも無防備だ。


 そのままあれこれ命令して従わせたくなったものの、さすがの俺も自重した。プレイバーで先輩に一歩進んで触れるようになってから、俺の(タガ)はいつなんどき外れてもおかしくないほどぐらぐらだ。

 少し近づくと、もっと欲しくなってしまう。先輩には中毒性がある。そのことに気付いた時点で、もう俺は戻れない場所にいた。


「……まて。もう止めろって!」

「あ、すみません」


 グレアの影響を抜けたらしい先輩が、俺の手を掴んで止める。黒い宝石みたいな目が、少し潤んで煌めいているのが綺麗だ。

 俺はぼーっとそれを見つめながら、乱れた先輩の髪を手櫛で直す。さらさらしてて真っ直ぐで、指通りのいい髪。


「おいっ……もう、離せって」

「あ……すみません」


 膝に乗ったままお世話させてくれるなんて、どうしたんだろうか。嬉しくて調子に乗っていたら、俺の腕が先輩の腰をがっちり掴んだままだったらしい。


 ようやく解放された先輩は、脚に力が入ることを確かめながらゆっくりと立ち上がり、不機嫌そうに振り返った。


「お前さぁ。本当に体調悪くないんだよな?」


 そう言いながら、額に手のひらを当ててくる。俺より体温の低い手は躊躇いもなく、それでいて思いのほか優しい。先輩から触れられたのは、これが初めてな気がした。


「んー……許容範囲か。なんかぼーっとしてねぇ? 文化祭の準備はどうなの」

「っ、順調っす」

「じゃあ勉強で夜更かししてんだろ。見かけによらず真面目だもんなぁ、風谷」


 今度は髪をくしゃくしゃっとされて手が離れていく。俺のやり方とは違って、わざと乱れさせて遊ぶみたいな慣れた手つきだ。確か弟と妹がいるんだったか……

 先輩から向けられる兄のような視線に、自然と心が開いた。


「必死ですよ。……俺、いつか親の事業継ぎたいんすけど、家族と仕事するなんて絶対嫌だって言ってる弟の方がよっぽど優秀で……」

「おお、お前偉いな。親御さんはなんて?」

「別に……好きにしろって」


 両親は継いでくれたら嬉しいかな〜くらいで、無理強いしない姿勢でいてくれる。碧斗が今のところ外に出たいと言っていることに対しても、二つ返事だ。


「いい親じゃん。それがなんか問題あるわけ?」

「だって……弟の方がよかったって、思われたくないじゃないすか」


 優秀な弟に来てほしかった。出来の悪い兄じゃなぁ……なんて、親や会社の人に思われたらと想像するだけでぞっとする。今できることなんて限られてるけど、せめて親や弟と同レベルの大学を出たい。


「ははっ。だっせーな」

「……先輩」


 誰にも言えない悩みを打ち明けて、今日はなんだか優しい先輩に慰めてもらえる気がしてたのに……だっせーって。いや俺が情けなくて馬鹿でダサいのは分かってるけど!

 思わず拗ねた気持ちになり、ジトッとした目で先輩を見上げた。おもしろそうに口角を上げながら、先輩が口を開く。


「学校で勉強してることってさ、社会に出るとほとんど役に立たないらしいぜ? それより頑張った経験とか、人とがっつり関わった経験が役に立つんだとよ。――というのがバ先の先輩談」

「ちょっと感動したの返してくださいよ……誰ですかそれ」

「あはは……まぁつまりさ、お前は親の会社に入って数学とか物理やる訳じゃないなら、そんな気を張らなくて大丈夫だろ。聞いた感じ充分頑張ってると思うし」

「…………」


 その辺の身近な大人に言われるより、先輩の言葉は効いた。これは、間違いなく俺を励ましてくれている。嬉しくて、言葉が詰まってしまう。


「お前のクラスは文化祭に向けてまとまりがすごいって、武蔵が言ってたよ。なんつーか、カリスマ性っていうの? すげーあると思う。目立つだけじゃなくて、こう、言うことに従いたいと、思わせるような……ぐ。とにかく! お前は上に立つ才能あるよ。そんな根詰めて勉強やらなくても、いい社長になれそう」

「……ありがとう、ございます」

「あー褒めすぎた。いまの無し無し。調子に乗るなよ」

「えー……無理」


 高校に入ってからずっと胸に滞留していた心のもやもやが、朔先輩が吹き込んだそよ風によって晴れてゆく。学校の授業がないせいか、最近は家でひとり勉強していても思うように進まず悶々としていたのだ。

 

 いつも見た目くらいしか褒められることがなくて、それだって贅沢なことだと言われてしまえばそうだけど……がんばってるとか、内面を褒められることはそうそうない。

 

 先輩は俺をどうしたいんだ? これだけ俺の心を掴んで、どうして何もないふりをできるだろうか。

 椅子からゆっくりと立ち上がると、びっくりした様子で先輩が後ずさる。


「朔先輩。ひとつお願いがあるんですけど……」

「さっそく調子に乗るな!」


 俺は今しかないと思って、ずっと思っていたことを告げた。過去はどうしようもないけど、これからは――

 

「俺以外の人と、プレイしないでもらえませんか」

「は……」

「嫌なんです。朔先輩が、俺以外の人と……するの」

「…………」


 トン、と先輩の尻がぶつかった机に両手をついて、先輩を腕の中に閉じ込める。ポカンと目を丸くした先輩は、間近に迫った俺の胸から徐々に顔を上げた。

 頬に血が上っている。怒って……いや、照れてる?

 

 いい返事を待っていたものの、先輩は口を開かない。目をうろうろと彷徨わせ、唇を引き結ぶ。リップが落ちきっていないようで、いつもよりやっぱり唇が赤い。


 先輩は結局なにも言わず、顔を伏せてしまった。あーあ、くそ。この反応は…………


 気づけば窓の外の声も、廊下からの音も聞こえなくなっていた。細いあごをつかみ、無理やり上を向かせる。


「っ……!」


 ドン! と胸を拳で叩かれたけど、敢えてゆっくりと顔を離した。ちゅ……と離れた唇が小さな音を立てる。

 

 前髪の隙間から見えた先輩の目に涙の膜が張っていて、その煌めきが俺を惑わす。もう一度角度を変えて唇を重ねようとした。


「やめろ!!」


 今度は全力で押され、身体がよろけた。先輩が叫ぶ。

 あ……と自分のやらかしたことに気づき、呆然としているうちに先輩は俺から離れる。机の上にあった眼鏡を掴み、そのまま走って教室を出ていってしまった。


 最悪だ。やっちまった。


「あー……馬鹿じゃん、俺」


 周囲に音が戻ってくる。さすがに自分の顔を覆わずにはいられない。


 愚かな男の後悔をあざ笑うかのように、鳴き出した蝉の声が暑苦しく辺りに響いていた。

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