第2話 夕食とリザの寝床
村と呼ばれていた場所は、蓮の知る“集落”とはまるで規模が違っていた。いや、正確には村というより、小さな町といったほうが近いだろう。
整備された石畳の道。左右には木造と煉瓦造りの建物が立ち並び、看板には見慣れぬ文字と、絵で表された料理や道具、薬草などの印が描かれていた。
「……やっぱり、異世界ってやつか……」
ふと立ち止まった蓮が呟くと、リザは振り返り、小さく首をかしげた。
「ん? なにか言った?」
「いや……こっちの話」
人々の服装も、革と布をつないでいたり、色合いもどこか地味な感じだった。けれど、どこか自然で、秩序が保たれている。蓮の脳内で、常識の境界線がじわりと塗り替えられていくのを感じた。
「ほら、着いたよ。あそこの食堂、わりとおすすめ」
リザが指さしたのは、蔦の絡まる三角屋根の建物だった。木の看板には、スープ皿とパンの絵。そして、「ほっこり亭」という、どこか安心感のある名前。
中に入ると、香ばしい焼きパンとスパイスの香りが鼻をくすぐった。石造りの暖炉には柔らかな火が灯っていて、木のテーブルと椅子が整然と並んでいる。
「すいませーん、適当に空いてる席、いいですかー?」
リザが声をかけると、店主らしき丸顔の女性が笑顔で手を振った。
「どうぞー。今日のおすすめは、焼きチーズ入り煮込みハーブ鳥と、芋とベーコンの香草焼きパンよ!」
「じゃあそれと、ミートパイも追加で。飲み物は……ジンジャーサワー2つ!」
「わー、頼みすぎじゃない?」蓮が苦笑すると、リザはにやりと笑った。
「ちゃんと動いたし、たくさん食べたほうが回復するでしょ? あんた、魔力も体力もごっそり使ってるんだから」
やがて料理が次々と運ばれてくる。金色に焼けたミートパイはサクサクの皮から肉汁が滴り、煮込みハーブ鳥はホロホロと崩れる柔らかさ。スパイスが鼻を抜け、焼きたてパンにはカリカリのベーコンと芋の甘みが香っていた。
蓮は一口、煮込みを口に含んだ。
「……うまい……」
肉が舌の上でとろけ、濃厚なチーズのコクとハーブの香りが広がる。食べた瞬間、胸の奥に懐かしい感覚が広がった。
――そうだ。家族と囲んだ、食卓の温かさ。
両親と、妹と、いつもの夜。なんてことない献立。けれど、笑いながら食べるそれが、今となっては遠い夢のようだった。
「……一年ぶり、かも。誰かと、こうして食べるの」
ぽつりと、蓮は呟いた。
「……あ」
リザの手が止まり、気まずそうに蓮を見た。
「ごめん、なんか……変なこと言ったな」
「ううん、別に。私だって一人で食べるほうが多いし。まあ、こうして誰かと食べるの、悪くないってだけ」
「……ありがとう。なんか、少しだけ救われた」
ふと、リザが箸(この世界では金属製の細いフォークだった)を置いて、真剣な顔で蓮に向き直った。
「ねえ、蓮。……さっきの話、ちょっと気になってるんだけど」
「……ああ、記憶のこと?」
リザは確認するかのように指を折りながら言葉に出した。
「目が覚めた時、森にいて。名前と……家族がいたことくらいは思い出せる。でも、それ以外のことは曖昧で……。どうしてここにいるのかも、契約した魂装のことも、まったく心当たりがない…と」
リザはしばらく黙っていたが、やがて小さく息を吐いた。
「……ま、無理に思い出すことじゃないかもしれないけど。しばらくは、安全な場所で落ち着いたほうがいいかもね」
それから少しだけ視線を逸らしながら、頬を掻いた。
「その……とりあえず、今夜は私の部屋に泊まりなよ」
「え?」
「べ、別に変な意味じゃないからね!? 野宿させるわけにいかないってだけで、特別扱いとかじゃないから!」
急に早口になったリザは、赤くなった頬を手で仰いだ。
「ほら、宿屋に部屋借りてるから。狭いけど、寝床くらいはあるし。……ま、変なことしたら、マジでチワワーズけしかけるからね!?」
「しないよ! ていうか、するわけないだろ!」
「ふん、どうだか。――でも、信じてあげる」
リザはそっぽを向いたが、耳がほんのり赤くなっていた。
蓮は笑った。心から、自然に笑えたのは、もしかしたら一年ぶりだったかもしれない。
リザの部屋は、宿屋の二階の端にある小部屋だった。
木の床板は軋み、壁には薄い布のカーテン。窓の外では虫の声がかすかに響き、ランプの明かりが暖かく揺れていた。
蓮は借りた寝具の上で仰向けになっていたが、なかなか眠れずにいた。
――本当のことを言えば、どうなるんだろう。
そう思った時、心の奥が冷えたように感じた。
リザが信じてくれる保証はないし、“異世界から来た”と言っても、受け止めてもらえるとはも思えなかった。
(とっさに“記憶がない”ってことにしたけど……)
それが嘘であることに、罪悪感がなかったわけじゃない。
けれど、どうして“ここ”にいるのか――それを説明する術が、他に思いつかなかった。
「……リザ、起きてる?」
暗闇の中、そっと声をかけると、しばらくして「うん」と返ってきた。
やはり彼女も眠れていないようだった。
「なんか、いろいろ考えちゃってさ」
「……あんたも?」
リザの声は、少し眠たげで、けれどどこか優しかった。
「俺さ、さっき“記憶がない”って言ったけど……本当は、全部が全部ってわけじゃない」
「え?」
蓮は一瞬、口を閉じた。言葉を選びながら、嘘と本音の狭間を慎重に歩くように、続けた。
「正直、覚えてることもあるんだ。でも……それがこの世界とは違う世界というか…だから、余計に混乱してる。……自分の今の状況がどうなっているのかっていう不安もあって…」
「……うん」
リザは静かに相槌を打った。否定も追及もせず、ただ聞いていた。
「たぶん、誰かに話しても、変に思われるだろうなって思って……だから、“記憶があいまい”ってことにしたんだ」
リザは、しばらく沈黙していた。
でもやがて、小さく息をついた。
「……ふーん、そういうのって、誰にでもあるかもね」
「え?」
「ほら、私も昔のこととか、飛んでる記憶もあるし。自分が本当にやりたかったこととか、何になりたかったのかとか。たぶん“本当の自分”って、案外分からないもんだよ」
その言葉は、蓮の心に不思議と沁みた。
「……ありがと。変な話、ちゃんと聞いてくれて」
「別に。……でも、少しでも手がかり見つかるといいよね。明日さ、ギルドに薬草を納めに行く予定だったんだけど――ついでに、教会にも寄ってみない?」
「教会?」
「うん。魂装の鑑定ってのができるの。普通は10歳になったら魂装の契約と併せてやるんだけど…あんたの魂装、見たこと無い形だったし、調べたら何か思い出すかもね」
「そんなことできるんだ……」
「できるよ。変わった神官も多いけど、慣れればどうってことないし」
リザの声は穏やかだった。どこか照れているような、けれど背中を押してくれるような優しさがあった。
「じゃ、明日はギルドと教会ね。寝過ごすなよ」
「うん、ありがと。……本当に」
「別に、感謝されるようなことじゃ……ないし」
リザは言葉を濁してから、急に語気を強めた。
「でも、あんたが変なことしたら、マジでチワワーズけしかけるからね! 夜中にこっそり布団に入ってくるとか、絶対なしだから!」
「しないってば!」
「ふん、どうだか。……でも、まあ、信じてあげる」
背を向けたリザの髪が、月明かりに照らされて揺れた。
蓮はようやく、ほんの少しだけ肩の力を抜くことができた。
「おやすみ、リザ」
「……おやすみ、蓮」
目を閉じても、さっきよりはずっと穏やかな気持ちだった。
この世界で、本当の自分を探していく――その旅が、少しだけ始まった気がしていた。
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