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僕たちは三年の恩を三日で忘れる、と古くから言われますが、貴女と過ごした日々はやけにはっきりと記憶に焼きついています。
無為自然に生きる存在として、物心ついたころから天地のあれこれは理解していました。
でも、貴女があまりにも熱心に教えてくれるから。
ああ、これはうつくしいものなのだと、知ったのです。
貴女と出会ってまだ間もないころ、足が不自由で外へ出歩けない貴女に僕は白花を贈りました。
いつの日か、人間の番が花を贈り合っている姿を見たことがあったからです。
純白の花を受け取った貴女は、本当に嬉しそうに笑ってくださいました。
好きだったから、昔に屋敷の庭で育てたことがある花なのだと。
名を月下美人と言うのだと。まさに、満月の下で微笑む貴女にふさわしい花だ、と僕は思いました。
もうひとつ、貴女は茉莉花も好きだと言ってくださいましたね。
思い出の花なのだと、古い歌謡を口ずさみながら。
「本当はね、わたしよりも上手に歌える人がいるんだけど。でももう、あの歌声は聞けなくなっちゃった」
どうして?
「もうこの世にはいないんだ。事故で亡くなったから。わたしの足も、そのときに怪我したものだから」
そんな顔をしないでください。僕がついていますから。
「あら、慰めてくれるの? やさしい猫さんなのね」
一介の畜生である僕には、鳴くことしかできませんでしたが、それでも貴女は僕の毛並みを優しくなでてくれた。
そのようにしばらく、きれいな花や石を貴女の枕元に運んでゆく日々が続きました。
その度に貴女が語ってくれるお話を心待ちにしながら、たまには遠出をしてめずらしい花々を集めにいったものです。
ある日のことでした。
見たことのないような大輪の月下美人を見つけ、すぐに持ち去ろうとしました。
しかしそれが、花屋の店主の逆鱗に触れてしまったようです。
僕は店主からひどい仕打ちを受け、あっさりと死んでしまった。
あまりにも儚い命でした。せめて最期は貴女の隣で過ごしたかった、貴女に大輪の月下美人を見せたかったと、薄れゆく意識のなかで思いながら。
僕たちは三年の恩を三日で忘れる、と古くから言われます。
だから、どうか貴女も忘れてください。
僕もじきに、貴女のことを忘れてしまうでしょうから。