世界の潮流
中村の探求の最後のピースは、予期せぬ場所からもたらされた。彼は、大手家電メーカーの倒産後、20年近く中国で技術者として働き、最近日本に帰国したという藤田にインタビューする機会を得た。
藤田の話は、これまで中村が集めてきた国内の物語を、一気にグローバルな文脈の中に位置づけた。彼は、内部の人間でありながら、同時に外部の視点を持つ「アウトサイダー・インサイダー」として、日本の「失われた数十年」を冷静に分析した。
「日本の技術力や勤勉さは、今でも素晴らしい。しかし、変化を恐れるあまり、意思決定が遅く、内向きになっている」藤田は語った。「私が中国で見たのは、失敗を恐れずに挑戦し、驚異的なスピードで学習していく社会の姿でした。日本が停滞している間に、世界は全く違う場所になってしまったんです」
彼の言葉は、これまでの物語に登場した人々の苦悩が、単なる国内の政策失敗や社会の変化だけでなく、グローバル化という巨大で非情な潮流の中で起きた必然であったことを示していた。国鉄の民営化も、バブルの崩壊も、製造業の空洞化も、すべては世界的な資本主義の再編という、より大きな物語の一部だったのだ。
藤田の証言は、コーラスのように響き渡り、これまでの中村の調査全体を総括する役割を果たした。個人の記憶、日本の社会史、そして世界の経済史。中村の頭の中で、これらの三つの円が重なり合い、ついに日本の戦後が持つ複雑な全体像が姿を現した。彼の教育は、この最後のインタビューによって完成された。