絶対魅了する吸血鬼VS【魅了完全耐性】令嬢
◯古城にて
エリザベスが目を覚ましたとき、はじめに目に入ったのは丸いステンドグラスの向こうで輝く月だった。彼女は石でできた祭壇の上で眠っていた。祭壇の周囲には、赤い薔薇の花が敷き詰められている。ステンドグラスは彼女の真上にあって、丸いばら窓になっていた。白い月から降り注ぐ光が、彼女の周囲をスポットライトのように照らしていた。
「私は……どうしてこんなところに……?」
まだ頭がフラフラしていた。片手でこめかみを押さえながら、必死に記憶を辿る。
「たしか、夜会に参加していたはず」
自分の格好を見下ろした。薄紅色のナイトドレス。夜会の時の服装と同じだ。
エリザベスはさる貴族の令嬢だった。礼儀作法と神学を学ぶために通っていた女学校を卒業した祝いの夜会である。
エリザベスの美しさは貴族達の間でさえ評判だった。女学校に通うため、ここ数年は夜会に姿を見せてはいなかった。その彼女が久しぶりに姿を現すというので、その美貌をひとめ見ようと多くの来客が詰めかけた。何人もと挨拶を交わした。女学校を卒業をしたら、同時に成人したとみなすのが習わしだった。
つまり、酒を口にすることも許されたのだ。
「あんまり美味しくてお酒をたくさん……」
二つの謎があった。なぜ夜会のあとの記憶がないのか。そして、なぜ冷え冷えとした古城にいるのか。
自らの行いを振り返ったエリザベスは、一つ目の謎について答えを得た。
「……飲みすぎてぶっ倒れたんでしたわ!」
◯吸血鬼ヴィクトール
「お目覚めかね?」
暗闇の中に声が響いた。低く落ち着いているが、同時にどこかじっとりとした色気も感じさせる。イケオジ声である。
月光に照らされた祭壇の周囲の闇の中から、進み出てくる影があった。黒髪をなでつけ、上下共に黒い夜会服を身にまとった男だ。その目元だけが、妖しく赤い光をまとっていた。
「あなたが私をここに……?」
現れた男は、ただのダンディなおじさまにはとても見えない。その身にまとう空気は、どこか恐ろしいものを感じさせる。
「そうとも。寝心地はいかがだったかな、エリザベス」
「なぜ私の名前を?」
「夜会で挨拶したのを覚えていないかな? あのような大きな夜会は、私のようなものが紛れ込むのに格好の場なのさ」
男はニヤリと笑った。その口元には白く、鋭く尖った牙が生えていた。
「私の名はヴィクトール」
「吸血鬼!」
「いかにも! 抵抗しても無駄だ。私のような高貴な吸血鬼には【魅了】の力がある。瞳を見るだけで思うがままにできるのさ!」
かっと目を見開いたヴィクトールが迫る。爛々と光る赤い瞳を、エリザベスは正面から見てしまった。
「さあ、自ら白い首を晒し、『血を吸ってください』と言うのだ!」
魅了の瞳を光らせながら、ヴィクトールが哄笑をあげる。だが……
カンッ!
甲高い効果音が鳴り響き、魅了の魔力は明後日の方向へ飛んでいった。
「……ん?」
吸血鬼の笑みが凍り付いた。
「そういえば、私には【魅了に対する完全耐性】があるんでしたわ」
「そんな都合のいい能力が!?」
◯魅了完全耐性
「ば、バカな。高貴な私の魔力が小娘に防がれるはずが……!」
ヴィクトールは何度も赤い瞳を光らせた。その目からは、見つめあったものの意識を思うがままにできる魔力が発せられている。だがエリザベスに届く瞬間、なぜか「カンッ」という音を立ててはじかれてしまうのだった。
「ええと……」
がんばっている様子の吸血鬼の姿に、エリザベスはだんだんいたたまれなくなってきた。祭壇を降りる。
「この薔薇、花だけを摘んであるんですね」
茨から丁寧に取り除かれている。おかげで足が傷つくことはない。
「ああ。日中は暇だからやることがなくてコツコツやっていたんだ。……じゃない! なぜ私の瞳が通用しないんだ!」
「私、学校で神聖魔法の訓練を受けていたんですけど。あまり魔法を扱う才能がないみたいで。どうも、体質なのか運命なのか、聖なる加護を篤く受けているようなのです」
そこで、魔法を扱うためではなく、自らを鍛える修行を行うことにした。
「断食や山籠もり、感謝の聖剣振り1万回などを毎日続けて聖なる加護として完全耐性を得たのです」
「そんなやつがぶっ倒れるまで酒飲むなよ」
「修業は終わったしいいかと思って……」
目をそらしてぶつぶつ言い訳するエリザベス。だがヴィクトールはまた別の理由で焦っていた。
(修行だと? それではこの女、どこにでもいる貴族令嬢ではなく聖人の類ではないか)
運命か、前世の行いか。稀に生まれつきの聖なる力を持つものがいる。そういった人物が修行を繰り返し、加護を定着させるに至れば、伝説の聖人たちに匹敵する存在だ。
吸血鬼は思わず舌なめずりをした。
「聖人の血となれば、どれだけ美味いか……!」
◯役立たずのダンディ
「私を襲って、血を吸うつもりですのね……!」
薔薇の花に囲まれた中で、エリザベスは白いのどを鳴らした。
修行をして、多少の身体能力は手に入れた。しかし悪しきものを遠ざける魔法は身に着けていない。真の怪物である吸血鬼に対して、腕力でかなうはずもない。逃げることができるだろうか。このドレスのままでは難しい。
「ふふふ……」
ヴィクトールは妖しく微笑んだまま、じっとエリザベスを見つめている。
「くっ……!」
じりっ。エリザベスが後ろに下がると、そのぶん吸血鬼が距離を詰める。
じりっじりっ。だんだん壁際に追い詰められていく。
だが、男はそれ以上近づこうとはしなかった。
「……」
ずいっ。思うところがあって、エリザベスは一歩進んでみた。するとヴィクトールは後ろに下がった。
「なんなんですの! 襲うつもりじゃないんですの!?」
「だ、だって魅了の瞳が効かなかったときにどうするか、考えてなかったんだよ!」
「血を吸いたいんじゃありませんの!?」
「そうだけど、自分から襲ったことなんてないし! 自分から襲い掛かって血を吸うなんて、私が血を吸いたくて仕方ないみたいじゃないか!」
「事実そうじゃありませんの!?」
エリザベスは頭を抱えた。
「情緒っていうか、お願い吸ってって言われて『まったくしょうがないなあ』ってダンディに吸ってあげるっていうのが私のスタイルで……」
ぶつぶつ言っている吸血鬼を、信じられない気持ちで見つめていた。
◯エリザベス、その人
(改めて状況を整理してみると……)
本来なら自分がピンチに追い込まれているはずなのだが、エリザベスはむしろ冷静になってくるのを感じていた。恐ろしくも魅惑的に思えた吸血鬼が、目に見えて狼狽しているのである。
(私は夜会で正体をなくしたところを、吸血鬼にさらわれてしまった)
そもそも飲みすぎてしまったことがすべての原因なのだが、その点については棚上げする。「ドンマイ! 次から気を付けよう!」で次のステップに進む。
(吸血鬼は【魅了の瞳】で私を魅了しようとしたけど、できなかった。あの厳しい修行に助けられるとは、人生何があるかわかりませんわね)
肉体をいじめ抜き、精神を鍛え上げた修行の日々。このままではムキムキのマッシブ乙女になってしまうと思って枕を涙で濡らした日もあったが、幸い加護がいい感じにしてくれたのか、腹筋がうっすら縦に割れる程度で収まっている。これくらいならセクシーの範囲内だとまたも自分に言い聞かせた。
女学校は、エリザベスの扱いに困っているようだった。貴族の令嬢が通う女学校で学ぶことは、基本的に貴族の妻になるための教養である。家事。家計の取り仕切り。神話学。神聖魔法の素養があるものは、それを学ぶ……夫が亡くなった後に修道女となる時のためだ。
そうして、ほとんどの女生徒は卒業したときには人生の設計が完成する。素質や成績にあわせて親と女学校が婚約者を見つけてくるし、もしとびぬけた魔法の才があればそのまま聖職者になることもある。
だが、エリザベスは規格外だった。
通常の範囲にはとてもおさまらない加護は、神々からの恩賜だ。
ほかの卒業生と違って、エリザベスの将来を女学校は決められなかった。恩賜の持ち主には運命が与えられる――と、少なくとも神殿では信じられている。その運命を狭めることの責任を、女学校では取り切れないと考えたのだ。
そして、彼女は実家へただ戻された。いつか運命があなたを導くだろう、とだけ告げられて。
(もしかして……)
エリザベスは半生を振り返ってから、ふと思った。
(この出会いが私の運命なんですの?)
◯プライドと令嬢
エリザベスが短い回想をしている間、吸血鬼ヴィクトールはただ立っていた。
二人の間の沈黙を先に破ったのは令嬢のほうだった。
「あの」
「おわっ!?」
声をかけられると、驚いた吸血鬼が飛びのいた。
「もう今日のことは忘れますから、もう帰していただけませんこと?」
運命がどのように現れるか、エリザベスにも予測がつかなかった。この事件が運命の導きによるものではなく単なるハプニングであれば、きっぱり忘れることにしようと思ったのだ。できればハプニングであってほしかった。
「いや、しかしだな……私にも吸血鬼としてのプライドというものがある」
もごもごと答えるヴィクトールは、端整な顔を背けていた。
「もしかして、魅了をせずに女性と話すことができませんの?」
「ぎくぅっ! ち、違う! 久しぶりすぎるだけだ!」
「『ぎくぅっ!』って言ってましたわよ」
吸血鬼は胸のあたりを押さえ、はーっはーっと何度か深呼吸した。少しだけ落ち着いたところで答えが返ってくる。
「……実は、その通りだ」
やっぱり、と思ったが、エリザベスは黙って続きを促した。
「私は吸血鬼になる前は、内気な青年だった……」
令嬢は思った。
(あっ、長くなりそうですわね)
◯吐露
「私には愛する人がいた。だが、その思いが報われることはなかった。愛を失った悲しみから、私は魔道に手を染めて吸血鬼となったのだ」
ヴィクトールは生涯の秘密を語り始めた。
「まさか……思い人が亡くなってしまいましたの? それとも、望まぬ相手に無理やり奪われてしまったとか……」
この吸血鬼にも同情するところがあるかもしれない。エリザベスは身を乗り出した。
「私は高貴な生まれだった。この城はその時からのものさ。流行り病で親を失った私に、この城だけが残された。この城のバルコニーからは湖畔が見える。彼女はその湖畔に時折遊びに訪れていた。さる伯爵の娘だった。高貴な家柄にふさわしい美しい人だった。見た目もだが、それ以上に歌声が美しかった……。晴れて空気が澄んだ日には、彼女が湖畔で歌っていると、この城まで聞こえた。その歌声に聞き入ることが、私にとっては一番の喜びだった」
「思いを伝えたんですの?」
「いや、彼女の姿を眺めているだけで幸せだったよ」
ヴィクトールの赤い瞳は、まぶたの裏に映る思い出を見つめていた。
「そうこうしているうちに彼女は結婚してしまった。そして私は吸血鬼になった」
「自分からは何にもしてないのになんでですの!?」
「見ているだけで幸せだったけど、他の男のものになるのはショックだったんだよ!」
吸血鬼は僕が先に好きだったのに、とつぶやいた。
「まさか、吸血鬼の力で彼女を無理やり?」
「愛する人の幸せを壊せるわけがないだろう!」
「何のために吸血鬼になったんですの……」
「むしゃくしゃして、つい」
ショックを受けたとき、自傷するタイプらしい。
◯咬む
「原点に立ち返り、私は気持ちをあらわにしたぞ!」
思いを吐露して元気になってきたらしい。ヴィクトールは赤い瞳を光らせる。カンッ。魅了は防がれた。
「もはやあの頃に帰ることはできない。私の手は罪で穢れている……ならばいっそ、聖人の血を味わわせてもらおう!」
「しまった! 聞き入ってしまいましたわ!」
エリザベスが逃げ出そうとするのもつかの間。吸血鬼の肉体は霧へと変じたかと思うとすぐさま部屋を包み込んだ。
「魅了が通用しなくとも、無理やり牙を突き立ててしまえばいいだけだ!」
再び姿を現したヴィクトールは、エリザベスの腕をがっしりとつかんでいた。
「くっ……!」
振りほどこうとしたが、やはり力ではかなわない。エリザベスの細腕では、振りほどこうとしても抑え込まれるだけだ。
(逃げられない……)
あきらめの境地に達したエリザベスは、力を抜いた。
「一度血を吸われるのもいい経験になるかもしれません。こうなったら、バッチ来いですわ!」
「なんだと……い、いや、いい覚悟だ。ふははは……!」
文字通りに胸襟を開いた令嬢を前に、あっけにとられたヴィクトール。だがすぐに哄笑を上げて、その首もとへ顔を近づける……。
(まあ……なんとかなるでしょう)
実のところ、エリザベスはそれほど心配していなかった。吸血鬼に血を吸われるといいなりになってしまうとか、眷属にされてしまうという話を耳にしたことがある。だが、聖人としての加護が自分にあるなら、守ってくれるだろうと考えたのだ。それに……他人の血を吸わなくては生きていけない存在のことを、いくらか哀れにも思っていた。
「この犬歯で君の血管を突き刺し、血を啜ってやろう」
ひやりとした冷たい牙が、細い首筋に触れる。エリザベスは覚悟を決めた。
だが……
◯牙
「……く……だ、ダメだ!」
がばっと頭を抱えて、ヴィクトールが飛びのいた。
「ど……どういうことですの?」
「牙が……勃たない!」
「はい?」
ぽかんとするエリザベスに、ヴィクトールは自分の歯を見せた。上あごの犬歯は確かにとがっているが……
「吸血するときにはもっとシャキッと牙が出て、突き刺しやすくなるんだ。たしかに普段も尖ってるけど、もっとこう……突き出るんだ。いつもなら自然に牙が勃つのに……」
「それは……魅了できてないから?」
「そ、そうだろう。いつものルーティンが崩れてしまったから調子が出ないんだ。こんなフニャキバでは血を吸うことができない……」
それは吸血鬼にとってはショックなことらしい。広い肩幅をがっくりと落として、ヴィクトールはうなだれていた。
エリザベスは(フニャキバって言うんだ……)と思っていた。
「あまりにも長く魅了の力に頼っていたから、自分から襲っても勃牙できなくなってしまっていたとは」
「そ、そんなに落ち込まないで……」
なんと声をかけていいかわからない。フォローしようとすると、ヴィクトールはキッと彼女をにらんだ。
「だいたい、君の態度もよくないだろう! そうやって受け入れる感じを出されてしまったら、私が吸いたくてたまらないのを許してもらってるみたいな雰囲気になるじゃないか!」
「そっちのメンタルが原因なのに責任転嫁しないでもらえます!?」
こうしてしばらく責任の所在をめぐって議論が尽くされたのだが、あまりにも非生産的であったのでここに記すのは遠慮しておく。
◯朝日とともに
「私は少しは哀れんで差し上げようと思って……!」
「だから私は獣のように襲うのには気が乗らなかったのだ!」
「襲いましたわよね! 獣のように!」
「君がしてほしいかと思って合わせてやったんだ!」
議論だったものはやがて大声合戦になっていた。ふと気づくと、ステンドグラスから注いでいた月光は消えて、代わりに城から見える地平線が白み始めている。
「朝ですわ……」
「なに!? くっ……この私が、さらった獲物を逃してしまうとは……」
なんだかわからないが、どうやらヴィクトールは負けを認めたらしい。
「どっちにしろあの調子では手出しできなかったと思いますけど……」
「何もかも癪に障る娘だ」
この期に及んでも大物ぶりたいらしい吸血鬼は、髪をかき上げてから宣言した。
「いいだろう。いつか、魅了の瞳に頼らずとも君自身の口から『血を吸ってください』と言わせてやろうではないか!」
体面を取り繕うときには元気になるヴィクトールは、フニャキバでショックを受けていたことも忘れ、哄笑を上げた。
「ま、まさか……この城に閉じ込める気ですの!?」
「いや、送ってあげるから今日は帰りなさい」
紳士的だか何なんだか。大蝙蝠に変身したヴィクトールに街まで運ばれることになった。バタバタせわしなく飛ぶから上下動が激しく、二日酔いで痛む頭を揺さぶられたエリザベスは盛大に吐いた。
自分の胃液の味を感じながら、エリザベスは(これが運命だったら納得いかないなあ)と思ったのだった。
(了)
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