05.不正解の愛情
目が覚めたら、陽が傾きかけていた。
「うぉっ、寝すぎた」
何事にも「よっこいしょ」と、掛け声をかけないと動けなくなったのは何時からだろうか。
「よる年波~~」
美の追求家の口振りを真似て更に落ち込む。
「はーぁぁ、ちゃんとしよう」
立ち上がるとシャツやスラックスに付いた土埃や汚れを叩いて落とす。
「全身丸洗いしてくるかな」
影は伸び始めているがまだ二、三時間は大丈夫だろう。
空気が乾燥しているので動いて汗をかいても横から乾いていくし、衛生的ではないが服を着たまま水浴びをして、そのまま乾かしてもイケそうな気はする。
起きて三十分もすれば、胃が動き出して腹が空くだろう。その時何か口に出来るように森の中で果物を物色しておきたい。
昨日の妖精さんを大人としても人としてもあてにしてはいけない。
湧泉の脇にあったため池で水浴びをしようと廿日市は、森の中へ入っていったのだった。
∵ ∴ ∵ ∴ ∵
アンナが一人眠るのは、母屋から離れた納屋の二階だ。
納屋といっても昔は農奴を住まわせていた建物は、只の農耕具を納めておく小屋とは違い二階には冬を越える為の暖炉など住居としての機能を備えている。
二階の半分は、母屋から運び込まれた使わない家具や古着に占められ、アンナが自分の居場所として使っているのは南の窓側の一角だけだった。
窓の外を眺めると廿日市が居座る樹木が見える。いつも昼間はそこでアンナが絵本を見ているのだが、廿日市が現れてからは彼女は納屋に引きこもるしか居場所がなくなってしまった。
――信仰こそが、この世を照らす光である。
アンナは、マルテスの十三日に産まれた。アンナの母カレンがもう少し待ってと願っても、産みたくないと泣き叫んでも、アンナはこの日に生まれてしまった。
――生命の誕生は喜びである。
十三の邪悪な精霊が神々と人々を苦しめた叙情詩から十三という数字は、アンナたちの信仰では歓迎されない数字となった。
マルテスは勝利の神であると同時に戦いの、争いの神でもある。燃えるような赤い髪に、猛る血潮で肌を真っ赤に染めた姿で描かれるマルテスは、怒りの神でもあった。
新しいことを始めたり、人生の門出などに十三日は……特にディフティン・マルテスは選んではいけないと言われている。
アンナは、母の願いも虚しくこの日に生まれてしまった。
カレンはアンナを愛してはいるが、心は迷信に囚われアンナとも自分自身とも向き合おうとはせず泣き暮らし。
ダニエウは、より信心深く妄信的でアンナは愛する我が子である前に、妻を苦しめ、家族に不幸を招く存在と苦悩した。
生まれてくるまでは、大切な命とされていた存在が、この世に生まれでた途端、悪しきもの疎ましきものとして投げ出される。
姉となることを楽しみにしていた幼子に、その光景はどう映ったのであろう。
眠る赤ん坊を可愛いと言えば、母は涙を雫し、父は苦虫を噛み潰した顔をする。笑う赤ん坊に喜べば、母は顔を背け、父は疲れた顔で肩を落とす。
妹に対する愛情を尽く不正解とされた彼女は、ある日揺藍から抱き上げた妹を床へと落とした。
両親の愛を独占してきた子供が、下に弟妹が出来たことで一時的に親の愛情を失ったと感じ自分への関心を取り戻すため攻撃的行為に出ることはある。
カレンはダニエウを仕事に送り出したあと、朝から体調が優れなかったこともあり寝室で休んでいて、コットに入れられ日当たりのいい居間に寝かされていたアンナの子守りをしていたのはメアリだった。
いつまでも泣き止まない赤ん坊の声に、様子を見に来た近所の住民が目にした光景は、床で烈火のごとく泣き続ける赤ん坊と傍らで立ち尽くす姉のメアリ。誰もメアリが赤ん坊を落とす瞬間を見ていないが、状況から説明は不要だろう。
ダニエウとカレンは、祖父であるウェスにアンナを預けることにした。
祖父のウェスは、アンナを甘やかしはしなかったがとても可愛がり、祖母のレイマニは躾には厳しかったが、惜しみ無い愛情をこれでもかと注いだ。祖父母に引き取られたアンナは、彼女の短い人生の中で一番幸せな時間を過ごすことになる。
――神は、乗り越えられる試練しかお与えにならない。
アンナが五つになる頃、祖母が亡くなり間もなくして祖父も天へ召され、離れて暮らしていた両親と姉が農地を継ぐためにやってきた。
アンナは、大切な農耕具や飼い葉が盗まれないよう雇い止めして久しい農奴の代わりに納屋で暮らすようになり、彼女の愛情に包まれた幸福な日々は静かに終わりを迎えたのであった。
――愛を讃えよ。
七年前――
アンナと別れる最後の日。暗い目をした姉のメアリは両親の目を盗み、自分の一番のお気に入りだったリボンを妹の手首に巻いた。
「かみさまが、まもってくれますように」
どうか叩かれませんように。
なまえを呼んでもらえますように。
いっぱい笑えますように。
たくさん抱っこしてもらえますように。
おなかが空きませんように。
おしりの赤いのがなおりますように。
――また会えますように。




