04.彼女は小さな妖精さん
幸いとして水だけは豊富な場所だった。
農耕が主力で酪農も行っているらしい集落は、端々まで不自由がないように農業用水が整えられている。
山間の集落なのだろう。森の中で沢清水が湧き出ており、その水を引き込んで利用しているため水については苦労はしていないようだった。
水源が豊富な場所は森も豊かだ。
居住区周囲の森へ入って一時間も探索すれば、食べられそうな木の実が見つかった。
まず動物や虫が食べた形跡を確認し、次に味見をしてから渋味の無い甘い物を選んで千切り集めていく。
甘いということはそのまま食べて大丈夫という指標だと彼は考えていた。
彼の名は、廿日市龍一郎。四十四まではアラフォーと言い張るもうすぐ四十三才、独身。
しがないオフィスワーカーであり、シングルライフが板に付きすぎて婚姻という選択肢が人生から消えた男。
そして、道を歩いていたらうっかり穴に落ちて見知らぬ土地に来てしまった異邦人。
食欲もなく不貞腐れて過ごした昨日、彼は妖精と出会った。
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陽が暮れて夜の帳に包まれ始めた頃、悩んだ末、廿日市は水を飲みに木の根元から離れることにした。
夜は怖い。
それは、現代日本だって変わらない。土地が違えば、違った土地なりの怖さがある。
この場所ならば、夜の森だろう。
昼間は気付かなかった動物の気配をそこかしこに感じる。
星明かりが強く、暗闇を恐れる事はなかったが、やはり夜は夜だ。
爪や牙がある動物とは会いたくない。武器も身を守る道具すら身に付けていない状態で森に入るのは恐ろしい。しかし、用水路の水は、綺麗な水だからこそだろう。何かの幼虫らしき虫が元気一杯に泳いでいた。
オタマジャクシやザリガニならば、まだ避けて水を掬う自信はあるが、流石に虫は間違って飲んでしまった時が怖い。
星明かりに照らされ煌めく用水路のせせらぎを眺めていた廿日市だったが、諦めて森へと入ることにした。
夜の森で生きる動物たちは、彼らの生活圏を侵さなければ人を襲うことはないだろう。
暫くして、本日の寝床と決めた木の下に戻ってきた廿日市は、自分が座っていた場所に集めた草や落ち葉で半ば隠されたエプロンを見つけ総毛立つ。
「何、このホラー! 」
無事に喉は潤ったが、代わりにマインドがゴリゴリにすり減った状態で見つけてしまったがために正常な判断が出来なくなっていた。
「ヤバイだろ、何これ。こ、子供か? 子供埋まってるとか言い出さないよな? 」
腰が逃げた大層情けない格好で、恐る恐るエプロンの上に掛けられた草葉を払う。すると布地に見覚えのある刺繍が現れた。
パタパタと音がしそうな瞬きを繰り返す。
「この花柄は……」
自分を遠巻きに見ていた幼女が身に付けていたエプロンの柄だった。
「彼女が? 」
幼女が暮らす家は、廿日市が座り込んでいた樹木から放牧場を挟んで直ぐだ。
大きい小学生くらいの女の子とエプロンを身に付けていた幼稚園か一年生か悩む感じの彼女がいる。
知りたくて知ったわけではないが、此処に座り込んでぼんやり見ていて覚えてしまった。
エプロンを拾い上げ、包まれた中身を確める。
中身は、ここに住む人たちが日常食として口にしているだろう食べ物だった。
「幼女マジ天使」
ラスクのような薄さと大きさのバゲットが一枚と、ワインのつまみで売られている薄っぺらい三角チーズを更に半分にしたようなチーズが一つ。
水気のない乾燥したベーコンのようなもの。
喉が乾くのを考慮したのか小振りなプラムとリンゴの間のような果物が包まれていた。
廿日市が、何も食べていないと心配したのだろうか。
大人の食事量で換算すれば一食に全く足りていないが、あの幼女の食事と思えばこれを倍にすれば充分な量だろう。
彼女は自身の食事を減らして、自分のところに運んできてくれた。心の弱った四十過ぎの男が咽び泣くには丁度いいネタだった。
一口一口を大切に、ゆっくりと味わいながら咀嚼し腹の中に納めていく。
味は日本人好みのものではなかったが、幼女の献身が彼にとっては何よりも有り難く忘れられない食事となった。
腹というより胸が満たされ、そこで『にしても、』と幼女の行動に関して初めて気に懸かる。
エプロンは草葉に隠されていた。半分姿を出していたのは完全に被せてしまうと廿日市が見つけられないと思ったからだろうか。
そんな優しさもホラー&サイコスリラーの演出のようで、精神をすり減らしていた廿日市にはクリーンヒットしてしまったのだが、それは意気地無しな大人の方が悪い。
彼が席を外して戻ってくるまでのそう長くない時間の間に、幼女はここにやって来てエプロンを隠し、廿日市に見付かることなく立ち去った。
「天使というより、妖精……」
方向性が間違った感動をしている廿日市は、見知らぬ土地での初めての夜を図太く熟睡することで越えたのであった。
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彼がこの場所に現れて二日目。
初日は十時間以上、人を見掛ける度に声を掛けに走り、その度に自分の存在をないものと扱われた。
途中から諦め気味になり、惰性で続けていたことは否めない。たが、お陰でこの集落と周辺には随分と詳しくなった。
集落には、十二世帯が暮らしているようだ。一世帯が担う農地が広く、所々境界線が判らない場所もあったので共同で耕作しているのかもしれない。
畜産もしている。飼育されていたのは山羊だ。肉目当てというより乳を搾るのが目的だろう。牛は見ない。牛の乳搾りは過酷と聞いたので、機械化が進んだ現代のような設備がなければ難しいのだろう。
鶏も見つけた。各家庭で食べる卵を得るために、飼われているのだと思った。
完全な田舎暮らしだ。
村全体がどれ程の大きさかは分からないが、このような十世帯前後の集落が幾つか点在していると思われる。
さて、人間。
現状に改善される見込みがなく。又、個人の力ではどうすることも出来ないと悟った場合、する事は一つだ。
ザ・現実逃避。
「うー……ん。ステータスオープン! 」
深夜アニメでよく聞くフレーズを念じながら唱えてみる。
「だよな」
心の中で強く念じても、祈っても、薄い光る板は出ないし、自分じゃない誰かの声が頭の中に響く事もない。
寧ろ、突然誰かの声が頭の中に響いたら、廿日市は心労を疑って受診するだろう。彼は、遠い夏の日に少年の心を失った典型的な四十男だった。
「えーと、ファイアウォール……って、それセキュリティやーん」
魔法を使おうとして、一人ボケツッコミに繋げる。誰かに見られていたら羞恥死しそうな内容だが、幸い此処には誰も廿日市という存在を気にする人間はいない。
いや、興味は示されているのかもしれない。主にマイナス方向で。
「まー、アニメとかみたいな展開はないよなぁ」
ワンチャン俺無双なんて空想したものの、ちょっと四十過ぎのオッサンが頑張るには自分を信じる力が足りなかったようだ。
異能もない。肉体の魔改造もない。大使館もありそうにない。存在を無視されるデバフ付き。ナイナイ尽くしに廿日市は空を見上げた。
「空、たっけーなぁ」
抜けるような青空に目を細める。
温暖な気候だ。もしかしたら、少し乾燥しているかもしれない。日本なら沖縄、海外なら西海岸辺りがこんな気候だった覚えがある。
「ちょっとだけ、寝てもいいかな」
公園で昼寝するサラリーマンのようにごろりと仰臥した廿日市は、視界に入る青空と揺れる緑葉のコントラストを楽しみながらゆっくりと眠りに落ちていく。
今日の彼は早起き過ぎて、早々に電池切れとなってしまったのである。
そして、そんな早起きと普段の運動不足と単に加齢に負けて眠る中年男を死んでしまうのではないかと心配して瞳を揺らす健気な存在に誰も気が付かなかった。




