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二章【終】よぅι゛ょとおじさん。〜神々の越境救済(クロス・レデンプション)〜  作者: 櫻井
状況整理の章

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23/23

23.巡り合わせの良縁と何もない部屋

「マイヤさんたち、いい人だったな」

「うん」


 カッポカッポと黒駒を引いて進む。


 マイヤ夫人たちから色々教えて貰ったのだが、なかでも両替商は、えげつない手数料取るところもあるから気を付けなさいよ。良心的な両替商は、ここよ。みたいな話を聞いて、出てきた感想は越後屋ってのはどこにでもいるんだな。だった。

 そんな訳で、目指すはマイヤさんたちお墨付きの良心的な両替商キャラウェイ両替商館だ。


(地元の人がお薦めする店ってのは、大体間違いがないからな)


 道は市場の喧騒を離れるほどに狭まり、代わりに両側の建物は威圧的なほど厚い石造りへと変わっていく。


(目印は、天秤の看板らしいんだが)


 周りを気にしながら歩いていたら、毛色の違う建物が目に入った。


 街並みの中でも一際目立つ、角地に建つ隙間のない切り出し石の壁。一階には窓がほとんどなく、あっても頑丈な鉄格子が嵌まっている。二階部分の窓は一階より広く大きく作られているが、隠し鉄格子が付いていて外からの侵入は出来なさそうだ。


「ここ〜?」

「……ぽいなぁ」


 近付いてから、一つしかない入り口の上を見上げれば、看板とも呼べないような小さな石のプレートに、古びた天秤の紋章が刻まれていた。隅切りされた曲がり角部分に設えられた扉は、見るからに硬そうな木に鉄板が打ち付けられていて、それだけで圧がある。


「大きいね」

「そうだな」


 キョロキョロと建物の周りを確認して馬をつなぐ場所を探す。黒駒は賢いから、別にこのまま置いておいてもどこにも行かないだろうし、盗っ人たちが動かそうとしても頭を噛んで撃退しそうだが買わなくていいリスクを買う必要性はない。どうしたもんかな。と思ったところでいきなり扉が開いた。


「……っ」


 悲鳴を上げなかったことを褒めてやりたい。


「向こうへ行け。中庭へ通じる門がある」


 内開きの扉を顔の幅くらい開けた大男が目線で方向を促す。


「鍵は開いているから、馬を繋いだら戻って来い」

「あ、はい」


(笑顔のないシャイニング……)


 扉を斧でぶち破って隙間から顔を出した象徴的なシーンが思い出される。

 マイヤ夫人からの前情報がなければ、速攻逃げ帰っていた事案だ。


(中庭って、建物裏って事だよな。駐輪場とか駐車場感覚なのかな?)


 いまだバクバクが収まらない心臓を抱えつつ、目線で示された方向へ歩いていく。すると、隣の建物との間に馬車が通れるほどの大きな門があった。


「中、入るの?」

「ああ」


(わかるよ、アンナさん。俺もちょっと怖い)


 不安そうなアンナを横目に、観音開きの門の片側を押して開く。手入れが行き届いているのか無駄に力が必要でもなく、また金属が擦れ合うような不快な音もしなかった。

 さっきとは違う意味でバクバクする心臓を抱えながら建物の隙間の通路を奥へと進む。少しひらけた場所に出て、建物がV字型をしていたのだと気が付いた。


(なるほどな。館と隣の建物の壁に囲まれてるから、中に入ると静かだし、泥棒とかの目からも逃れられるってワケだ)


「へぇ」


 二頭立ての馬車なら二台、それ以上なら一台くらいが余裕で置ける広さがある。

 隣の建物の壁と背中合わせになるように厩舎らしきものも建っていた。


(荷馬車とかも、中に入れて交渉したりするのかもな)


 馬をつないでおくのかな。と、推測できる柱に黒駒の手綱を結びつける。廿日市が考えるより早く黒駒がその方向へ歩き出したので間違いないだろう。馬に関するアレコレは馬のほうがよく分かっている。

 近づいてそうだと気がついたが、側に飼葉が入った桶やなみなみと透明な水が注がれた水桶も置かれていた。


(いつ客が来てもいいように手配されているって事かな)


 黒駒が食べるならと飼葉桶に手を翳す。中の飼い葉の上にバラバラと角砂糖がばら撒かれた。食べ残しが起こっても、この程度なら気にされないだろう。


「アンナ、降りれるか?」

「うん」


 アンナの脇を抱え地面へ降ろし、鞍につけていた鞄も外して背負い直す。


「じゃ、行ってくるから。少しの間、待っててくれよ」


 黒駒の顔の横へと移動して鼻を撫でれば、わかっていると言う様に首を振って頭を押し付けられた。泉では随分無体なことをされたが、一応の分別はついているようだ。


「やっぱ賢いな、黒駒は」


 もう一度褒めてから、アンナと手を繋ぐ。

 さっさと用事を済ませて、次のことを考えよう。来た道を戻り、しっかりと門を閉めてあの重厚そうな扉の前に立った。


「よし」


 気合を入れ直してから重く分厚い扉を押し開ける。


「っ、」

「わぁ」


 扉を開けた瞬間、冷ややかな石の匂いと金属っぽい独特の匂いが鼻を突いた。

 匂いに気を取られた廿日市と違いアンナは中の景色に興味を惹かれたようだ。

 天井は高いが、開放感はなく。むしろ、巨大な石の箱の中に閉じ込められたような圧迫感がある。

 左右の壁際には、数人の見習いらしき男たち(クラーク)が、黙々と帳簿や書類らしきものに数字を書き込んでいた。羽ペンが紙を削る音だけが、規則正しい不気味さで店内に響く。


(使っているのは羽ペンなのか……。市場では木炭を使っていたな)


 あまりキョロキョロするものではないと思いながら、つい周りを見ながら奥へと進む。手を繋いでいるアンナは、初めて見るアレコレに目を輝かせながら存分にキョロキョロしていた。


 そうして辿り着いた突き当たり。

 無骨な石の土台に据えられた黒檀のカウンターに、先ほど廿日市に建物の裏へ回れといった大男がどっしりと座っていた。

 彼の背後には、いくつもの鍵がかけられた、見るからに重厚な鉄のチェストが並んでいる。


「……」


 暫し、彼を見上げて廿日市は瞬きを繰り返す。


『あの両替商、見た目は死神みたいで怖いけど、仕事は一番まともだよ』


 って言われたら、骸骨みたいなビジュ想像するじゃないですか。どう見てもWWE所属のプロレスラーなんですけど?!


 少しばかり生じた現実と想像の乖離に戸惑う。


(死神は死神でも物理じゃないですかーっ)


 出会いのシャイニングでその可能性に気づくべきだったかもしれないが、まったく思いもよらなかった。先入観というものは恐ろしい。


(しかも、顔、やっぱりジャック・ニコルソンに似てるしーっ)


「ロン?」


 硬直した廿日市を我に返したのは不安げなアンナの声だった。


「あ、ああ」


(いかんいかん)


 頭を振って気を取り直す。


 わが生涯に一片の悔いなし。とか言い出しそうな威圧感を持つ彼は、机の上で指を組み、廿日市が用件をきり出すまでの時間をじっと待っていてくれた。


「あ、あの。市場の八百屋(グリーングローサー)のマイヤさんから、ここなら間違いないって紹介されました。査定(アセスメント)をお願いします」


 言った途端、室内に響いていた羽ペンの音が、ピタリと止まる。


(えっ、なんで?)


 しかし、何事もなかったように再び音が再開した。


(たまたまのタイミングだったのかな)


 アウェイすぎる空気にやはり落ち着かない。しかし、目の前の男は身を縮こませる廿日市を気にすることなく無言で待ちの姿勢だ。


(……顔圧強めだけど、性格はキツくないのかもな)


 自分のなかの空気を読むことに長けた日本人を総動員して、そう結論づける。そうすると不思議なことに目の前のジャック・ニコルソン(仮名)に対する耐性が出来た。


(大丈夫、怖くない)


 シチュエーションとしては全く被っていないし、なんなら相手は人間だが、廿日市の中の青い衣を纏った少女が金色の野原でくるくる回っている。


「あの、……これをお願いします」


 廿日市は、内ポケットから銀の粒を掴んで取り出した。隠しポケットには金、ズボンのポケットには天然石と分けて入れてある。

 金は二粒しかないし、かなり高価だと思われるから後回し。天然石は、相場が分からないからこちらも後回し。消去法で、銀が一番手堅いと思って選んだ。

 磨き抜かれたカウンターの上にそっと置く。


 廿日市の手が離れ、銀の地金が姿を現すと、ピクリと店主の眉が動いた。


(えっ、ダメだったか?)


 かと言って、出してしまったものは引っ込めることもできない。

 探るような視線で相手を窺いながら手を引っ込めると、男は、無言でそれを見つめたあと傷一つない真鍮の皿に静かに置いた。巨大な指が、驚くほど精密な動きで天秤の分銅(ウェイト)を動かす。


「……銀の地金(アッサ)、七粒合わせて一五〇・〇〇グラーマ。純度は九割二分。今のレートだと、一デナリ……一シルが三・五グラーマだ」


 抑揚のない地獄の底から響くような低い声。


(見た目、ジャック・ニコルソンの話し方は吹き替え版のスネイプ先生って感じだな)


 ぼんやりとそんな事を考えながら仕事をする姿を眺める。


「……銀に直せば、四二・八五デナリ。ここから不純物を除き、手数料の五パーセントを引かせてもらう」


 計算板(アバカス)の駒を弾き終えた両替商は、一度手を止め板の上をじっと見つめた。


「……差し引き、三七・四五デナリ」


 先に視線が動き、次に顔がついてくる。

 顔を上げた彼は、カウンター越しに廿日市と、彼に手を引かれその隣で不安げにこちらを見上げているアンナを、感情の見えない静かな目で見据えた。


「……」


 一切の無駄がない。彼が立ち上がるだけで、店内の空気が物理的に重くなるような威圧感を持った人物に真っ直ぐに見つめられ、図太くなったと自負する廿日市もさすがに気後れする。


「三七シルと、……六ケントだ。不満はないか?」

「え……」


 奇妙な、一瞬の間。

 廿日市は僅かに驚いた顔でジャック・ニコルソン(仮名)と見つめ合う。


「三七シルと六ケントだ。金貨(プント)一枚と、十七シル、六ケントで渡してもいいが、どちらにする?」


 廿日市の脳内では、先ほど男が口にした数字を追いかけていた。


(グラーマって、グラムの事だよな。一五〇グラーマから純度を引いて、手数料の五パーセントを引いて……)


「……」


 そこで、初めて廿日市の目が泳ぎ、ふらふらと迷ったあとアンナへと落とされた。


(細かい数字までは計算しきれないけど、多分、シルは三七枚と、あとの端数はケント五枚ちょっとのはずだ)


「ロン?」


 不思議そうな顔で自分を見上げてくるアンナを見て、廿日市の眉が何かを堪えるように寄せられる。


『見た目は怖いけど、仕事は一番まともだよ』


(ああ、本当に)


「アンナ。さっきのサシェ、ポケットにまだ持ってるか?」

「うん」


 問えば、元気よく返事をしてエプロンドレスのポケットからサシェを取り出し廿日市へ渡してくれる。


「ありがとう」


 サシェを受け取った廿日市は、アンナにお礼を言うと背筋を伸ばし、ジャック・ニコルソン(仮名)と向かい合った。


銀貨(シル)銅貨(ケント)でお願いします」

「わかった」


 廿日市の返事を聞き、男の大きな手がどこか神経質な動きで硬貨を並べていく。


 十枚重ねられた山が三つと、その横に一枚ずつ並べて七枚。少し間を空けて同じく一枚ずつ並べられた銅貨が六枚。廿日市が目視で確認し、頷くと彼はそれらを革袋に入れ廿日市へと差し出した。


「ありがとうございます」


 受け取った革袋は、本来ならベルトとかに括り付けるのかもしれないが、上着の内側に作られた隠しポケットへしまった。オミノたちの技術力は高く、この程度ならシルエットが崩れることはない。そして、革袋の代わりにサシェを黒壇(エボニー)の机の上に置く。


「……何だ、これは。我が商館は、賄賂は受け取らん」

「賄賂ではないです。これは、えーっと……」


(名刺代わり……って、名刺とかの概念あるのか?)


「お礼、というより挨拶みたいなもの……とかかな。塩と香料で、香りを封じ込めたものです」

「……ほう」


 廿日市が差し出した小さな巾着に興味を覚えたのか、ジャック・ニコルソン(仮名)が指先で引き寄せた。摘むように持ち上げ、手のひらに乗せることで重さを確認する。


「……このサイズにしては、重いな。……岩塩か」

「はい」


 男は、巾着の紐を解き、中身を少しだけ鑑定用のトレイにあけた。すると途端に、インクと古い紙の匂いしかなかった空間に、清涼感のある花の芳香が広がる。場が一瞬にして、今が盛りと花が咲き誇る庭園に様変わりした。

 香りの効果か、再びペンの音は止まったが廿日市は怯えるより今度は誇らしかった。


(毛根労りたくて、試しにやってみた高級ヘッドスパの匂いに変えて良かったぜ)


「匂いは華やかだが、邪魔になるほどではない」


 眉間に深いシワを刻みながらの言葉とは思えないが、淡々と感想を述べた彼は懐から小さなピンセットを取り出し、一粒の岩塩をつまみ上げる。


「……濁りがない」


 観察する目は、熟練の職人か鑑定士のようだ。

 そうして次は、混ざっている花びらを順に確認していく。


「……乾燥(ドライ)ではないな。摘みたての鮮度をそのまま閉じ込めた塩漬け(モイスト)か。……岩塩の色が美しい。貴族たちが喜びそうだ」


 ブツブツと何かを言っているが、ジャック・ニコルソン(仮名)の声が低すぎて廿日市の耳にはうまく聞き取れない。少しばかり、雲行きが怪しくなってきたと感じたのか、アンナは廿日市の腰に抱きついて壇上にいる大男を見上げていた。


豆粒大(ピーサイズ)とはいえ、これほどの純度の岩塩を保香(ベース)のためだけに使い捨てにするのか」


 肺のなかの空気をすべて吐き出すように深く息を吐いた両替商は、やはり冷静な目のまま廿日市を捉え、心配そうに自分を見上げるアンナにも視線を送った。


「名前は、何という」

「え」

「名だ」

「ロ、ロンです」


 自分に抱きつくアンナの背に手を回し、大丈夫だと伝えるようにその背を撫でる。


「アンナです。妹です。互いに連れ子なので血はつながっていません」

「……」


(な、なにか問題があったのか? けど、なにかあったならマイヤさんたちの段階で騒ぎになったと思うのだが)


「ベイジル・キャラウェイだ」


(ジャック・ニコルソンじゃなかった。って、そうじゃねぇ)


「あ、どうも」

「……」


(いや、この間なに?)


「手に職はあるか」

「え?」

「仕事だ」

「あ、はい。仕事は、調香師です」


 一旦、キャラウェイの手元に目を向け、彼の顔へと戻す。


「それは路銀の足しになればと思って……だから、盗んだとか、変なものじゃないです。今は訳あって、この子と二人で定住先を探して旅をしています」

「調香師……。なるほど、合点がいった」


(え、この設定、そんな説得力あるものなのか?)


「世間知らずにも程がある」

「はい?」

「はっきり言おう。用が済んだら、さっさとその子を連れて、まともな門のある宿へ行け。そう言うつもりだった」


(まぁ、そうでしょうね。ってか、それ以外の流れってあったか?)


 困惑する表情を隠さない廿日市に、なぜだかクラークたちの方向からため息が漏れた。


「年格好からして、成人するかしないかの子どもと年端もいかない子どもの組み合わせ。しっかりした脚の太い馬を連れ、身なりは上等」

「え」


 キャラウェイは、呆れを含んだ笑い程度に口角を上げた。


「兄の方は泥や砂にまみれ、上着には多少の擦れた傷はあるが、二人揃って上質な布を使った仕立てだ。履いている靴も背負った鞄も真新しい。なにより、水牛の皮と思われる物をそこまで薄く鞣すなど、俗な職人では到底真似できない。つまり、限られた腕を持つ者が仕上げたと思われる」


(……めっちゃ喋るやん)


「アンナと言ったか。こんな兄では、さぞ心配だろう」


 不意に話を振られたアンナは、廿日市とキャラウェイの顔を交互に見て不思議そうに首を傾げた。


「賢い子だな」


 感情が見えないキャラウェイだが、害意があるようにも思えない。


「正直、とんだ厄介者を放り込まれたと思ったが、このサシェで理解した。商売を生業とする者の勘か、八百屋は自分には分からない価値が隠れていると思ったのだろうな。だが、それは正しい」


 何とも言えない漠然とした不安と戸惑いが廿日市の中に広がっていく。


「……香りの広がり方と鮮やかさ。このような技法、まだこの街のギルドには入ってきていない」

「……」


 喉の奥がカラカラに渇き、額に汗が滲んだ。


(良かれと思ってやったことが、裏目に出たってことか?)


「そこで、契約の提案だ」

「契約」

「……幸い、この館の二階には、遠方から来た客が泊まるよう部屋が用意されている。そして、一階の奥には工房がある。片付ければ十分に使えるだろう」


 キャラウェイは、机の横にある深い引き出しに手を伸ばした。


 カチャリ、と鍵が回る小さな音が響く。


「調香師なら、調香の仕事をしろ。この館にいる間に、利権という名の化け物にのみ込まれないよう知恵をつけろ。そのひどく欠落した世間の常識を余さず叩き込んでやる」


(これはつまり、庇護下に入れと……そういうことか?)


「今のまま、世間知らずであれば、いずれ悪徳商人か欲にまみれた貴族に捕まるぞ」


 そんな窮地に立たされることになったとしても、何かしら抜け道があり、逃げおおせることはできる。と、思うものの、アンナに怖い思いをさせることは極力避けたい。


「ギルドへの登録も、商会との交渉も、すべて私が引き受けよう。……取り分は、私が七割を預かる」


(おっと、強欲)


 廿日市の表情に微妙な変化があったのを目敏く見つけたキャラウェイは鼻で笑った。


「私が預かる七割。これは、お前の技術を狙う輩を黙らせるための工作資金、ギルドへの誠実な(・・・)賄賂、そしてお前たちが将来、この館を出て独り立ちする時に渡すための預かり金だ。……私は両替商だ。子供の小遣いを巻き上げるような、効率の悪い真似はせん」


 キャラウェイは、小さな銀の小箱を引き出しから取り出した。蓋を開けると、中には琥珀色の透き通った結晶が幾つか入っている。この街でも珍しい果実のシロップを煮詰めて固めた高級な砂糖菓子だ。キャラウェイは立ち上がると机から身を乗り出すようにしてアンナの前に箱を持った腕を下ろした。


「さあ、ひとつ選べ。グズらず、騒がず、おとなしくしていたことに対する報酬だ」


 差し出された甘い香りに、それまで不安そうだったアンナの瞳がぱっと輝いた。


「ここは金だけでなく、誠意と信用も価値となって交換できる」


 彼女は廿日市の顔を伺い、彼が苦笑しながら頷くのを確認すると、キャラウェイに近付き、小さな指先でそっと宝石のような一粒をつまみ上げる。


「ありがとう!」

「甘いぞ」

「うれしい」


 菓子を口のなかに入れた瞬間。広がる甘さと鼻から抜ける使われた果実の匂いにアンナは身を震わせた。


「おいしい。ありがとう、キャラウェイさん」

「良かったな」


 ホクホク顔で廿日市の傍らに戻ったアンナは、先ほどとは打って変わって上機嫌で、まさにとろける仕草で廿日市に抱きつく。


「ありがとう、ございます」


 アンナを甘やかして貰えるのは嬉しい。が、これは断るに断れない流れだ。


(いや、そうしてくれているのか)


 改めて気づかされる。ここは、価値を測り、欲望を管理する城なんだと。


 箱を片付け、椅子に座り直したキャラウェイは、ゆったりとした仕草で長い指を組んだ。


「成人したての子どもが、幼い妹を連れ、伴もなく、優れた馬を連れて旅をする。兄が持つ技法を知らなくとも、身なりを見れば何かしらの騒動に巻き込まれて、外に出されたのだと気付く。血なまぐさい騒動はごめんだが、大人としての責任と義務は果たすつもりだ」


 絶対に破れない金庫の中に人間が住む場所。


「どうする。二階に間借りするか?」


(……マイヤさんたち、とんでもない店を紹介してくれたな)


 だが、きっと渡りに船だ。俺に不足しているこの世界の常識、経済だって、この商館に居たら学べる。


「よろしくお願いします」


 廿日市の返事に、キャラウェイは一つ頷いた。表情に変わりはないが、どこか満足気に見える。


「よかろう、ダグラス」


 呼ばれて、キャラウェイに一番近い位置の机で仕事をしていたクラークが立ち上がった。


「東南翼の二階を使ってもらう。日当たりが良く、子どもの健康にもいいだろう。部屋は好きに選ばせてもいいし、お前が選んでやってもいい」


 ダグラスと呼ばれた男は、無言で頷く。キャラウェイとはまた違った類いの真面目で実直な人物に映った。


「部屋が決まったら、彼を西南翼の工房にも案内するように。片付けだけは、早めに始めたほうがいいからな」


 そこまで言うと、キャラウェイは岩塩たちをサシェの中に戻し、少しの汚れも許さないとばかりに机上を羽箒で掃除し始めた。


「ロン。わたしたち、ここに住むの?」

「まぁ……成り行き的にな」


 アンナの村から近いことが気になるが、巡り合わせの良縁だ。街を移動して、これ以上の縁に恵まれるとも思えない。だとしたら、捨てるには勿体ない。


「あの」


 すでに廿日市たちから興味が失せたようにペンを握り仕事を始めようとするキャラウェイに声をかける。

 長いものに巻かれると決めたのなら、どうせならふかふかのおふとんに巻かれたい。


「アンナを学校に通わせたいのですが」

「……その子は幾つだ」

「七歳です」

「十歳までは日曜学校に通うものだ」

「日曜学校……」


(こっちの世界でも、そういうのあるのか)


 無言になった廿日市をどう捉えたのか、キャラウェイはやれやれと息を吐いて続ける。


「十歳を過ぎれば、読み書き、計算を教えてくれる学校に通うことになる。それまでは、日曜学校で教典の一節を書き写したり、朗読したりすることで文字の形や音を覚える」


 お前は違ったのか。と、キャラウェイの目が問うていた。


「……十歳(とお)まで、あと三年だ。それまでに自立できるだけの常識と資本、そして妹を学校へ通わせるための社会的地位をこの商館で築け」


(三年……。アンナが十歳になるまで、か)


 期限を設えたのは、不当な搾取にならないよう俺に心理的安全性を与えるため。そして、この三年間が俺にとってアンナを安全に育てる基礎を作る時間。


「行け」

「あ、よろしくお願いします」


 キャラウェイに顎をしゃくられ、慌てて黙って待っていてくれたダグラスに廿日市は頭を下げた。


「いいよ。じゃ、行こうか。お嬢ちゃんもお兄ちゃんの手をしっかり握ってついてくるんだよ」

「はいっ」


 小さなアンナに合わせて、腰を曲げて話しかけてくれる。この人もいい人なのかもしれない。


「客室がある棟に行くなら、こっちの扉を使うんだ」


 そう言って、彼は帳場(カウンター)の脇に壁板の一部に溶け込んでいた扉を押し開く。現れたのは、扉と階段しかない空間だった。自分たちが入ってきた扉以外に、もう一つ扉がある。


「あっちは?」


 廿日市が扉を気にしたように、アンナも気になったのか階段を登る前に指をさして聞いた。


「あっちは、商談用の応接室(サロン)とか食堂、配膳室(パントリー)、一番奥には図書室もあるぞ」

「図書室!」


 食いついたのはアンナではなく廿日市だった。


「ああ。娯楽向けはあまり無いが、この街の歴史を知るならいい本がある。あとで旦那様(マスター)に聞いてみるといい。きっと使わせてくれるさ」


 階段を上がりきると、そこには東南翼の奥へと真っ直ぐに伸びる廊下が続いていた。

 人の気配もないことから、今は誰も滞在していないのだろう。好きなように選べと言われたのも納得できた。


 片側の壁には中庭に面した縦長の窓が等間隔に並び、そこから差し込む淡い光が、磨き上げられた床に窓枠の影を落としている。


 廿日市がふと窓の外へ目をやると、中庭の全貌を見渡せた。厩舎の影に自分たちが乗ってきた黒駒が、繋がれたまま大人しく首を振っているのが見える。


(あとで黒駒を、厩舎の中に入れてもらわないと)


「ここにしようか」


 窓の外に気を取られていた廿日市の後ろからダグラスの声が聞こえた。彼は廊下の中ほどにあるひと際がっしりとした扉の前で立ち止まり、こちらを見ている。


「わたしたちの、おへや?」

「そうだよ」


 アンナの質問に笑顔で答えた彼は腰の鎖から一本の真鍮の鍵を選び取り、音もなく錠前に滑り込ませた。


「気に入ってくれるといいな」


 重厚な扉が内側へと開かれる。

 促されて踏み込んだ先には、広々とした寝台(ベッド)が二つ、そして窓際には書き物机と、まだ何も置かれていない棚が備え付けられていた。


「わぁ、ひろいー」

「気に入ってくれたかい?」

「うん」


 きっとベッドに飛び込みたいのだろう。ウズウズをこらえる様にしてプルプル震えるアンナにダグラスは相好を崩す。


「独立までの三年間、ここが君たちの居場所だ。大丈夫。マスターは、ああ見えて甘い物と可愛いものが大好きだからね。悪いことにはならないよ」


 廿日市たちを幼いと軽んじる気配はどこにもない。ダグラスの態度や声には、誠実さがにじんでいた。


「……はい」

「じゃ、荷物を置いたら、次は西南翼の工房を見に行こう。これは、この部屋の鍵」


 いつの間に、鍵の束から外したのか鍵を一本、握らされた。


「階段のところで待っているから。荷物を置いたら来ておくれ」


 言い置いて去っていくダグラスの背中を見送り、部屋の中を振り返る。


「ロン?」

「ああ」


 まだ、何もない部屋。

 ここに一つずつ、持ち物を増やして行くことになる。


「アンナ」

「ん?」

「にーちゃん、頑張るからな」


 言って、アンナの頭を撫でた。





ここまでお読みいただきありがとうございます。

これにて二章、終幕となります。

次は三章開幕といきたいところなのですが、ここにて一旦、更新停止とさせて頂きます。

再開は未定なので、一応、完結済みに。

日本書紀や古事記を引っ張り出して確認するとさすが八百万の神、全方位に対処可能でまさに無限の可能性が……と、ワクワクはするのですが、まぁ……こんなこともあります。


今後の展開として、きっとエケコが次のログプレとして古事記や日本書紀の現代語訳版を持ってきてくれるでしょう。またはご利益がある神社仏閣ガイドかもしれません。


ブクマして頂いた方、ブクマ代わりに点数を置いていってくださった方、のんびりとここまでお付き合いくださった方々には感謝の念に堪えません。

貴重なお時間を割いていただき、ありがとうございました。



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