17.口は災いの元
隠し様のない揚げたてのポテトの匂いがプレイスマットの下から漂ってくる。
その形容しがたいイイ匂いに既にアンナの瞳は輝いていたが、廿日市が布を避け、その下から現れた二つのサンドイッチと一口サイズのポテトフライを見た時の彼女の喜びようは、まさに花が咲くという表現がしっくりとくるものだった。
嬉々としてコッペパンのサンドイッチを頬張り、その食感と味に驚き、美味しいを繰り返して咀嚼し嚥下していく。
食べながら話すのはやめなさい。と、本来なら躾るべきなのかもしれないが、日本の常識が此方の常識とも限らない。
廿日市自身も此方の世界のルールを一つずつ覚えていかなければならないのだ。今は、アンナが喜ぶ様を食事が楽しいものであるということを純粋に愉しもうと彼は微笑んだ。
……のだが。
子供の胃袋の大きさを分かっていなかった廿日市はすぐに撃沈することになる。
元々、先にロールパンを一つ食べているのだ。
食の細くない成人男性なら普通に完食できる量であっても女児には無理である。しかも、ついいつもの調子で自分が食べるときのように廿日市は色々足して盛ってしまっていた。
パンの大きさをショートで連想したが、アンナは自分の分だけではなく廿日市が食べている方も一口欲しいとねだって食べていたから余計に自分の分が入らなくなった。
食べれなくて今にも泣き出しそうに瞳を潤ませるアンナに、廿日市は「残した分は神様の取り分だから、動物たちに食べて貰えるよう茂みのなかに置いてきなさい」「また食べれるから惜しまなくても大丈夫」と言って彼女の気持ちを取り成したのだった。
日本で食べ残しを公園の茂みになど捨てたら問題だが、幸いここは日本ではないし、地球ですらないのだからセーフではなかろうか。と、廿日市は考えた。
この場で休憩する人たちが立ち寄るだろうが、いちいち何か捨ててあるのではないかと茂みの中を見て回るなんてことはしないだろうし、野性動物だっている。誰かに見つかるより自然に還る方が早いとも思ったのだが、そんな機転も杞憂に終わる。
「わ、わ、わっ……! 」
「おおおお! 」
神様の取り分。と廿日市が言った辺りから彼らを遠巻きにして集まってきていたリスやネズミに似た小動物たちが、アンナが茂みに向かおうと立ち上がったのを合図に、一斉に姿を現し彼らを取り囲んだ。
やる気溢れるふれあい動物コーナーさながらの状態に、アンナは驚き硬直し、廿日市も目を白黒させていると鹿の見た目にガゼルの角を持った鹿っぽい生き物が悪戯をするようにアンナの手にしたサンドイッチを噛んで下に落とした。
「あっ」
小さく声を上げ、アンナは落ちたサンドイッチを目で追う。しかし、彼女が拾い上げるより先にバラバラになったサンドイッチはリスやネズミたちによって持ち去られていった。
パンは鹿の取り分だったらしい。パクリとくわえるとピョンと跳ねて茂みの中に跳んで消える。
「みんな、もっていっちゃった」
「そうだな」
持ち去れないような細かなものは、その場で食べることにしたのだろう。残った小動物がアンナの足下で食事をしている。
「ロンも」
「俺の場合は、誤解なんだがな」
アンナと違い胃袋に余裕のある廿日市は、まだ食べるつもりだったが食べかけのポテトはすべて持ち去られ、今現在手にしているサンドイッチは腕に止まった鳥によって啄まれている。
「まぁ、仕方がない」
言うと、廿日市はサンドイッチを地面においた。
彼の分を待っていた訳ではないだろうが、アンナの分を貰い損ねた動物たちが集まって、こちらもすぐに姿を消す。
「スゴいね」
「そうだな」
何が凄いのか廿日市には全く解らなかったが、とりあえず同意して頷く。
「ロンが神様の分って言ってくれたからもらいにきたんだね」
「こいつら神様なの? 」
傍らでアボカドを大事そうに抱え食べているネズミを視線を落としながら問いかける。ネズミは見られていることに気がついたのか顔を上げると廿日市に美味いと伝えるように鼻をひくつかせた。
「森にいきる動物は、みんな山の神様の使いだってシャーリィが言っていたよ」
「へー」
(シャーリィ……フワフワした天然パーマの子だっけ)
ここに歩いてくるまでに色々聞いたアンナの人物関係図を思い浮かべて顔を思い出す。
「愛児があげるって言ったから、もらいにきたんだね」
「俺が愛児って解るんだ」
(そういえば……)
チラリとアンナの村でのことを思い出した。廿日市が話す言語が自分達と違うから神々の愛児と認定したのなら判る。だが、彼らの中には廿日市が話しかける前から彼を避けるように道を変えようとする者がいたのだ。
「わかるよ。だって、ロンは神殿と同じにおいがする」
「は? 」
(体臭……だと!? )
おじさん臭というものは加齢と同時にどうしても付いて回るものだと理解はしていた。理解はしていたが、いざ目前に突き付けられるとその破壊力は半端なかった。
「に、におうのか? 」
自分で自分の臭いには気付かないと聞いてから体臭には十分に気を遣ったつもりだった。水浴びだってしたし、半日で乾く気候を利用して洗濯だってしていたはずなのにと、『加齢臭』という言葉に翻弄される男は、自分が足下から崩れ瓦礫になる錯覚を覚える。
「ケヴィンはクサイって」
悪意のない子供だからこその証言に、貴族のご令嬢のように眩暈を起こした廿日市は、心の中で滝のような涙を溢しながらその場に両手をついて蹲った。
「わ、わたしは、神様も、ロンの森の匂い好き」
よよよ。と、嘆いて泣き真似をする廿日市を前にオロオロとするアンナの優しさが廿日市の胸に傷みをもたらす。
(クサイ森の匂いってアレだろ。輸入物の車用芳香剤に多いトラップな香りだろ)
JKの香りとかお高い香水の匂いとか贅沢は言わないから、せめて洗濯石鹸とか柔軟剤の匂いとか爽やかなのにしてくれてもイイじゃないか。そんな廿日市の嘆きが天に通じたのかは定かではないが、彼の体がふんわりとした光に包まれた。
「え……」
アンナが蘇ったとき、小人に服を作って貰ったとき、パンを作り出したとき。どれも神の御業とセットでこの輝きが放たれた。
その光が今度は、廿日市から発せられている。
(やっち……まった……)
蒼白となる廿日市を心配したアンナが彼に身を寄せようと膝をついて、今まで廿日市を包んでいた香りと違う匂いが漂い始めたことに気がついて目を丸める。
溢れ落ちんばかりに大きく見開かれた瞳をぱちぱちと瞬かせ、アンナは小さな鼻を廿日市の方向につきだしてひくつかせると首を傾げた。
「ふしぎな匂いがする」
「あああああ」
己が愚行に心の中でひれ伏す。
今までの自分の体臭には気づくことは無かったが、変更された今の匂いにはすぐに気がついた。
洗濯機の上の棚に鎮座している柔軟剤が思い浮かぶ。
(ユーカリとミントベースにベルガモット、ミュゲ、ウッディが混ざった全面的に清涼感を押し出しながらどこか奥行きのあるこの匂い。我が家の柔軟剤の匂い……! )
におい成分について、無駄に分析している段階で現実逃避が半端ない。
(迂闊だった。ちょっとでも考えると発動するのかよ。暴発が怖すぎるだろ)
廿日市は勘違いしているが、暴発でも何でもない。
せめて柔軟剤。そう考えたときに廿日市が日常で使用している柔軟剤の匂いを思い出してしまったが故の香音神の顕現である。
しかし、心に強く念ずる。という発動条件を軽く越え、無自覚に易々と奇蹟を起こしてしまうほどの体臭に対する怯えとは如何程のことか。
おじさんとは、意外と繊細な生き物なのかもしれない。
「神殿のにおいとはちがうけれど、お花みたいでいいにおいだよ」
「柔軟剤だからな……」
「ジュニーザー? 」
謀らずして体臭変更となり、眼光が消えた廿日市の瞳が力を取り戻すまでアンナは暫しのお昼寝タイムとなったのであった。




