16.イザ、実食
小石をパンに変えることに成功した廿日市は、小躍りしたくなる気持ちを抑え、次の検証へと取り掛かる。
元々、食物起源神話というのは触媒を必要としない。
オオゲツヒメや保食神、ハイヌウェレ型神話などは、嘔吐物や排泄物が食物や金銀財宝として出てくるのだ。
となれば、廿日市だって乙女のきらきらフィルターを食べ物や貴金属に置き換えることが出来るだろう。
だが、産出法が原因で、生み出す瞬間を見てしまった他の神が汚いとキレて保食たちは殺されてしまっているのだから不幸極まりない。勢いで殺されたら堪ったものではないので、同じやり方は絶対的に避けるべきだ。
廿日市はアンナを嫁に出すまでは生きると決めたのだからリスク回避は必須である。
と、いうことで。
廿日市は、周辺にある手頃な物としてロールパンと似たような大きさの石で試してみたのだった。
年若く選択肢が多様にある前途ある若者と違い、おじさんというのは加齢と同時に娯楽と自己を切り離して考えられる冷静さを手に入れ、空想の世界とは一線を引いてしまった存在だ。
空想力で乗り切ることは出来なくなったが、逆に理詰めとおじさん特有の雑学無駄知識で乗り越えた方が、年寄りらしい石橋を叩いて叩いて叩き割る系で面白い。いや、実際に叩き割ってはいけないのだけれど。長く生きた分、社会に馴染むための常識が身に付いた分、発想力が阻まれることがある。それが判っている廿日市は、ひらめきに頼るより、思考を巡らせる方を選択した。
「味の確認もしないとな」
恐る恐るといった感じで、パンを口に運ぶ。あら熱がとれたばかりの焼きたてのパンのような香りとモチッとした弾力性のある柔らかさ。
「旨い……」
ロールパンを想像した時に、口の中が思い出したホテルの朝食パン。まさにその味と食感が再現されていた。男の口なら二口で完食できる大きさのパンは、あっという間に廿日市の胃袋の中に収まる。
「アンナにも食べさせたいな」
彼女が自分の元に運んでくれていたパンは、お世辞にも柔らかいとは言えなかった。現行の材料と時代では、日本人好みの柔らかさにはならないということだろう。
アンナが日本人好みのパンを好きになってくれるかは判らなかったが、ただ廿日市が美味しいと思ったものをアンナにも食べて欲しいと思ったのだ。
「よし。次は、大量生産に挑……っと、調子にのらずに」
つい機嫌がよくなって軽率な行動をとりそうになったのを自身で諌める。
「体が若くなると、考えまで若くなるのかな。気を付けないと」
落ち着いて現状を受け入れているつもりだったが、どこか浮き足立っている部分があったのだろう。
「ロン、どうしたの? 」
再び聞こえた廿日市の奇声に、心配したアンナが戻ってきていた。
「アンナ」
不思議そうに自分を見てくるアンナの瞳に胸を刺され、何も後ろめたいことは行っていないのに罪悪感に苛まれる。
「ち、違うんだ。アンナ」
「ロン? 」
「これは内緒でつまみ食いとかではなくて」
「んー? 」
廿日市が何をしていたかなど知る由もないアンナは、彼の反応に小首を傾げるばかりだ。
そんなアンナを此方においでと呼び寄せた廿日市は、彼女を自分の前に座らせるとさっきと同じように、しかし、今度の触媒は地面に生えていた草の葉っぱを使い保食の力を行使する。
ポゥと淡い光が廿日市の指の間から漏れたようだが、一瞬過ぎて二人とも気に留めることはなかった。
「はい」
そう言って開いた廿日市の手のひらには、アンナは見たことがない丸い小さな何かが乗っていた。
「わ。スゴい。どうやって出てきたの? 」
(疑いを知らぬ、清き乙女……尊い! )
パンに瞳を煌めかせるアンナに廿日市は空いている方の手で口を押さえ嗚咽を堪えるポーズをする。
「ふしぎなにおい。おいしいもの? 」
パンに顔を近づけたアンナは、ほんのりと漂ってきたいい香りに期待値を膨らませたのか先程とは別の方向で瞳を輝かせた。
「そうだよ」
食べ物だと肯定されるとアンナは、手を伸ばしていいのか瞳で廿日市に問いかける。
視線の意味を悟った廿日市は、頬を緩めながら頷くことで彼女に答えた。
「……! 」
廿日市の手のひらからパンを持ち上げた瞬間からアンナの表情は彼女の気持ちをダイレクトに映していた。
彼女の想像よりロールパンは軽く、触れた感触は柔らかかったのだろう。手に取った途端に、薄く開いた唇と大きく開かれた瞳が動揺を表していた。
一口分、指で摘んで千切り口に運ぶ。この時の食感も初めてのことだったらしく一度噛んだまま租借できず狼狽えた瞳で廿日市を見る。彼が大丈夫と促して、アンナはゆっくりとパンを噛むと飲み込んだ。
「Ejdoorb? 」
「ブッ……何?」
「Ejdoorb」
「Ejd、orb、びゅろ……」
(出たぞ、言葉の壁)
やれやれと天を仰ぐ。
この体になってからアンナの話していることは判るし、自分も同じ言葉で話すようになっているが、時折言語のズレが発生する。
これらは、和製英語や借用語、固有名詞辺りが怪しいと廿日市は睨んでいる。
廿日市が身に宿した神の奇蹟の偉大な所は、ソレの正しい発音が一度でも出来れば自動記憶、認識され昔から知っているかように違和感なく知識に馴染み使いこなせるようになる部分だ。
「ぶ、ぶdooろ。ジoorb、Ejdoorb」
「Ejdoorb」
「パン。ロールパン」
繰り返す廿日市をアンナはニコニコと笑ってみている。彼女は自分がシャーリィのように誰かにものを教えるというのが楽しくて仕方がなかった。
メアリもこっそりアンナに教えてくれたが、常に両親の目を気にした落ち着かないもので『姉と慕わないこと。妹と可愛がらないこと。』が、二人が相手を思いやる姉妹の絆のようになっていたのだから、メアリよりシャーリィが浮かんでしまうのは仕方がない。
「パン、美味いか? 」
「うん」
上機嫌なアンナに廿日市も嬉しくなる。
「ロンのチカラ? 」
「俺の、というより神様のだな」
「神々の愛児の力? 」
「そうだな」
肯首するとアンナは食べ終わってしまって空になった両手を惜しむように見た。
観察する限り、彼女はとてつもなく我慢強い。それはもうブラック企業で過労死するか、心の病に蝕まれて人とのかかわり合いを絶つかの未来しか見えなくなるくらい我慢強い。
卑屈な歪みが見られないのは、本人の資質とそれなりの愛情を注がれ育てられた証明なのだろうが、どうしても自分達に暴力を振るった相手が愛情を示したと肯定する気になれない。
(あー、でも愛情と信仰は別問題か)
宗教にボンクラというか朗らかな日本人は至らないが、海外では普通に同性を好きになったと告白したり、心と体の性が違うと告白した子供を親が撃ち殺すなんてあるあるな話だ。
そして、そんな親ほど信仰熱心な敬虔な信徒だったりする。
(面倒な話だ)
つい暗い方向に傾きそうになる思考を廿日市は強引に立て直した。
遠慮してなにも言わないアンナに、安心して気持ちを口にしてもらえるような存在になるのが彼の当面の目標だ。
「まだ食べれるか? 」
「ん。でも」
「俺は、まだまだお腹が空いているからもっと食べたいなぁ。アンナも食べてくれると嬉しいなぁ」
「……うん。食べる」
パッと花が咲くような笑顔が出て、廿日市もつられて笑う。
「よし。今度は、もっと豪華なものをつくろう」
「ごーか? 」
「豪華。やっぱファストフードって故郷みたいなものなんだよ。基本、どこで食べても規格された安定の味だからハズレがないし、定期的に食べたくなる」
「ファ…?」
アンナは廿日市の言葉にわからない単語が含まれていたらしく不思議そうに首を傾げる。
「まぁまぁ、アンナさん。兎に角、見ていてくださいって」
幼いアンナを寄席の旦那衆に見立てた小芝居をすると廿日市は置きっぱなしにしていた鞄の元へ向かった。
小人の仕事ぶりは優秀で、鞄には幾つかのポケットが付けられており、その中にも皮や布製の道具がしまわれていた。
付けられた幾つかのポケットの中を探って目当てのプレイスマットを取り出すとそれをもってアンナの前へ戻った。
「まず、このプレイスマットを敷きます」
向き合う二人の間に、二枚持ってきたうちの一枚を広げる。
「次に、この辺りの草を適当に千切って……こんもりとした山を作ります」
広げたプレイスマットの上に三つの草の山を作った。
「で、もう一枚のマットを被せます」
マジシャンがマジックを披露する時のようにマットの表裏をアンナに見せてから丁寧に草に被せ、その上に両手を翳す。
「ハンドパワー」
「ハンドパワー? 」
ふんんん。と、念を送る芝居をするがアンナには不発だったようだ。
「あ、古いか。テジナーニャ? 」
「ツェッジェ? 」
「ここでも言語の壁! 」
「ぅうーん」
見た目が若返っても中身はおっさんに翻弄される七歳児に罪はない。
「と、とりあえず、気を取り直して」
「うん」
廿日市はプレイスマットに手を翳すと目を閉じ、何を食べるか想像をする。
(子供って味覚が鋭いって言うからな)
刺激物を毒と判定するのは有名な話だろう。
(俺と同じだと量とか味が引っ掛かりそうだから……)
廿日市は、アンナがターキーベーコンエッグのサンドイッチを食べている姿を想像した。
この世界の文化を鑑みれば、七面鳥とかは生活に近い存在だろう。ハムそのものがあるかは謎だが、ベーコンみたいな物は食べさせて貰ったので受け入れてもらえる筈だ。
最初に思い浮かべるのは、ホワイトと呼ばれるコッペパン。
中に挟むのは、七面鳥のハムにベーコン、たまご。トマト、ピーマン、オニオン、レタスといった定番の野菜にアボカドを追加。
(シーザードレッシングはたっぷりめが……いや、普通だな。代わりにオリーブを多めにして、ピクルスは嫌う子供が多いって話だから無しで)
一つ目が脳内で完成するとプレイスマットの下から光が漏れ、一つの草の膨らみが大きさと形を変えて布を押し上げる。
(俺は、やはりBLTだな)
廿日市が味を想像する店のBLTサンドは、ベーコンだけではなく、パルメザンチーズやドライソーセージも入っていて彼が好んで食べる味だった。
(野菜は二倍に、パンはフラットブレットにするとトルティーヤっぽくなるのだけれど俺はハニーオーツが好きだからな)
ナチュラルチーズとアボカドを追加でトッピングし、シーザードレッシングをたっぷりめにかけたいつものBLTサンドが廿日市の脳内で完成すれば、やはりプレイスマットの中にも変化が起こった。
(サイドメニューは、ポテトだろう)
乱切りにされたジャガイモが、ほんのり色付くまで素揚げされハーブソルトがまぶされる。
想像の中のポテトの匂いが現実の鼻腔を擽った。どうやら無事にプレイスマットの中で誕生したようだ。
他にもスープなどの選択もあったが、小人の例もある。
彼らは、自分の役割以外の奇跡は起こせない。仕立て屋は布や糸、革といった製品のみ。靴屋も同じく革や木だった。
となれば、必然的に廿日市の保食の力もそれに準じるだろう。
器は、でない。
それが廿日市の予想だ。器として食品を加工したものもあるが、廿日市としては過去に『彼が食べたことがあるもの』でなければ作り出せないのではないかと考えていた。
知識として持っていても口にしたことがないものは無理。というのが今のところの廿日市の見解だ。
保食以外の神で、物作りを得意とする神を廿日市が思い出せれば事態は好転するのだろうが、落ち着きを取り戻しつつあるとはいえ、まだまだ深層心理では混乱の中にある廿日市では難しかった。
「よし、出来たぞ」
目を開けた廿日市は、やり遂げたイイ笑顔をアンナに向けたが、黙って最後まで待っていたアンナのプレイスマットの下で何が起こっているのか早く見たいと輝く瞳に敢えなく撃沈されたのだった。




