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Tの追憶  作者: あ
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小金井へ

 私が生まれてから5歳くらいになるまでの間は実は小金井ではなく練馬という場所に住んでいた。

記憶らしい記憶も少ないが、夏はともかく熱いのと練馬大根というものがあったことだけは覚えている。


 私の父はM社という大企業で働いていたらしいが、職場環境が良くなく母の助言もあってか職をやめ2、3年無職を過ごした後に父方の母のいる小金井に引っ越すことになった。

タクシーで中央線の荻久保という駅に向かっている私はそんな親の事情も知らずにただ、自分はどこへ向かっているのか酔いそうになりながら外の景色を眺めるだけ。

荻窪についてからは電車にのり私がこの先10年以上を過ごすことになる小金井へと向かうのだった。


 話が少しそれるようだが、私の小さいころというのは不思議ちゃんだったらしく、アイスクリームなどの形の崩れたぐちゃぐちゃしたものを触るのを嫌がったり、(矯正済み)左利きだったり、(矯正済み)モスバーガーで急に裸になったり、見ていないときに急に震えだしたり、ほしいものがあってもただ欲しがるだけで決してそれを口に出さない変わった子だったらしい。また他にも、知能指数なるものが同年代の平均から低かったり、GTAで道行く人をずっと殴り続けていた(子供の目の届くところにそんなゲームを置くべきではない)などと、父親は「なんか悪魔がこの世に誕生したのではないか」などと思っていたと言う。

しかしそのような練馬での出来事など記憶にはなく、ただ家の間取りとトイレに置いてあったガチャで出たモナリザの絵が怖かったことしか覚えていない。


 さて、話を戻そう。このころの小金井駅は高架化がまだ行われていなくて、駅の南口に宝くじと開かずの踏切、北口には歩道橋と西友があった。私の祖母の家は小金井街道を南下し、野川の向こう側にある。


そして私たちはこの家の2階で暮らすことになった。

祖母と大叔母、父母妹の6人での暮らしはそんな感じで始まったのだ。

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