第4話 妹だという証拠
「く、クリスお兄ちゃん……」
恥ずかしそうに小さな声で言うアリアは……なかなかの破壊力があった。
か、可愛い……!
照れたように、アリアは目を伏せている。頬がまた赤くなっていた。
兄弟姉妹のいない俺にとって、「お兄ちゃん」と呼ばれるのは新鮮だった。
しかも、アリアのような可愛い女の子に言われると、動揺してしまう。
「な、なんでクリス様も照れているんですか……!?」
気がつくと、アリアがびっくりしたように瞳を揺らしている。
慌てて、俺はアリアに手を合わせる。
「ごめんごめん……ちょっと嬉しくて」
「え?」
「妹がいたことなんてなかったからさ」
血のつながった妹や弟はいない。前回の人生では、アリアにも何も兄らしいことをしたことがなかった。
お兄ちゃん、なんて呼ばれたこともなかったと思う。
でも、一歩を踏み出せば、きっと違った関係を築いていくこともできるだろう。
これが最初の一歩だ。
アリアは顔を赤くしたままだったが、少し嬉しそうに頬を緩めた。
「わたしが……妹だと……クリス様は嬉しいのですか?」
「そうそう。初めての兄弟だからね。だから恐れ多いなんて言わずに普通に振る舞ってよ」
「わ、わかりました……クリス様」
「えーと、呼び方は……」
やっぱり、「お兄ちゃん」とは呼んでくれないらしい。
慌てた様子で、アリアは早口で言う。
「お、お兄ちゃんは、恥ずかしいというか、クリス様にし、失礼です! いくらなんでも馴れ馴れしいと思います!」
「僕は別に構わないんだけど……」
「わ、わたしが気になるんです!」
「じゃあ、『クリス』って呼び捨てでもいいけど」
「それはもっとダメです……」
「うーん」
「お、お兄様……とかはどうでしょうか?」
「ああ、それは悪くないかも」
「く、クリスお兄様?」
これもなかなか……悪くない。
ちゃんと兄だとわかる。貴族の兄妹という感じもする。
とはいえ、カレドニア王国では貴族の家庭でもそこまで堅苦しく呼びかけはしないけれど。
「もう一つお願いがあってさ。敬語もなしにしてくれる?」
「えっ……」
「兄妹で『です』とか『ます』とか変じゃない?」
「わ、わたしにはそれが自然です……」
俺としては、アリアにあまり固くならないでほしいのだけれど、仕方ない。
じゃあ、と俺はいたずらっぽく、人差し指をアリアの唇の前に立てる。
アリアはどきっとした様子で、俺を見上げた。
「敬語はそのままでいいから、『お兄様』じゃなくて『兄さん』に呼びかけを変えられない?」
「えっ、でも、それは……」
「どちらか選んでほしいな。敬語をやめるか、『兄さん』と呼んでくれるか。もちろん強制じゃないし、これはただの僕のお願いなんだけれど」
そうはいっても、アリアは断れないだろう。立場上、これは少し卑怯なやり方だということは、俺も理解していた。
けれど、多少無理してでも、アリアと距離を詰めなければ、また前回みたいに疎遠な関係になってしまうと思う。
様付けと敬語では、まるで主人と家来だ。
前回、互いに冷たくなったのは、アリアの遠慮と俺の無関心によるところが大きい。
そして、少なくとも、アリアは俺に異性として好意を持っていた。その理由は今となってはわからない。
けれど、そうであるとすれば、今回だって、アリアの心の壁を解きほぐし、そして俺の側からアリアに歩み寄れれば、きっと仲良くぐらいはなれるはずだ。
アリアは少し考えたようで、そしてふわりと微笑んだ。
その笑顔の可憐さに、俺は目を奪われる。
どうして……俺はこんな可愛い義妹がそばにいたのに、放っておいたんだろう?
俺の内心とは無関係に、アリアは柔らかい声で、その言葉を紡ぐ。
「クリス兄さん
どきりとする。心臓が跳ねるような、不思議な感覚だ。
これじゃまるで……。
いたずらっぽくアリアは俺を上目遣いに見る。
「……これでいいですか、クリス兄さん?」
「あ、ありがとう」
「さっきもでしたけど、どうしてクリス兄さんがうろたえているのですか?」
アリアが不思議そうに言う。
今度のうろたえている理由は、アリアが可愛いからだけではない。
兄さん、という呼び方は、前回の人生でもアリアが使っていた呼び方だ。
うっかりしていた。
目の前のアリアが、18歳のときのアリアと重なる。
あのときのアリアは「ずっと……兄さんのことが好きだったんです」と言ってくれた。「兄さんのいない世界なんて、わたしには何の価値もありません」とも……。
俺はアリアに何もしてあげられなかったのに。
だからこそ、今回はアリアを幸せにしたい。
アリアは俺のことを兄だと呼んでくれたのだから。
俺は深呼吸して、そしてにっこりと笑いかけた。
「うろたえていたわけじゃないんだけれどね。ただ……アリアが、俺の大事な人にそっくりだったから」
大事な人、というのは、前回の人生のアリアのことだ。
そっくり、というより本人ではあるけれど。18歳のときのアリアは、永遠に俺の前から失われてしまった。
そして、今、12歳のアリアが、目の前にいる。
アリアは首をかしげる。
「わたしが……兄さんの大事な人に似ている?」
「そうだね」
その大事な人は、もういない、とは幼いアリアに言えなかった。それに、俺が失ったのはアリア自身だからだ。
アリアはあどけなく、首をちょことんとかしげる。
「それなら……わたしも、クリス兄さんの大事な人になれますか?」
その質問に、俺は目を丸くする。
アリアは慌てて首を横に振り、そして、頬を真っ赤にしてうつむいた。
「べ、べつになりたいわけじゃないです! それに……クリス兄さんの大事な人になれるなんて、そんな恐れ多いこと……思っているわけじゃなくて……」
アリアの声は、消え入るように小さくなっていった。
その表情に暗い影が差す。
アリアは自分にあまり自信がないらしい。
その原因が何なのかはわからない。
アリアがこれまで、どんな生活を送ってきたのか、俺は知らなかった。前回の人生でも、知ろうとも思わなかった。
ただ、わかっていることは、今のクリスはアリアになるべく楽しい表情をしていてほしいということだった。
俺はぽんとアリアの頭に手を置いて、その銀色のふわふわした髪を軽くなでた。
アリアは驚いたように俺を見上げる。そのサファイアのような瞳を、俺はまっすぐに見つめ返した。
「俺の大事な人になろうなんて、そんなこと思わなくていいよ」
「そ、そうですよね……。わたしなんかが――」
「今、この瞬間から、アリアは僕の大事な家族なんだから」
キョトンとした顔でアリアは俺を見つめ、それから驚いたような表情になり、そして、今度はますます頬を赤くした。
アリアはやがて、はにかんだように、嬉しそうに微笑んだ。
その微笑みはとてもとても美しくて……。
俺は一瞬、言葉を失った。
けれど、俺にはアリアと話したいことが山ほどあった。言うべきことも無数にあった。
でも、今は……最初の一歩を踏み出せばいい。
「改めて、ようこそ我が家へ! 今日から君の名前は、アリア・ステュアートということになる」
「……く、クリス兄さんと同じ名字ですね」
「兄妹だから、ね」
「そ、そうですよね。でも……ちょっと嬉しいかもしれません」
「俺と同じ名前なのが嬉しい?」
クリスは冗談めかして尋ねたが、アリアはこくりとうなずいた。
そして、頬を緩め、柔らかい表情を浮かべる。
「だって、わたしがクリス兄さんの妹だという証拠なんですから」