最終話 花火空
夏が終われば学校に行かなければならない。私達は二人揃って好奇の目に晒されるのだろう。誰にでも優しいイケメンのヒーローは消え、珍しい、奇妙な、普通とは違う二人組の出来上がりだ。退屈な彼等にはさぞ愉快な餌だろう。
目が覚めるともうお昼になっていた。
夏祭りの屋台の準備をしているのかどこかいつもより外が賑やかだ。
夜になれば花火が上がる。今年の花火は私の目にどう映るのだろう。私の人生で一番綺麗だと思った地元の花火の景色。それは年々劣化し色褪せていった。
一番綺麗だと思ったのは小学何年生の頃だっただろうか。
幸道と手を繋ぎ無邪気に空を眺めた。空に咲く花は手を伸ばせば掴めそうだと思った。
お昼を食べると台所から母が洗い物をしながら私に話し掛けてきた。
「お父さん、今日仕事で遅くなるみたい」
「へー」
「花火どうする?」
「今年はベランダで見ていい? 幸道も呼んでさ」
その言葉に母の声が明るくなった。
「あら、それいいわね。お母さん、屋台でなんでも食べたいもの買ってきてあげる」
「うん、幸道はたこ焼きとか好きだから買ってきてあげて」
多分、母が気にしていたのは幸道のことだったのだろう。小さな頃から家族ぐるみのご近所付き合いだ。何度も一緒に遠出をし遊びにもいった。そんな子が自分の娘と同じような深い傷を負った。気にならない方がおかしい。
期せずして私は満点の回答をしたのだ。
私はコップに残った麦茶を飲み干した。
夕方、まだ陽が落ちる少し手前に幸道とその両親がうちに遊びにやって来た。幸道のお父さんは幸道のこともあって今は割と定時上がりをさせてもらっているみたい。にぎやかな人なので幸道がこんな時でも、いやこんなことがあったからこそ明るく気丈に振る舞っている。
他愛のない話を話し込んでいると陽はあっという間に沈んでいき足元の街並みが提灯や屋台の灯りでいつもより淡い光を灯す。
「じゃあ、屋台で食べ物買って来るな。雪ちゃん、幸道のこと頼んだよ」
「はーい、いってら」
「頼んだよって、俺いくつだよ」
うちの母と幸道の両親は三人でわいわいと出掛けていき、さっきまでの騒がしさが嘘のように静かになり二人きりとなった。
「何も三人で出掛けなくてもいいのに、どれだけ買い込むつもりだよ」
「気を利かせたつもりなんじゃない」
「あぁ、それありそう。あの人達、俺たちを意地でもくっつけたがるよね」
物心ついた頃から二人は一緒だった。
多分、私達は好き合っている。
でも、それは不変でも永遠でもない。
場当たり的な状況の変化で覆り、好きな気持ちが積もって憎さ百倍になったり、意味もなく距離を置きたくなったり、シンプルに飽きるかも知れない。
パンッと小さく元気のない乾いた音が聞こえた。
窓の外で一発目の花火が上がったのだ。
「……先に二人で見てようか」
幸道が慣れない車椅子を苦戦しながら漕いでいきベランダに近付く。上半身の力だけでは成人の身長よりも高い吐き出し窓は重く幸道の顔が僅かに曇る。
「……ふぅ、任せてみ。コツがあるんだよ」
私はそんな彼を見かねて自分もベランダへ車椅子のタイヤを回す。花火の音はどんどん大きくなっていき窓にカラフルな光を反射させていく。
吐き出し窓を開くともわっとした熱気と共に屋台の様々な食べ物の匂い、鼓膜を刺激する心地よい破裂音と一面に広がる色彩。圧倒的な情報量に私達は溺れていく。
私は思い出した。
ぼんやりではなくはっきりと思い出した。
何故、今なのだろう。
幸せに浸る。溺れている。
私はそっと隣を覗いた。
君しかいない。君が隣にいるから、同じ高さにいるから、たったそれだけだった。思い出した。あれはまだ私と幸道の身長が同じくらいだった頃に見た花火だったんだ。
あれが人生で一番綺麗だった。
君がそっと手を伸ばして、顔は空を見ていた。
そんな景色だった。
私は幸道が車椅子の手摺にかけていた手にそっと自分の手を重ねた。それはとってもか細くて頼りのない手だった。これまでどれだけ自分が幸道を頼り依存してきたのかを今になって痛感する。
「……ごめんね」
その蚊の鳴くような小さな言葉は花火に寄って掻き消される。
私が私に生きていてもいいと許可証を出せるのは二つだけ。
他人に愛された時と他人より優れていると証明した時だ。
「もう一つあった」
「え? なに?」
隣にいてくれる誰かを愛せた時だ。
今、ぼんやりとした不確かな思いが確信に変わったんだ。
「幸道、あんたが好きだよ」
今度は聞こえるトーンで口にした。
「……君を殺せなくなった俺にまだ価値はあるのかな?」
「今はないね」
でも、なくても好きだよ。
生きていくことは苦行だ。
それだけじゃないのも知っているけど、やはり苦しく溺れそうな時が多い。頑張って溺れないようにふらふらと泳いでいるけどいつか息が切れてしまう時が来るんじゃないかと怖くて怖くてたまらない。
この夏が開けて二人で登校することを思うとゾッとする。
だから、死と言うセーフティが欲しかった。
いつでもゲームの電源を切るような降参ボタン。自分でそのボタンを押す勇気はない卑怯者。
それを高い場所からなんでも持っていそうな君がくれて私は安堵した。でも、これは幸せじゃなかったんだね。
花火はまだ終わらない。
夏の夜空を独占する。
彼等には華があり、私達には華がない。
夜は、夜空は必ず暗いものだという概念をひっくり返した。
それを初めて目にした誰かはどんな事を考えたんだろう。
「幸道、あんたとは付き合えない」
「……だよね」
幸道の顔が花火の上がる夜空から自分の足元へ落ちていった。
「今はまだね」
幸道の顔が私の方へ向いた気配がした。
だけど、私は敢えて其方は向かない。こんな綺麗な花火を一瞬でも見逃すのが勿体無いからだ。
「……私が先輩だからさ」
「え? 俺の方が誕生日先でしょ」
「そうじゃなくってさ」
私はポンポンと僅かに残った右足の腿を叩く。
「こっちは私が先輩じゃん。さっきの窓も私が開けてあげたし。私、自分より弱くて情けない男と付き合う気はないんだよね。私は私の命握っててくれるような男じゃないと嫌だ」
本当は君が私の下なんて思ったことはない。
今、視線の高さが同じになってもそれは変わらない。
でも、二人とも今のままじゃ駄目なんだ。
もっと強くならなきゃ生きていけないし、互いを殺せない。
見上げるのはもう飽きた。
それはこの花火で最後だ。
強い幸道に頼るんじゃない。
一緒に強くなるんだ。
足が無くなって弱くなったんじゃない。
ただ、もっと強くならなきゃいけなかったんだ。
「私、頑張るからさ。あんた、そんな私より強くなってよ。車椅子に座ったまま車椅子に乗った私をここから突き落とせるぐらいにさ。そしたら、付き合ってあげる。結婚式の和洋もあんたに選ばせてあげる」
私は真面目な顔でそんな馬鹿げたことを言った。
そしたら幸道は馬鹿らしそうに腹を抱えて、声を噴き出して笑った。
いつもみたいな優しい微笑みじゃない。心の底から笑っているようだった。
「あははは、それは大変だ。まずはダンベル買わなきゃね」
「今度の誕生日に買ってあげようか?」
「うん、お願いするよ」
もう私達は掴めない空を見ていなかった。
ただ、花火の音だけが静かに降り注いで、私達はそれを蹴って歩いていくことを決めた。
香月よう子さん企画の「夏の夜の恋物語企画」参加作品「空恋し模様」最後まで読んで下さりありがとうございました!
最後に楽屋オチ?ならぬ制作秘話?裏話?
元々、いくつか書きたいとメモ書きのような小説の種の様なノートにあった一つを短編仕上げにしたのですが、長編だと割と作中で出てきた倉見くんと幸道くんの間を主人公がふらふらと…もうちょっとビターな作品をイメージしてました。
尺の都合でその辺は短編向きの展開へ変えてみました!皆さんはどっちの方が好きだったでしょうか?
まぁ、それ以前にそもそも多分今回の企画がなければこのような形になることすらなかったと思うので香月さんには本当に感謝です!