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第1話 綺麗だった空

 小学生の時に見た地元の花火が人生で一番綺麗なものだった。

 マンションの裏手に高台があり、出店で綿あめやら焼きトウモロコシやら一人では持ち切れないくらいの食べ物を買って貰ってお母さん、お父さん、同じマンションの同じ階に住む幼馴染とその家族と空に咲く花を観賞する。


 その景色を鮮明に覚えているわけじゃない。

 ぼんやり、うっすらとたまに綺麗だったなと思い起こすのだ。多分、鮮明でないからこそそう思えるのだろう。

 分かりやすく言えば過去の幸せに浸っているのだ。

 悦に浸る。いや、これは誤用だったか。でも、私にはぴったりの言葉だ。文字通り浸っている。綺麗な甘い幸せに、誰にも負けない思い出に、優越感に両足を伸ばして浸っている。


「機嫌良さそうだね」

「別に」

「何考えてるのか当てようか、花火でしょ」

「違うね」

「好きだもんね」

「違うってば」


 そうしていないと生きていいよと自分に言ってあげられないから。


 私が私に生きていてもいいと許可証を出せるのは二つだけ。

 他人に愛された時と他人より優れていると証明した時だ。

 歪んでいると軽蔑してくれて構わない。でも、きっと同じこと思う人は私だけじゃないと確信している。


 私が他人より優れていると証明出来たのはたったの二つ。可愛くて綺麗、そんな欲張りな容姿への賞賛と県内の陸上部の中じゃ敵なしだったトラックを一周する速度。


 でも、私はそれを同時に失った。

 なんの面白みもない事件。居眠り運転のトラックが私と幼馴染の下校中の歩道に突っ込んで終了。幼馴染は全治半年、私は右足を切断し一生消えない傷を負った。いや、傷なんて生易しいものじゃない。それは深く暗い一生埋まることのない穴だった。

 トラックで敵なしだった私の人生をトラックで奪う。

 ギャグのつもりか? 私が漫才大会の審査委員長だったら、そんなギャグをかました芸人は出禁にしている。

 本当に面白くない。


 当時中学生の私は足を失い登校拒否をした。

 当たり前だ。登校する足を失ったのだから。


 好奇の目に晒されるのはまっぴらごめんだ。

 私は退屈な学生生活を送る学生(やつら)の好奇心を満たす見世物小屋の豚じゃない。何度も何度も両親は学校へ行くよう説得を試みたが私は頑として首を縦に振らなかった。

 いっそ障害に理解のある学校へ転校させようかなんて話を立ち聞きならぬ座り聞きした時には本当の意味で私は私の現状を理解した。


 私はベランダの窓から外を見ることが多くなった。

 外には手に入らないものがいっぱいある。

 マンションの八階に住んでいるだけあって少し空が近い。それでも足を失った私には絶望的過ぎるほど遠い。


 無力な私にはここから飛び降りることさえ出来ない。



 ここまで悲劇のヒロインを満喫しておいてなんだが、結論から言えば私は学校に通い始めた。空は相変わらず遠いが私は一つの許可証を得たから。

 朝、家を出る五分前にそいつはやって来る。

 まるで家族みたいにインターホンも鳴らさずに玄関の扉が開く。


「おはよう、学校行こうか」

「来たな、タダ乗り野郎」


 私達の挨拶を母が微笑ましそうに見守り朝が始まる。


「おばさんもおはようございます!」

「はい、おはよう。この子口は悪いけど、みっちゃんが毎朝来るの楽しみにしてるのよ。今だって時計をちらちら見てたんだから」

「うるさいなぁ、早く車出してよ」

「駄目だよ、小雪。おばさんにそんな口聞いちゃ」


 私は母に悪態をつき、(ゆき)(みち)に車椅子を押されエレベーターを降りる。毎朝、母が車で私と幸道を高校まで送ってくれる。中学生のあの日からずっと続いている光景。

 信号にあまり引っかからなければ車でたったの七分弱。そんな距離でさえ私は一人では通えない。物理的に不可能ではない事を考えるとこれは甘えだろうか。数十分かければ車椅子でだって高校に辿り着くのは不可能ではない。それでも母と心配し、幸道は過保護にも私と一緒に学校に通ってくれる。


 だから、私は学校への通学を再開した。

 足を手に入れたからだ。


 物理的な話だけではない。私は隣の席で無邪気に窓の外を眺める幸道に視線を送った。彼が私の幼馴染。私より少し成績が悪くて、男子の中では運動神経も並みより少しいい程度、だけど顔はとてもいい。 そして、性格はこんな有様の私を見捨てずに毎日朝から世話を焼くことから推して知るべし。

 同じマンションの同じ階に住み、夏祭りには毎年一緒に花火を観賞し、同じ居眠り運転のトラックに跳ねられ、彼だけは半年で全快した幼馴染。

 最後が違えば決定的に違うなと自嘲する。


 車が校門の前に止まると幸道は先に車から降りて積んでいた車椅子を下ろし、次に私がおんぶされる格好で車から降ろすと車椅子に一緒に座るような形で車椅子に座らせてくれる。これを中学生の頃からずっと続けてきた。初めは母と父も付き添い一緒におっかなびっくりだったのも幸道の身体も大きくなり慣れも重なり今では父や母よりもスムーズに行える。そのまま校門をくぐればすれ違う生徒たちから「幸道君、おはよう」「芦田、おはよっ!」「三嶋さんもおはよう」と学年問わず挨拶を受ける。

 一つは幸道のルックス、もう一つは私のようなものへの目に見える慈悲深き慈愛の精神。これだけ満たせば幸道は充分過ぎるほどの人気者になる。

 ついでに私も幸道の庇護下に入っていることが痛いほどわかり、私に優しくすれば幸道へのアピールにもなると特に女子から気持ち悪いぐらいべったりとした優しさを振りまいてもらえる。

 思うところがないわけではないが、これは正直学園生活を送る上で本当に助かる。少なくとも腫物や虐めの対象になるより百万倍マシだ。


 これが私の物理的ではない学校に通う為の足だ。

 生きていてもいい許可証だ。


 哀れだと笑ってくれてもいい。

 消えない劣等感を相殺するものが必要だった。それは圧倒的な優越感。

 人気者が私に執着している。愛してくれている。優れたものに認められていると言う優れた点。

無様な私の醜い自己肯定。


 自分たちの教室に入れば先に来ていたクラスメイト達の「「おはよー」」が重なり、自分がちゃんと「おはよう」と口に出せているのか分からなくなる。

 教室の窓側の一番後ろの席が私で隣りが幸道。それは今年一年ずっと決められた変わらない席順。私の車椅子が入りやすく、他の生徒の邪魔にもならない配慮の結果だ。

 私達が席に付けば直ぐに人が集まってきてそこがクラスの中心になる。勿論、みんな狙いは幸道だけど、だからと言って露骨に私を仲間外れにしたりはしない。昔、それをやって地獄を見た女子がいる。


「芦田、今日の英語の小テスト勉強してきたぁ?」

「帰ってる時はすっかり忘れてたんだけど、小雪に教えて貰ってさぁ。ギリギリセーフって感じだったわ」

「三嶋さん流石だねぇ、成績良いもんね」

「そんなことないって、私英語苦手だからこそ覚えてたってだけ」


 このクラスで一番可愛い(れん)(じょう)が上品な香水かと錯覚する良い匂いを漂わせ、タイミングよく私を持ち上げる。そうすれば幸道の機嫌がよくなることを知っているからだ。本当にご苦労なことだと思う。

 連城程ではないが、クラスの女子もその空気を察してか私を過剰に持ち上げる。幸道と恋人になれるとまでは思ってなくてもイケメンに認識してもらえる、気に入ってもらえるということは基本的に嬉しいことだ。

 私自身がその旨みを使い生きているのだから身に染みて理解している。


 こんな朝を過ごすだけでも私の心は劣等感を少しの間だけ麻痺させることが出来る。消える筈はないけれど、ほんのりと忘れることが出来る。

 私は誰にも見えないように先のない膝をさすった。



 授業と授業の間の小休憩、幸道がトイレの為に席を立った。

 私はこの瞬間だけは夜の山に捨てられた子犬のような気持ちになる。クラスメイトたちは明らかに態度の冷たくなるものもいれば、そうでないものもいる。

 冷たいと言ってもオマケが本命になっている玩具付お菓子の美味しくないお菓子のような扱いでそもそも興味を失っているだけだ。何か害を加えようとするわけじゃない。


「雪ちゃんと芦田君って本当仲良いよね。どうしてー?」


 クラスメイトの中で一番性格の良い(よし)(づか)がポニーテールを揺らし一人で次の授業の準備をしていた私に話し掛けてくる。


「まぁ、約束したからね」

「えー‼ ずっと一緒にいよう的な幼馴染の誓いってやつー‼」

「あー、はいはい、そんな感じ、そんな感じ」


 良塚は一番性格がよいと同時に一番他人の色恋に興味がある女でもある。クラスメイトの女子の中で一番話す頻度は高いのだが、正直一番話していて疲れる相手でもある。他人の色恋が好きなのか、幸道自身には目の保養程度の好意しかないようだ。


 次の現代文の授業が始まると目だけは黒板を見つめ、先ほどまでの良塚との会話を反芻する。

 そう、約束したのだ。

 いつか私がお願いしたら私を窓の外へと突き落としてね、と。

 暗いくらい中学生の頃の私の部屋で彼は私を解放してくれると約束したのだ。いつでも脱出できる宇宙船に乗るのだ。怖いことなんてなにもない。




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― 新着の感想 ―
[良い点] 心理描写が現実的  [一言] まずは1話 人の心 ありありと 幸道は助かった事に苦悩してるんだろうな…… 想像つかない展開が楽しみです。
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