後日談 義妹アイドル見参②
5月のある夜。
事務所の送迎を経て、仕事終わりの七海ちゃんが家に帰って来た。
今日は車は七海ちゃんの家には向かわず、雛白家の目の前に停車した。後部座席のドアが開くと同時に、小春ちゃんと修一君が駆け寄る。
「ほ、本物だぁ~! 握手して下さい!」
「ふ……は……!」
小春ちゃんは最近ファンごっこに夢中だった。七海ちゃんに会うたびに、初めて推しに会うファンのモノマネを仕掛ける。持田を彷彿させて将来が心配になる。
そして修一君はいまだに自分から挨拶できていない。なんと彼は緊張して過呼吸気味になるほど、トリンスハイツの時雨七海の大ファンだったらしい。
「七海ちゃん。お帰り」
「に、兄さん? それにこれって……」
七海ちゃんの視線の先には、引っ越し業者が雛白家に荷物を搬入している姿があった。杏奈さん経由で急遽手配したものだ。勘の鋭い七海ちゃんは、それを見て察したようだ。
「突然だけど、七海ちゃんは今日からうちに住む事になった」
「えぇ!?」
「事務所の社長さんには、母から連絡を入れてあります。将来の家族なので、一緒に住まわせると」
実はここ最近も、事務所に脅迫まがいの電話があったそうだ。危害を加えるようなものでは無いが、出演を増やせとか、もっと前面に出せとかそういった類らしい。
急な変化が生んだ弊害だそうだ。そして、その声は七海ちゃんの耳にも届いていた。
「でも――」
「七海ちゃん。これは俺の我儘だ。一緒に住もう。というか、七海ちゃんのアパートは退去手続きしたから後に引けない。引っ越し祝いも買っちゃった」
「……ふふ、兄さんは相変わらずせっかちですね」
「行動力には自信がある」
七海ちゃんは暗がりの中、優しく微笑んでいた。
今日は配信の化粧をしたまま帰宅したらしく、まるで別人のようだ。いつの間にこんなに大人びたのか、感慨深いものがあるな。
「……蒼くん、何見つめてるんですか?」
「いや、雰囲気が本物のアイドルみたいだなぁと思ってな」
「本物のアイドルですよ、兄さん」
七海ちゃんが、体を寄せて来た。
俺の胸に頬を当て、抱きしめてくる。
「……ありがとうございます」
――
『トリンスハイツ、七海・見参ー!』
「ふ……は……!」
七海ちゃんが出ている番組を、七海ちゃんと修一君が一緒に座って見ている。
その様子を、葉月さんはストロングを飲みながら眺めていた。
「修一、うれ死しないかしら?」
「何ですか葉月さん、その物騒な死に方は」
「心ここに在らずじゃない。七海ちゃんが修一に車買ってといったら買ってくれるわよ。あ、私いま悪い事を閃いちゃったわぁ」
葉月さんが千鳥足で修一君に近付く。
肩を組み、耳元で悪魔の囁きをしている。
「結、止めなくてもいい?」
「嬉しそうなんですよね、葉月さん。止めなくてもいいですよ」
修一君は真面目で頭は回るが、人に対して辛辣な部分があった。葉月さんはその性格を改善できるチャンスだと思っているそうだ。
ひとしきり修一君に絡んだ後、葉月さんが悪い顔で帰って来た。
「囁いた内容を教えてください」
「修一には今後の家事を頼んだわ。洗濯と掃除と食器洗い。もちろん大好きな七海ちゃんの分をね」
「ちょっと待ってください葉月さん、それは教育に悪いでしょう!」
ろくでもない提案だ。あの状態の修一君なら、七海ちゃんの服や食器をどうにかしかねない。
「好きなアイドルと同居だなんて、まるで漫画みたいじゃない。私はこれから3年間、結さん達のようなラブコメを再び見る楽しみを得たのよ、うふふ……! うぇっぷ……ぐー……」
葉月さんは気持ち悪く笑って、机に突っ伏して、そしてそのまま寝始めた。
結と目が合う。
そして静かに笑い合った。
「自由だなぁこの人」
「ふふ。でも、本当に修一と七海ちゃんが結婚したらどうします?」
結が小悪魔な表情で覗いて来た。
ここにも悪魔がいたか。
だけど。
「――ちょっと面白いかもしれない」
「ふふ、でしょう?」
『また明日、見ってねー!』
テレビの七海ちゃんがバイバイをして、番組が終了したようだ。
「七海ちゃん、可愛かった~!」
すかさず小春ちゃんは両手で七海ちゃんの手を握り、握手する。
「この手は一生洗いません!」
そして、その様子を修一君は凝視していた。
……あぁなるほど、小春ちゃんは修一君を煽っているんだな。普段から何かと兄に負けているので、勝てる要素を見つけて楽しんでいたのだ。
小春ちゃんは恋のキューピットになるのか、それとも邪魔する悪魔になるのか。この家、悪魔多くないか?
「小春、先にお風呂どうぞ」
「はーい。七海ちゃんも一緒にお風呂行こ?」
「だ、大丈夫なんですか結さん?」
「はい、七海ちゃんさえよければぜひ」
「やったー!」
そして、その様子を修一君は凝視していた。
……いかんなこれは。
ちょっと持田に相談しよう。
――
「――という事があってな」
「分かる……俺には分かるぞ修一君」
持田が不気味な顔で頷いている。
「考えてもみろ。お前も好きなアイドルがいたんだろ、それが突然家にやって来て同居するんだぞ」
「でも修一君はまだ幼稚園児だぞ?」
「モチダは幼稚園児から性欲ヤバかったぜ。俺が修一君の立場なら、まずアイドルの脱ぎたてホカホカの服を見て発狂する。風呂の残り湯はオークションで売り出し、食器は洗わない。早くしないと修一君も手遅れになるぞ」
「やめろよ持田! 俺、今ゾッとしたわ。化け物かよ」
やはり、持田は持田だった。
相談したのが不安になってきた。
「冗談だよ。まずは挨拶からだな」
「……ほう?」
「それに、時雨七海しゃんも雛白さんの家で受け入れられるかが不安だろう。修一君と仲良くなる過程も利用して、お前や雛白さんが家族に馴染ませてやれ」
……そうだな、そうかもしれない。
七海ちゃんも不安なはず。持田らしからぬ提案だが、採用させてもらおう。
「これで十分か、モテ男の蒼よ?」
「ありがとうよ、愛の狩人。ブックマークしておいてやる」
「ありがとうございますううううっ!」
――
「――という事があってな」
「兄さん、持田さんって大丈夫なんですか?」
放課後の図書館。
今日は七海ちゃんはオフの日で、結を待ちながら二人で宿題をやっていた。
大丈夫なんですか、と言われると、多分と返事してしまいそうになる。
「根は良い奴だよ。でも、頭のネジが全部吹っ飛んでる」
「それ完全に壊れてるじゃないですか」
七海ちゃんはふふっと笑いながらシャーペンを動かす。こうして二人でやる機会は増えたが、叔父さんの家にいた頃には無かったから新鮮だ。
「……ふぅ、私は終わりました」
「お疲れさん」
「何読んでるんです?」
「『小学生の育て方』」
「ふふっ!」
七海ちゃんは再び吹き出した。
「何だ?」
「いえ、兄さんだなぁって」
そう言うと、七海ちゃんは俺の手を両手で包み込んだ。さらさらとした、柔らかくきめ細かな肌だ。
静かに、俺の目を見つめる。
思わず目をそらしてしまった。
「……俺、人と目を合わせて会話するの苦手なんだ」
「よく知ってますよ、ふふ」
「はぁ……」
七海ちゃんは手を離し、今度は鞄を机の上に置いた。宿題と筆記用具を片付けた後に取り出したのは、台本らしき書類だ。
表題には『(仮)ひだまりに漂う蓮』と記載されている。
「次の私の仕事です」
1枚めくると、ドラマのあらすじが載っていた。
不幸な境遇で育った少年が、ある日突然、相手の心を読めるようになってしまう。少年はその力で、今まで自分を虐げてきた人達に復讐しようと試みた。だがそれは失敗に終わる。
「出会う人々が皆、自分よりも不幸すぎて、逆に助けてしまうんですよ。自分の事は全部後回しにして、気が付いたら走り回っているんです」
「それは何とも……。七海ちゃんはどの役?」
「ふふ。それが、主人公が最後に出会うお婆ちゃんなんですよ」
「は?」
ページをぱらぱらとめくると、確かにお婆ちゃんの台詞がある。
お婆ちゃんは若い頃から寝たきりで、今は言葉すら喋らない。そんな彼女の過去の回想シーンとして窓の外を眺めるのが、七海ちゃんの役らしい。
そして、台詞はたった一言。
「『運命がカードを混ぜ、われわれが勝負する。』ドイツの哲学者、ショーペンハウアーの言葉です」
その言葉を覗き見た主人公は、運命に翻弄され続けた自分の人生を振り返り、涙するそうだ。
「われわれが勝負する、か」
ふと、窓の外を見た。
夕日が沈み、そろそろ閉館の時間を告げている。結はギリギリになりそうだ。
「――私、俳優を目指そうと思うんです」
七海ちゃんが真剣な表情でこちらを見ていた。
俺に気を遣ってくれたのだろう。俳優の母を失ったというトラウマがつい最近まで残っていたのだ。だけど、そのステージはもうクリアしている。心は穏やかだ。
「全力で応援するよ」
「……いいんですか?」
「いいに決まっている。兄夫婦をハリウッドに招待してくれ。優秀なパパラッチも引き連れてくから」
「ふふ、もちろんです。でも、パパラッチはいらないですね」
七海ちゃんは再び手を握ってきた。
そして指を絡めて来る。
「兄さん。何から何まで、本当にありがとうございます」
「お礼なら雛白家の人達にな。俺だって世話になりっぱなしなんだ」
「はい。二人で結さん達に恩を返しましょうね」
「あぁーー! もうまた手なんて握って!」
静かな図書館で、結の声が響く。
「結さん、兄妹のスキンシップですよ?」
「だから普通はこんな事しないです!」
「いいじゃないですか少しぐらい。兄さんとキスしてるんでしょう?」
「キ……うわあぁ……ひえぇ……」
結は両手を頬にあて、あわあわとしだした。
こうして恥ずかしがるところが愛おしい。
「さ、遅くなるし帰ろう」
「もう、蒼くんもしっかりして下さい!」
結の手を握り、3人で図書館を出た。
今日は生徒は少ない。
静かな学園だ。
少し進んだ所で、七海ちゃんが口を開いた。
「結さん、私は手札を揃えました」
「手札……? 何の話ですか?」
すると、七海ちゃんは俺の二の腕をぎゅっと掴んで来た。七海ちゃんが俺を使って結をからかい、結が「あぁ!」と叫ぶのはいつもの事だ。
七海ちゃんはそのまま、俺の顔を見た。
ふと、脳裏に家族の顔がよぎった。
「兄さんは簡単にはあげませんよ。運命を決めるのは、私ですからね?」
「なっ、七海さん! もう、蒼くん!!」
どこか志乃さんに似たその顔つき。
澪のような悪戯な仕草。
七海ちゃんは、輝くように笑っていた。
お読みいただき、ありがとうございました。
一旦完結に戻します。
なお、持田君と蒼と結の未来についての後日談も投稿予定です。
またまた宣伝ですが、新作を始めました。
マイペースな魔女と喋る猫が、蓼科の別荘で現実逃避するお話です。見少女とは毛色が違う、戦闘も恋愛も無い気の抜けたローファンタジーでございます。
「時空の魔女の庵づくり in 蓼科」
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