56話 陽だまりの見少女
「お母さんは昔からこうなんですよ。いつも相談無しに物事を進めちゃうんです」
そう文句を言いながらも、結は怒っているようには見えない。
あの後、杏奈さんは颯爽とフランスへ旅立っていった。去り際は格好良かったが、俺や結は爆弾を置いて行かれたような気分だ。
そんな嵐のような出来事の翌朝、俺と結は一緒に初詣に向かっていた。歩いて20分ほどの距離にある、近所では大き目の神社だ。まだ時間が早いせいか、通りには車も人も少ない。
「蒼くんに会えなくなるのは嫌ですが、これが条件ならばどうしようもありません」
「そうだな、杏奈さんには何か考えがあるのかな?」
「どうでしょうね」
杏奈さんは行動的で、俺達に知らされるのはいつも結果ばかり。今回の件については葉月さんも頭を抱えていた。
「……多分だけど、俺に身分を与えようと気を利かせてくれたのかもしれないな。雛白家になった俺と近衛結が結婚して、そのまま結は雛白家に嫁ぐ。結婚相手である俺は近衛家のSP的な仕事をしているとなれば俺の素性が疑われない、とか?」
これはあくまで俺の予想だ。
多分、あの男性SPが身を引いてくれたんだろう。
「何だか海外ドラマみたいな話ですね」
「そうだな。でも俺は未だに近衛家が雲の上にあると思っているよ」
「……私にはよくわかりません」
「まぁなるようになるさ。いざとなったら駆け落ちしよう。結のお婆さんの家、海の見える町なんてのもいいんじゃないか?」
「――ふふ、いいですね」
結の握る手に力がこもった。
「蒼くん、ありがとうございます」
「こちらこそ、ありがとうございます」
そして神社に到着し、初詣をした。
早朝から意外と人は多く、結が周りから見られているのを感じる。どこにいても目を引いてしまうのは大変そうだが、こんな美少女が隣にいる事に少しだけ優越感を覚えてしまう。
そんな人混みに紛れながら参拝する。
二礼二拍手一礼、目を閉じて祈るように手を合わせた。
目を開けた時、隣の結はまだ祈っていた。
その佇まいに神々しさを感じる。
「……ふぅ。行きましょうか」
「結は何を願ったんだ?」
「ふふ、秘密です」
「気になるな」
「蒼くんは何を願いましたか?」
「結と雛白家の幸せ、それに杏奈さん達や親戚の幸せ、持田と葛西さんの恋愛成就、店長の無病息災」
「ふふ、いっぱいですね」
我ながら強欲だ。
「でもやっぱり、蒼くん自分の事は願わないんですね」
「俺は十分に幸せだからいいよ」
「……もう。でも、そう言ってくれるのは嬉しいです」
結が俺の二の腕をぎゅっと掴んだ。
「おみくじ引こうか」
「いいですね。折角なので、中身は公園で見ませんか?」
「そうだな、そうしよう」
――
神社の喧噪から離れ、いつもの公園にやってきた。
乾燥した冬風が心地良い。
誰もいないベンチに、結と二人で腰かける。
「大吉こい!」
開いた俺のおみくじは……『末吉』。
「末吉……ってどの辺だっけ?」
「き、凶の一個上です」
「何だと……」
まぁいいか。
気になるのは縁談と学問。
「なになに……」
縁談:よろし。
学問:自己への甘えをすてよ
「縁談が良い。これだけで十分だ」
「この『待ち人:来る つれがあり』ってのは何でしょうかね?」
「何だろう。もう待ち人なんていないはずだ」
続いて、結のおみくじを開いてみる。
現れたのは……『中吉』。
「『縁談:よろし』! ふふ、十分です」
「『待ち人:腐れ縁に注意』。腐れ縁って事は昔の知り合いか何かかな」
「腐れ縁と呼べる人物なんて、覚えがありませんね」
「『学問:危うし 全力を尽くせ』。これも怖いな」
「全力……ですか」
結はそう言うと、ふと空を見上げた。
つられて俺も仰ぎ見る。
空気が澄んでいて、青い空だ。
「――――私、教師になりたいんです」
結は、空に向かって呟くようにそう言った。
「向いていると思うよ、教えるのが上手だし」
「でも、蒼くんと離れたくありません」
……そうか。俺が杏奈さんの側近とやらになると、俺だけ海外を飛び回る可能性が高い。英語を学べと言われたのはそのためだ。
現実というのは、本当にままならない。
伊藤さんと夜にここで話していた時を思い出す。
「……俺も結と離れたくない。俺は、家族というものに飢えているんだ」
「私もですよ」
俺の左肩に、結が頭をぽんと寄せてきた。
「フロイトの言葉で気に入っているものがある」
「何ですか?」
『――あらゆるものの中心に愛を置き、愛し愛されることに至上の喜びを見出せたとき、幸福は訪れる』
ここでいう『あらゆるもの』とは、本当にあらゆるものの事だ。結や小春ちゃんや修一君の事もだ。
「この言葉、裏を返せば愛が無いと幸せは訪れないとも取れる。だけどそんな深読みしなくたっていい。『誰かを想う心があればいいんですよ』でいいんだ。俺は結を愛し、愛されて幸福が訪れた」
「ふふ、蒼くんらしいですね」
俺はその誰かを想う心で、家族に命を救われた。
大切な志だ。
「俺は結を応援するよ。そしてこっちは何とか雛白家から出ないような仕事を掴んでみせる。だから結も、俺を応援して欲しい」
「蒼くん……」
「あ、別に杏奈さんに反抗する訳じゃないぞ。こう、うまーく世渡りするイメージで雛白家から近い仕事に転属してとか……」
ここまで手厚く保護してもらったのに、まるで反逆を起こすかのようだ。そんなつもりはまるでない。
「ふふ、では左遷されて水菓子学園で英語の教師に赴任、というのはどうでしょう?」
「天才か。じゃあ俺も教員免許を取っておこう。そうなると結と同じ大学を目指すしか道はないな」
「あ、蒼くんも天才ですか!」
結ががばっと起き上がり、跳ねるような笑顔で俺を見た。
「そうと決まれば、全力を尽くさないといけませんね」
「おみくじに負けないようにな」
「はい。蒼くん――」
結が座ったまま抱き着いてきた。
抱き締めていると、心が落ち着く。
そのままの体勢で、俺は結に伝えることにした。
「……最近さ、澪と志乃さんが見えなくなった。イマジナリーフレンドも幻覚も、何も見えなくなったんだ」
最後に見た日から一週間が経った。
もう二人の名前を呼んでも、誰も現れない。
「……寂しいですか?」
「そうだな。でもこれは多分、心の隙間が埋まったからなんだと思う」
あの澪の元気な声も、志乃さんの優しい声も聞けなくなった。病気が治ったという喜びよりも、別れを告げる間もなく静かに消え去ってしまったという感覚の方が大きい。
二人は死んだ訳では無いが、元々生きていた訳でも無い。家族が二人、どこかへと帰って行ったのだ。
「私がもっと隙間を埋めますから。娘が生まれたら、お二人の名前を借りましょうか?」
「お、いよいよ夜這いか?」
「そそそうじゃないです! もう……!」
俺の両手の中で、結がもぞもぞと動いている。
恥ずかしがっているようだ。
結の髪を撫でていると、結の動きが止まった。
「これから、どんな未来になるんでしょうか」
結は俺の胸に顔を埋めたまま、そう問いかけた。
ここはかつて俺が家族と座っていたベンチ。
今は結と二人で座っている。
このまま結婚して子供が生まれたら、きっと皆でここに座る事になる。新しい家族の風景だ。それからは当たり前のように月日が流れて、子供の成長を見守りながら歳を重ねて行くのだろう。
いたって普通の人生。
でもそれはきっと、かけがえのない宝物だ。
「そんな未来になると思う」
「考えた事をちゃんと話してください」
「秘密」
「もう、ふふ」
再び空を見た。
一筋の飛行機雲が空に走っている。
木々の隙間からは、木漏れ日が結の背中を暖めていた。
この陽だまりのような少女は、きっと年老いてもこのままだ。俺はそんな彼女の隣で生きていきたい。
そう考えて視線を結に戻すと、いつの間にか結がこちらを見ていた。
「どうかした?」
「いえ、蒼くんを見ていました。いつもの習慣ですよ」
「そうだったな」
「ふふ、そろそろ帰りましょうか」
あの温かい家で、皆が朝食を待っている。
ベンチから立ち上がり、家に向かってゆっくりと歩き始めた。
一歩一歩、少しずつ。
じーーっと見る少女の、手を引いて――。




