40 結果だけを見れば悪くはない
脱力して溜息が出る。
吐いた息を戻すように、深呼吸をした。
「ふううぅ、七海ちゃんとはいえ緊張した」
「蒼くん、大丈夫ですか?」
「さっきの事? 大丈夫、覚悟はしていたんだ。むしろ間に七海ちゃんが入ってくれた事で言い合いにならずに済むのなら最良だと思う」
「――本当ですか?」
その問いかけで、一瞬言葉に詰まってしまった。
結は射貫くように、じーっと俺を見ている。
だけどもう本当にいいんだ。
「……正直に言うと腑に落ちないよ。でも結果だけ見れば、もうバイトは自分の生活費だけ稼げばいいから大分楽に……って今気付いたけど、2年生に上がる時に教科書とか買わなきゃいけないのか」
嫌な現実を思い出してしまった。
いくらだろう、先生に聞いておかねば。
「――頑張ったね」
「あっ、ゆっ……」
「いいの。無理しないでね蒼ちゃん」
急に結が志乃さんモードになった。焦ったが、撫でる手が気持ち良くて大人しくしてしまった。どんな行動であれ、結は良かれと思ってやってくれているのだ。彼女から滲み出るその優しさが嬉しかった。
そして結は頭だけではなく、顎や体を撫でまわしてきた。
楽しみ始めたな。
まるで犬みたいだ。
……犬か。
「ワンワン!!」
「あ、蒼くん?」
「ワン!」
「――――お手」
「ワン!」
『何してるの、蒼お兄ちゃん……』
久しぶりに現れた澪を無視して、結の掌に手を乗せる。こうして急に変な事を言い出しても、結はノリが良くて付き合ってくれる。おかげで場の空気が少し変わった。
しかし、次第に結が悪戯な顔になる。
「おかわり」
「ワン!」
「ふふ――――ハグ」
ハグ?
ハグなんてあるの?
結はにやっと笑っていた。
そしてその結の後ろでは、葉月さんと小春ちゃんがドアの隙間から覗いていた。葉月さんに至っては携帯を手に持って構えている。あのニヤけ顔は、もしや犬の状態から撮影していたな。
結はもちろんその様子に気付いていない。
……知らないぞ、もう。
「結」
名前を呼んで、ぎゅっと抱きしめた。
胸の中に彼女の顔が収まる。
「ぁぅう…………えへへ、蒼くぅん……」
「葉月さんに動画を撮られてる」
「ぅえええ!!?」
逃げようとした結をがっちりホールドする。
結はすっかり力が抜けていた。もぞもぞと動いてはいるが、俺の手から抜け出そうとはしていない。恥ずかしいのにこのまま抱きしめられてたい、そんな意図を感じる。
可愛い。
「皆さま御覧の通り、結さんは抱きしめられるのが大好きなのです。ほぅら顔を真っ赤にして、とても可愛いですねぇ」
そんな事を言いながら、舞台袖から葉月さん達がふらふらと現れた。撮影を続けたまま、俺達の様子をリポートしている。葉月さんは右手に携帯を持ち、左手にはストロング缶が握られている。
そしてあの千鳥足、もう既にへべれけだ。
結は煽られてバタバタとしているが、やっぱり抜け出そうとしない。
「うぇっぷ……私は現在、結さんの耳の周りに来ています。あらあら、お耳も赤いですねぇ」
「葉月リポーター、これから俺はどうすればいいでしょうか?」
「可愛いのでこのまま剥製にしましょう」
「お、お母さんこわいっ!」
そう叫んだ小春ちゃんは、両手を顔に当てて指の隙間からこちら見ていた。
そうだった、これは教育に悪い。
「あらぁ、離しちゃったぁ。残念」
「ぅう……二人とも、ひどいです!」
葉月さんはソファにどしんと座り、俺の手から離れた結の頭をぐるぐると撫でた。そして、グビグビと酒を飲み始めた。酒の解禁は月一だった気がするが、この人しょっちゅう飲んでないか?
「ふー。盗み聞きした感じ、望月君のお金の問題は解決したようね」
「そうですね。ご心配をおかけしました」
「いいのよ。でも折角だから聞き辛い事を聞いてもいいかしら?」
そう言う割には顔がニコニコだ。
そして口は半開きで涎が垂れている。
この人、やっぱり面白いな。
「何でしょうか」
「相続や遺留分はどうしたの?」
あー、そこか。
「んー、何と言ったらいいのか。家族が亡くなった時の資産は、全て親戚の叔父さんにあげたんですよ。俺の養育費もありましたし、その時からお金に困っていたようなので」
「……なるほどねぇ。それでこうなってるのねぇ」
「当時の俺に判断能力なんて無かったです」
葬式の取り仕切りも家族の墓関係も、全て叔父さんがやってくれた。だから、俺は何も後悔はしていない。むしろ叔父さんが俺を嫌っていたとしても、俺は叔父さんには感謝しているぐらいだ。
「結さん、この会話の意味は分かる?」
「……はい、何となくですが」
「そ、ならいいわ。あとは頼んだわね」
そう言って葉月さんは目を閉じ、ソファに座っていびきをかき始めた。
「ぐがっぐぐっぐ……ぐがっぐぐ……」
「凄いな葉月さん。この自由っぷり、憧れるよ」
「私は呆れますよ。お酒は人の本性を現すんですね。蒼くんはこうなっちゃいけませんよ?」
結はそう言いながら、慣れた手つきで葉月さんを支えて膝掛けを掛けた。
苦労しているようだ。
そして再び俺に向き直り、口を開いた。
「ねぇ蒼くん、私からも聞いていいですか?」
「何でしょうか」
「――七海さんとは、ご兄妹なんですよね?」
『うわ怖っ! 結また怖いんだけど!!』
澪も驚いている。
結の目の色が変わっている。
「ごく普通の親戚だとは思っているけど、向こうはどうだろうな。俺は居候だったから疎ましかったかもしれない。あの当時の七海ちゃんはインドア派というか、ほとんど部屋から出て来なかったんだよ。俺も色々あって部屋から出なくなったし、会話自体が少なかった」
自分の家に陰湿な奴がやって来たと思われていても何もおかしくはない。当時、いじめから逃げてやって来た俺の態度は相当酷かったと思う。
「俺は心の底から家族だとは考えていなかったし、七海ちゃんも新しい家族と考えていなかったと思う。本当は年上の俺から積極的に関係を絆していく必要があったのに、幼稚だったんだ。今は後悔してる」
「そう……ですか」
「今日電話した相手が七海ちゃんで本当に良かったよ。俺のノートを使ってくれているのも嬉しかったし、ちゃんと受験勉強もしてるっぽかったし。むしろ相手が叔父さんだったら逆に怒ってたかもな」
結は聞き辛い事を聞いてしまったと思ったのか、少ししゅんとしていた。
小春ちゃんは先程からじっと話を聞いている。
あまり子供に聞かせたい内容じゃないな。
そう思って小春ちゃんを見た。
「ねぇ、オレンジジュースなくなったの」
「そういう事か。じゃあコンビニでも行く?」
「行くー!」
「蒼くん、もう夜だからダメです!」
「お姉ちゃんのケチー!!」
物で釣れる立場の人間は、怒る立場の人間よりも有利だな。
そう思っていたら、結に睨まれた。
俺の言葉を待っているようだ。
「よかったら、結も行かないか?」
「………………い、行きたいです」
結は目を逸らし、もじもじとした。




