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37 サロンでは見れない甘い顔


 11月末。

 学園の木々の葉も枯れ落ち、季節の風を感じる。



 そんな風に教室から外を眺めて風情を堪能していたら、持田が急に白目を剥いて笑い出した。


「ふ、ふふ……ぐふふう……!!」

「急に気持ち悪いぞ持田」

「ぐふっ……すまん、昨日の事でちょっと思い出し笑いをしてた」

「気になるな、何があったんだ?」

「雛白結ファンサロンで六原委員長が作って来たフィギュアが……こけ、こけし……ぐふっぅ!!」

「六原委員長……」


 いつものようにこちらをじーーっと見ていた副委員長の結も、何も知らなかったようだ。驚いた表情で、六原と持田を交互に見ている。


 もっと驚いていた六原が立ち上がった。


「も、持田! お前えええぇ!!」

「ぶふふうううぅ! ぐふううぅ!!」


 こうやって六原委員長が巻き添えを食らった。



 そんな騒がしい彼らを後目に、俺は図書館へと向かった。


 バイトがなくなったおかげで生まれた時間は、予定通り読書と勉強に変わった。放課後は毎日図書館へと通い、閉館時間になるとこっそり結と合流して一緒に帰宅する。


 期末試験が近づくとともに学生は増えてきたため、2人きりで話す事はしていない。だが結の方は相変わらず俺の方を見ているようで、時々目が合うと照れて俯いていた。迷惑にならないためになるべく見ないようにとは考えていたが、結のその表情が可愛くてつい見てしまう。


 そして図書館に通うようになって分かったが、やはり結は頻繁に告白されていた。学園の帰り際、昼休み、そしてこのご時世にラブレターまでもを手にしていた。俺が強引に手を引いていた姿を見られた影響もあるのかもしれない。


 だがそれに対して、結は全てを丁寧にお断りしていた。


「ご好意はありがたいのですが、お話しした事のある方も少ないですし、近衛家との繋がりが欲しいのかすらも分からないんです」


 その言葉が、俺の心にチクリと刺さった。


 文化祭でのあの光景が蘇る。

 近衛の苗字、か。



 そして、あれから結の家には何度かお邪魔していた。葉月さんの言った通り、結はモヤシを話の種にして誘ってくるのだ。たった数十円がこんな風に化けるだなんて思いも寄らなかった。


 流石にお邪魔して何もしないのは申し訳ないので、俺は掃除や庭木の剪定を手伝っていた。葉月さんは自分を家政婦だと言っていたが、実際には近衛家に雇われた結の面倒を見る役割を担っていたそうだ。旦那さんが単身赴任で男手が修一君しかおらず、そのため肉体労働をする度にお礼を言われた。


「助かるわぁ望月さん。いっそ我が家で住み込みで働きませんか?」

「そうですよ蒼くん。そうして下さい」


 二人からは、何度かそう誘われた。


 だが常識的に考えて、ひとつ屋根の下に高校生2人、それも雛白結がいる家に住む事には躊躇いがあった。俺の立場と病気の事を考えると、そのうち彼らに負担がかかる事が心配だったのだ。前のように、いつ幻覚を見て倒れるかも分からない。



 そう。

 俺は未だに幻覚を見続けていた。


 多分、体調が戻っていないんだろう。

 彼らから目を背け、極力反応しないように心掛けていた。



 そして本来のバイト先であるコンビニでは、グエン君が店長にボディタッチをするまでになっていた。そして、たまにフランス語で何かを喋りながら股間をニギニギし、笑っている。彼は結構やばいと思う。



「さて、やるか」



 今日も図書館の6人掛けの椅子に座って教科書を開き、勉強を開始する。この周りから聴こえるカリカリとシャーペンがノートを走る音が、俺の集中力を高める気がする。


 と思っていたが、結が図書館に来た瞬間に結の方を見てしまった。俺の集中力なんてこんなもんだと思いつつも、他の男子が見ているのが目に入ってちょっと安心する。


 彼女の席は、なんと指定席になっていた。持田曰く、ファンサロンの圧力らしい。図書館の丁度真ん中あたりにある6人掛けの席の一角。どうせあらゆる角度から見える場所だから、という理由なんだろう。


 そして一瞬だけ結と目が合い、周囲に気付かれないようにふわりと微笑んだ。亜麻色の髪が優しく揺れる。すぐに彼女は下を向き、勉強を始めた。



 俺をじーっと見るという結の行動が、彼女の足枷になっていると思う時もあった。そんな不安は過るが、それを忘れるかのように俺は教科書を開き、歴史の暗記を続けた。



――



 オスマン帝国辺りを暗記している時、携帯がぶるりと震え、結から連絡が来たのに気が付く。集中していると時間が過ぎるのがあっという間だな。


《先に行きますね》


 いつもと同じ文面。勉強終わりに彼女と待ち合わせる場所は、駅のホームの一角だ。この時間はまだ学生が結構いるため、お互いに話しかけたりはしない。俺はただ結を見守ったり、それとなく近づいて変な男がいないかを警戒している。


 浮浪者からは脱したが、今度はまるでストーカーみたいだ。というか、俺自身が変な男に見られている可能性は高い。



 駅を出てから、ようやく会話し始める。結の家までは徒歩で20分。歩調を結に合わせても、いつも一瞬で到着してしまう。



「あ、蒼ちゃん。今日はうちに来ない~?」

「んん!?」


 結的には、これは志乃さんのつもりらしい。

 もはやクーデレでも何でもない。

 何の脈絡も無くやってくるから焦る。


 最近はこうして頻繁に家に誘われるが、さすがに悪い気がして断っていた。小春ちゃんは本気で嫌がっているしな。


「いや、家に帰るよ」

「そう……では、何か困っている事とかある~?」

『可愛いわねー、うふふ』


 ……なにこれ面白い。

 恥ずかしそうに演技する姿はグッとくる。

 葉月さんの酔っ払ったイメージが先行してる気がする。


 しかし、志乃さんよりもアイドルしてるな。持田の言う通り、そこらのアイドルに全然負けていないぐらい輝いているよ。


『私は見るのも好きなのよ、アイドル』


 左様ですか。大人だな、志乃さんは。


「困っている事かぁ。生活費がどんどん減っているのと、冷蔵庫が無いのと、店長とグエン君の関係と……やっぱり一番は、親戚からの連絡が無い事かな」


 仕送りが出来ないというメールを入れてからかなり日が経っている。しかし、叔父さんからは未だに電話もメールも無い。倒れていないかが心配だ。


「流石にそろそろ先生に頼もうかと思ってる。せめて無事かどうかを知りたい」

「でも蒼くんが倒れたのに、何もご連絡がないだなんて……」


 あ、元に戻った。

 気が緩むと、いつもの結になる。


「向こうは俺以上に大変なんだよ。とはいえ、俺もまだバイトが出来ないし、俺からの仕送りを生活費に充てていたとしたら今後の事も話さないと」


 最悪、俺があちらに行って働く事になるかもしれない。

 でも、今の生活は変えたくないのだ。


「……蒼くん、うちでバイトして下さい」

「何度も誘って貰って申し訳ないけど、葉月さんに襲われそうでさ」

「私が止めますから」

「けど今でも十分迷惑を掛けているしさ、それ以上に……」


 その先を言いかけて気が付いた。



 結は足を止めて、俺の顔をじっと見ている。

 その表情は、真剣だった。



 俺は結と一緒に居たい。だけど結の人生の邪魔はしたくない。心のどこかで、彼女に迷惑を掛ける事に対して恐怖を覚えているんだろう。この一歩を踏み出す代わりに、何かが壊れるという事を。


 俺は葛藤していた。

 でも最近分かった事がある。


 どうやら俺は、シンプルな動機に帰結するらしい。


「たった今、この一瞬で色々考えたけど……最終的に美味い飯に心が負けそう」

「ふふ、負けてください蒼くん。私が毎日ご飯を食べさせてあげますよ?」

「やばいな、魅力的だ」


 結が再び意地悪な顔になった。


「もう少しだけ考えさせてくれ」

「はい、考えて下さい」


 そう言うと、結はまた歩き出した。

 その背中は小春ちゃんのようだ。


 ……敵わないなぁ。


「そういえば、六原委員長もファンサロンの会員だったんだな」

「みたいですね……凄く驚きました。一体どれだけの人数がいる団体なのでしょうか」

「どうなんだろう。まぁ、少しは六原の気持ちは分かるけどな」


 すると、結は再び足を止めた。この男は急に何を言い出すんだ、といった風に口があわあわとしている。面白い。


「もももももしかして蒼くんもサロンに入っているんですか!?」

「ち、違う違う! 入ってないよ。ただ、結のファンになる理由が分かるんだ」

「うぁ……そ……」


 そして、結が鞄で顔を隠し始めた。


 表情は分からないが、照れているんだろう。

 隙間から覗き込んだが妨害された。


「み……見せません」

「見てない方がいいか?」

「……やっぱり、見ていてほしいです」


 そう告げる声は裏返っていた。

 恥ずかしいのに見ていてほしいとか、こんなの葛西さんがいたら全力で抱き締めるだろう。


 結はそのまま鞄を下ろし、俯いたまま口を開いた。

 視線を俯きがちにして。


「き……今日はその、蒼くんと一緒にいたいです。だめですか?」

「……やっぱり、夜ご飯お邪魔しようかな」



「――――嬉しい」


 結が顔を上げて、ぱぁっと笑った。


 ずるい。

 こんなの、勝てるわけが無い。



「い、行こうか……!」

「はい……ふふ!」


 きっと俺の顔も赤いんだろう。顔を隠そうとする俺を、結は「どうしたんですか?」としきりに覗いてきた。


 その表情は、いつもの悪戯な笑顔に戻っていた。


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