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35 雛白家の母が見た風景


 葉月さん達が帰って来たのは夕方。

 丁度カレーが出来上がってすぐの時間だった。


 修一君も電話で事前にカレーと聞いていたようで、珍しく笑顔だった。



 結にじーっと見られながら、カレーを口に運ぶ。


「うんまっ……!」


 頬が落ちるほど美味しい。結もうんまの一言で安心したのか、ようやくスプーンが動き出した。こういうのは言葉にしてあげるのが大切だと思う。


 そして、あっという間に食べ終わった。もっと味わうべきだったか、おかわりをしたいけど我慢する。


「っぷは~! あぁたまんないわねぇ~」


 そして、葉月さんはベロベロに酔っ払っている。彼女が飲んでいるのは500mlのストロング缶、うちのコンビニでも売れ筋のアルコール度数がやばいやつだ。既に顔を真っ赤にし、服はペロンとはだけていた。


「は、葉月さん! もう飲み過ぎですよ!」

「でもぉ~給料日だけでしょお~?」

「お客さんの前ですから!」

「いいのよ、ふふふ。だって望月さんは結のお兄ちゃんだもの。もう私達の家族のようなものですものねぇ~?」


 そういえば結をそそのかしたのは葉月さんだったな。


 そして隣に座っていた葉月さんが抱き着いてきた。そして俺の頬を艶やかな手つきで撫でているが、正直そんな事よりも、嬉しい言葉を聞いた俺は感動していた。


「私達の、家族かぁ……」

「蒼くん! 葉月さんに騙されてますよ!」

「おに…………ぶふっふっふ……お、お兄ちゃんは家族じゃないのかしらぁ?」

「かっ……もう葉月さん! 早くお兄ちゃんから離れてください!!」


 葉月さんひどい。そして修一君は結のお兄ちゃん発言で、スプーンをカラリと落下させた。顔が固まっている。小春ちゃんと修一君の視線が痛い。俺達は今、幼稚園児に見たくも無いだろう茶番を見せつけている。


「ねぇ、よく見ると望月さんって格好良いわね……クリスマスイブは一緒に過ごさない?」

「ち、ちょっと葉月さん!?」

「いえ、すみませんがご遠慮します。というかお子さんの前ですよ葉月さん」

「あら、子供の前じゃなかったらどうなるのぉ?」


 葉月さんの人差し指が、俺の胸元をゆっくりと伝っていく。背筋がぞわっとした。


 駄目だ。

 この人、駄目な人かもしれない。


「結、これは教育に悪い気がする」

「蒼くんも早く離れてくださいー!」

「ああぁぁあん、もう結さん~」


 結が俺達を引きはがし、子供達をリビングへと押しやった。


 その場を強引に収めた結は、「まったく」とむくれながらカレーを食べ始めた。だがそれに対して葉月さんはニコニコと嬉しそうだ。




 食べ終えた俺は、そんな二人を他所に勝手に食器を洗い始めた。……と思ったら、少し片付けただけで二人がこちらにやってきて、間に挟まれた。


「あらぁ望月さぁん?」

「な、何でしょうか」

「葉月さん! ちょっともう!」


 食器を洗っていた両腕を二人に掴まれている。男なら喜ぶべき状況なのだろうが、これは完全に葉月さんのオモチャにされているな……。


「お客様わぁ~片付けなんてやっちゃ駄目よぉ。そんな事していたら、私が後ろからペロペロッとペロを食べちゃうわよぉ?」

「蒼くん座ってください! さぁ早く!」

「葉月さんすげぇな……」


 結に背中を押されて、椅子に座らせられる。


「ぎゃーお姉ちゃーん、お風呂に虫がいるー!!」

「小春、今行きます! ……葉月さん、大人しくしていてください。すぐに戻りますから」

「はぁ~い」


 結は葉月さんを横目でキッと睨み、部屋から出て行った。あの睨んだ顔も可愛いんだよなぁ。



 そして案の定、葉月さんが寄って来た。


「まさか酔った私が大人しくするだなんて」

「葉月さん、その手を避けないとまた結に怒られますよ?」

「あらあら手厳しい」



 おどけたような反応をしたと思ったら、急に引き締まった表情に変わった。


「――結さんは望月さんと出会って変わりました。本当に、ありがとうございます」


 葉月さんが、頭を下げてきた。


「き、急によしてください葉月さん! 俺は何も……むしろ、俺の方こそ皆さんから頂いてばかりなんです」

「そんな事はないわ」


 そう告げる葉月さんは、どこか遠い目をしていた。


「……結さんは、少し前まではあんなに感情の豊かな子ではなかったの。ご両親には会えないし、年の離れたお兄様やお姉様からの連絡もこない。それなのに、急に近衛家という立場を利用され始めていたのよ」


 ――ご両親に、会えない?


「どういう……事でしょうか?」

「あぁごめんなさい、言葉足らずだったわね。ご家族はご存命よ、でも近衛家は結さん以外は全員海外でお仕事をなさっているの。普通の人とはお立場が違う、とても重要なお仕事よ。結さんの本当の家は、この雛白の家よりももっと大きな家なの」



 そう……だったのか。

 結も、家族とは会えなかったのか。



 葉月さんに頭を下げる。

 俺は、やっぱり甘かったんだ。


「あら、急にどうしたの?」

「どうすれば彼女の手助けをできるんでしょうか?」


 結の事、何も知らなかった。聞き辛いと言い訳をして知ろうともしなかったんだ。


「俺はその……心の病気を持っています。発作のように突然現れて、周りの人からは不気味がられるような病気です。それでも、彼女は避けずに何度も助けてくれました。そのうえ治そうとしてくれているのです。ですが、俺は彼女に何もお返し出来ていません」



 俺はずっと、結が完璧超人だと思っていた。だけどそれは違った。そんな風に見えていただけなのだ。俺は、彼女の寂しさに何も気付けていなかった。


「俺はあんなに他人を想う人を他に知りません。だからお願いします、結が困っていたら俺が助けたいんです。それなのに、今日はモヤシを嫌がらせのように大量に押し付けてしまいました」

「もや……モヤシ?」



 すると、葉月さんが急に口を開いてポカンとした。


「…………ふふふ、あはははは!」

「……は、葉月さん?」


 モヤシがツボったのか、葉月さんはそのまま笑い続けた。先程までの凛とした姿はなく、酔っ払い状態に戻ったようだ。


「はぁー、面白い……ごめんなさいね、ちょっとさっきの電話を思い出してしまったの。『これだけのモヤシがあれば、これを楔にして蒼くんを何度もうちに呼べるんです』」

「……え?」

「『冷凍庫を開けましょう。蒼くんはうちの冷凍庫には余裕があると分かれば、きっと喜びますから』」


 葉月さんは、結の口ぶりを真似していた。



「『――お願いします。蒼くんが困っていたら、私が助けたいんです』」



 結……俺は……。


「望月さん。どうか、結さんの傍にいてあげて下さい」

「……葉月さん」

「あの子を支えてあげて下さい。ああして気丈に振舞っていても、中身はごく普通の女の子なんです。私も結さんが貴方に出会うまで、あの子があんなにポンコツだなんて知らなかったぐらいですから」


 その時、ドアが開いて結が現れた。


「ああぁー! もう葉月さん!」


 結は慌てた様子で、俺と葉月さんの間に割って入って来た。


「蒼くん、何されましたか!?」

「何もしてないわよぉ! それよりも、クリスマスに大好きな結さんとうちでご飯を食べたいんですってぇ~」

「ぅあっ……蒼、くん……ああああ……」


 結の頬が両手を頬にあて、顔を隠した。

 俺も顔が熱い。


「ち、ちょっと葉月さん!?」

「違うのぉ?」

「違っては、ないですけど……いやそうじゃなくて!」


 結は両手で顔を隠した。


「ふふふ、冗談よ。二人とも可愛いわぁ……」

「もう、葉月さん!」

「ふぁ……寝るわ……お休みぃ」


 その言葉を最後に、葉月さんは突然寝始めた。


 ……ひどい、ひどいよ酔っ払い。


「結、これは大変な人だぞ」

「そうなんですよ、もう。振り回されます」


 そう言いながらも、結はどこか楽しそうに見えた。葉月さんは俺が結の感情を豊かにしたと言っていたが、きっと葉月さんの方が結の心を絆している。


「酔った葉月さんは記憶から消しましょうね」

「……そうだな、見なかった事にする」



 結は葉月さんの肩に膝掛けを掛けて、俺の隣に座った。そしていつものように、じーっと俺を見始めた。


「そうして見つめるのは何故なんだ?」

「ふふ、これは大事な日課です」


 そう言うと、意地悪な顔で微笑んだ。

 その表情だけで心が軽くなる。


 静かな部屋には、葉月さんの寝息だけが聴こえてくる。



 ふと俺も、変わろうと思った。



「結、クリスマスなんだけど、もしよかったらご飯だけじゃなくて一緒に過ごさないか? 何をするって決めたわけじゃないんだけど……」


 突然の問いかけに、結が一瞬止まった。


 そして、嬉しそうにえへへと笑った。


「――過ごしたいです」



 俺は、この人の幸せを手助けしたいんだ。それがどんな結末を迎えても、結だけは幸せであって欲しい。



 机に突っ伏している葉月さんの足元。


 ストロング缶が蹴られたのか、カラカラと祝うような音を立てて転がっていった。


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