34 相棒に見える姪っ子
我が家の冷蔵庫は、6人用サイズだ。
家族が普通に生きていた頃、うちは比較的裕福だった。父さんが教員で母さんが元俳優、2人ともそれなりの給与を得ていたんだと思う。ドラム式洗濯機、自動お掃除ロボ、吸引力が変わらないただ一つの掃除機。小さい頃にモノに困った記憶は無い。
ぶっ壊れた冷蔵庫から中身を全て取り出し、発泡スチロールに詰め込んだ。こうしてみると、大した物は入っていない。必要な物だけを取り出して、残りは廃棄することにした。
「俺のバイト代が泡と消えました。小春ちゃん、この気持ちが分かりますか?」
「ごくごく……変態め」
「小春、違うんです。お兄ちゃんは何も悪くないんです」
「結だめだ、それ傷口に塩を塗ってる」
流石の小春ちゃんも無言で引いていた。そして小春ちゃんは再び箱アイスジュースを飲み始めた。これは確か引っ越し祝いで買った6個で880円の高級なやつだ。勿体なくて開けていなかったのに、まさかこんな形で処分してしまうだなんて。
「美味しいか?」
「美味しい!」
……まぁいいか。
しかし、小春ちゃんは運が強い方なんだろうな。今日俺と出会ってからは甘い物ばっかり食べている。
それに対して、俺は結との初デートで幻覚を見た後、グエン君にバイト先と店長を盗られた挙句、冷蔵庫まで壊れた。酷すぎて笑えてくる。
「蒼くん、これで全部でしょうか?」
「うん、残りは捨てる」
「勿体ないですが、やむを得ないですね。うちの冷蔵庫も一杯になりますし」
「結、本当にごめん。まさかデートがこんな事になるなんて」
「ふふ、実は私、結構楽しんでますよ?」
「……そう言ってくれると気が楽になるよ。次はちゃんとするから」
何せ今日はわざわざ弁当まで作ってきてもらったんだ。次こそはお返しをしたい。
「今度は俺が弁当を作るよ。人生で一回も作った事ないけどな」
「それはそれで楽しみです」
「愛情をこめて作るから、美味しすぎても泣かないでくれ」
「泣きませんよ、もう。……ふふ、でも本当にこうして傍にいるだけで私は嬉しいんですよ、蒼くん」
座って荷物を纏めていた結が、悪戯にふわりと体を軽く俺に預けて来た。お互いの肩が触れ合い、思わず心臓がきゅっと締め付けられる。
そして結を見ると、いつもの視線で俺を見ていた。
穏やかな表情だ。
俺はこの笑顔に何度も救われた。
「……やっぱり、可愛いな」
「あ、う……ありがとう、ございます」
結は一度下を向き、再び俺を見た。
えへへと笑い、頬が赤く染まっていた。
さっきよりも更に可愛く見えて、結から目が離せない。結も俺の目をじーっと見つめながら、足先をパタパタと動かしていた。
そうして、お互いに見つめ合っていた。
目の前に刑事が居た事を忘れて。
「……妙ですねぇ」
「こっ……小春!? いいい行きましょうか、蒼くんっ」
「そ、そうだな。小春刑事もほら、行こう」
「二人ともわいせつ罪で死刑」
そんな台詞を吐いて、相棒風の小春ちゃんは静かに家を出て行った。流石は修一君の妹。去り際の彼女の背中は格好良かった。
――
「なぁ、俺座ってるだけじゃないか?」
「先程幻覚を見ていたじゃないですか。蒼くんはまた倒れる気ですか?」
「いや、これを料理と言えるのかが不安で……」
結はキッチンに立ち、大量のモヤシをどうにか処理している。対する俺は、彼女に言われるがままジャガイモの皮をピーラーで剥いていた。
葉月さんと修一君は丁度買い物へと出かけたらしく、結の家にいるのは3人だけだ。
「お客様ですから、座っていてください」
「ジャガイモ終わった」
「じゃあ次は人参と玉ねぎです、はい」
今日はなんとカレーだそうだ。久しぶり過ぎてテンションが上がる。俺が料理を振舞うと言って買った大量のモヤシには、俺は指一本触れていない。
『どうしようもないね、蒼お兄ちゃん』
ほんとだよ。
結の料理の様子を、澪が隣に立って覗いていた。
俺からは二人の人間がキッチンに立っているように見える。だが澪の色には違和感があり、のっぺりと塗られたような色彩だ。そして、瞬きをすると澪は消え去り、視界に残るのは結一人になる。
こうして何も意識せずとも、突如現れるイマジナリーフレンドや幻覚たち。
一体どうすればいいのか。
ぼんやりと考えながら、人参の皮を剥く。
「……何だか蒼くん一緒に料理してるだなんて、未だに信じられないです」
ふと、結がそんな事を言い出した。
「それは俺の台詞だよ」
「いえ……本当に信じられないんです」
肉を切っていた結が、血塗られた包丁を持ってゆっくりと振り向いた。
何だかタイミング的に怖い。
「私は、小さい頃はもっと弱かったんです。心も体も。でも昔、ある人の影響を受けて変わろうと決めました。だから今があるんです」
どこか決意を秘めたような顔付きだ。
「人が変わるのには勇気がいる。結は変われたというだけで凄いと思う」
「そう、でしょうか……」
これは自分に向けた警告でもあった。
俺は、変わらなければならない。
結はキッチンへと向きなおし、肉の処理を続けた。あんまりしんみりするのも嫌なので、話題を変える。
「期末試験、今度は1位を取れそうなのか?」
「無理でしょうね。毎回1位の橋影さんはずっと満点だそうですから」
「えぇ!? 何だそれ、人間か?」
「部活も生徒会の手伝いもしながらですから、本当に凄い方です」
そこまでいくと、基本スペックも性格もとんでもない人物なんだろう。
「蒼くんは大丈夫なんでしょうか?」
「まぁ多分ね。バイトの時間を空けれたから、その分図書館で勉強するよ」
「ふふ、じゃあ私と一緒ですね」
「そうだな」
むしろ大丈夫じゃないのは生活費だ。
正直、考えたくもない。
皮を剥いた人参とジャガイモを結に渡す。彼女は手際よくそれらを切り、鍋に放り込んでいく。俺が料理をするはずだったのにどうしてこうなった。モヤシが一匹シンクに落ちていて、それが何だか物悲しい。
「……蒼くん、もしバイトをせずに済むようになったらどうしますか?」
「それは仕送りがあるから無理だとは思うけど、もしそうなったら何か手伝える事をやるよ。それもなければ図書館で勉強しながら本を読んで……そう考えると、今とそんなに変わらないかもしれないな。読書が趣味なんだよ」
「そういえば、蒼くんの本を読んでいるときの集中力は凄いですよね。目の前で声を掛けたのに反応が無かった時は、無視されているのかと思いましたよ?」
「そ、それはごめん」
「ふふ、冗談です。大丈夫ですよ」
結が悪戯に微笑みながら、着々と料理を完成させていく。カレー粉を投入し、いよいよいい匂いが漂ってきた。しかも肉は炒めて焦げ目をつけてから投入している。何て贅沢なカレーだ。
俺は手伝いもせずに、ぼけーっと彼女の横顔に見惚れていた。つくづく自分が駄目人間だと思い知るな。
「蒼くん、志乃さんはどんな方なんでしょうか?」
「突然だな。志乃さんかぁ……」
『うふふ、さぁどうやって褒めるの?』
志乃さんの声が耳に届く。
俺は両目を閉じたまま、彼女を見ずに話をする。
「俺にとっては、母さんのような人なんだ」
「――蒼くんの、お母さん……」
「あぁ。髪はツーサイドアップで服も派手。まさに見た目はアイドルなんだけど、性格は母さんそっくりなんだ」
志乃さんは最初に見えた幻覚で、事件の影響で落ち込んでいた俺は随分と興奮した事を覚えている。まさか応援していたアイドルが目の前に現れるだなんて夢にも思わなかったのだ。周りの人間はさぞ気が狂ったんだと思っただろう。
そして志乃さんの設定は徐々に肉付けされ、それに伴って志乃さんも少しずつ変化した。占い師、掃除が得意、カラオケが趣味、他の女の子に嫉妬する、たまに毒舌。だが基本的には母さんの性格に沿っていた。
多分、無意識に志乃さんの、母さんの優しさを求めていたんだろう。
『あらぁ、嬉しい! 私のおっぱい飲む?』
この状況でやめてくれ。
だが、こういう冗談も母さんに似ているのだ。
「――という感じだ。不思議な人だよ」
「そう……ですか」
結の手は止まり、しゅんと俯いていた。 気まずい空気では無いが、聞いてはいけなかったとでも考えいるんだろう。
「……まぁ、志乃さんよりカレーの方が大事だ」
『蒼ちゃんひどい!!』
「妹よ、疲れたなら変わろうか?」
「……ふふ、大丈夫です、お兄ちゃんは座っていてください」
結は再び手を動かし始めた。……と思ったら手を洗い、エプロンを外してこちらを向いた。いつの間にか全て終わっていたらしい。
結はじーっと俺の顔を見たままだ。不思議そうな表情も小動物っぽくて愛らしい。
「座らないんですか?」
「見惚れてた」
「……っ!」
結が一瞬驚き、たじろいだ。
そして一気に溶けた。
面白い。
「い、いきなり言わないで下さい。蒼くんは恥ずかしがらずに直球で来るので焦ります」
「じっくりなら、もっと言ってもいいのか?」
「もう……言ってもいいですけど」
結は恥ずかしがりながら、嬉しそうに俺を見た。
「結、可愛い」
「えへへ……」
その時だった。
「……妙ですねぇ」
「こっ……小春!? か、カレーがもうすぐ出来ますよっ」
「そ、そうだな。小春刑事もほら、手を洗いに行こう」
「二人とも不潔罪で死刑」
そんな台詞を吐いて、相棒風の清潔な小春ちゃんはスタスタと手を洗いに行った。
小春ちゃんは渋い刑事がお好き。




