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33 見える景色のどれが幻覚か


 目の前の少年は短パンで寒そうだ。

 そして、少しだけ顔色が悪い。



「サッカーなんて体育の授業でしかやった事がないぞ?」

「いいよ、僕達も似たようなもんだから。人数が足りなくて参ってるんだ」

「困ってるなら協力してやりたいのは山々だが、初心者だからほとんど何も出来ないんだよ」

「全然構わないよ、ほら立って!」


 少年は嬉しそうにそう言った。


「結、悪いけど少しだけ…………結?」



 結は血の気が引いた表情で、目を丸くして俺を見ていた。



 ……そりゃ、行くべきじゃないか。

 デートの最中に何をしているんだ、俺は。


 すると結は瞼を閉じ、突然俺に抱き着いてきた。


「……落ち着いて聞いて下さい」

「ゆ、結!?」

「――――蒼くんの目の前には、誰もいません」


「……え?」


 何を言っているんだ、この少年がサッカーを誘って……。


『早くサッカーしようよ、おじさん!』


 もう一度そう話す少年は、先程と同じ表情だった。

 だが、その口は動いていない。


「お前は……お前も幻覚なのか」

『やらないの?』



 またか、またかよ。



 体中の力が抜けていく。


 一体、何がこうして幻覚を見せるのか。俺は今幸せな状態ではなかったのか。心のどこかにある僅かな隙間が、いつも俺の現実を奪っていく。



「結、ごめん大丈夫だ。ありがとう」

「気にしないで下さい」


 姿勢を戻す。

 だが、結は俺を抱き締めたまま離さない。


「……最近はこんな感じで志乃さんや澪以外にも見えるんだ、不気味だろ」

「まだ体調が回復していないだけです」

「結は、医者から全てを聞いたのか?」

「私は……」


 結の力が抜けていくのが分かる。

 意地悪な質問だった。


「ごめん」

「蒼くんはこれから、普通に生活すればいいと思うんです」

「え?」

「普通に勉強して、普通にご飯を食べて、少しだけアルバイトをするんです。持田さんと遊んだり、それからその……小春とかと遊んだり。きっとそういう楽しい思い出が積み重なって、少しずつ変わっていくんです」


 そう言って結は顔を上げ、微笑んだ。


「すると、見える景色が変わるんです。ずっと歩いていたら、気が付けば別の場所にいるんです。そんな風に過ごしませんか、お兄ちゃん?」



 ――その言葉で、俺は理解した。



 そうか、もしかして結はそのために妹に、澪と張り合って――。あんなに学園で恥ずかしそうにしていたのも――。


 結のこの優しさはどこから来るんだろう。

 結は俺を優しいと言うが、彼女に比べれば全くそうでは無い。


「……俺、結に何かお礼をしたい」

「何もいりませんよ」

「いつも貰ってばかりなんだ」

「私もですよ、蒼くん。私はこうしているだけで十分ですから」


 結はその小さな体を俺に預けている。鼻がスンスンとしているのは、匂いを嗅いでいるのだろうか。


「ごめん、汗臭いか」


 離れようとしたら、結の手に力がこもった。俺を離すまいと手を腰に回してしがみついている。


「……もう少し、このままがいいです」

「分かった」


 もたれかかっている結の体は軽い。だが、結は全身で俺を押さえようとしていた。前回倒れた時に俺が幻覚を見ていた事を結は知っている。その不安が残っているのだろう。


「……蒼くん、私はお節介になっていませんか?」


 結は不安げに聞いてきた。


「とんでもない。本当に助かってる。むしろ、俺の方こそ鬱陶しくないか?」

「そんなこと……! 蒼くんは全然鬱陶しくなんてないです」

「よかった」

「私もよかったです、ふふ」


 そう言うと、結は顔をスリスリと俺の胸に擦り付けてきた。



 俺は病気は治らないものだと思っていた。

 だが、結は治してくれようとしていた。



 ――決めた。結のために病気を治そう。この優しさに報いたい。



 それに、他にも何か出来る事。図書館の手伝いや委員の手伝い……。結は完璧超人すぎて、基本的に満ち足りている気がする。


「……なぁ、今日の晩御飯はうちで食べないか?」

「え、い、いいんですか!?」


 待て、思いつきで言っちゃったけど、うち貧乏飯しか無いじゃん。


「貧乏学生のご飯についてのお勉強という事になるけど、大丈夫?」

「ぜひ、ふふ!」


 完全に食いついてしまった。結は抱きついたまま、嬉しそうに笑っている。めっちゃ期待されているが、これで納豆うどんとか魚肉ソーセージ丼が出てきたらどんな顔になるんだろう。


 だめだな、スーパーで何か買おう。


「では手始めに定価の食材を仕入れに……」



 そう言い掛けて、俺は気付いてしまった。


 俺達が座るベンチの目の前で、あわあわとした小さな女の子。結に抱き付かれた俺を見ながら、雛白小春刑事が今にも引き金を引こうとしていた。


「あ、あれ……小春?」

「あわ……あわわ……」

「待て、打つな小春ちゃーん!」

「ばかー!!」


 その瞬間、けたたましいブザーの音が公園に鳴り響いた。



――



「イチャイチャを見せつけておきながら、刑事を買収するとは卑怯な!」

「じゃあそのシュークリームを返せよ」

「もっと買収して!」


 クリームをほっぺに付けながら、小春ちゃんが文句を言っている。


 俺に発砲した小春ちゃんは、たまたま公園で友達と遊んでいたそうだ。そして防犯ブザーが鳴った途端に、わらわらとお友達が集まって来た。


 彼らには事情を説明して謝罪した。そして小春刑事には誠意を示せと言われてしがみつかれたので、現在バイト先のコンビニのイートインコーナーで賄賂を与えている。


 しかし、どうしたどうしたと集まってくる子供達は面白かったな。子供って何であんなに可愛いんだろう。


「すみません、蒼くん。小春がご迷惑を掛けてしまいまして」

「いや、大丈夫。それよりも……」

「ありがとうございましッタァ」


 あのレジを打っている東南アジア系のバイトの人、初めて見る顔だ。


「いやぁ、グエン君は優秀だねぇ。最近アジア系のお客様が増えたから助かるよ」

「S’ll vous plaît, épousez-moi」

「ぅえっ!?」


 シュークリームを頬張っていた結が反応した。


「はっはっは、グエン君ベトナム語出てるよ」

「間違えましッタァ!」


 既に馴染んでるようだ。店長の振る舞い方を見ると、俺の居場所を取られた感じがして落ち着かない。


「結、あの人は幻覚じゃないよな?」

「ち、違います。といいますか、あの店長さんは狙われていますよ」

「狙われてる?」

「先程、ベトナム語ではなくフランス語で『結婚してください』って言いました」

「ぶっ」


 あかん、グエン君は店長がフランス語を話せない事を知ってて遊んでるな。


「グエン君、トイレの清掃は日本では重要な仕事なんだ。これをこうしてね……」

「Faisons l’amour dans les toilettes」

「ああ、駄目です……!」

「今度は何って言ったんだ?」

「わ、私の口からは何も言えません!」


 結は両手を顔に当てて恥ずかしがっている。

 気になるけど、多分アレ系だろうな。


 すみません店長、面白そうだから俺もフランス語を学びたくなってきました。


「というか結はフランス語分かるんだな」

「え? あぁはい、祖父母がフランス人なので日常会話程度ですが」

「へぇ、それは凄い」

「両親も私も日本生まれなので、心は完全に日本人ですけどね」

「血筋的にはハーフになるわけか」

「はい」


 なるほど、それで髪が亜麻色なのか。

 結の浮世離れした美貌にも納得がいく。


 結の両親の事は何も知らない。家庭環境についてはデリケートな問題な気がして聞き辛かった。小春ちゃんの家族は黒髪だし、親戚の方が家政婦をしていると言うのもよく分からない。気にはなるが、自分の方が悲惨だと思われてその場の雰囲気が暗くなるのが嫌なのだ。


「おじさん、お姉ちゃんをじっと見ないで」

「小春ちゃん、もう一個食べるか?」

「蒼くん、甘やかしては駄目です」

「お姉ちゃあぁん!」


 可愛いやつめ。


 小春ちゃんも引き連れて、3人で食品スーパーへと向かった。


 我が町の近くには3つの毛色の違う食品スーパーがある。一つは庶民派、一つは高級路線、そしてもう一つが俺の行きつけの業務用スーパーだ。結達は初めて来店したらしく、気になる様子で店内を散策していた。


『あらあら、二人ともお嬢様ねぇ』


 ……志乃さん。


 俺の病気を治すとなると、二人には会えなくなる。こうして会話する事も、寂しさを紛らわす事も出来ない。俺は何だかんだで未だに二人が居る事で安心してしまっているのだ。



 業務用スーパーでモヤシを中心に買い溜めし、家に帰る。結たちも調味料や乾物をまとめ買いしていた。それなりに楽しかったようだ。


「うわ……おじさんの家なんか凄い」

「最近、ツタっぽい草が壁に張り付いてきたんだよ。廃墟っぽくて風情があるだろう?」

「蒼くん……また今度お掃除しに来ます」


 結にそう言われると、ちゃんとしなきゃといった気分になる。分かってるんだ、腰が重いだけなんだよ。


「ただいまっと……」


 家に入り、冷蔵庫に買った食べ物をしまおうとした。



 ……が、取っ手を握った手を止める。


 俺は気が付いてしまった。

 冷凍室から、水が垂れている。


 嫌な予感がする。

 ゆっくりと冷凍室を開けた。


「うわっ!」


 俺の貴重な食料たちが解凍されて水浸しになっている。冷蔵庫の方も同じだ。最後に開けたのは昨日の夜。


 最悪だ、まさかこのタイミングかよ。


「……ごめん、ついに冷蔵庫が壊れたみたい」

「えぇ!? だ、大丈夫なんですか?」

「分からない」

「おじさんの家、凄い……」

「とりあえず中身を全部出して、今日中に食べるか料理してしまわないと」


 料理しても食い切れっかな、普段の安売り購入癖のせいで冷凍庫が満杯だ。一つ一つ水分を拭き取りながら取り出す。


「蒼くん、うちの冷蔵庫を使いますか?」


 そう提案されるとは思っていた。

 だがこのモヤシの量は流石に……。


「悪いからいいよ。今日は何とかする」

「お兄ちゃんが来てくれないと、寂しいです」

「……分かった、行くよ」

「おおお?!? お……おにっ……!!?」


 小春ちゃん!?


「待て、打つな小春ちゃーん!」

「ばかー!!」


 そして、本日二度目の小春ブザーが鳴り響いた。


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(感想とブックマークと評価をありがとうございます。)


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