03 見少女に捕まる
「今日も雛白さんがこっちをじーっと見てる……俺、何かに目覚めちゃいそう。尊いよなぁ」
「怖いよなぁ」
「何でだよ蒼! あの雛白さんだぞ!?」
声がでかいよ持田。
雛白のあの目はどう考えても俺を疑っている目だ。だが悲しいかな、美少女すぎて持田にとってはご褒美になっている。
「流石にあの可愛さなら、もう彼氏がいるんだろうな」
「蒼よ、持田家の情報網を舐めないでほしい。なんと雛白さんは彼氏が出来たことが無い。だから俺達にもチャンスがあるってわけだ」
……胡散臭い。
最近分かったが、持田は楽しければ喜んで法螺を吹くタイプだ。誰かがツッコんで正さないとそのまま痛い目を見るまで進み続ける、ある種の勇者みたいな奴なのだ。
「持田、お前は自分とあの雛白さんとで釣り合うと思う?」
「もちろんだ。俺はそろそろバンドのボーカルになって油田を当てる。蒼はボイスパーカッションで採掘してくれ」
「滅茶苦茶じゃねぇか。頑張れ、応援してる」
「蒼も狙ってみろよ。お前は口は悪いしやつれてるけど、顔自体は悪くないし」
「持田に譲るよ。そもそも雛白さんと俺では生きている世界が違う。俺の目指す所は、もっと低い場所にあるんだ」
この病気がある限り、俺は一人で生きていく事になると思っていた。それでも澪と志乃さんがいるから構わない。
さて。
そろそろバイトの時間か。
出勤前にいつもの公園で寝ようと考えて、席を立った時だった。
同時に、雛白も立ち上がった。
「――あの、望月さん」
……何か聞こえた。
でも、聞こえないフリをした。
「じ、じゃあな持田! 俺急ぐから!」
「あ、おい蒼!」
急いで鞄を持ち、逃げるように校舎を走り抜けた。逃げる事で鍛えられた足の速さだけは昔からの取柄だった。
脇目も振らずに駅へ走った。鞄を握った手には、いつの間にかべとべとに手汗をかいていた。
俺は正直、子供を脅したと通報されたって別にいいんだ。だがそれ以上に、周囲の人に俺が見えないものが見えると疑われたり、誰かに触れ回られるのが怖かった。ただただ怖かった。今の雛白には、悲しい目で俺を見つめる親戚の顔が重なっている。
電車に飛び乗り、とにかく急いでコンビニに駆け込んだ。
急いだって何も変わらないのに。
「店長!」
「も、望月くん!? どうしたの?」
「はぁ……はぁ……。何でも、ないです……」
『蒼お兄ちゃん、大丈夫?』
店長は、本当の俺を知っている。
その安心感で膝をついた。
全身に汗をかいている。
「……澪は毎回すごいタイミングで現れるな」
『蒼お兄ちゃん、疲れてるなら休んでもいいんだよ?』
「望月君、見えるのかい?」
「見えます」
俺の心の支えは、時に俺を苦しめる。
それでも、この生活は変えるつもりはなかった。
「まだ時間はあるから、裏で少し寝てなさい」
「……ありがとうございます」
バックの店長の席に座り、机に伏せた。
――――
――親戚の叔母さんが、僕を見て怯えている。
「この子、気味が悪いわよ!」
「……でも、本当に見えるんだ」
「そんな事言わないで!!」
いや叔母さんだけじゃない。
この家にいる皆が僕を避けている。
お医者さんが、家族を信用していいと言ったんだ。叔父さんは僕にここが第二の家族だと思えと言っていたんだ。
「あの僕……」
「ひっ!!」
後ずさりした叔母さんが尻餅をついた。
その話題はそれっきりにした。それから叔父さん達は何も聞かなかったかのように振舞ってくれた。けど目から色が抜けたような彼らは、事あるごとに少しずつ、僕に小さな杭を打ち付けていった。
そうして、僕は誰も信用できなくなった。だから必死で勉強をした。自分一人でも生きていけるように、誰にも迷惑をかけずに生きていけるように。
僕の大切な家族と住んでいた家は、家族が亡くなった後も取り壊されずに残してあった。叔父さんには、その家だけは何とか僕に相続してもらうよう頭を下げた。そしたら、今は貸すからいずれ買い取って欲しいと言われた。
そして僕は、奨学金が手厚かった地元の私立水菓子学園に特待生で合格した。叔父さん達は喜び、静かに僕を送り出した。だが生活費は無く、水道光熱費も実費。僕の親権は叔父さんにあったが、お金は出せないと言われた。
そうやって、僕の人生は決まった。
――――
「――月……ん……望月くん」
「……ぁ……すみません」
……最悪な夢だな。
「今日は帰りなさい、シフトは調整するから」
「……いえ大丈夫です、入ります」
今月はギリギリなのだ。情けない事に、たった数時間バイトに入れないだけで死活問題だ。
「全然大丈夫そうに見えないよ。辛かったら早めに電話ちょうだいね。時間を開けておくから」
「ありがとうございます」
店長は50代で子供も2人いるらしい。小太りで、失礼ながら冴えない人と言われてもおかしくは無い外見だ。
だが、俺はそんな店長が人として好きだった。誰に対しても穏やかで人の悪口も言わない。この優しい人物は、俺の人生の最終目標地点に立っている。
――
「ありがとうございましたぁ」
サインコサインタンジェント。
サインコサインタンジェント。
カウンターの下で単語カードをチラ見する。
三角関数って一体何に使うんだろ。
「レジお願いします」
「あ、はい。いらっしゃいま……せ……」
ふと見ただけで、その人物が誰かが分かった。
夜8時のコンビニに相応しくない、人目を惹く美少女。亜麻色の長髪をなびかせながら、俺を見ていた。
――雛白結。
お前はストーカーか?
私服姿のその手には、期間限定のシュークリームとアイスティーが握られていた。
『こんな可愛い子にストーカーされるなんて、蒼お兄ちゃんはラッキーだねぇ?』
雛白の背後で澪が茶化すが、当然無視だ。
雛白はこちらをじーっと見ている。その表情に心臓の鼓動が高鳴って、目を合わせる事が出来ない。雛白の背は低い方で、俺とは頭1つ分の身長差がある。外見にも幼さが残っており、それがまた男の庇護欲を掻き立てるのだろう。
だが、雛白が今ここに来た理由も分かる。
「望月さん、バイトは何時に終わりますか?」
「……8時ですが」
「もう終わるんですね。この後少しだけお時間を頂けませんか?」
「嫌です。こちらのシュークリームは温めますか?」
「そんな事をしたらクレームを入れますよ」
「入ってるのはクリームですよ」
雛白がむうっとした。
リスみたいで可愛いが、クレームはまずい。
「申し訳ありませんが、他のお客様のご迷惑になりますので」
「今は誰もいません」
澪、早く実体化しろ。
『無理だよ』
これは話を聞かないと終わらないやつか。
面倒だし、何よりも嫌だ。
だが、こうしていつまでも付きまとわれるなら、早めに終わらせた方がよさそうだ。
「――では、あの公園で」