29 目覚めて見聞きした現実
静かだ。
ふらりと起き上がり、ベッドに腰かけた。
窓の外は、薄明に照らされていた。
町はまだ眠りについているようだ。
時計を見ると、短針は6時を差していた。
……俺は確か、公園で伊藤さんと話をしていたはず。
何でベッドの上にいる?
それに、ここはどこかの病室か。
「っつ……いってぇ……」
突如、後頭部を殴られたような頭痛が襲い、再びベッドに横になる。これは結構寝ていたんだろうな、沢山の夢を見た気がする。
額を押さえ、仰向けになって記憶を辿る。
……まず、文化祭があった。文化祭でクレープを作り続けた。そして、結と昼休憩を共にした。最終日には結が大人たちに囲まれていた。結とはデートの約束をして教室に戻り、売れ残ったクレープを葛西さんに押し付けた。
その後、夜の公園で伊藤さんに出会った。伊藤さんはナポレオンの話や――違う。そうだ、伊藤さんは幻覚だったんだ。
「俺は公園で倒れたのか」
『蒼ちゃん、少し思い出したかしら?』
「思い出した。倒れたんだよ、俺」
あれからどれぐらい寝ていた?
携帯の電池は切れている。
俺は寝転んだままナースコールを押してみた。
「実は前から押してみたかったんだよな」
『早朝からいい迷惑だね、蒼お兄ちゃん』
今日も二人は普段と同じ服装で立っていた。
ベッドの横で、色鮮やかに。
俺の病気は、果たして本当に治る時が来るのだろうか。
――
「望月君は一度混乱した状態で目覚めて、再び眠ったんです。食事も摂らずに。かなり疲労が溜まっていたようですね」
何と、文化祭が終わってから3日が経過していた。
「俺に何があったんですか?」
「過労です。今の体調はどうですか?」
「今朝は頭痛がありましたが、今は何ともありません。体に力が入らないのと腹が減ったぐらいです」
「そうですか。食事は少しずつ慣らして下さい。やや栄養失調の気がありますからね。それと、まだ見えますか?」
見えるか、か。
このメガネのお医者様は、誰から俺の病気を聞いたんだろう。俺の担当医は親戚の家の近くにいた精神科の先生だ。この総合病院には通った記憶が無い。
「……はい、先生の両隣に立っています」
「なるほど」
そう言うと、お医者様は頭をポリポリと書きながらカルテを眺めた。
「望月君のそれは病院で治るものではないのはご存じでしょう。私としては、今回の過労は別の要因があると考えます。望月君のクラスの山田先生に伺いましたが、学業にアルバイトに文化祭とかなり無理をされていたそうで、それが過労を引き起こしたのでしょう」
結の言う通りにちゃんと休むべきだった。
俺は全く体調管理ができていなかったのだ。
――そういえば結の夢を見たな。
彼女を抱きしめて、好きと告白した夢。
……考えてみれば、かなりヤバい夢だ。持田の事を全く強く言えない。
『蒼お兄ちゃんは、結の事が好きなの?』
そりゃ人として好きだし、彼女に強い恩は感じている。可能ならば……長い時間を一緒に過ごしたいとは思う。
でも、迷惑をかける訳にはいかない。俺のこの病気は、共に暮らす人の心に負担をかける。俺は将来あの家で捨てられた猫を預かり、澪と志乃さんとニャアニャアしながら一生を過ごす事になるだろう。
先生はいつか治ると言っていた。だが伊藤さんの事といい、俺は未だに治る気配を感じられない。
悔しいけど、どうしようもないのだ。
「もう一日休んで、大丈夫そうなら退院して構いません。ですが暫くアルバイトは休んでください。それと十分な睡眠時間、それに食事は栄養に気を付けるようにしてください。……あまり患者さんの事情に突っ込むのはよくないんだけど、望月君は自分で作っているんですか?」
「作っているというか、まぁそうですね」
「ご親族の……親戚の方は何もしないので?」
「はい」
先生が気を遣ってくれているのを感じる。俺の家族の、あの殺人事件の事は知っているのかもしれない。
「山田先生からは、アルバイトは生活費のためと伺いました。やはり、働かなければ生活できませんか?」
「はい。どうすればいいでしょうか?」
「……一度、お役所の方へ相談して下さい。こう言ってしまっては冷たいかもしれませんが、望月君のご親戚の方は君に関して放任主義のようでした。周りに頼れる大人がいないのであれば、何らかの行政の保護制度を受ける事を考えた方がよいでしょう」
放任主義、その言葉が俺の中でしっくりきた。叔父さんは俺の事を、他の大人達と同じように独り立ちをしていると考えているんだろう。
『私が蒼お兄ちゃんのために料理できるといいんだけどね。私、唐揚げ得意だよ?』
「そうだな、山ほど作って……あ……」
声に出した途端、先生の目の色が変わった。
先生には澪の声は聞こえていない。
「いえ、何でも……ないです」
「……私は気にしません。望月君の生活の方が気掛かりです。また同じように倒れる前に何らかの対策を講じた方がいいでしょう。あの山田先生は望月君の事を心配されていたし、雛白さんだったかな、彼女も同様です。まず二人に相談してみて下さい。では、お大事に」
「あ、一つ聞いてもいいでしょうか?」
「何でしょう?」
過労の件も重要だが、それよりも俺は目先の事が気になっていた。
「……3日分の入院費って、いくらでしょうか?」
――
入院費、嘘みたいにたけぇ。
病室に戻っても冷静になれない。
ベッドで寝てただけだぞ。助けてもらって文句を言うのは大いに筋違いだと分かっているんだが、5桁の金額を聞いて心臓がばくばくと跳ねている。この点滴ってブドウ糖じゃないの。ぶどうジュース飲んでりゃいいんじゃないの?
しかもこれからバイト禁止になる。
仕送りどころか、自分の食事代すら危ない。
「とりあえず、叔父さんにメール入れておこう」
『入院費で貯金が底を突き、バイトもできなくなります』ポチポチっと。とりあえず今月分は貰えるから大丈夫だとして……あ!
「やばい、バイトすっぽかしてるじゃん!」
『あーあ、やっちゃったわねぇ蒼ちゃん』
「やっちゃったよ……」
慌てて休憩所に移動し、店長に電話する。
《……望月君!? 大丈夫なのかい!?》
「……あれ? 店長、何で知っているんですか?」
《君のほら、雛白さんが教えてくれたんだよ。望月君が倒れた次の日に彼女がやって来てね。命に別状は無いとはいえ、また気を失ったと聞いてどうなるかと思ったよ》
「すみません……ご迷惑をお掛けしました」
《いや、僕の方こそ謝らなければ。こんな事になったのはシフトを入れた僕の責任だ。望月君の具合が悪そうだと思っていたのに変更もしなかった。本当に申し訳ない》
店長が電話越しに頭を下げている姿が浮かんだ。どう考えても俺が無茶をしたせいなのに、この人は悪くないのに。店長の優しさで泣きそうになった。
「……俺のせいです。店長にはむしろ助けて頂いています。できればバイト代を早めに頂けると更に助かります」
《ん? もしかして入院費の事かい? もう僕が肩代わりしたから、望月君は何も考えなくていいよ》
「えぇ!? それは駄目ですよ店長!」
《大丈夫、そのうちバイト代から差し引くから。といっても、暫く働けないのは知ってるから落ち着いてからでいいよ。望月君、ここは大人に甘えておきなさい。過労で倒れる高校生が何を言っても僕は自分の意見を曲げないよ。さあ、ありがとうと言いなさい》
俺はどこまで迷惑をかけるんだ。
店長には恩しか感じない。
「……ありがとう、ございます。絶対に返します」
《覚えてたらね。じゃあお大事に……ツーツー》
めちゃくちゃ格好いい。
そして俺は情けない。
情けない上に、腹が減った。
しかし、結が連絡してくれていたのか。結にもお礼を言わないといけないな。
とはいえ今日は月曜日、時刻は朝の11時。
昼休みに電話してみるか。
病室へと戻り、ベッドに横になる。すでに体調は万全といってもいい。何せ3日もグーグー寝ていたんだ、回復してなきゃおかしい。
「しかし、一度目が覚めていたとはな」
『結が来たのもその時かも?』
「その際に店長に連絡してくれたのかもな」
もしかすると、山田先生が来たのもその時かもしれない。叔父さんが来れないから代わりに来ました、と先生が話している記憶が薄っすらとある。
……あれ。
もし結がその時に会っていたなら、俺は結と何を話したんだ?
結との夢の記憶はあるんだ。
抱きしめて告白して、両想いで、キスを……。
いや、待て。
ちょっと待てよおい。
あれは、本当に夢だったのか?
デレる口実を得ました。




