28 良い夢を見ていると思ってやらかす
これは、とんでもない事態だ。
「こんにちは、望月さん」
透き通るような美しい声。
目の前に、なんと学園のアイドルがいる。
何かの罰ゲームかもしれない。
でも正直、凄く嬉しい。
「こんにちは雛白さん、来てくれてありがとう。まさか水菓子学園のアイドルがお見舞いに来るとは予想外だった」
『アイドルは私よ?』
「志乃さんは自称だろ。雛白さんは本当に人気者なんだよ。俺も入学式で初めて見た時、可愛すぎてびっくりした。その上誰に対しても優しくて性格も良いんだよ。こんな素敵な人がいるんだなって思ったほどだ」
『蒼お兄ちゃん、私の方がお淑やかなんですけど!』
「澪はまずその服装から見直すんだ」
雛白は驚いた後、少し照れた様子で俯いた。
照れている姿ですら、どこか神々しい。
「あぁごめん、紹介するよ。こちら俺の義理の姉で望月志乃さんです。変な格好しているけど、一応アイドルを目指してる社会人」
『初めましてじゃないけど、よろしくねー!』
「……はい」
「こっちのツインテールにウサギの着ぐるみを着たのは義理の妹の望月澪。見た目は可愛い格好してるけど、引きこもって遊び惚けてるダメな奴だ」
『ひどい! よろしくー!』
「はい」
二人とも変な格好のまま手を振っている。考えてみれば、この病室に来る時に誰かに止められなかったんだろうか。自由過ぎるというか遊び人に見える。
雛白はそんな二人には目もくれずに、じーっと俺を見ていた。これだけの美人に見つめられるのは何だか落ち着かないな。目力のせいか体がムズムズして顔を背けたくなる。
それならばと、俺もじーっと見返す。
雛白は、少し悲しい目をしていた。
「望月さん、お体は大丈夫なんでしょうか?」
「んー……実は今さっき起きたばっかりでな、寝すぎたせいなのか頭がガンガンしてる。それに熱は無いらしいんだけど、何だか頭がぼーっとするんだ。フワフワっていうかアヘアヘっていうか頭パーっていうか、ちょうど夢を見てる感覚だ。……いやでも雛白さんが来るなんておかしいよな、やっぱりこれは夢か?」
『そうだよ蒼お兄ちゃん。そもそも公園で寝てたはずなのに、何で病院のベッドで寝てる事になってるの?』
そうだよな、どう考えてもおかしい。
そもそも、雛白とは喋った事も無いんだし。
「いえ。ですがまだ辛そうですので、無理しないでくださいね。何かありましたら、私もお手伝いしますから」
「ありがとう。しかし、夢の中でも雛白さんは滅茶苦茶可愛いな。夢なら抱きしめてみてもいいのか?」
「だっ……えぇ!!?」
『だね、これ夢だもんね』
すると、雛白は頬を赤く染めて口をモニョモニョとさせた。
そして少しの沈黙の後、意を決したかのような表情でこちらを見て、口を開いた。
「――蒼くん、聞いてください。これは夢かもしれません」
雛白はそう言うと、もじもじと恥ずかしそうに両手の指をくっつけたり離したりしながら目を泳がせていた。その顔は耳まで赤くなっている。何だか必死そうで可愛い。
「……そうかぁ。まぁ夢でもいいか、こうして雛白さんと会話できるし」
「だから、その……だ、抱きしめてもいいですよ。これは夢ですからね」
「いいのか? やった」
『良かったね、蒼お兄ちゃん!』
雛白は落ち着かない様子でベッドへと近付いてきた。彼女の緊張が俺の方にまで伝染しそうだ。俺はベッドからゆっくりと降り、歩み寄って来た雛白をそっと胸で受け止めた。
雛白をぎゅっと抱きしめる。彼女の亜麻色の髪がふわりと舞い、優しい香りが漂ってくる。それだけで頭痛が和らぐ気がした。身長が俺と頭一つ分違う雛白は、とても華奢で弱々しい。
「――こんな幸せな夢ってあるんだな……雛白さん、好きだ」
「ぅえぇええ!!?」
雛白は俺の胸に顔を埋めたまま、何だかバタバタとしている。強く抱きしめすぎたかと思い離そうとしたら、今度は逆に雛白が俺の腰に両手を手を回してきた。
そして、俺の方を見上げた。
なぜか泣きそうな顔になっている。
「ああああ蒼くんは私の事がす、す……好き、なんですか?」
「外見も性格もタイプなんだ。本当に好きで、正直気になって仕方がなかった」
「うううぅ~!!」
雛白は再び顔を埋めた。
俺を抱きしめる力が強くなっている。
「い、いつから好きだったんですか?」
「……記憶が曖昧なんだけど、気が付いたら好きになっていた」
「具体的にどこが好きですか?」
「優しい所や可愛い所、全部だ。もし許されるのであれば、ずっと一緒にいたい」
「ずっとって?」
「死ぬまで」
「……ひえ~、何ですかこれ最高です……」
雛白も嬉しそうだ。
声もちょくちょく裏返っている。
俺は再び、彼女を強く抱きしめた。
「あああそれ良いです……! 頭も撫でてくれませんか?」
「もちろん」
結の柔らかい髪に触れる。さらさらとして、指がスッと通り抜ける。いつまでも撫でていたいような、優しい感触だ。
「ううう、こんなの我慢できませんよ……えへへ……蒼くん……」
嬉しそうに顔を上げた。
その顔は満面の笑みだった。
その笑顔に、思わず心臓が飛び跳ねた。
可愛すぎて抱きしめる手にも力がこもる。
でも、雛白は何だか苦しそうだ。
「雛白さん大丈夫? 顔も赤いし呼吸が荒いよ。少しはぁはぁ言ってるけど」
「ちょっと興奮してます、凄いです……」
彼女から感じる温もりは、まるで夢とは思えないほど生々しかった。そしてその顔は艶っぽくなり、俺をじーっと見つめていた。
俺も目を合わせる。
「やっぱり好きだ」
「私も…………蒼くんの事が好きです」
「え、本当に?」
「はい……ずーっと、好きでした」
雛白の顔が近く、息遣いを感じる。
彼女の鼓動が胸を伝って聞こえてくる。
愛しい。
少しずつ、お互いの顔が近づく。
そして、唇が重なり合う直前だった。
「――ち、ちょっと待ってください!! やっぱり駄目です、これはずるいですから!」
そう言うと雛白は俺から離れて数歩下がり、距離を取った。
「……そっか」
「ご、ごめんなさい……」
結構大胆な事をしたはずのに心が落ち着いているのは、きっと夢の中だからだろう。まるで現実感が無い。
「いや、でも抱きしめられたし嬉しかった。ありがとう、これは良い夢だなぁ」
「……私はとても危なかったです。自分がどこかへ行ってしまいそうでした。まだ心臓が破裂しそうです」
『うふふ、良かったわね、蒼ちゃん』
「ごめんな、二人の前でこんな事しちゃって」
考えてみれば、一連の行為は全て見られていたのか。まぁ夢だしいいか。
「ふぅ。まぁ目が覚めたら、家の掃除の続きをしないとな」
「……家の、お掃除ですか?」
「あぁ。俺と志乃さんと澪は、訳あって放置されていた家に引っ越してきたばかりなんだ。でもあと少しで掃除が終わる。大部分は志乃さんが頑張ってくれたんだけどな、階段に段ボールを張ったりして。掃除は志乃さんが一番だな」
『そうそう、私かなり頑張ったわよ! どれだけ張り付けたと思っているの!』
志乃さんがそう言うと、雛白はポカンと目を丸くした。
何かおかしな事でも言ったか?
「私がお手伝いしたんですが、覚えていませんか?」
「……え? 雛白さんうちに来た事ないよね、喋ったのも今日が初めてだし。雛白さんって掃除はできるの?」
「――――できます。掃除なら得意です」
意外だ。お嬢様のイメージが強かったから、家事全般がダメだと思っていた。
何でも出来る人なんだな。
『掃除は私の方が得意よね、蒼ちゃん?』
「雛白さんがどれだけ掃除できるのかは分からないよ。まぁ志乃さんは凄いと思う。触る事すらも嫌だったのに、あっという間に過ごしやすくなったからな。ありがとう志乃さん」
『うふふ、どういたしまして!』
志乃さんはご機嫌な様子で体をくねくねとさせていた。
『じゃあ雛白さんって料理はできるの? 私得意なんだよ! 特に私の作った唐揚げ、蒼お兄ちゃんの大好物なんだよね!』
「あぁ、澪の唐揚げは美味しいな。ガブチキよりも美味しい。流石に雛白さんでも料理までは出来ないんじゃない?」
「――――できます。料理なら得意です……!」
雛白の目に力が宿った。
そして言葉尻も強くなっている。
そういえば、さっきから雛白はこの二人の事を一切見ていない気がする。それに……何だか怒ってないか?
「そ、そうなんだ」
『へー凄いねぇ! 今度唐揚げ作ってみて欲しいな! 私のとどっちが美味しいか、蒼お兄ちゃんに決めてもらおうよ!』
「判定し辛い事を言わないでくれ。澪の唐揚げは美味しいし、雛白さんの唐揚げもきっと美味しいよ」
『ええええ! 絶対に私の方が美味しいし!! 蒼お兄ちゃん、私の方が可愛くて美味しいって言わないとナースコール押しちゃうよ!?』
「押すな、それはおもちゃじゃない。はぁ、澪の方が可愛くて美味しいよ、子供じゃあるまいし我儘言わないでくれ。ごめんね雛白さん」
『はぁーい』
「――唐揚げは得意です」
……雛白が怖い。
澪が挑発したせいで怒ってしまった。夢の中とはいえ、折角お見舞いに来てもらったのに最悪だ。
「澪、失礼な事を言いすぎだ」
『……ごめんなさい』
そして、そのまま暫く時間が経過した。
雛白は先程から無言で俯いたままだ。
どうしよう。居たたまれない。
『雛白さん、大丈夫?』
『あらら寝ちゃった? 疲れてる?』
「もしかして、体調悪かったりする?」
雛白の長い髪が前に垂れていて表情は分からない。嗚咽も鼻をすする音も聞こえないので、泣いているわけでは無さそうだ。
シーンとして落ち着かない。更に間の悪い事に、頭痛も強くなり始めた。気持ち悪いな、この辺りで夢から覚めてほしい。
「――蒼くんは、志乃さんの事も澪さんの事も大切ですよね?」
そのままの体勢で、雛白が聞いてきた。
急に何を言い出すのかと思えば。
この二人は俺を絶望の淵から救ってくれた恩人だ。面と向かって言うのは恥ずかしいが、本当にかけがえのない存在なのだ。
「それはもちろん。二人は家族を失った俺を助けてくれたしな、今や新しい家族だよ」
『うふふ、嬉しいわ蒼ちゃん!』
『ですよねー! 蒼お兄ちゃん大好き!』
雛白は顔を上げた。
その目は鋭く、俺を射抜いていた。
「蒼くん、私決めました」
「……何を?」
そして覚悟を決めたような表情で、口を開いた。
「夢から覚めたら、ちゃんと蒼くんを惚れさせてみせますから」




