25 噂の少女を見に来る人々③
文化祭2日目もクレープラッシュだった。
どうせこうなるだろうと思って作り置きしていた生地は、あっという間に無くなった。早くもクレープマシンと化した俺は、心を無にして生地を作り続けていた。
「――近衛結さんはいらっしゃいますか?」
「申し訳ございませんが、不在です。私たちもどこにいるのか知りません」
葛西さんも接客対応で大忙しだ。
しかし……近衛結か。
「葛西さん、さっきからお客さんに聞かれている近衛結って……」
「あぁあれね、結の前の苗字。色々あって変わったんだよね」
「そう、なんだ」
「望月君ならそのうち教えてもらえるよ……はーい、いらっしゃいませー!」
苗字が変わる、か。
結に過去何があったかは分からない。彼女は何も言わず、会えばいつも通り微笑んでくれるだろう。
俺は結に恩返ししたいと思っていた。
彼女に重荷があるとしたら、俺は半分ぐらい持てるだろうか?
「望月くーん、プレーン12個追加―!」
「OK、沢山ご注文ありがとうございます!」
おかしいだろ、どんだけ食うんだよお客様。
ちょっと眩暈がしてきた。
『蒼ちゃん、無理してないかしら?』
してない。なぜなら俺は世界一のクレープマシン、ガソリンが足りないだけだ。やばい頭もおかしくなってきた。
そして、あっという間に14時になった。
雛白結が今日も教室にいないという話が広まったのか、13時になった途端に客足が遠のいた。だけど正直助かった、もう腕がパンパンだ。
「もー! 嬉しいけど疲れる!」
「俺はもうクレープを見たくない。完売の看板を出して、残った分で雛白さんを餌付けして遊ばないか?」
「面白そうだけどだめ、休憩したらちゃんと戻ってきてね?」
「はい……」
残りは数十個。
俺が休んでいる間に完売してくれ。
教室を出て、結の元へと向かう。
事務局のテントは人の少ない場所にあった……はずだが、何やら様子がおかしい。テントの周囲に人だかりができている。まるで何かを観察しているような、待っているような……。
「――それではまたご招待をさせて頂きますので、今後ともよろしくお願いいたします」
「いえ、大変ありがたいお話なのですが、私の一存では決める事ができなくて」
「はっはっは、何をおっしゃいますか! 結様の権限で決めれない事はございません! 当家にお越しの際は何卒よろしくお願いします、では失礼を」
紳士的な風貌のサラリーマンが去って行った。それを見計らって、今度は身なりの良いご老人が結の前に立つ。
「初めまして、近衛結様。豊ノ原と申します。お父上にはいつもお世話になっております。我が孫が結様の同年代でして」
「こ、こんにちは雛白さん!」
「近衛様じゃ!! 申し訳無い、まだ孫は礼儀がなっておりませんで」
「いえ、今の私は雛白結です。学園ではそう呼ばれておりますから」
「ほっほっほ、それは失礼を」
結の周りだけ人だかりができるという、異様な光景だ。ご老人は話を止めようとしない。次を待つ大人たちも沢山いた。
結は今、自分の世界で戦っている。
果たして、俺が止めていいものだろうか。
周りにいた生徒会らしき人達も、この状況をどうしていいのか迷っているようだった。
そして、結と目が合う。
困っていた。
喧噪の中でも聞こえるように、大きめの声で叫ぶ。
「雛白さんまだでしょうか! そろそろ行かないと間に合いません!」
「あ……皆さま、大変失礼いたします。私はこれから学園でやる事ございますので」
「おぉおぉ、頑張って下され。また我が家にもぜひお越しください」
結は小走りで大人たちの間をすり抜け、テントの中へと戻って行った。そこで手早くメガネと帽子で変装をし、俺の元へとやって来た。
「す、すみません。間に合いませんか?」
「急がないと、怪物モチーダがやってきます」
「え? ……ふふ、では急ぎましょうか」
結の手を引きながら急ぎ足で離れ、とりあえず図書館の中へと向かった。
だが、図書館は閉まっていた。当然か。
「仕方ない、その辺の食べる場所……結?」
頬がほんのりと赤く染まっていた。
結の手が、俺の手をぎゅっと握った。
変装も崩れ、恥ずかしそうに俯いている。
「はい」
「結、俺が声を掛けても良かったのか?」
「え?」
「いや……俺は結の家庭の事情を何も知らない。あの大人たちがどんな人物で、結がどんな立ち位置なのかも知らないんだ。だけど、声をかけてしまった。困っていそうだったから」
結はじっと俺の目を見ていた。
吸い込まれそうな瞳だ。
そして、穏やかに微笑んだ。
「――ふふ、声を掛けてくれて嬉しかったです。蒼くんは、いつも私を助けてくれます」
「助けられているのは俺の方だよ」
「いえ、私の方が多いですよ?」
「俺の方だ」
「もう、ふふ」
あぁ、やっぱりこうして笑っている顔が一番いいな。
「あの方々は父のお知り合いです。誰一人として私とは面識はありません。あの方々が見ていたのは、私の背後に立っている父の姿です。私の父は厳しい人で、母は多忙な人です。二人に会う事はほとんどありません。そのせいか、今の私はとても扱いやすい立場に」
「結、ストップ」
「何でしょうか?」
「とても辛そうに見える。続きはご飯を食べた後、芝生で寝転んでボケーっと空を見ながらにしない?」
結はポカンとして、また笑った。
「そうですね――やっぱり、蒼くんは素敵です」
「弁当の欲望に負けているだけだ」
「じゃあちゃんと味わって食べてくださいね?」
「もちろん」
そして結は再び俺の手をぎゅっと握り返した。
思わず少し恥ずかしくなり、顔を背けた。
結局、俺達は昨日と同じ場所でご飯を食べた。弁当の中身は注文通り、揚げ物だらけだ。健康志向の結にとっては拷問だろう。悪い事をした。
そして食後には、空を見ながら実にどうでもいい話をした。
怪物モチーダがどうやって生まれたかや、葛西さんの男の趣味や黒歴史などだ。きっと結は重い話をしたい気分じゃなくなったんだろう。そのおかげで葛西さんには流れ弾が当たった。
そんな感じで、いつの間にか休憩時間も終わりに近づいていた。
「……そろそろ戻りましょうか」
この安らかな時間が終わるのが名残惜しい。
だから、少しだけ勇気を出す事にした。
「結。あのさ、今度の結の休みの日に紅葉でも見ないか? と言ってもいつもの公園なんだけど」
そう告げた途端。
結がこちらを向いたままフリーズした。
……タイミングをまずかったか?
「あまり時間は取らせないし、息抜き程度でいい。結のその綺麗な亜麻色の髪の毛は紅葉に映えるだろうなーってずっと思っていたんだ。それがどうしても見てみたくて。どうかな?」
「……蒼くん、それはデートのお誘いですか?」
結は口だけが動いた。
「……デートの、つもりです」
そして、静かになった。
校庭から子供が騒ぐ声が大きく聞こえる。
結の顔が、ゆっくりと絆されていった。
「――――――行きます」
そして、急に元気になった。
えへへと笑い、また頬を染めている。
「行きます。もちろん行きます!」
「良かった、間が長かったから断られるのかと」
「そんな訳ないです! 突然のデートのお誘いだったので……ふふ、そうですかデートですか。凄く楽しみです。お弁当を作っていきますね」
「あ、あまり気合を入れてもらうとプレッシャーだな。ずっと公園にいるだけかもしれないぞ?」
「構いません、ふふ」
結は両手を頬にあてて嬉しそうにしている。こうして喜んでくれるなら誘ってよかった。といっても公園以外に俺が持つプランは無い。最悪、小春ちゃんと刑事ごっこでもするか。
結は跳ねるような動きで起き上がり、ぱぱっと片づけをした。
「では戻ります。またご連絡しますね」
「あぁ。無理するなよ?」
「蒼くんもですよ。じゃあまた」
お互いに手を振り、俺は教室に戻った。
――
「遅いぞー望月君、お愉しみだったようだな!」
「悪い、待たせた……って何してるんだ」
葛西さんが座ってコーヒーを飲んでいた。
「お客さんは?」
「お察しの通りです。これが本来の実力」
「……俺もコーヒーを淹れるか」
談笑していた帰宅部に混じり、休憩する。
葛西さんの裏話を聞いたせいで、この人の黒歴史が背後に透けて見えてきた。外堀から知らないフリをしてちくちくといじりたくなってきた。まさか葛西さんも持田と同じポエマーだったなんて……。
『やらしい性格してるわよねぇ、蒼ちゃん』
俺は面白い事が好きなんだよ。
『知ってるわ、前向きなのは良い事よ』
そうして、優雅にコーヒーを嗜むだけで午後が終了した。客はほぼ来なかったけど、その代わりに皆で色々な話をした。皆との距離がグッと縮まった気がする。俺は今、青春しているのかもしれない。
後片付けを途中まで行い、残りを明日に回して帰宅する事にした。
そしてその帰り道……。
夜の公園で、見覚えのあるお婆ちゃんが座り込んでいた。
余ったクレープは、葛西さんが全て持ち帰りました。何に使うんでしょうか。




