16 最近やたらと見られる理由
体育祭の後、俺の生活に少し変化があった。
学園の生徒たちから声をかけられるようになったのだ。
クラスメイトは元より、見た事のない生徒からもこんにちはと挨拶をされる。中学時代でもそんな経験は無かったので、俺は戸惑っていた。好きな人が持田という話が広まって面白がっているのかもしれない。だとすると最悪だ。
だが、これは自分を変えるいい機会だと思った。俺はクラスメイトの名前一覧表を引き出しに忍ばせて、皆の名前を覚える事にした。
「一くん」
「……急にどうしたんだ、蒼」
「持田の下の名前を忘れて思い出してた」
「嘘だろ……お前はほぼ俺としか喋ってないじゃねぇか。ジーザス、こんなショックな事ってあるか!?」
「じゃあ望月くん! 私の下の名前は分かる?」
そう声を掛けてきたのは、いつも元気な古橋さんだ。
「えぇと……佳代さん」
「お前カンペ見てんじゃねーか!」
「ふふ、正解! 望月くんに下の名前で呼ばれると、何だか緊張するね!」
持田は俺のカンペを取り上げた。このカンペは手作りだ。顔と名前が一致しないので、座席も当て込んだものだ。
「蒼、このチェック印は何だ?」
「顔と名前が一致してる人」
「雛白さんしかいねーじゃねーか!」
声がでかいよ持田。
結の方を見ると、畳まれたジャージで顔を隠していた。持田の大きな名前呼びに恥ずかしがっているようだ。
「学園のアイドルの名前はよく聞いたからな。特徴もあるし一目で分かる」
「じゃあうちの担任の苗字は?」
「山田先生だろ? それぐらい分かる」
「……そうだよな、それが普通だよな。何か俺、急にお前の事が心配になってきて変な質問したわ」
「冷静になれよ持田一君」
「お前のせいだよ望月蒼君」
持田からカンペを返してもらい、周りを見渡す。やはり皆の名前はよく分からない。いかに俺が淡白な関係で過ごしてきたのかがよく分かる。
「蒼、俺は気付いてしまったぞ……。お前、この前の体育祭で皆に声を掛けられたのに、名前が分からないじゃんと思ってこんな事を始めたんだな?」
「凄いな、金田一かよ」
「持田一だよ。本当に名前を憶えてなかったのか……」
「こればかりは苦手なんだ。頭に根付かせようとしないと、人の顔もよく覚えられない」
昔はそんな事は無かったんだがな。これも精神病の影響なのかもしれない。不思議なものだ。
「そう言えば望月君。私の友達から聞いてって頼まれてたんだけど、望月君って今彼女はいるの?」
「ちょっと待ってください古橋しゃん、誰ですかその不穏な友達は?」
「不穏って失礼だね持田君! 体育祭で望月君を見て格好良いって言ってたんだよ。あの最後のリレーで望月君の株が女子の間でぐーんと上がったの、知らなかったの?」
「蒼の株は持ち合わせておりませんので」
「彼女はいないけど、それは俺も初耳だな」
知らない人から声を掛けられすぎて、学園でもいじめが始まるのかとドキドキしていた。
「良かったな蒼、ちょっとそこの窓から飛び降りようぜ」
「持田は俺の事が好きなんじゃなかったのかよ」
「モチダは独占欲が強いんだ」
「しかし、どうりで女子から声を掛けられると思った。てっきり俺と持田をからかってるのかと」
「何だと? 俺たちの関係に水を差す泥棒猫は、全て俺が始末する」
「それで、望月君は彼女は欲しいの?」
元気な古橋さんは、持田を無視してストレートに聞いてきた。その質問に、いつの間にか結やその周囲にいる女子も、興味あり気な様子でこちらを見ている。これが恋バナのノリというやつか。
少し言葉に詰まる。
切っ掛けが見た目であれ何であれ、好意を向けてくれるのは嬉しい。だが、正直なところ難しいと考えていた。時間が足りないのだ。たとえ誰かと付き合ったとしても、俺の時間が取れなくて相手が悲しむ姿が容易に想像できる。プレゼントを買う金も、デート代を払う金も無い。
実際、今でも比較的よく話している結に対しても迷惑をかけまくっている。それに加えて幻覚の件もあるので、自分一人だけで手が一杯だというのが本音だ。
「……いつかは欲しいよ。けど今は、いたとしてもかなり迷惑をかけるだろうな。俺はバイトで生活費を稼がないといけないし、特待生としての順位も維持しなければいけない。その2つだけで学生生活が終わるから、多分ちゃんとしたデートもできないと思う」
「そういえばアタシ達、結局夏休みに一日も遊ばなかったわね」
「悪かったよ持田、稼いでおきたかったんだ。それともし彼女が出来るなら結婚前提で付き合いたい。でも俺んちは金が無いから、この水菓子で出会えるとは思えないけど」
「ふぅん。逆に言えば、望月君は勉強と生活費さえ何とかなれば彼女がいてもいいという事かな?」
「そりゃあ……何とかなればな」
どちらも自分が解決しなきゃいけない問題だから、何とかなるとも思えない。宝くじでも当たれば話は別だが。
「よし言質を取った! そう伝えておくね!」
「蒼、頑張ってバイトと勉強しような!」
「持田は俺の敵か味方かどっちなんだ」
「どちらかといえば味方だけど、敵に匹敵する程のジェラシーを感じているんだよ」
「厄介な味方だな」
まぁ持田の言う通り、バイトと勉強を頑張れという事だ。
いっそ、今度家を片付ける時に売れそうな家財も処分してしまおうか……。使ってない家電もあるし。そういえば、冷蔵庫もそろそろ買い替えないと駄目なんだよな。まず結に手伝ってもらって整理整頓からやらないと。
そう考えながら、ふと結を見た。いつも通りじーっとこちらを見て、口をムニムニとさせている。面白い顔だ。
「つーか蒼、やけにバイトばっかりやってると思っていたが、お前んちは貧乏だったのか」
「持田よりはな。まぁ普通に生活はできているから問題無いよ」
「……ねぇ望月君、もしよかったら私の弁当を少しわけてあげようか?」
「え、いいの古橋さん!?」
思わず反射的に声が大きくなる。それに驚いたのか、結が机をガタンと鳴らした。
「いいよ、何だか望月君ってワンコっぽいっていうか、見た目は格好良いのに餌付けして甘やかしたくなるような雰囲気なんだよね! ご飯をあげてワシャワシャなでたくなるような。その喜んだ顔も庇護欲をそそって良いと思うよ!」
餌付け……。
勢いで反応してしまったが、冷静になって考えると駄目な気がしてきた。自分の事は自分でやるべきだ。
「ごめん、やっぱり気が引けるから止めておくよ。古橋さんの弁当は、古橋さんのためにご両親が作ったものだろうし」
「真面目だねぇ、望月君。分かった、じゃあもしお腹がいっぱいな時があったらあげるよ」
「その時はぜひ、ご迷惑が掛からない範囲で餌付けしてください」
「ふふ。望月君、これから大変かもしれないけど頑張ってね!」
「おう」
『私もいるから安心してね、蒼ちゃん』
『そうだよ蒼お兄ちゃん、大丈夫だよ!』
俺は心の中の恩返しリストに、いつも元気な古橋佳代さんと記載した。
持田を見ると、持田の口もムニムニしていた。
一応、持田もリストに追記した。
改めて、俺は周りの人々には恵まれていると思う。特に結からは一方的に色々なものをもらってばかりだ。だが俺は、彼女にはまだ何も恩返しをできていない。
そして10月初週、ついに二学期の中間試験の時期がやってきた。
持田君は良い男なんです。




