13 暗がりの中から見える方角
具合が悪くなり、そのまま道路に座り込んだ。
結は突然の事態に驚きながらも、薄暗い公園のベンチまで俺を支えて寝かせてくれた。
守るとか格好つけた結果がこれだ。しかも俺は今、結に膝枕をしてもらっている。学園の人に見られたら結に迷惑がかかってしまう。
『まだ蒼ちゃんは甘えんぼね』
軽く頭痛がする中、結と澪と志乃さんが俺を見下ろしていた。
目を閉じる。
鈴虫が近くで鳴いている。風流だ。
ずっとこうして甘える訳にはいかない。そう思って体を起こそうとしたが、結に頭を抑え込まれた。
「まだ顔色が悪いです。無理しないで下さい」
「白い街路灯のせいだよ、そろそろ帰れる」
「ダメです。もう少し休んでください」
「顔を蚊に刺されちゃう」
「張り付いたら、私が叩いて倒します」
それはシュールすぎるだろ。
この状況で俺の顔をペチペチする気か。
だが正直、結の言う通りまだ少し吐き気がする。
折角なので膝の上で甘える事にした。
「ごめん。結局、助けられてばかりだな」
特に結には迷惑をかけっぱなしだ。
良かれと思ってやった事が全て裏目に出ている。
「……蒼くんに助けられた人は、ちゃんといますよ。きっと凄く感謝していると思います」
「ありがとう、そうだと嬉しいな」
俺が助けた人なんて果たしているのかどうか。公園を掃除しているのだって、結局は自分のためなのだ。これはきっと、家族や神様が人の為にちゃんと行動しろと言っているんだろう。
「蒼くん。義理のご姉妹について伺ってもいいですか? もし答えるのが嫌なら、答えなくてもいいです。どうしても気になってしまって……」
「……どうぞ」
俺に逃げ道は無い。
覚悟を決める。
「義理とは、どういう事なんでしょうか?」
「俺の家族では無く、親戚の家で生まれたんだ」
「そうですか。一緒に暮らしているのは、何故なんでしょうか?」
「俺に着いて来た」
「……そうですか。ふぅん、そうなんですね」
急に空気がピリッと張り詰めた。
薄目を開けて見ると、結が微笑みながら怒っていた。
「お名前と年齢を教えてください」
「姉が望月志乃で22歳。妹が望月澪で14歳」
「お姉様のご職業は?」
何だこれ、尋問か。
「自称アイドル」
「アイドル……そうですか」
『蒼ちゃん、自称は酷いわよー……私は本物の影武者をしてるのよ?』
ただのコスプレみたいなものだろう。
「お二人は、か……可愛いんでしょうか?」
「可愛いな。贔屓目で見ても、本物のアイドルと読者モデルみたいな感じ」
『蒼お兄ちゃん、さすが分かってる!』
ウサギの着ぐるみがひょこひょこと喜んでいる。妹の桜に似た澪は、母さん譲りの端正な顔立ちをしていた。小中学生向けの雑誌にいる着ぐるみを着た子役モデルのようだ。そして志乃さんはアイドルそのものである。
しかし、洗いざらい話さなければならないとなると、この二人の濃い設定は非常に恥ずかしい。だって全部俺が生み出した空想なのだ。それがアイドルとウサギって。
「でも、結の方が可愛いな。性格も良いし」
「……っ!」
『えぇ! 蒼お兄ちゃんの浮気者!』
浮気者も何も、事実そうだろう?
二人よりも結の方が整っている。
――そして少しの間、静寂が訪れた。
結が足をパタパタとさせている振動を感じる。その揺れと膝の上が気持ち良くて、油断すると眠りそうだ。
少しだ目を開くと、白い街路灯に照らされた結の耳がほんのりと紅潮していた。疑うような、見定めるような結のその目は、俺の方をじーっと見ていた。
吸い込まれそうなその瞳と唇に、心臓が高鳴る。
このままじゃ駄目だ。
俺は目を開いて、結を見た。
「結?」
「……ずるいです」
「何がだ」
「何がでしょうかね」
結はそう言ってハッとした表情になり、座り直した。その振動で俺は太股の上から地面へと転げ落ちた。
「ぶへっ……!」
「ご、ごめんなさい、大丈夫ですか!?」
「大丈夫……逆に元気出た」
良い出来事と悪い出来事はプラマイゼロ。
孔子もそんな事を言っていたな。
子曰く、俺の人生の後半は良い事だらけのはずだ。
立ち上がって服を叩いた。
「……よし、歩けそう。ありがとう」
「か、帰りましょうか」
「家まで送るよ」
「いえ、私が家までお送りします」
「だめだ」
「ダメですよ?」
お互いに目を合わせた。
結は笑っていた。
「……ふふ、考え方が似ているのかもしれませんね」
「そうかもな」
俺も何だか嬉しくなり、急に体が軽くなった。
いつの間にか、澪も志乃さんもいなくなっていた。
――
布団に潜り込んで気持ちよく寝ようとしていた時に、親戚の叔父さんから久しぶりにメールがあった。
いつもと同じ、数行だけの短い文章。
しかし、その内容はいつもとは違っていた。
『病状が悪化した。今回は2月分振り込んでもらえないか』
病状の悪化。
叔父さんの奥さん、つまり叔母さんは、パニック障害と統合失調症を併発しているらしい。そのため、一人で家に居る事が出来ないそうだ。
同じ家に住んでいるのは、叔父さんと今年高校受験を控えた引きこもりがちな娘が一人だけ。そんな状況の中、叔父さんは叔母さんに付きっきりで介護しなければならないため、正社員を辞めざるを得なかった。
叔母さんの病気は、俺がお世話になる以前からその兆候があったそうだ。俺が中学校を卒業する直前にようやく通院を始めたらしく、俺への関心が急激に薄まった事をよく覚えている。
電車で1時間半の距離に住んでいる叔父さん達の現状は、俺には確認する事が出来ない。電話も通じず、いつも一方的に向こうからメールが来るだけ。だが彼らは今、俺よりも苦しい生活を送っているはずだ。自分のこの幻覚が、大した病気だとは思わない程に。
叔父さんは、耐えながら叔母さんを支えている。
俺は夢を求めて、その家から飛び出した。
もしかすると叔父さんは、面倒をみなきゃいけない厄介な精神病者が一人出て行ってくれたと思っているのかもしれない。
だけど、俺には彼ら見て見ぬ振りをする事が出来なかった。
逃げたと感じていたからだ。
『分かった』
人は皆、お互いに助け合うべきだ。
少なくとも、俺はそうありたいと思う。
携帯を閉じると、部屋が再び暗くなる。
「どうも不幸の神様は、まだ俺の事を見捨てていないらしい」
『それでまた働いて稼ぐんだね、蒼お兄ちゃん』
「仕方ないよ。皆、苦労してるんだ」
果たして、俺だけが幸せな夢を見てもいいのか。
普通の生活を目指してもいいのか。
叔父さん達の事を考える度に、自分にとって何が大切なのかを迷い続けていた。




