フラれ勇者とツンデレ妖精使い
平手打ちの音が、往来に響いた。行き交う人々が思わず音のした方を見る。
「もう、話しかけないで!」
平手打ちをした方の女性が言う。怒りにゆがんだ顔は、それでも平均以上に美しい。服の上からでもわかるほど肉感的な肢体と合わせて、美女といって遜色ない。
「いや、なんで突然···。」
ぶたれた男はこれも整った顔立ちだ。小さくない緑の瞳が、目の前の女性の怒りにただうろたえ、頬をさすっている。
彼の名はクリスといい、町の者なら知らぬもののない有名な『冒険者』である。
「そういうところよ!!」
憤然と身を翻し、美女はどんどんクリスから離れていく。クリスは嘆息して、その姿を見送った。これまで幾度となくこうしてフラれてきた。いつも今度こそはと思うのに、色々な形で失敗に終わる。理由は、わからない。
***
「だからさぁ。俺だって童貞を卒業したいんだよ。」
「妙齢の女性の前で童貞とか言うな。死ね。」
「死ぬなら、童貞を捨てたい。捨てないと死ねない。」
「いますぐ死ね。」
クリスはあのあとすぐに、馴染みの酒場に向かった。もうすでに何杯飲んだのかわからない。向かいに座っているのは相棒のララ。十八という年齢の割りに背が低く、そのせいか行く先々で五つは幼く見られる。色の薄い金髪に紫の瞳で、まるで物語の姫のような美しい顔は、いまは心の底からの軽蔑を込めてクリスを見ていた。
「慰めろよぉぉお。女の子ってのは男を立ててナンボだろぉ。」
「どこの世界の話よ。馬鹿馬鹿しい。」
「俺がいないと困るだろぉがぁ。最強剣士様だぞぉ。」
飲んでいる情けない様子からは信じがたいが、本当に大陸で最高の五剣士と呼ばれる有名人の一人である。
「はいはい。偉い偉い。」
ララはなれているので適当に返す。昔はもう少しまともに聞いていたが、何度も同じようなことがあって、労力を割いただけ損することを悟ってからはずっとこうだ。
「あーあ。ララの胸と尻がもっとあったらなあ~。せめて仕事の間だけでも心が潤うのになあ。」
「うっさいわね、クリスこそもっとイケメンで、気配りと優しさに満ちてたら私の心が潤うのにね!」
酒に飲まれているせいで、前に傾いているクリスの頭が目だけララを向いた。
「うるせぇ、合法ロリ。」
「なんですって?」
立ち上がったララが短剣を持ち上げたので、周囲の客がざわめく。
「言ってはいけない事が世の中にはあるのよ····。」
「母親の腹のなかに置いてきた、胸と尻がついてから言えよぉ。このつるぺた。」
クリスが酔っ払った顔で、ニヤニヤと笑う。周囲の客達はララの後ろにはないはずの黒い雲が見えてしまった。誰もがヒヤリとしたとき、外から新たな客達が入って来た。
「お、ラッキー。こんな美少女がこの店にいるなんて。」
「めっちゃかわいいじゃん。」
今の状況にそぐわない楽しげな声を放っているのは、若い男達だ。ララは無視したが、男達の一人がその肩に手を置いた。
「お嬢さん、その男と揉めてるの?そんなのほっといて、俺らと遊ぼうぜ。」
ララが男の顔を見返す。その視線は冷たいものだ。
「うるさいわね。お呼びじゃないわ。どっか行ってよ。」
「ひゅー、怖いねお嬢さん。名前なんていうの?教えてよ。」
男は意に介さず、ララに呼び掛け続ける。
「あんたたちに教える名前なんか無いわよ。」
「そう言わずさあ~。」
「しつこいわね。」
その様子をぼんやりと酔った目で眺めていたクリスが、立ち上がった。立ち上がると男達の誰より背が高く、男達はぎょっとしてそちらを見た。
「お前らぁ。趣味悪いなぁ。」
視線がクリスに集中する。酒精のせいで小刻みに揺れているが、体幹のしっかりしたその体は、鍛えられていることを見た者に十分に伝えている。その手が伸びて、向かいのララの肩にある男の腕を掴んだ。
「····っ。おい、離せ。」
クリスは黙ったまま、掴んだ腕をララから引き剥がした。
「····っ!痛っうう!」
「別にお前らの趣味が悪いのは否定しないが、仕事の相棒なんだ。無理強いは困る。」
「ンダコラァ?!離せよ!」
「··ほら。」
周囲の者には握った手を前に押しやりながら、そっと離したように見えたが男は勢いよく前方にぶっ飛んだ。
「なにしやがんだ、てめえ!」
転がった男の仲間達が色めき立つ。クリスが面倒そうにそちらを一瞥したとき、手を叩く音がした。
「あんたら、ヨソ者だね?そこにいる飲んだくれは大陸五剣士の一人、風剣のクリスだよ。」
そこには黒髪を高く結い上げた、肉感的な女性がいた。体にぴったりと張り付いた酒場の女らしいドレスが実によく似合っている。女の言葉を聞いた男たちは、息を飲んだ。
「この店にあんたらみたいなバカがいると迷惑なんだよ。とっととそこに転がってるヤツ拾って出ていきな。」
女の台詞が終わらぬうちに、男たちは床に転がる仲間を拾っていそいそと店の外へ出ていく。
「ありがとう、アンナ。」
ララは女に向かって言った。アンナと呼ばれた女はウィンクした。
「どういたしまして。」
「ちっ。別にあんなやつら、どーってことないのによ。」
口をとがらせるクリスに、アンナはあきれたように言う。
「荒れてるねぇ。フラれたからってそんなに荒れなくても。」
「うるせぇ。」
「まあ、不思議よねぇ。風剣のクリス。天性の剣技と甘いマスクで知らぬもののない冒険者。背も高いし、臭くもないし、お金も持ってる。それなのに女性にはフラれてばっかり。」
「····ぐぬぬ。」
悔しそうにクリスがうつむく。確かにその通りで、正直自分でもかなりの高ステータスだと思うのだ。顔よし、頭よし、金払いよし。清潔感もあるし、善良な人には親切にしている。
「くそぅ。なんで、なんでふられるんだ、俺は。」
「それが自分でわかってないからでしょうね。」
アンナが白けた表情で、クリスを見下ろす。
「付き合うまではいくんだ。そのあとしばらくすると、あっという間にフラれるんだよなぁ。なんでだ・・。」
気がつけば酒場の中はもとの空気が戻り、さきほどの些細ないざこざはなかったかのようだ。ララは黙って、自分の支払い分をテーブルに置くと、落ち込むクリスに頓着せず言いはなった。
「帰るわ。明日は例のダンジョンでしょ。」
「デリカシーのかけらもないな、クソロリめ・・。」
と、言った途端にクリスが後ろに飛び退いた。クリスが飛び退く前にいた位置の床に、ララが短剣を突き立ててかがんでいる。
「避けるんじゃないわよ。」
「避けるわ!お、お前、さすがに刃物は駄目だろ。ちょっとした軽口じゃねぇか。」
「何もおもしろくなかったわ。死んだほうがいい。」
刺さった短剣をなんなく引き抜いて、ララが氷のような一瞥をくれる。そのまま踵を返すと、まっすぐ外に向かって出ていった。
「うへえ。死ぬかと思った。」
「あんた、あんまりあの子をからかうんじゃないわよ。後悔するわよ。」
「あれが傷ついたりするタマかよ。アンナ、飲み直しにもういっぱいくれ。」
「はいはい。」
アンナはため息をついて、キッチンに戻る。妖精のような美少女が、いまどんな気持ちかと考えながら。
***
店の外、夜の闇で人目につかない建物の影でララは半べそをかいていた。
(またやってしまった・・)
そろりと自分の胸を見やり、肩を落とす。
(クリスが、胸だロリだってあんなに言うんだもの。)
他の誰もにどう思われてもいいが、クリスに言われると頭が沸騰してしまう。その理由は自覚しているものの、告げるつもりはない。
(だって、クリスが告白するのはいっつも胸もお尻もたっぷりのグラマラス美女ばっかり。)
自分には全くない要素でくやしい。
(あーあ。なんでなんだろ。)
ララは孤児だった。他の孤児たちと奪い合うようにして、日々の糧を得ていた薄汚い子供だったが、見るものが見れば整った顔立ちが見てとれた。そのせいで、たびたび『そういう』大人の目に止まった。
ある時、お金持ちの変態から命からがら逃げたして、再び捕まりかかったところをクリスに助けられた。
(それから、住まいのあるこの町まで連れてきてくれて、世話してくれた。)
当時のクリスは十七才。ララは十才。大きな兄のように、町の人と一緒に面倒を見てくれた。才能があったとはいえ、駆け出しの冒険者だったクリスがそんなに金銭的に余裕があったはずはない。
(でもそんなこと、全く感じなかった。)
十三になったとき、無理矢理クリスについて冒険者ギルドに行った。クリスが依頼を受けて出かける度に、置いていかれるのが寂しかったのだ。
そこでたまたま『妖精が見えている』ことがわかり、クリスの反対を押しきって『妖精使い』の訓練を受け始めた。妖精使いは妖精を使役して魔法を使う。魔法を使えるものはそもそも少ないが、妖精使いはその中でもさらに少ない。
魔法の威力はそれほど強くないが、便利な部分が多く冒険者の中でもサポーターとしては重宝される職能だ。地水火風光闇の6つの属性の妖精に魔法を使用するため、使える魔法が幅広い。魔法使いや神官、いろいろな種類の魔法を初級のみ使えるようなものだ。
(十五から一緒に行けるようになった。)
どうやらあったらしい才能と妖精使いの利便性の高さ、それとどうしても一緒に行きたくて努力した結果だ。なまじの実力ではクリスについていくことすらできない。
それでも順風満帆だったわけではない。同行する冒険者が男であればララに言い寄ってたびたびトラブルになり、女であればクリス目当てでララに嫌がらせをして、これもトラブルになった。
(それでも、私と一緒に来るなとは言わないでくれる。)
本当は、自分と一緒でないほうがトラブルが少ない。好みの女性冒険者なら、クリスも喜ぶんだろう。だが、ララにはどうしても一緒に行くのはもうやめる、とは言えなかった。
兄のように慕っていたはずなのに、いつしかクリスが豊満な女性に言い寄るたびに胸がむかむかするようになった。自分を女性として扱わないクリスに、苛立ちを隠せず、あたり散らしていつも今日のようなやり取りになってしまう。
(あーあ。不毛だなあ。)
こんな気持ちを抱えるまでは、普通に優しく会話できていたのに。
(今日、助けてくれたの。うれしかったな。)
夜空を見上げて、一息吐き、ララは自分の家に足を向けた。
***
「今日は伝えていた通り、カイラーマの洞窟にあると言われる月の涙という薬草を取りに行く。」
ララは横に並んで歩くクリスを見上げる。相当飲んでいたはずだが、酒は残っていないようだ。まだ日は高くない。飲み過ぎたように見えて、きちんと自制していたということだろう。
クリスによると、目的地近くの町までおよそ一日かかるらしい。二人は旅の荷物を下げて、街道を進んでいる。
「カイラーマの洞窟はマッピングされているの?」
「いや。どうもドラゴンがいるようで、危険なんで限られた部分しかマップがない。」
クリスが依頼を受けるような、難度の高い依頼ではままあることだ。それほど難しくない洞窟や遺跡は、人が何度も入って中の危険箇所などが地図に記される。
しかし強いモンスターがいたり、なんらかの理由で探索の難しい場所はそうはいかない。
「まあ、マップのない場所で難しい仕事をしてこその有名冒険者だからな。」
「今回の依頼はどこから?」
難しい仕事をしてこその有名冒険者、裏を返せばそれだけの報酬を出せなければ依頼できない。クリスは気まずそうに、視線を遠くに向ける。
「俺だ。」
「はい?」
「・・隣町のネリーの弟が難しい病気になってしまって、月の涙があれば特効薬が作れるらしい。」
ネリーは、何人か前にクリスが告白した相手だ。美しいブルネットの髪に、豊かな女性らしい体のラインの・・。
「そんな顔で見るな!下心じゃないぞ!弟のトマスは本当にかわいそうなんだ。もう十才なのに、外で友達と遊ぶこともできなくなって・・。」
「へー。」
ララは意図して遠くを見やった。十才の病気の子供のために、たぶん無償で危険な洞窟に向かっているのだ。
きっと、自分を助けたときのようにただ助けようとしているんだろう。ララの胸はずきりと痛む。自分だけが、特別なわけじゃない。
「絶対、わかってないだろ。月の涙は普通に買うには高すぎるし、そもそも出回っていないんだ。なんとかしてやりたいだろ?」
「あー、はいはい。ついでにネリーも見直してくれるかもだしねぇー。」
「だ、か、ら、違うって!」
「そうね。違う、違う。」
クリスは、下に息を吐いて肩を落とした。これ以上何を言ってもララの態度は変わらなさそうだ。
「ララの報酬は俺が払う。だから頼むよ。」
ちょっと考えて、ララはわざと意地悪く笑う。
「そう?じゃあ、今回の仕事がうまくいったら何でもひとつ言うことを聞いて?」
「えっ。なんだよ。ちゃんと金を払うよ。」
「だめ。今回の報酬はそうして。じゃないと協力しない。」
「えー。」
良くない予感しかせず、クリスはしぶる。
「ほら、どうするのよ。」
紫の瞳がいたずらっぽく年上の男を見上げた。
「だー!わかった。でも『できる範囲で』だからな!」
「はいはーい。」
数歩、先に進んでララはひらひらと手を振った。クリスに見えない角度で、小さく笑った。
(お金なんていらないもの。)
***
半日歩いて夜には、二人はカイラーマ洞窟から、少し離れた町にたどり着いた。宿をとって翌朝早くに出て、いまは洞窟の入り口の前に立っている。
「やっぱり暗いな。」
入り口を除きこんでクリスが言う。ララは頷いて、首もとの色石がいくつもついたネックレスに触れる。妖精魔法の触媒の役割を果たす特殊な石だ。
「照らせ。」
洞窟の中がララを中心に仄かな光に照らされる。それほど強い光ではないが、真っ暗な中を進むより断然安心だ。魔法使いや神官の使う魔法より、妖精にやらせる分だけ消耗が少ない。
おおよそ魔法使いや神官達の使う魔法より、威力や効果が弱いが妖精使いは持続的に魔法を使用できる。
「助かる。」
松明を持ち込んでもいいが、手で持つ分、罠や突発的な事態にハンデが出る。また引火性の強いものがある可能性もゼロでもない。
クリスが先行して、ララが後から距離を開けずに洞窟の奥へと歩を進めていく。道の奥は暗く、先がどれ程あるのかは見てとれない。
洞窟はゆっくりと蛇行しながら、地下に向かっていくつかに分岐していた。どこも人が歩ける程度の道幅と天井の高さだ。二人は進みながら、生育している植物がないか確認する。
事前にクリスが確認したところ、月の涙は細いチューリップのような閉じた白い花らしい。
「花なんだが実でもあるらしい、花の内側に柔らかい果実のような種があってそれに薬効があるとか。」
「ふうん。どういう所に生えるの?」
「その辺はわかってないみたいだ。ここにあるっていうのも、また聞きだ。ギルド経由だから嘘でもないだろうが。」
二人の足が止まる。行き止まりだ。クリスがララを見る。
「さっきの三つに分かれていた所まで戻って、隣の道に行きましょ。」
分岐ではララが妖精の様子を見て道を決めている。妖精はその環境によってどの属性の妖精がいるか異なり、今回は植物を探しているので水の妖精がいる方を選んでいるのだ。
「奥に水場がありそう。」
クリスは頷いて、来た道を戻る。しかし、すぐに再び足を止めた。後ろ手で合図し、剣を抜く。二人の見る方向に人よりわずかに小さい複数の影があった。長い耳の形が見えて、明らかに人では無いことがわかる。
(小鬼?)
「舞い上がれ。」
ララがネックレスに触れて言うと、小鬼たちの足元の土が舞い上がる。
「!!!」
うろたえた小鬼達が、少し後ろに下がるのとクリスが剣を振り下ろすのが同時だった。ララは一撃で三体の小鬼が倒れるのを視認する。クリスの剣は振り下ろす際に、巻き起こる風圧で剣の届かない向こうまで切り裂く。
白い刃が向きを変え、わずかに光を反射したかと思えば、さらに二体の小鬼が倒れていた。
「これで全部だ。」
なんでもないように、剣をしまってクリスは歩き始める。まさになんでもないのだろう。洞窟内でその剣を振るうのは、地盤沈下など別の危険が伴う。かなり手加減していたはずだ。
分岐路まで戻って、ララの言う方へ向かう。少し歩くと土が湿って、足音が変わった。少しずつ植物や苔が目に入り始める。
「おい。」
足元のわずかな草を見ていたララに、クリスが声をかけた。顔を上げると、やや正面から左に折れ曲がった道の方から魔法のものではない光がこぼれている。
二人は慎重にそちらへ近づいて、道沿いに折れ曲がると奥が見えた。
「綺麗・・!」
思わず声が漏れた。折れた道の先には広めの部屋くらいの空洞があり、奥側の削れた丸みのある岩壁を水が伝うように流れている。その岩壁の前から、入り口近くまでクリスが言った通りの花が控えめな光を放ちながら敷き詰められたように咲いていた。
「凄い。花が光ってるわ。」
「こんな花、あるんだな。」
花に興味のないクリスだが、その幻想的な風景はさすがに美しさを感じた。その体をゆっくりと屈め、武骨な手で花におそるおそる触れた。
「手折るのは忍びないが、いくつかいただこう。」
花からゆっくりと手を下げ、根本近くから引き抜き手持ちの皮袋にやさしく入れる。もうひとつ、と立ち上がって一歩すすんだ。
そのとき不意にララは違和感を感じて、それがなんなのか理解する前に声が出た。
「クリス!」
声と同時に、地面が花ごと砕けるように落ちた。振り向いたクリスがララに向けて手を伸ばしたが、その手は空を切ったまま二人ともまっ逆さまに落ちていく。
「クリスを持ち上げて!」
風の妖精に向かって精一杯叫ぶ。地面に落ちるまでどれほどの高さかわからない。妖精魔法では二人分に威力を分散させると、下まで持ちこたえられなきかもしれない。そもそもがちょっと柔らかく落下させる、くらいの魔法でしかないのだ。
ララは、とっさにクリスだけを風の妖精にフォローさせた。
「ララ!」
戸惑うようにクリスがララの名を呼んだ。ほどなく固い地面にララの体は打ちつけられた。土だとは信じられないほどの強度で、ララの細い体のあちこちから骨の砕ける嫌な音がした。
(失敗した。これは死ぬかも。)
猛烈な痛みに襲われながら、そもそもクリスとララが探索に長けた人間を連れていないのだから、もっと注意すべきだったと悔いる。仰向けに倒れたララからは上は暗くて見えないほど高い。
(やっぱり、クリスと一緒に行くのはもうやめるべきだった。)
様々な職能を持つ相手とその時最も適したパーティーを組まなければ、今回のように、その欠けた部分が致命的な結果を産むことがある。
(私のわがままで、クリスも危険にさらしてしまった。)
クリスの無事を確認したいが、体が動かない。身じろぎすると、口元から血がこぼれた。と、近づいてくる足音がした。
「ララ!」
「ウオォォォーン!!」
クリスの声と、獣の雄叫びの声が同時に聞こえた。
(ドラゴンだわ!)
「くそっ!こんなときに!」
舌打ちしたクリスが向きを変えて遠ざかる。瀕死の仲間がいても構っていられるほど、ドラゴンは生易しくない。
(あの感じ。クリスは無事だわ。それなら負けたりしない。私は・・。)
考えようとして、意識が遠のくのを感じる。体温が徐々に下がり、痛みも最初ほどは感じなくなってきた。あきらめるように、ララはまぶたを落とす。遠くで竜が傷つけられ、苦しむように鳴く声を聞いた気がした。
***
(・・痛い。痛い。痛いのに、誰かが体を叩いて起こそうとしてる。)
どうやら肩の辺りを叩かれている。ララは、なんとか痛みの中、自分の意識を覚醒させる。すると声が聞こえた。
「・・ラ!ララ!」
「ク・・リス?」
目がうまく開かない。だが声は確かにクリスだ。
「手持ちの回復薬は全部使った。痛むか?」
「い、ったい・・。」
「これ以上は無理だ。お前の妖精魔法の触媒は落ちたときに壊れた上、その状態じゃ回復魔法は使えない。」
苦しそうにクリスが言う。確かにそれなら、これ以上私の治療にできることはない。
「・・リス。」
「背負うぞ。急ぐから揺れるが、痛いのは我慢しろ。」
「お、ねがいが・・る」
震える唇で必死に言葉を紡ぐ。
「なんだ。」
「・・ていって。」
「なに?」
「私、・・置いていって・・。」
クリスが息を呑む気配がした。
(だって、どうしたってクリスが私を好きになることはない。でも私から離れたりできない。でもそれで、クリスを危険にさらすのもいや。)
「・・とつ、お願い・・てくれるって。」
(何でもひとつお願いを聞いてくれるって言った。だから、クリスは悪くない。私のお願いを聞いて、私がここで死ぬだけ。)
「ば・・っかなこというな!」
「・・んたなんかに背負われて・・たまるもん、ですか。」
「そんなこと言ってる場合か!」
「・る・さい。ほっ・・といて・・。」
(やさしくしないで。私だけに優しいのじゃないのは、苦しい。)
「ずっ・・と、あん、た・・なんか、きら・・い。」
(ずっと、好き。だから、怒って私を置いていって。)
肩に触れた手の感触が消えて、人の遠ざかる足音がした。
(それで、いい。クリスに出会えて良かったよ。)
ララは今度こそ目覚めない予感と共に、意識を手放した。
***
月の涙を持ち帰った翌々日、クリスはいつもの酒場で飲んでいた。今日はカウンターに一人。アンナはその背中に話しかけた。
「あら、今日は一人?」
「まあな。」
グラスを揺らして、振り向いたクリスは苦く笑う。
「元気ないわね。取ってきた薬草で、隣町の男の子良くなったんでしょ?」
「ああ。薬師に頼んだら、まさに特効薬だったよ。ネリーもすごく喜んでくれた。」
話す内容とはうらはらに、クリスの表情は冴えない。
「じゃあ、なんでそんな顔なの。・・ララになにかあった?」
ララの名前に、クリスの肩が揺れた。アンナはそのわかりやすい反応に、少し笑う。
「何よ。また喧嘩したの?」
「・・ネリーに聞いたんだ。なんで俺を振ったのか。」
「・・・あー・・・・。」
アンナは天を仰いだ。今までクリスを振ってきた女たちはまあみんな同じ理由で振っているのだが、その理由を本人に聞かれるのはすごく腹立たしいか、言いにくいのはわかる。
だから誰もクリスにはっきり言わなかったのだが、今回ネリーはクリスに大きな恩ができた。答えざるを得なかったろう。
「まさか、俺がそんなに・・。」
(いや、むしろ自分で気づいてないのにびっくりだわ。)
「ララの話ばっかりしてたなんて・・。」
ララの話ばっかりしていたどころでない、髪型を変えれば『ララもそういうのしてもいいな』、おしゃれをすれば『ララに似合いそうだ』、告白された女性たちにすれば、馬鹿にしているのかなんなのかと思う。
そしてクリスが全く無自覚なのだ。「ララと私とどっちが好きなの?」と聞けば、「君だ」と答えるのだが、口を開けばララの話ばかりする。百歩譲って行き過ぎたシスコンといえなくもないが、マザコン男・シスコン男とは誰も恋愛したくない。不毛だ。
「で?結局どっちなのよ。」
「なにがだ?」
「ララは妹なの?女なの?」
ひどい音がして、クリスの頭とカウンターテーブルが激突した。回りの客もぎょっとして注目する。アンナは動じず、にっこり笑って周囲に手を振る。
「うるさくて、ごめんなさいね。この人、だいぶ酔ったみたいで。」
クリスの方を向いていた客達が、視線を戻して各々、改めて飲み始めるとカウンターテーブルの頭から声がした。
「・・・・っと・・・たんだ。」
「なに言ってるの?」
「ずっと妹だと思ってたんだ。」
「過去形?」
「薬草を取りに言って、ララが大怪我したとき俺のことを『きらい』って言ったんだ。」
「はあ。いつものことね。」
「その瞬間、なんでかこいつは俺のことすっげぇ好きなんだなって思って。いたたまれなくなって。」
(やっと気づいたのか、このニブチン野郎。)
と思ったが、アンナはあくまで笑みを崩さずなにも言わないことにする。
「そしたら急にララがめちゃくちゃ可愛く見えて、やばい俺どうしようって、とりあえず落ち着こうとして、でも無理で。」
「え、ちょっとララはどうしたのよ。」
「とにかく連れて帰らないとと、背負って急いで戻って、なんとか手当てが間に合って、ずっと家で寝てる。」
「ここでなにしてんのよ。行って付き添いなさいよ。」
「いやでも、もう急に悪くなったりしないし、起きちゃったら俺はどうしたらいいんだ。心の準備が間に合ってない!」
(このヘタレ・・・・!)
「思ったまま、言えばいいじゃないの。可愛いでもなんでも。」
「無理だ・・!胸がバクバクして絶対言えない予感しかない!」
結局、かなり後日に動けるようになったララが、この酒場に隠れるクリスを見つけるまで、逃げ回る事になった。
やっと会った二人は、お互いに悪態ばかりついて素直な気持ちはやっぱり言えない様子に、アンナはため息しかでなかった。
(まあ、そのうちうまくいくかしらねぇ。)
**おわり**
お読みいただきありがとうございました。
投稿ジャンルに迷う不思議な案配になったので、がっかりな内容で無いことを祈ります。