第1羽
初の一次創作投稿です。
評価等いただけると、とても嬉しいです(できればお手柔らかにお願いします)。
ずらりと並ぶ人々。その最後尾に並んだのはそんなに前のことじゃない。だけどあっという間に私の後ろにも長蛇の列ができていて、毎日これだけの人がここを訪れるのかと妙に感心してしまった。
列には私のような若い女だけではなくて、下は赤ん坊上は百歳越えてそうなお年寄りまで、老若男女そろっている。人種だってバラバラ。それどころか、いろんな動物も混じっている。この行列は人種も国も性別も年齢も超越して人気のある、とっても美味しいご飯屋さん……へは、続いていない。
すっかり最後尾が見えなくなってしまった行列は、全て死者で構成されている。つまり、毎日これだけの、立場も様々な人間がそれぞれの理由で亡くなっているというわけで。
そうと知って見れば痛ましく思うのが正解なのかもしれないけど、いかんせん私だって死んでいるせいか、先のように感心が先立つ。よくもまあ、これだけの人数を並ばせているな、と。
自分で成仏しておそらく死後の世界であるこの場所に来られれば少しは楽なんだろうけど、中には自分が死んだことを理解しておらずお迎えが必要な人もいるという。私のことである。ちょっと前に『あーいるいる!役所にこんな人!』って感じの人に連れてこられたばかりだ。その人の説明を聞いて死んだことを理解して、こうして決済待ちの列に並ぶことになった。中には信じられず暴力に訴えようとしてきたりする人もいるらしく、素直な私はとても感謝されたのには驚いたけど。
どちらかというと、感謝するべきなのは私の方だよね?声かけてくれなかったら、今でもぼへーっと道路の真ん中に突っ立っていたと思うし。きっと、思わず感謝してしまうくらいハードな仕事をこなしているんだろう。
あ、ちなみに私は事故死でした。私的憩いの場・ペットショップからの帰り道、わき見運転で信号無視の車に轢かれて。こうして私の夢である老後のスローライフ計画はぽしゃるのであった。
とんでもなく長い列はすでに最後尾も見えず、かと言って先頭も見えず。それでもある程度の速度で前進しているので、そこそこの速度で死者たちは捌かれているんだろう。死んだせいか時間の感覚もちょっと曖昧で、体がないから特に疲れることもなく、気づけば私が先頭に立っていた。
私の前には極シンプルなドアが一つだけ。中に入っていった人が出てきたことはないから、別のところに出口があるんだろう。その出口が天国か地獄に続いているのかな?想像だけど。
「次の方、どうぞ」
「あ、はーい」
次の方、つまり私が呼ばれたので中に入ると、そこには数段高いところにあごひげを蓄えた初老に見える品のいい男性が立っていた。私との位置関係としては、小学校の朝会で朝礼台に立っている校長先生と児童のような感じだ。男性はそこそこ背が高いだろうに、講演台っぽい広くて大きな机に書類がうずたかく積まれている山がいくつもあるせいで小さく見える。
男性はそのうちの一枚と思われる手元の書類に目を通して「ふむふむ」「ほほう」とうなづいたりするばかりで、呼ばれたわりに私に話しかけたりはしなかった。私を呼んだ秘書っぽい女性を見ても、上司なのだろう男性の指示待ち中。ほっぽっとかれている私は、少し居心地が悪い。
「えーと、閻魔様?」
私の中の閻魔様のイメージはもっと大きくて怖い顔をしているし、着物のような服装なので、目の前の高そうなスーツに似た服装の紳士とはかけ離れている。共通点はひげがあることくらいだ。そのひげですら閻魔様の場合黒いイメージがあるが、紳士はロマンスグレーである。
でも他になんと呼んでいいのかわからないので、?マークをつけつつ閻魔様と呼んでみることにした。
「うん。ああ、すまないね。君の情報が興味深かったものだから」
「はあ」
二十一世紀の日本で普通に暮らしていただけなので、面白いことなんてそんなにないはず。よくわからないので、私は曖昧にうなづいた。
「というか、あなたが閻魔様、でいいんですよね?」
「君の価値観だとそれが一番近いだろう。死者たちには色々な呼び名で呼ばれるけど、死者の今後を見極める役割りがあるという意味ではどれも間違いじゃないのさ」
「そうなんですか」
随分現代的な閻魔様もいるものだ。帽子にステッキを装備したら英国紳士っぽい閻魔様なんて。
「それで、私は天国行きできるんでしょうか?それとも、まさかの地獄行きですか?」
「大抵みんなそれを尋ねるけど、この先に天国も地獄もないよ。ただ生前の業の深さで、魂の洗浄がどれくらい必要かが決まる。魂の洗浄というのはつまり、あらゆる記憶などを消してまっさらな赤ん坊の状態にしてやることだね。しっかり洗わないとまっさらにならない場合は、ちょっとつらい。要は、頑固な汚れを落とすために強い食器用洗剤でごしごし力任せに洗うようなものさ」
「ものすごく庶民的な回答ですね?!わかりやすいけど!!」
「君が住んでいた地域の場合、これが一番わかりやすいと評判だよ」
まああの行列の分だけ死者がいれば質問の傾向もあるだろうし、その対策だって当然取られているに決まっている。そこで何が行われるかの差はあれど、天国と地獄の概念はだいだい誰もが持っているだろうし。魂の洗浄ってだけに、洗剤の例えもありだ。死後の裁判なんてすごく怖いイメージなのに意外と軽いという問題を除けば。
でも死後のことを重く考えるのは生きているからであって、死後の行方を決める人にとっては大した問題ではないのかもしれない。こっちのものさしで考えるのはやめよう。きっと、妙に疲れたのはそのせいだ。
「それで結局、私はどうなるんです?」
「君には次の生で山の神やってもらうよ」
「……ぱーどぅん?」
答えてもらったはずなのに、どうして理解できないんだろ?アハハ、おかしいなー。
思わず発音のなっていない英語で耳に手を当てて聞き返してしまったけれど、男性は気分を害することなくさらに問いに答えてくれた。
「実はとある世界のとある山の神様が急逝されて、しばらく放置されている山があって困っているところがあるんだ。君はどうやら適正があるようだし、後任にはうってつけだ」
「ちょっと待ってください」
やっぱり聞き間違いじゃなかった、山の神。この場合、箱根駅伝は関係ない。
神様って死ぬの?神様いないからって困るの?そもそも適正って何。尋ねたいことはたくさんあるのだけど、どれから確認するべきなのかがわからない。さっき自分のものさしで考えるのをやめようと思ったけど、前言撤回。無理でした。
こめかみをぐりぐりともみながら、私は“とりあえず”“仮に”山の神様になるとしたら何をしたらいいのかと尋ねてみた。すると男性は、あっけらかんと言った。
「なんでも、思ったとおりにすればいいのさ。木を育てたいなら木を育てればいいし、動物を呼びたいならそれらしい環境を整えて呼び込む。川を氾濫させたいならそれでもいいよ」
「最後!!最後アウト!!」
「アウトなものか。神様だから、それもまた山の……そうだね。大自然の恵みだよ。どうだい?そう思えば納得できるんじゃないかな」
「う、た、確かに……」
私がアウトだと言ったのは、それは人間として困るからだ。だけど自然は人間の都合なんておかまいなし。そしてそれが正しい自然のあり方なのだろう。
「あの、私に適正あるって本気なんですか?どう考えても不適格ですよ。そもそも人間なのに……」
「いやいや、人間だから神様になってはいけない理由はないね。そもそも神様って管理職ってだけだから、必要以上に重く考える必要はないよ。そういう意味では私も同じだ。
人によっては来世は昆虫や微生物だったりするし、一度も同じ世界に生まれたことのない者もいる。異世界転生ってやつだね。ちなみに君の場合前世は地球産オオイヌノフグリだ」
「おおう」
オオイヌノフグリってあれか。小学生の理科でよく出てくるちっちゃい青い花か。あのよくぽろっと花が取れるやつ。私、観察されてたのね……。
「それに神様は単なる管理職って言ったとおり、君たちが考えるほど絶対的なものじゃない。ちょっと変わった力を持っているだけの生き物の一つにすぎないのだから、身構えることなんてないんだよ」
「はあ」
「ということだから、来世はよろしく」
「ってえええー?!」
私が絶叫しているのに、男性ははっはっはと朗らかに笑うだけ。まだ引き受けるとも言っていないのに!いや、もしかして、興味本位で質問したのがいけないの?最初に拒否ればよかった?
「まあ、選択権はないんだ。上司が部下に役割りを振るようなものだから」
「またわかりやすいけど微妙な答えを……!」
分岐を間違えたかと思ったら無関係で、安心したような微妙な気分だ。転生とか神様とか神秘のワードが出ているわりに、さっきから安っぽい。
「悪い話じゃないから安心してくれ。今回は、普通の転生とは少し違うんだ。急を要するし」
「……つまり?」
「直近の生の記憶はそのまま保持した上で、さらに過去の経験なんかを生かせるようになる。記憶を保持したままなのは、一から人格形成していたら満足に働けるまでに時間がかかりすぎるためなのは言うまでもない。過去生の情報そのものは魂の奥深くにしまい込まれているから、それもこれから使えるようにする。通常の転生で忘れるのは、あくまで表層の記憶のみでね。それはこういうときのためさ。君は過去にさまざまな生を経験し、山の神に足るだけの情報をその魂に蓄積している、まさにうってつけの存在だった。こちらとしては、ありがたいことだ」
「つまり私の場合、神様になったら準備期間もなく、すぐに神様らしいことができるようになっているってことですか?急に具体的になりましたね」
「その通り。山の力が枯渇寸前だから、適当に補充するのが君の仕事になる。あと、そろそろ時間を使いすぎているから、ちょっと急いでいるんだよ」
そういえば、私が並んでいたときは体感で十秒に一歩くらいは進んでいた。だけど私がこの部屋に入ってもう十分くらい経っている。本来なら六十人分は捌けるだけの時間を私一人に使っているんだから、焦るっちゃー焦るか。
思い出すのはどんどん遠ざかりあっという間に見えなくなった行列の最後尾。ストップしている今も、あれは伸び続けているはず……うわ。私が処理するんじゃないけど、考えるだけでげんなりするわ。なんか……ちょっとごめんなさい。さすがに私の理解力がないせいじゃないと思うけど、申し訳ない気分になっちゃう。
しかし男性は私の気持ちを見抜いたかのようにフッと笑った。
「なんて言うけど、気にしないでほしい。ただでさえ、今の記憶を保持したまま転生して山を一つ再生しろなんて無茶振りをしているんだ。時間を割く意味は十分にある。
と言っても、悪い話じゃないっていうのは本当だ。君がこれから得る力があれば色々とできるようになるし、寿命だって随分長いからやりたいことは何でもできるだけの時間がある。仕事内容は山の再生だし、君が夢見る老後のスローライフみたいなものだと思ってよ」
「そこまで知ってるんですか?!コワッ!」
「どんな生き物でも初めての誕生の瞬間から直近の死の瞬間まで、これに記録があるから」
そう言って、男性は手にしている紙の束をひらひらと振った。
てことはこの紙の山、全部死者の記録ってこと?そりゃあ山積みにもなる。てか、秘書っぽい人がこの会話の間にも何回か山をどこからともなく取り出して積み上げているので、さらにとんでもないことになっている。もう机に乗るところがなくて、次は床にでも置かなくてはならないだろう。
「うわぁ…………ま、まあ、わかりました。神様なんてやれる自信ないですし、そういうのガラじゃないと思いますけど……やりますよ。山の神様」
私とは違うものさしでとはいえ、配慮してくれていることはわかった。どうせ断れないのならやるしかない。強くてニューゲームと思って、少しでも前向きに行こう。
……あの行列も、これ以上伸ばさないであげたいし。今頃、人の長さが万里の長城なんて目じゃないくらい長いんじゃないかな。あれを思い出すと、ここでゴネたら可愛そうな気がしてしまう。
「ありがとう。本当に色々と荒れ放題だから、よろしく頼むよ。では君はこちらの扉を通ってくれ。何もしなくても手続きは完了するから小難しいことはないはずだ」
「わかりました」
体を横にずらして示されたのは、男性の背後にある扉だった。この部屋には出口らしい扉が二つあるのは気づいていた。一つは私が入ってきた、誰も出てこない扉。もう一つは私の右手にある、入ってきた扉と変わりないシンプルな扉。
だけど特殊な転生に使うからか、私の位置から見えないところにもう一つあったらしい。そちらもまた何の変哲もない扉で、これまでの話がなければ男性や秘書の休憩室かなにかだと思ったに違いない。
私は恐る恐る一段二段と階段を上った。上り切ると、ふと男性と目が合う。了承したものの不安を抱くばかりの私を後押しするようにうなづき、ぽんと背中を押された。
「大丈夫。君は逸材だ。できると思ったから山の神という役割りを振ったんだから、やりたいようにやりなさい」
曖昧に小さくうなづいて、扉の前に立つ。ドアノブを掴む瞬間少しためらったけれど、私は意を決して向こう側へ飛び出した。
すると、そこは夜だった。私が知っている月よりも倍以上大きな満月が辺りを照らしているのに、小さな星たちも負けじと瞬く夜。これだけ明るくてもまるで金平糖をぶちまけたような空なのに、新月の日はどうなるのだろう。
「えっ」
そんな、今まで見たことのない景色に驚いて思わず声を上げた。
何もしなくても手続きは完了するから、小難しいことはないと確かに言われた。だけど扉をくぐったのはほんの一瞬前のことなので、まさかまだ転生が完了したとは思えない。
ここで待っていればいいのだろうかと周囲を見回すと、どうやら小高い山であるらしい。ただし足元は土よりも石が目立ち、申し訳程度に草や背の低い木が生えているだけで、生き物の気配はない。探せば虫くらいはいるだろうけど、夜行性の動物が立てる音が何一つ聞こえず、そよりと吹く風が草木を揺らさなければ無音。自分の呼吸音や心臓の音の方がよく聞こえる。
「――」
「?」
ふと自分以外の声を聞いた気がして、きょろきょろと周囲を見回した。何もしなくていいと言われても、好奇心で思わず一歩を踏み出したところで、足元で石ころを蹴る感触と音がする。ほとんど音がないせいでつい反応して下を見ると、私は仰天した。
「えっ!」
自分の足であるはずのものが、思っていたものと全く違う形をしていたのだ。
まず、腰から下はふんわりとした白くて短い毛に覆われている。試しに手で触れると見た目通り柔らかくて、だけどシルクのように滑らか。アニマルセラピー的な癒し効果を感じられるものの、私がなでるように手を動かすのと同じように自分の皮膚に直接触れている感触があるため、そういうズボンのようなものをはいているわけではないらしい。むしろ、この毛一本一本が触覚のようにすら感じるくらい、感覚が鋭敏だ。自分で触っているからそれだけだけど、人に触られたらかなりくすぐったいかもしれない。
しかしそれ以上に目を引くのは、人間らしくない脚の形だ。足じゃない。脚だ。四足の哺乳類、それも犬や猫に似た形をしていて、それを人間の下半身と挿げ替えたかのようになっている。試しに軽くジャンプしてみると、力を入れていないのにあっさり身長の倍越えの垂直跳びになった。
「ええ……」
やはり脚力が強い。瞬発力が要の生き物に近そうだ。もしやと思って背面を見れば、腰のやや下には短くて丸い尻尾。この感じは、兎だろうか。そのわりになぜか腰骨の上辺りから一対の羽のようなものが生えているけど、脚の形と尻尾を思うとやはり兎が一番近いのだろう。
羽を手にとって広げてみるとこちらにも触覚があるようで、見た目は透明感のある虹色に輝き、トビウオみたい。月光で輝いていてとても綺麗だ。
幸いというか手は人間の手と同じで、きちんと指が五本あった。肉球のある手では器用さが違うので、それに関してはありがたい。だけど落とし穴は他にも用意されており……私は現在、素っ裸である。
下半身はふんわりとした毛で覆われているからまだ大事なところは隠れているものの、上半身を覆うものは何もない。胸も背中も丸出し。
「どういう仕様よこれは」
扉をくぐってからというもの『え』しか言っていなかったけれど、ようやく別の言葉を発したと思えばこれだ。だって、誰もいないからまだいいものの、いくらなんでもこれは恥ずかしい。一人だろうと、堂々と野外で全裸になるのは小さな子供の時以来なので少なからず羞恥心はある。私だって、もうちょっと夜空に感動するなりして詩的な台詞を第一声にしてみたかったわよ。
しかし、見れば見るほど自分の体ではない。上半身すら、見覚えがない形なのだ。人間らしくはあるのだけど、出るところはバインと出て引っ込むところはキュッと引っ込んでいる。私、こんなボンキュッボンなワガママ美ボディじゃなかった。いよいよ誰だこれは……って私なんだけど。むしろ私じゃなかったら私は誰の体を見ているんだって話なんだけど。
「いや、待てよ。そういえば閻魔様は、記憶を引き継ぐとは言っていたけど……」
見た目まで引き継ぐ、とは言ってませんね。
てことはつまり、これはすでに転生がすんでいるってこと?何もしなくていいどころか、扉くぐっただけで転生できちゃうのか……。確かに小難しいことは何もないわ。むしろ端的に扉をくぐれば転生完了って言ってほしかった。
軽い頭痛のようなものを感じつつも、さてこれからどうしよう、と岩と土ばかりの山を見渡す。荒れ果てた山は本当に無残な状態で、標高はかなり高く見渡す限り緑に乏しい。おそらく私の山だろう範囲も、今いる場所の標高(感覚頼みの推定)がチョモランマ級なので裾野はかなり広いのに、遠くへ行っても緑が少ないのだと思う。どこから手をつけるべきか迷ったけれど、生物が暮らしやすいのはやはり裾野の方だろう。私が最初に降り立った山頂は雲の上なのでとても寒い。私は寒いのはわかるけどへっちゃらだったので問題なかったけども。そもそも問題ありだったら、転生直後に死んでいた。素っ裸だし。恥ずか死ぬ前に凍死して閻魔様のところへ逆戻りなんて笑えない。
アホなもしも話はさておき、山に手をつける以前に、自分の足場を固める方が先だ。神様なので飲み食いは必要なさそうなのはなんとなくわかるけど、気分的に水浴びくらいはしたい。なので、まずは水のある場所に拠点を作ることにした。その間に何をするかを考えればいいだろう。
「……あっち、かな」
自分の山だからか、なんとなく水の気配みたいなものがわかった。距離がありそうだけど、登山の経験もないのに不思議と問題なく思う。素人の根拠のない自信ではなくて、本当に問題ないのだ。
事実普通に歩いたら天候によって数日はかかりそうな行程を、見た目通りの脚力を生かして短縮に短縮を重ねて十五分程度で踏破。下へ降りると雲に突入して吹雪いていたりしたけれどやっぱり寒さはへっちゃらで、クレバスも軽くひとっ跳び。体重がないかのように雪に沈んで脚を取られることもなく、ほんのり肉球の跡がついただけ。まあ、あっという間に雪が積もって隠れるんだけど。
さて。想像はしていたけど、ごらんの環境なので、見つけた湧き水は完全に凍っていた。
「しょうがない。この水を辿って下まで降りよう」
山頂からかなり降りてきたけど時間をほとんどかけていない上、肉体的に労力をかけた気もしないので、そこまでがっかりはしなかった。それよりも、腰まで届く白い髪が吹雪にあおられてうっとうしいのを水以上にどうにかしたい、とここまでで感じている。でもこの長い髪があるおかげで、髪ブラで隠せるものもあり難しい問題だ。風が吹くと紙以下の防御力でも。拠点ができたら隠せるものを第一に探そう。仕事する前にやることが増えている。
もしも私が普通の人間のままであれば命の危機しか感じないような過酷な場所にいるはずなのに、転生してから……いや、閻魔様に会ってからというもの色々と軽い気がしてしょうがないが、食料と水の確保が生命線にならない、環境に余裕で耐えられる体とそろっていると、こんなもんらしい。
でも油断して死ぬのも嫌なので、気をつけないとね。前任者は死んだのだから、私だって何かの拍子に死なないわけじゃないはずだ。地球に伝わる各種神話にだって、神様が死ぬ描写はあるんだから。
水を辿ると言っても凍っているのを辿るのではなく、足の下を流れる伏流水の流れる先を目指す。私の目はどうやら見ようと思うと色々なものを見ることができるようで、面倒な調査をしなくても地下水のありかがわかるのはありがたい。体の問題だけではなく、こんな普通じゃない能力まであるから、余計に危機感が薄くなってしまうんだろうな。
自分を戒める頃には雪の代わりに雨が降り、やがて乾いた土地に出た。律儀に地下水の通り道の上を辿らなくても、感覚で行き先がわかるおかげで直線コースだったので、ここまで十分。体の性能に慣れたのもあり、先ほどよりも速度を上げてお送りしています。
ここまで来ると、相変わらず植生は乏しいけれど、山頂とは植物の種類が違う。ただしあれだけ暴風雪・暴風雨だったのに、この辺はほぼ雨が降らないらしい。上の方の雨が地面に染みてはいるけれど、表層はカラッカラ。水のある層まで草木の根が届いていない。伏流水はかなり下の方を通っているし、人が水を引くのも一苦労だろう。改めて感じ取ってみれば、どうやら顔を出すのはもっとふもとの方にちょぼっとだ。水量に対してあまりに少ない。
本当に色々とやればできるなぁと感動する一方、あんまり下へは降りたくないなと考える。上から広く様子を確認したいのだ。かといって山頂に戻るつもりはない。この体の機能として寒さも雨風雪も問題なくても、うっとうしいからいちいち通りたくない。
……水、汲み上げられないかな?
道具も人手もないのに無茶なことを、とは思わなかった。先ほどから“できるかな?”と思うと、“できる”と本能に近いところで感じているし、実際に全てできてしまっている。
私は地面に手を触れ、そっと“力”を込めてみた。運動能力にも驚いたけれど、こちらは完全に未知の力だ。慎重に。
自分の中の不可視の力は地中を進んだけれど、慎重になるあまり中々地下水には届かない。だけど何かの感覚がカチッとはまるような感じがした。
「あ、なるほど」
今度はもう少し強く力を込めると、ジャスト。ちょうどいい感じに地下水へ届いた。
抵抗……じゃないな。どちらかというと摩擦のようなものを感じるものの、水は私の力を頼りに地を割って初めはゆっくりと地上へ染み出し、それからトクトクと湧き水として周囲へ行き渡り始めた。時間当たり湧く量はそんなに多くないけれど、とりあえずこんなもので十分だろう。
「えい」
私はもう一度地面に手をついて力を込めた。今度は水を引くのではなくて、地面そのものへ干渉して土や石の位置を動かした。湧き水を中心に地面が凹み、どけられた質量が周囲を盛り上げ、しばらくすれば水が溜まって池になるように。広さとしては学校のプール二つ分くらいで、水深は深くても七メートルくらい。一部ふもと側に水の流れやすい道を少し作ってやったので、そちらも時間と共に自然に川になるはず。仕上げに、もう三箇所ほど池予定地内に湧き水を増やし、水量増加を目論む。
こうして自分の作業に満足した私の胸を満たすのは、達成感だった。
「何これ楽しい……!」
あれだ。自分の牧場や畑を作ったりするゲーム。動物や作物どころか自然復興から始めることになっているけど、私はああいうゲームが好きだったのでこれはハマる。
今力を使ってわかったのは、どうやら私は過去に何度か魔法使いのようなことをしていたことがあったらしいことと、目に見えない力の扱い方だった。当時のことを思い出せるわけではないけど、力を使う感覚や知らないはずの魔法の知識が頭に勝手に浮かんできたのだ。それがそのままこの世界に当てはまるわけではないようだけども。
……てか、魔法使いってなんぞや。
未知の力(では魂的にはなかったけれど)に触れてテンションが上がっていたが、疑問を抱くと急に頭が冷えた。どうやら今回だけが特別なのではなく、異世界へも転生ありなのは本当らしい。こういう経験があったから神様やって、と言われたんだろう。魔法なんてゲームや漫画みたいだけど、案外馬鹿にできないものだ。と、思っておかないと自分が頭がかわいそうな人みたいに思えるから、そういうことにしておこう。池の底の土を表面だけ濁り防止に砂利に変えながら、便利な力をありがたく思った。
「――」
「?」
ふとまた私以外の声が聞こえた気がした。だけど周囲を見回しても私以外の人影はないし、めぼしい動物も見当たらない。耳を澄まそうとすると頭上の耳がピコンと跳ねた感覚が気になったけれど、今は横に置いておく。この耳の形状とか、まだ知りたくない。予想はついているけれど。
「――う」
「あ――が――」
「――しま――」
少し声が近くなるも、なんだろう……そう。チャンネルが合っていない、ような。
そう思った直後、またもカチッと何かがはまる感覚がした。その瞬間。
「ありがとう」「感謝します」「ありがとう」「ありがとう」「ありがとう」「感謝します」「水が」「ありがとう」「生きられる」「感謝します」「ありがとう」「ありがとう」「ありがとう」……
大勢が一斉に喋っている。少しうるさい。だけどそれぞれが何を言っているのかは理解できたし、聞き分けることができた。周囲一帯、感謝と喜びの声だけで埋め尽くされているのがよくわかる。
……これは全て、私に言っているの?
「感謝します!」
呆然としていると、その中でひときわ大きな声に惹かれて、私は振り返った。しかし、ほんの五メートルくらいのところに木があるだけだ。膝くらいまでしかないような、幹も枝も細くて一応緑色だけど乾いた葉を申し訳程度につけた小さな木。しかし。
「感謝します、神様!」
ああ、この子だ。
直感だけれど、間違いないと確信がある。私という者は、とても不思議だ。不思議だけれど、決して悪い気はしない。音ならぬ声を聞き分ける耳を持ち、声ならぬ音しか持たない者たちとすら対話ができる。なんて素晴らしいのだろうか。なんて素敵なことだろうか。
胸が熱くなって、じんわりと視界がにじんだ。先ほど池を作り上げた時の達成感を凌駕する喜びが、興奮を呼ぶ。
「私、頑張るからね!」
わっと歓声が沸いた。
荒涼としていて寂しい山なのに、拍手喝采が巻き起こったような大音量だ。熱狂と言って差し支えない。実はこの地にはこんなにたくさんの生き物がいる。この山の再生なんてできるのか不安だったけれど、そんなものは軽く吹き飛ばされてしまった。彼らが増えていくために一番重要なのは私の力ではなくて、彼ら自身の力だ。彼らはこんなにいるのだから、決して不可能なんかじゃない!
本来であれば早々に動き出すべきところだったけれど、私はしばらく池の水が増えていくのを眺めていた。地下の通り道からじんわりと水が染みて土を潤わせ、土中の虫やバクテリアたちが水に追われながらも嬉しい悲鳴を上げている。噴き出した水が広がって、水没していく雑草のような小さな草が自分の終わりを感じながらも、行く先の明るさに心を震わせている。
少し水を引いて小さな池を作っただけで、現在進行形で多くの生き物の生死が分かれていく。しかし死に行く者すら前向きで、これこそが自然の摂理だと華やいでいるのは不思議な光景に違いない。だけどここは、運よく生まれて生き延びても、いずれ誰もが乾いて死ぬ場所だったのだ。だからこそなのだろう。
池を眺めている間に少しずつ興奮は収まっていったが、代わりに少しだけ罪悪感を感じる。元はと言えば、自分が水浴びをしたいだけで池を作ろうと思い立っただけに過ぎない。できると思ったし、実際簡単にすんでしまったし、もうしばらく経てば池には水が満ちて溢れた分は川になって流れ出すだろう。
その恩恵でこうしてたくさんの生き物が生き延びる反面、被害を受けて死んでいく。私が気軽に取った行動一つで想像を絶する数の命が生涯を閉じてしまったと思うと、心が苦しくなった。
もっとも、元は私の我が儘でもこの先山を再生するためには凍らない水が必要なのには間違いない。当然の犠牲でもあったのだろう。
だけど覚えていよう。自覚していよう。山のためと私が手を入れるたびに緑が生い茂るだろう半面、多くの生き物を死に追いやることを。
そして当然としていよう。荒れ果てた山を再生することがより多くの生き物たちを生かすのなら、私は山の神様として罪悪感に押しつぶされてはいけないのだ。
決意がすんだのは、空が白み始める頃だった。
池の水はまだほとんど溜まっていない。そもそも私が転生して数時間しか経っていないので、当然である。ここまでで疲れることはなかったし、睡眠は必ずしも必要ないようだから、心機一転お仕事をしよう。何から始めよう。
とと。その前に、体を隠すものだけど……
「使って」
「使って」
「私役に立つよ」
「使って」
まばらな草が、そこここで名乗りを上げる。ふむ、なるほど。私の力で植物の繊維に作用して服を作るのか。
……やっぱ今はやめておこう。
「えー」
「なんでー?」
「どうしてー?」
「ええー」
気持ちだけもらっておくよ。なんせ、まだまだ数が少ないのだ。辺りが生い茂ってからじゃないと、危なっかしくて使えない。
植物たちには大ブーイングをもらってしまったものの、潔く服は諦めた。幸い見られて困る誰かがいるわけではないので、私が落ち着かないだけで緊急性は低いと判断したのだ。……もちろん、複雑ではあるけれど。自分の家の中だって裸になるのは着替えとお風呂だけだったのに、ここは誰がどう見ても屋外だ。
理由を伝えればじゃあ頑張って多くなる、とのことだったので、その時は喜んでお世話になると約束した。閻魔様も言っていたじゃないか。私が川を氾濫させようと、それは自然の摂理の一つでしかないんだって。私の一挙手一投足で多くの生死が分かれることは忘れずとも、いちいち落ち込んではいられない。転生した私は、以前よりも少しだけ非情であるようだ。
さて。凍らない水の確保はすんだことだし、水が溜まるにもまだまだ時間がかかる。この時間をぼうっと過ごすのも暇だし、この辺の動植物を確認しておきましょうかね。
まずは足元にちょぼっと生えている、背の低い草。葉っぱの形はヨモギを小さくした感じだけど、茎はもっと細いし白っぽくもない。いや、細さは栄養不足なだけか。触ると思ったよりも硬かった。小石を掻き分けると下から土が覗くも、案の定痩せている。潤いはしばらくすれば少しは行き渡るだろうけど、生き物が少ない環境ではそうそう肥えた土を望めないだろう。こんな状態でも健気に生きているのだから生命力は強そうだし、少し手を貸せばあっという間に増えそうだ。
それから、探せばきちんと虫もいた。種類も数も少ないけど、一応昆虫が過ごせるだけの地力はあるらしい。地面をじっと見つめると、虫どころか地中の微生物などの姿も確認できる。耳が色々聞こえるようになってから目も色々見えるようになったけど、改めて落ち着いて見ると、ちょっと気持ち悪いぞ。足元だけではなくてぐるりと見渡すと無数の姿が目に入る。……てか普通の視界を確保しつつこの情報量を問題なく処理して活動できる、私の頭はどうなっているんだろう。神様だからこんなものなのだろうか?
調べてみると山には生気のようなものがあまり感じられないけれど、一応、植物ある。昆虫いる。最低限のバクテリアもいる。基本は一通りそろっていた。やっぱりまずは、土壌改善かな。
とりあえず、目だけは必要外には見えないようにチャンネルずらしておこう。さすがに、この光景は四六時中見ているには……ちょっと……ね?わかるでしょ?
その後はチョモランマ中、それこそ暴風雪の中もくまなく確認した頃には池の水も十分に溜まっていたし、溢れて川もどきもできていた。移動には大して時間はかからないけれど、本格的な仕事をするための事前調査には時間がかかってしまったので、おかしなことではない。すでに日の出と日没を五回ほど繰り返している。
池の水は、最初は土交じりで濁っていたけれど落ち着いていたので、今なら水浴びもできそうだ。今までどんな風になっているのかなんとなく怖くて見ないようにしてきたが、意を決して水面を覗き込み、私の顔を映した。
「……やっぱり、私の顔じゃない」
いや、私の顔ではあるんだよ?しかし、鏡ではないので細かいところまではわからないなりに、体と同様前世の姿の印象が強すぎて今の顔を自分の顔と認識できない。
まず気になるのは目だ。白目がなくて、大きなアーモンド形の目全体が黒目になっている。瞳は黒いままだが虹彩は赤い。なまじっか顔が人間っぽいので、違和感がハンパない。だけどその違和感はマイナスではないと断言できるくらい整っていて、むしろ違和感を感じてはいけないのだろうかとさえ思ってしまう美女がそこにいた。凡人顔に慣れているので、自分の顔なのに腰が引けてしまう。
そんな顔面から無理矢理意識を逸らし、次に目に付いたのは耳だ。頭の上に生えている耳はピンととんがった形で、触ってみると短い毛で覆われていて髪と同じ白だけど、先の方だけは黒い。力を入れるとある程度動くし、とてもよく聞こえるのが納得できる長さ。間違いなく兎の耳である。尻尾といい、耳といい。
私は転生して美女バニーちゃんになってしまったのか……。
なんだろう。美女なのは嬉しいはずなのに、凹むのは。気を紛らわせようと水浴びを開始したが自分の痴女感が思った以上にアップしている事実はあまりにも衝撃的で、折角の初水浴びは全然楽しめなかった。空を見上げると地球と比べると随分小さめの太陽が四つ輝いていて、さわやかオーラが目に染みる。決して晴天の下何をやっているのか、なんてことは考えていない。
自分の姿を気にしてもどうしようもないので、無理矢理気を取り直して。
実験的にほんの狭い空間だけ急激に力を与えるよう作用してみると、あらゆる生き物が一気に育った。最初の実験対象に選んだあの背の低い木は今や三メートルは背丈があるし、頼りなく細かった幹や枝はとても立派だ。葉も本来あるべきみずみずしさを取り戻し、生い茂ってわさわさしている。ヨモギに似た草たちものびのびと葉を伸ばして四つの太陽の恩恵を目一杯受け、小さな花をつけた。地中の微生物たちは単為生殖で爆発的に増え、私の力の余波を受けて柔らかく豊富に養分を含むようになった土を楽しそうに泳ぎ回り、はしゃぐ声で他の音が聞き取れなくなってしまったのでチャンネルを変えて一時的に遮断。小さな虫たちも活力を得たようで、増えようとして急に励み始め、しばらくしたらここらでは見ないくらいの大所帯になっているだろう。
「素晴らしい、これはすごいですよ!さすがは神様です!!」
元々幼い主張が目立つ植物の中では大人びた印象を受ける言葉遣いの木だったけれど、今は興奮気味にすごいすごいと言っては私を褒めちぎってくる。それには曖昧に笑ってお礼を言った。
正直そこまで力を使ったつもりがなかったので、嬉しいとか恥ずかしいとかよりもびっくりしてしまっていたのだ。地下水を引いたところ辺りからなんとなくわかっていたことではあるけれど……私って、こんなに凄かったんだ。まさか生き物の成長にまで作用できてしまうとは。
地面に触れていた自分の両手をまじまじと見つめて、地中の、地表の、地上の様子を眺めた。まるでここだけ異次元のようで、草たちが境界線になっているかのようだ。たぶんこの力を惜しみなく使えば、山の緑を再生し生き物の楽園を作るのは簡単だろう。
でも、やっぱりなんか違う。ただ私の力を有り余るほど与えるだけが正解だなんてとても思えなくて……。
そう。重要なのは、さっきも思ったように生き物たち自身が持つ力だ。こんな風に強引に力を与えたところで、彼ら自身の力がついたわけじゃないだろう。ゆっくりと、自力で寝返りを打とうとする赤ん坊を見守る母親のようにひっそりと。嵐が来ても自分の手でしのげる力をつけられるようサポートするのが、きっと私の役目だ。
「……という方針で行こうと思うんだけど、どう思う?」
「神様のお心のままに。私たちはどんな神様であろうと着いて行きます」
「むう。そうじゃないよ、ちょっと違う」
盲信してほしいわけじゃないんだけどなぁ。急成長した大木――この近辺の相対的な評価であり、一般的な大木ではないが――相手にこれからの計画を語れば、全面的に肯定されてしまった。
この選択に間違いがあると思っているわけではないけれど、少し心配になる信用っぷりだ。それは大木だけではなくて、他の動植物たちも同じ様子。もしもの場合に止めてくれる誰かがいないのは、ちょっぴり不安。間違ってもやり直ししやすいようにという意味でも、ゆっくり進めていこう。
そんなわけで、たぶんこの周辺を一気にどうにかできてしまうだけの力はあるけれど、ゆっくり着実に山改造計画を進めることにした。
生気を失った山に少しずつ力を巡らせて地力を回復させ、食物連鎖の底辺であるバクテリアたちの動きを活発化させ、その影響を受けた虫や植物たちの活動がより力強くなっていくように促す。どうやら力の通り道自体が長い間使われていないせいで固くなり、余計に巡りが悪くなっている模様。ほぐすためには毎日こつこつ少しずつ、力を流すのが一番いいらしい。
半年もすると小鳥や野ねずみなどの小動物が時折姿を見せるようになったので、山の何ヶ所かに伏流水を地上へ引っ張り新たに川を作った。最初は勝手がわからないこともあり急に水源を増やすのはやめたのだけど、経験がある今ならなにをどうすればどうなるのかはおおよそ予測が立つので大きな問題は起きていない。ちなみに二ヶ所目以降は池は作らず、引っ張ったらあとは自然の作用に任せた。そのうち自然と流れが安定してくるだろうし、中には池だってできるかもしれない。これも放任主義の一環ってことで。
こんな風に過ごしていると、閻魔様が私に適正があると言った意味は本当によくわかったしありがたいと思うようになった。
過去生の経験も扱えるようになると言っていた通り、例えば山道なんて小学校のハイキングくらいしか経験がないのに、道なき道のどこをどう歩けば安全なのかがわかる。なんとなくだけど、これはカモシカの記憶だ。山を歩いて視察するのに重宝する。バクテリアを増やそうすれば、どうやら私はバクテリアだったことがあるらしく、どんな環境が心地よいかが手に取るようにわかった。オオイヌノフグリだった影響か、植物が根を張りやすい環境も体でわかった。力を使うのには魔法使いの経験だって無駄じゃないし、その他枚挙にいとまがない。私の過去は多彩すぎる。
ちなみに、この山がある世界は私がいた地球ではない。行動範囲に目に見える違いはないけれど、地球が抱く力とこの世界(星なのかも現状わからない)の力の源が違うのだ。
地球の場合炎……マグマの力をかなり強く感じたけれど――もちろん当時の私がわかるわけじゃなく、今の私だからこそわかるのだ――この世界は炎の力はほとんど感じない。代わりに水の循環こそがエネルギー源になっているようだ。だから私の力は地下水に乗せて、その地下水を地上に引っ張って山へ間接的に影響するよう調整している。くまなく行き渡らせるためにはやっぱり水源は多めにあった方がいいようだ。まあ、これ以上は作らなくても古い水源が自然に復活しそうだから置いておこう。それに、山の地下にある伏流水だってしっかり私の力の影響を受けている。
そして私の力が溶け込んだ水は、山を中心とした地上へ上がらなかった極わずか……残滓のようなものが世界の内部へと吸収される。各地からこのような力が集まって、世界を動かしているようだ。と言ってもその辺は憶測なので、もっと別の要因があるかもしれない。まだ生まれて半年なので、わからない事だらけだ。
例えば半年と言ったけれど、この世界の一年の長さはいまだに知らない。あくまで地球の感覚で半年である。
誰かそういうことを知っている人に会えればいいんだけど……私のような存在の気配を感じない。遠くにいて私のように動き回れる姿ではないのか、それともずっと管理している土地だから動き回る必要がないのか。私の方から会いに行こうにも、ようやく軌道に乗り始めたばかりの山から今は動きたくはないし……。植物も動物もいるから会話の相手には困らないとはいえ、基礎知識は手に入らないしなぁ……。
最近勝手がわかってきたから、こうして直接山の運営に関係ないことを考え始めるようになった。私は池に足をちゃぷちゃぷ浸しながらこの世界についての知識不足解決の糸口を探るも、一年が何日で一日が何時間なんて、考えていたってわかるものじゃない。
天文学の詳しい知識でもあれば月や太陽の動きで観測できるかもしれないけど、生憎天文学の知識はそこまでなかった。おおよそ地球とは変わらなそう、ということは大雑把にわかるのだけど。
「そういえば、人間みたいな種族はいないのかな?」
そうだよ。あんまりにも生き物の気配が薄い世界だから忘れそうだけど、知的生命体が同業以外にいないとは限らないのだ。
私は一口に山と言ってしまっているが、周りに連なる山も私の領域だ。つまり、正しくは私が最初に降り立った山を中心とした山脈が私の領域なわけだが、これがとてつもなく広い。ここから離れるごとに標高が低くなり、その先は荒涼とした平野という名の荒野が続く。一応荒野も私の領域にも含まれているようだけど、遠すぎてきちんと私の力の影響を受けるのはまだまだ先のことになるだろう。
ちなみに今のところ領域の北側は全体的に不人気なのだけど、小動物たちに人気のある南側のエリアには誰かしらいるかもしれない。なんせ、日本と同じで北側の方が寒いのだ。暖かい土地の方が生活しやすいのだろう。たぶん。ちなみに東西南北だけは、私の体に方位磁石みたいな機能がついているのでわかる。おかげで太陽が東から昇って西へ沈むのも確認できた。
ちょっと話がそれた。
知的生命体が住んでいそうな場所を求めてあてどもなく荒野をさまい山をほったらかしにするのは、やっぱりまだ不安がある。ようやく小動物が入ってきても大丈夫なくらい植物が生えている面積が大きくなったのに、その間に何かがあって全滅したら半年の苦労が全部パァだ。もうちょっと環境が整っていれば何があったって勝手に再生するだろうし放置だけど、まだまだそこまで至っていない。あちらから来てくれない限り、今のところ接触方法はない……いや。
「いるかいないかの情報だけならどうにかなるかもしれない」
基礎知識はほしいけれど、よく考えたらどうせ今すぐは困らないのだ。基礎知識を得られる目星だけで十分ならば、すでに当てはある。
私は早速岸に上がり、足元に目を向けた。とんがった草の先にてんとう虫に似た黒に白い水玉模様の虫が止まっている。
「虫君、人間って知ってる?」
「人間?なんですかそれ」
「私みたいに二足歩行で、道具を作るのが上手な生き物かな」
「この辺では見ないですねぇ。僕は山から出たことないし」
「そっか。ヘンなこと尋ねてごめんね」
と、こんな感じだ。この山にいなかった生き物……つまり外から来た生き物がいるんだから、一匹くらいは知っている誰かがいてもおかしくない。
あの虫君は二世らしく山生まれ山育ちだったけど、とにかく当初はこの山にいなかった動物に私は片っ端から声をかけた。遠くの噂を集めるなら、植物より機動力のある動物の方が向いている。
そしてついに、それらしき生き物を知っている子を見つけることができた。
「それなら、ずーっとあっちの方に大きな巣の集まりがありますよ。僕はそこから来ましたから、間違いないです。どこもそうですけど、あの辺一帯もあんまり住みやすい環境じゃなかったんですよねぇ。そしたら山に神様が舞い降りたと聞いて移住してきたら大正解ですよ。すみやすい環境だし、おかげで奥さんも見つかって……」
彼はオスのカラスくらいの大きさをした鳥なのだけど、とても喋り好きであるらしい。なかなか終わらない話をうんうんとうなづきながらしばらく聞いていたら、戻ってきた奥さんにくちばしで「神様がいくらお優しいからって調子乗ってんじゃないよ!」とド突かれていた。女って、強いなぁ……。
しみじみと女の強さを感じつつ情報のお礼を言って、とりあえずの目的を達成した私はしばらくこのことを放っておいた。まさか、あちらから来るとは思いもせずに。