GHQを震撼させた一通の手紙 (3)
私の親族の奥さんが書いた手紙に、
一家心中
のことがあったため、GHQが、大騒ぎしたわけですが、
もちろん、
一家心中
は、ありませんでした。
もし、あったら、私は生まれて来れませんでした。
一家心中の話は、私は聞いたことないです。
親族の日記に書いてあっただけ、なのです。
今となっては、その当時のことを知っている人は、生きていないと思います。
でも、この奥さん、一家心中を、常識的に考えて、よく書けたなと思います。
GHQが先に読んでくれて、
大騒ぎしてくれて、
東京裁判は復讐裁判だから、戦犯は犯罪者ではない
と、手紙に書け、と、私の親族に命令してくれなかったら、
どうするつもりだったのでしょうね?
GHQが何事もなかったかのようにスルーしたら?
そして、私の親族が、それを読んだら?
書いてある内容は、
あなたが戦犯として捕まったために、一家心中をしようとしている
ですからね。
こんなの、手紙に書かれたら、タマランですよ。
それじゃなくても、ムショにぶち込まれて、普通の精神状態じゃないですからね。
巣鴨プリズン内で心配することは、家族のことだけ。
その家族を支えている人達が、責任をかぶって一家心中とは!
この奥さん、これを自分の夫に手紙に書いて送ったのですからね。
まあ、よっぽど自信があったのでしょうね。
GHQが動いてくれると。
GHQに通って、感じたんでしょうね。
女は恐ろしい。
では、一家心中話は、その奥さんの創作なのか?
というと、
私の祖父は、頭のおかしいことを言い出しそうな人ではありました。
その当時、もう、すでに六十歳を越えていて、この時代の六十歳ですからね、ボケていたかも知れません。
戦時中、祖父の先代が亡くなって、祖父が財産を継いだ時に、
葬式に、戦国時代ではないのに鎧甲姿で現れて、
財産を守り抜いて見せる
と、宣言したそうですからね。
戦時中とはいえ、鎧甲姿はやり過ぎでは。
もちろん、財産は守られていません。
農地解放の情報は、前もって入手していました。
農地解放に対応するために、小作人から農地を取り上げ、大牧場を造ろうとしたのです。
その牧場の経営者には、私の父がなる予定でした。
もし、その土地が残っていれば、資産は最低でも、百億円はあったと思います。
牧場をやるために、乳牛が必要だったのですが、その当時、乳牛なんて日本中どこを探してもいません。
でも、皇室牧場にはいたのです。
皇室牧場にお願いし、乳牛を分けて頂けることになりました。
乳牛の値段は、当時のお金で一頭十万円です。今なら、億の単位でしょうか。
でも、その話は流れました。
戦前の教育を受けた、私の祖父や父たちが、皇室牧場にお断りを入れられたとは、思えません。
戦犯が出たため、皇室牧場とのお付き合いを御辞退させて頂いたのだと思います。
結局、農地解放により、土地は失いました。
私の親族の病院は今も東京にあります。
その病院を継ぐ権利は
私にもある
と、父は言っていました。
それだけのことが、あったのでしょう。
でも、援助を受けたこの奥さんが1980年頃亡くなったため、今では、誰もそんなこと言わないです。




