希望
「大丈夫?」
みすぼらしい女の子に声を掛ける。
正義の味方だと言った手前、その通りに行動しないと僕は嘘つきになってしまうからね。
「ケホッ、ケホッ」
女の子は、金髪に攻撃されて痛むのか、身体を縮こませ、何かに怯えるかのようにビクビクと震えながら咳き込んでいる。
それを見ても『可哀想だ』なんて思いもしない。
そんな事より、これぐらいの傷で立ち上がらないのが不思議でたまらない。
僕の経験上、すぐに立って移動しないと、また同じ目に合わされる。
だから、とても不思議だ。
なんで立たない?
なんで喋らない?
なんで震えてる?
そんな事をしたって、誰も助けてくれはしないのに。
取り敢えず、特別に今回だけは僕が助けてあげるけど、次はない。
早く学んで欲しいものだ。
この世界は非情で、残酷で、冷酷だと。
彼女を抱き抱えて、治療する為に邪魔な人間が居ない所へと移動する事にした。
ーーー
私の名前はミミリィ。
私の家は、雑貨品店だった。
お父さんは冒険者で、お母さんが雑貨屋を営んでいた。
お父さんが仕事の途中で拾ってくる物を売ったりしていた。
でも、ある日。突然、お父さんが死んだと報告があった。
その日から、私の家は火の車。物も売れなくなり、途端に貧困に陥った。
それから数日で、お母さんは病気に。
私は急いで医師を連れてきた。そして、不治の病だと告げられた。
私は泣き崩れた。
でも、医師は方法があると言った。
莫大な金額が必要になるけれど、治せる方法があると。
私は必死に働いて稼いだ。
お母さんを助ける為に、必死に頑張った。
日に日に弱ってくるお母さんが『もう良いのよ』と言って毎日頭を撫でてくれる。
その度に、死んでほしくないと願い、私は頑張った。
けれど、その頑張りは報われない。
働いても、働いても、報酬は僅か。それだけじゃ、お母さんの治療費なんて到底払えっこない。
そんな時、医師が言った。
「今持ってる金額全てで延命してやる」
そして、こうも言った。
「これから、お金を持ってくる度に延命はしてやる」
治療は出来ずとも、お母さんを少しでも長く生きながらえさせれる。その一筋の希望に私は縋った。
それでお母さんが私の側に居てくれるなら、と。
それから数日が経った。
お母さんの容体は日に日に悪くなって行くのが目に見えて分かるようになってきた。
私は必死に働き、お金を掻き集めて医師に渡し続けた。
だけども、お母さんが良くなる気配はない。
これじゃあ、お母さんが居なくなるのも時間の問題だと思った。
だから、私はこれまで以上に仕事を増やし、働いたお金の一部貯める事にした。
医師にお金を渡す額は変わらない。そこから余ったお金を貯めた。お母さんの病を治す為に。
食事も切り詰めて、睡眠時間も減らし、毎日必死に働き続けた。
日に日に悪くなって行くお母さんを見ていると、急がなければならない。と言う焦りまで覚える。
そんな時、仕事先で『魔王を倒した勇者様が帰ってくる』と言う噂を聞いた。
勇者様ならば、お母さんを治せるかもしれない。
そんな淡い期待を抱き、勇者様が帰ってくるのを今か今かと待ち続けた。
そして、ようやくその日がやってきた。
『勇者様が帰ってきたぁ!』と子供達が騒ぎ立てる声に気が付き、私はその日の仕事を全て休みにしてもらい、何としてでもお母さんを治してもらおうと勇者様の元へと駆けた。
一心不乱に駆けた。
食事を抜いている所為か、視界がボヤける。足もフラつく。
それでも、駆けた。
ほんの小さな。僅かな希望。それに縋るしか私には出来なかったから。
大通りに出ると、勇者様の姿が見えた。
輝く金色の髪、凛とした立ち振る舞いの凛々しい姿だった。私なんかが近寄って良いものかと一瞬の躊躇いを覚えた。
けれど、私は行かなければならない。
そうしなければ、お母さんが死んでしまうから。
そう思い、駆け出すと、突然目の前に人が現れてぶつかってしまった。
いや、突然じゃない。元から居た。
けれど、私には見えなかった。勇者様の姿しか目に映ってなかったから。
ぶつかった時に、お金を落としてしまって、私は咄嗟にお金を拾い集めたけど、ぶつかった人に謝るのを忘れていた。
謝っても許してくれないかもしれないけれど、優しい人だったら許してくれるかもしれない。
そんな淡い期待を抱いて顔を上げ、その人の姿を見て私は声が出なくなった。
ただ、酷く怖かった。
暑い夏だと言うのに、全身を覆うような真っ黒の外套を着ており、フードから覗くのは、死を体現したかのような薄汚れた瞳。
服の裾からは血塗れの服と素肌が見え、それが途轍もなく怖くて、声が出なかった。
小さな溜息をその人は吐いた。
たったそれだけの行動。なのに、言い表せない程の恐怖が胸の底から込み上げてくる。
兎に角、怖かった。
落としたお金など頭の中から消し飛ぶほどに。
だけど、その人は私に何かするわけでもなく、私が落としたお金を拾い集めてくれて、私の手に握らせてくれた。
なのに、私は逃げ出してしまった。
その人が無性に怖かった。
逃げ出す勢いのまま、勇者様の元へと駆けて行き、私は交渉した。
私には何をしても構わないので、病気になったお母さんを助けて下さい、と。
だけど、勇者様は首を縦に振らなかった。
不治の病を治す事は出来ないと言った。
だから私は、少しで良いからお母さんを助ける為にお恵みを下さい、と縋った。
すると、勇者様は私を殴った。
一瞬の出来事で、私には何が起きたか理解できなかった。
視界内に激しく火花が散り、何も見えなかった。そして、気が付いた時には地面に倒れていた。
私が立ち上がろうとすると、勇者様は私に蹴りを入れながら言い放った。
「お前みたいなゴミにやる金なんてねぇよ」
酷い。
勇者様は悪者を倒し、弱い人を助けると聞いていたのに、噂と全く違う。
蹴られる度に吐きそうになる。
助けを呼びたくても声が出ない。嗚咽だけが漏れる。
だれか、助けて。
勇者様を一目見ようと集まった人達に視線を向けて助けを求める。でも、彼等は一様に私を嘲笑っていた。
小さな頃から良く知った人でさえも、私を見て、指差して、嘲笑っていた。
どうして、私はこんな目に遭わなければならないの?
どうして、私ばかり酷い目に遭うの?
どうして?どうしてなの?
皆、笑ってる。私を見て嗤ってる。
分からないよ。
私には分からない。
気が付けば、私は世界を拒絶していた。
何も感じない。何も聞こえない。
腕の隙間から見える勇者の歪んだ笑みを見る事しか出来なくなっていた。
そんな時、突然目の前を誰かが遮った。
全身を黒い外套で身を包んだーー私がぶつかった人だった。
その人が一言。何を言ったか分からないけど、心の芯まで響く深い声を発した。すると、全員が同時に口を閉じた。
その人が何をしたか良く分からないけれど、たった一言で民衆を黙らせた事に私は驚く事しか出来なかった。
そして、あっと言う間に勇者様…勇者達を薙ぎ倒して、私に声を掛けてくれた。
けれど私は返答できない。
したくない。
ただ、その人に怯えて、周囲の人に怯えて、世界に怯えて、何も行動できなかった。
いっそ、死んだ方がマシだと思えた。
けれど、その人は私を担ぎ上げると、飛ぶようにその場から移動した。
連れてこられた場所は、人気の全くない路地裏。
私は今から何をされるのか、不安でたまらなく、気が気ではなかった。
けれど、その人は何もしなかった。
ほんのりと冷たく、大人よりも小さい。でも、ゴツゴツと硬く、傷跡だらけの手で私を介抱してくれた。
勇者に殴られ、蹴られて出来た青痣に見た事のない色をした塗り薬を付けて、その上から包帯を巻き、魔法まで使って治療してくれた。
「もう大丈夫でしょ?」
恐怖を与えるような外見と違い、酷く優しい口調で尋ねられた。
私は身体の痛む部分を確認してみると、痛みは引いていた。
塗り薬の効果が凄いのか、包帯が凄いのか、彼が凄いのか。それは分からないけど、痛みは完全に引いていた。
私は小さく頷きながら感謝を伝える為に枯れた喉から声を絞り出す。
「あ、ありがとう…」
まだ彼の事が怖い。
怖いから、声が尻すぼみになってしまった。
でも、感謝してる。
心の底から感謝してる。
だって、私みたいな薄汚れた貧乏人を助けてくれたんだもん。
「それじゃあ、僕は用があるから」
私の感謝の言葉が届いたのか分からない。けれど、彼はそう言って、私に背を向けた。
まるで私と同い年ぐらいの子供のような小さな背中。だけど、とても大きく感じる。
「ま、待ってっ!」
声を再度絞り出して、彼を呼び止めた。
どうして呼び止めたのか私でも分からない。
だけど、彼なら頼れる。きっと、全てなんとかしてくれる。そんな気がした。
そう感じた瞬間には、声が勝手に出ていた。
彼は振り返る。
たったそれだけの動作に恐怖を覚える。
まるで、今にも隠している武器を抜き放って殺しに掛かるかのように思える。
でも、彼は振り返った後も何もせずに私の目をジッと見つめた。
『要件は何?』とでも言いたそうな瞳で私を見つめてくる。
何を言えばいい?
感謝の言葉は伝えてしまった。
今更言っても意味がない。
どうすればいい?
色々な考えが頭の中を巡る。
そんな思考の渦の中から、私は見つけた。
「わ、私の…私の家に…お、お礼を…」
彼の事が怖くて、声が途切れ途切れになってしまった。
「お礼なんて要らない。そんな物を求める為にした訳じゃない」
素っ気ない言葉を吐くと、彼はまたもや背を向けてしまった。
途端に、私は行動した。
なぜか分からない。
どうしてそんな事をしたかも分からない。
身体が、心が、そうしろと叫んだ。
だから、私は彼の足を掴んだ。
縋るように、逃さないように、彼に頼るように。私は彼に行き場を失った希望を向けた。
まるで、御伽噺に出てくる魔王のような、そんな畏怖される存在に私は期待してしまった。
それが良い事かどうかなんて分からない。けれど、この人なら私のお母さんを助けてくれるかもしれない、と思ってしまった。
感想とか下さると嬉しいです。
今の私は心の励みが必要なようです…。